「あなたは中国が好きですか?」
この質問に答えづらい日本人は多いのではないだろうか…
中国の歴史や多くの遺産に魅力的なものが多いのも事実なのだが、実際感情面ではどうだろうか
しかしながら中国はもはや国際社会の中で避けて通れない大国である
どこかの政治家のセリフじゃないが日本は中国から離れるために引
...続きを読むっ越しすることもできないのだ
先日読んだ2冊の本にも気になることがあった
■カルロ・ロヴェッリ「科学とは何か」
中国の思想(師を批判することはあり得ない)のせいで科学が発展しづらい国であった
これ以外にも原因となるものがあるような気がする…
■ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」
ユーラシアという恵まれた環境でヨーロッパ人が主導権を握れたのに、
同じように恵まれた条件の中国がなぜ覇権を握れなかったか
「政治的に統一されているから」という理由があったが、もう一歩踏み込んだ内容が知りたい
中国の歴史を紐解けば何か理解できるものがあるのでは?
せっかくなので中国という国を勉強したい
~以下は完全なる覚書~
【第一章 黄河文明から「中華」の誕生まで】
まずは中国という国のベースをしっかり把握する第一歩
中国を含むユーラシアは海岸線が相対的に短く陸地が広大
乾燥地域と温順地域が人々の暮らしを二分した(以下のこの極端な二種類から成る)
・温順地域…植物栽培のコントロールがたやすく農耕が発明され定住生活が可能に(有利な環境)
・乾燥地域…あらゆる生物にとって厳しい環境(砂漠)、放牧を行い動物から生み出される乳製品や肉に頼って生活を送る
草原から草原へと移動繰り返す不安定な生活(遊牧)
黄河流域から始まった中国の古代文明
ここはまさに乾燥地域と温順地域の境界地帯
よって、お互いに持っていないものを交易で得る(これにより言語が発生)
シルクロードに連なっていたおかげで、西からの先進的な文明(オリエント文明など)を受け入れやすい地域でもあった
秦漢帝国…秦の始皇帝の死により秦は崩壊
漢王朝が誕生
前漢…劉邦の時代、匈奴との戦い
後漢…シルクロードの恩恵も受け、安定した平和な時代
【第二章 寒冷化の衝撃】
3世紀あたりから気候変動により地球の寒冷化が始まり、世界的に民族大移動が始まる
遊牧民の一部が中国中心地域へ移動
農耕民も農作物の生産量が低下し、人口が淘汰され、不景気かつ錯綜した時代へ
小さな政治ブロックで集中的に経済を支えると言う形態が生まれる
4〜5世紀「五胡十六国」時代
5〜6世紀「南北朝時代」
いずれも小勢力が分立し、細かい地域ブロックに分かれて再開発を進めることで寒冷化の時代を乗り越えた
これにより複合化、多元的な社会が実現
いかに整合していくかが今後の鍵に…
ようやく隋が中国全土をひとつにまとめた
【第三章 隋・唐の興亡】
■隋王朝
父:文帝、息子:煬帝の親子二代の30年ほどで幕を閉じる
政治、経済、文化が中原の集約から南方の開発へ
黄河と長江をつなぐ大運河を建設
揚州で塩の生産(海岸線が短いため中国では貴重)が行われる
■唐の時代は約300年
二代目…太宗・李世民 中国屈指の名君(武勇、内政とも、)
三代目…則天武后 李世民の息子高宗の妻(中国史上唯一の女帝)
仏教という価値観を共有することで遊牧民と農耕民を融合するレベルで南北の統合を図り勢力を拡大
南北朝時代の突厥(北の突厥・トルコ系遊牧民)の軍事力は圧倒的
そして突厥の商業の担い手はソグド商人
ソグド商人は中央アジアの中核におり、ここは東西南北からモノが集まるオアシスであった
トルコ系遊牧民…軍事
ソグド系商業民…商業
