「『男性嫌悪』である私が同時に『女として認められたい』と強く思うのはなぜか」という問いをひたすら自問自答し、内省を綴る書。
その問いの立て方、論の進め方、そして結論に至るまで、ほぼフェミニズムの考え方を踏襲しています。
著者自身はそのようなつもりはなかったと冒頭で書いていますが、しかしフェミニズ
...続きを読むムのテキストとして読まれてしまうのも致し方ない内容。
類書と異なるのは、自らデリヘル嬢になることで自らの葛藤の深遠を探った、という点。
これは出版当初かなり話題になったようで、本件を記した前後で周囲の男どもの態度が急変したことも、本書の検証対象の一部となっています。
穿った見方をすれば、本書の結論に到達するまでにデリヘルの経験は必ずしも必要なく、薄々悟りかけていたその結論を検証するために自らの体を使った、という順番の方が正しいのではないか、という印象を受けました。
著者は、社会人になってからストーカーのような男に毎日電車内で痴漢の被害に遭い、
会社の中では社員旅行で上司から押し倒されて手篭めにされかけ、
独立した後も"仕事と引き換えに身体を要求する"多くのクライアントに苦しめられ、
プライベートでも合コンで「お前なんかいなくていい」と言わんばかりの態度を取られ、
最初の結婚相手は結婚後に著者を人間扱いしなくなったために離婚し、
挙句の果てには、惚れてしまったホストに「お金を払って、嫌々ながらも目をつぶってセックスをして頂く」という屈辱的な立場に置かれたことに苦悩し、
その反動で「今度はこちらがお金を取って、(疑似)セックスをしてあげる」という“強者”の側に立てるデリヘルに魅力を感じたのだろう、と自己分析しています。
ひたすら内省(というか男への怨嗟)が100ページ以上も続き、結論としては
「私は、一人の女として対等に扱われたい。獣でも女神でもなく、ひとりの女として見つめて、欲情されたい。珍獣扱いも、腫れ物に触るのでもなく、ささやかな会話に笑いあえるような、そんな人間としての扱いをされたい」
という“妄想”が展開されます。(著者はつまり、対等に接してくれる男性に出会ったことがない)
この“妄想”が、デリヘルを体験した後に膨らんだものであるとは思えません。
きっと、人間扱いされてこなかった過去の数多の経験から既にこのような妄想は進んでいて、デリヘルという“性的強者”の立場に立ってみることでその仮説を検証したのではないかと思われます。
(同様の考察は買い物依存症に陥った時にも進めていたようなので、尚更本書の考察にデリヘル体験が絶対必須だったとは思えません)
(無論「検証」にも大きな意味があり、たとえそこから得られる新しい発見が皆無であっても、「あそこには何もありません」という情報自体が貴重ではあります)
簡単に書いてしまいましたが、これだけのことを訴えるために注がれているエネルギーは半端なものではなく、怨嗟の対象である「男」としてはページをめくるのが辛いものがありました。
「一人の女として対等に見てほしい」と訴える著者はしかし、本書の中で「男」を総称としてしか使っていません。
「あの男が嫌い」「あの男も嫌い」という個別事象ではなく、「男」というアイコンに対する極めて強い憎悪が渦巻いており、「どうせ男には理解されない」という絶望が何度も綴られています。
それは「(ひとりひとりではない)男」に対する蔑視でもあり、著者は敵と戦うことで敵と同様の思想体系をまとってしまっているようにも思えてきます。
(尚、本書は「同じように悩む女性のために」書かれており、「男性は読者対象ではないので、男性に対して『だからどうしろ』という提言はない」と明言されています)
著者はその持てる知性を以て上記のような考察を展開していましたが、「なぜ、男嫌いなのに積極的に性風俗産業に向かう女性がいるのか」については、当事者から別の形での”解”を得たことがありました。
「私ね、風俗で働いている(女の)人の中には、むかし男の人に(性)暴力を受けたことがある人が多いわけがちょっとわかる。風俗に来ても相手の人は選べないけど、それでも『お金のために自分の意思でやってる』って思える。だからこの仕事してると、昔されたことも、『私がサービスしてあげたけれど、その“客”がお金を払わずに逃げただけ』って思うことができるんだよね」
本質的には中村氏と同じことを言っていますが(つまり“性の主体”になりたかった)過去の辛い経験までも上書きするために行っている、という可能性まで本書の考察は及んでいませんでした。
***
本当はA4で10ページにもわたる長大なレビューを書いていたのです。
最初はたいへん刺激的に思えたフェミニズムが苦手になってしまった経緯とか、
フェミニズムが反証可能性を残していない点で自然科学とどう違うんだとか、
中村氏は(キリスト教の)バプテストだけれどもその背景と本書の論の関係とか、
長々と駄文を連ねていたのですよね。過去に接したフェミニストを疑似的な反駁社と想定しつつ。
がしかし、そんな小難しい論を展開しようが何だろうが、
今から5時間後に乗る満員電車にもやっぱり痴漢は存在していて、そういう半径10メートルで起こっている事態に対して何ら改善に資することはないな、と思ったらバカバカしくなってやめました。
久しぶりにレビュー書いて疲れました。