芸術家岡本太郎が、何をどう見るか?ということは、興味ふかい。
岡本太郎の三原則がある。①芸術は、きれいであってはいけない。②うまくあってはいけない。③心地よくあってはいけない。
岡本太郎は、芸術において、美しいということを拒絶する。心を動かすような激しい芸術を求めている。芸術は、あくまでも人の魂を激
...続きを読むしく揺さぶるものである。どれだけ強烈に、毒のような刺激を与えるのか?
岡本太郎は、パリのソルボンヌ大学で、フランス民族学の父とも称されるマルセル・モースのところで民族学を修めている。それは、アフリカの民族の原始美術が、衝撃を与えたからだ。岡本太郎の三原則に当てはまっていた。アフリカでなぜ?が岡本太郎の疑問だった。「抽象と具象がぶつかり合い、引き裂かれたところに人間の本当の存在がある」と思った岡本太郎の想いがアフリカの原始美術の中にあったのだ。
そして、東京国立博物館で縄文土器を見たときに、またしても衝撃を受けるのだった。縄文火炎型土器の造形美、四次元的な空間性にある世界観が原始美術の中にあったことだった。それは、火炎型でありながら、深海をイメージさせるものと岡本太郎は思った。縄文文化のすごさを認めたのは、岡本太郎であり、自らのアートに縄文文化を取り入れて、蘇生させた。
「激しく追いかぶさり重なり合って、隆起し、下降し、旋回する隆線文、これでもかこれでもかと執拗に迫る緊張感、しかも純粋に透った神経の鋭さ、常々芸術の本質として超自然的激越を主張する私でさえ、思わず叫びたくなる凄みである」
その岡本太郎が、日本復帰前の沖縄に行って、またしても衝撃を受けるのだった。
その衝撃を表現したのが、本書『沖縄文化論』である。
「私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実体も持っていない―といって差支えない、御嶽だった。御嶽―つまり神の降る聖所である。この神聖な地域は、礼拝所も建っていなければ、神体も偶像も何もない。森の中のちょっとした、何でもない空地。そこに、うっかりすると見過してしまう粗末な小さい四角の切石が置いてあるだけ。その何にもないということの素晴らしさに私は驚嘆した」と岡本太郎は書く。
『何もない』という空間が、御嶽だった。表現者である岡本太郎の存在さえも脅かす。沖縄の文化はそこから始まっているのだ。ゼロを発見したインドの人のように、祈りの表現としての『空』を岡本太郎は発見したのだ。
「沖縄の御嶽でつき動かされた感動はまったく異質だ。何度も言うように、なに1つ、もの、形としてこちらを圧してくるものはないのだ。清潔で、無条件である。だから逆にこちらから全霊をもって見えない世界によびかける。神聖感はひどく身近に、強烈だ。生きている実感、と同時にメタフィジックな感動である。静かな恍惚感として、それは肌にしみとおる」
沖縄文化論を通じて、岡本太郎は言う、日本は沖縄に返還されるべきだと。
沖縄の生活の中に美を見出し、踊り、紅型の色彩などに惹かれる岡本太郎。芸術を受け入れることは、根元に立ち向かうしかないのかもしれない。