それらを抱え込んだ唐は多元性を一つにまとめて繁栄、実に国際色豊かな唐であった
そんな唐も楊貴妃に夢中になった玄宗皇帝は政務をおろそかにし、
かつ楊貴妃の血族を台頭させ、安史の乱が起こる
8〜9世紀 唐は解体へ
【第四章 唐から宋へ】
唐宋変革…唐と宋の間で起きた大きな社会変動
唐と宋の間の半世紀は「五代十国」
政情が不安定であったため、中国各地がそれぞれ独自に経済成長を遂げた
その原動力となったのはエネルギー革命(石炭の利用)
材木の枯渇と言う局面を克服し、多大なエネルギーを使えるようになった
これにより大量の金属生産が可能となり、工具や武器の生産が容易に、さらに農業生産の能力も高くなる
温暖化、農産物の生産増大、技術革新、生産力の向上、平和な世の中が相まって人口増に
さらに貨幣経済の成立、都市化の進展、文化や学問が発達(宋学・朱子学の誕生)
君主独裁制へ
多元化・多様性を前提としたものであり、中央集権とは異なる(言葉を勘違いしない)
各地方は地方で対応し、最終的に中央政権が取りまとめる
また遊牧民とは講和する道を取る
【第五章 モンゴル帝国の興亡】
東側が強くなったことにより、一部の人々が西側に押し出される
ウイグルは西方移動してソグド人と一体になり財閥を形成
さらにモンゴル部族と結びつき西側へ手引き
ここからチンギス・カンの西征が始まる
モンゴルの躍進の背景には、中央アジアの商業民がいた
13世紀初頭から14世紀末の200年がモンゴル時代
チンギス・カンからはじまるチンギス家(お家騒動あり)
クビライの時
今日の北京に首都を建設、都市計画を明確にした
今日の北京も基本的には変わらない
つまり現代の北京のベースはクビライの北京
モンゴルの強さとは…
宣伝戦と威嚇戦(攻め込むと脅して戦わずして降伏させた)が見事であり、
支配後も相手を蹂躙せず、本領を安堵してそれまでの生活を続けさせた
ウイグル
資金・情報を提供する代わり、軍隊による保護と商売の権益を求める
タイアップし領土を拡大
紙幣
ただの紙切れにならないよう銀と交換できる保証を付けて流通させた
紙幣だけではなく、塩の専売許可証というシステムを作り上げる(つまり有価証券)
元寇
軍事侵略のイメージ
実は違って経済圏拡大の一環ではないか?
(軍事的な征服ではないという説もあり、既に軍事的な拡大は停止していたようだ)
14世紀半ば
寒冷化により崩壊が始まる
ヨーロッパのペストも入ってきたのでは?
大不況でモンゴル帝国が持続できなくなる
【第六章 現代中国の原点としての明朝】
15世紀初頭モンゴル帝国が消滅
漢民族だけの王朝をめざした明
鎖国を実施し、朝貢一元体制を打ち立てる
(取引したければ土産を持参して頭を下げろってやつ)
貨幣経済を否定
また南北格差解消のため、江南を弾圧し、力のある方(南方)を貧しくさせた
江南の人々を冷遇したため、彼らは北京中央政府や役人に対し常に反感を持つように
非公式通貨としての銀が流通し、鎖国体制は崩壊、密貿易業者が増加
(政府が認めていない貿易、通貨が流通)
官民乖離が顕著に(国家の権力や法律に縛られず生きるという姿勢に)
経済や貿易の局面で、民間の力量が増大したのが明朝
その後の中国社会の土台となり、現代の中国にも顕著にあらわれている
いくつかのコロニーが力を持つように
その中の遼東地域は漢人とツングース系のジュシェンという狩猟民がメイン
ここが政治的に力を持つようになり、やがて清朝政権が打ち立てられる
【第七章 清朝時代の地域分立と官民乖離】
遼東半島地域で満洲人が打ち立てたのが清朝
多種族からなる政権
満洲人、漢人、モンゴル人の三族一体を目指す
さらにチベット、ムスリムを合わせた五大種族が共存
それぞれの在地在来システムを活かし、統治が運営された
貿易が盛んになり、銀が不足
産業革命を経たイギリスから銀を得て、紅茶を対価に
人口がさらに爆発的に増える
政府は機能しない
官民乖離がさらに拡大
民間コミュニティが増大し民衆による反乱が頻発
19 世紀半ば
日本のように、富国強兵をめざし、西洋化・近代化を目指すが官民乖離で進まず
(一方の日本は官民一体で成功)
日清戦争を経て、領土という意識が生まれ出す
国民国家「中国」の誕生
20世紀 辛亥革命
300年続いた清朝は滅亡
・蒋介石
三民主義(民族主義・民権主義・民生主義)
・毛沢東
共産主義
自分が貧しい農村出身だったこともあり、とにかく農村本位が最大の政策目標
イデオロギーは何でもよかった
自他に納得させる正当化のシンボルとして共産主義を掲げた(に過ぎない)
毛沢東が下層の人々の心を掴み評価が高まる
が、下層の人々を持ち上げ、上層の人々を叩き過ぎ国が疲弊し失敗に
・鄧小平
共産主義のイデオロギーと支配体制を残したまま、市場経済を取り入れ海外貿易も推進して豊かさを追求しようとした
経済発展を続けられるだがいずれにしろ大多数を占める下層の人々が豊かになる事はなかった
結局乖離はむしろ増幅されている
習近平の懸念→下層の人々が政権から乖離するとともに、富裕層が諸外国と強く結びついて国家を顧みなくなること
【結 現代中国と歴史】
14世紀の危機=寒冷化
ヨーロッパは近代化と言う形で答えを導き出した
つまり大航海時代に始まり、産業革命に至るプロセス
グローバル化の世界を生み出した
中国
南北の格差がなくなったわけではないが、貿易のおかげで沿海地域が発展し
西側内陸部か取り残されるという東西の格差が深刻化
日本史と西洋史は近似した歴史経過
西洋は中世と言う封建性の時代があり、近代化を経て今日に立っている
日本史もそのプロセスを行ったり、後追いしたような印象がある
だから中国人の言動に違和感や不快感を覚えることが少なくない
ところが容姿・言語に差異のある西洋人に親近感を覚えるのとまさに対照的だ
著者はこのような歴史背景により中国では「国家の権力や法律に縛られず生きるという姿勢」
が日本人に馴染まない習性であり、中国を受け入れがたいのでは…と解釈している
(なんとなく納得)
こちらを読むまで中国という国は中央政権がガッツリ幅を利かせて国民に足かせをし、
制圧していると思い込んでいたのだが…
それはそうなのだが、じつは国際色豊かで多元的な国であり、民間が力をもっているせいだということが理解できた
そのため統一するためには圧政を強いるしかなかったのか…と感じる
さて最初の自分の問題点である「科学が発展しなかった」理由及び「恵まれたユーラシアで覇権を取れなかった」理由であるが、
最後まで本当の意味で国が統一できていないからなのではなかろうか
いずれも優秀な人材の芽は摘まれ、官民乖離により民は民のままで終わらざるを得なかったからではなかろうか
何かがわかりかけたような気もするが、上っ面の知識なのでもう少し深堀りしていきたい
非常にシンプルで分かりやすい内容本書であり、ざっと中国史が理解できる
余計な細かい内容はないが、流れとポイントがつかめる
著者の意見もあり読み物としても興味深い
受験に関係ない社会人向けで、(私のような)初心者からざっと復習したい大人向けだ
往々にして歴史書は寝落ちしがち(笑)だが、その点こちらは同じ文字を何度も目だけが追っているような空白の時間に陥る心配はない
今まで読んだ歴史書の中ではトップ3に入るかな…
ただ一点残念なのが、地図と地図に落とし込んだ図が分かりづらかった
惜しいなぁ…