【プラハのソビエト学校での友人との記憶と再会の記録】
また目を見開かれるような新しい人生について学びました。
ロシア語翻訳者で著者の米原万里さんは、1959年から1964年、中学校1年生までの5年 プラハのソビエト学校に通われていたそうです。
その当時に親しくなった3人の友人それぞれと、3
...続きを読む0年の月日を経て40台になった著者がその地を訪れて再会されています。
著者がそもそもなぜプラハのソビエト学校にいたのか、それは父親が共産主義関連の仕事をしていたからで、同じ学校に通っていた子どもたちも、同じような境遇にいて。
ブルジョワ階級と戦い、平等な社会を築くという思想であるはずの自分たち共産党員の家庭が、とても大きな家で暮らし、政権の庇護を受け、特権を享受している。
子どもからすると、ほんとうに知らない間にそんな状況にあって、そこから皆がどういう人生を生きていくのか、という点もとても興味深かったです。
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「リッツァの夢見た青空」のリッツァは、ギリシャ人でした。実は見たこともないギリシャの青い空について話しているのですが、大人になったリッツァはドイツ・フランクフルトで、あれだけ勉強も苦手だったのに、開業医となって忙しくされていました。
夫・アントニスは、ギリシャ移民二世の労働者とのことで、その結婚時の両親との意見の対立や、兄・ミーチェスの悲劇的な現状も。
「ねえ、リッツァ、質問していい?リッッアは、なぜ、ギリシャに帰らなかったの。ギリシャは民主化されて、帰還は可能になったのでしよう。いつもギリシャの青い空のこと自慢してたから。てっきりもうギリシヤに住んでいるものと思ってた」
「マリの言うとおり。軍政が打倒された七ハ年、すぐにも飛んでいこうとしたらビザがなかなか下りなくてね、ようやく行けたのは、ハ一年だった。夢にまで見たギリシャの青空は本当に素晴らしかった。目がつぶれてしまうほど見つめていても見飽きないほど美しかった。でもね、マリ、私にとってギリシャで素晴らしかったのは、青空だけだったのよ。一番、我慢できなかったのは、ギリシャでは、女を人間扱いしてくれないこと。それに、子どもをメチャクチャ可愛がるのはいいけれど、 犬猫なと動物に対する嗜虐性にはついていけなかった。ああ、それにあのトイレの汚さは耐え難かった。結局、私はヨーロッパ文明の中で育った人間だったのね。思い知ったわよ」
「それで、ドイツ人やドイッでの生活には満足しているの」
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自分のアデンティティを柔軟に変えていくような、彼女の強さが伝わってきました。
「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」のアーニャは、ルーマニア出身で、父は独裁的大統領のチャウシェスク政権の幹部。地位ある職についてきた父親の特権と思惑もあり、最終的にイギリス人との国際結婚を果たし、ロンドンでエリート(Upper middle)な暮らしをしていました。著者はのちに、彼女がユダヤ人でもあったことを知りました。一方、兄の一人ミルチャは、異なる人生をルーマニアで築いていました。
著者はアーニャのストーリーの中で、愛国心、望郷の想いは、異国に暮らすと、そして自分の国が小さく弱い場合、また不幸な国であるほど強く大きくなる、と書かれていました。
ルーマニア人の青年通訳ガイドとの会話で印象的だった会話が、
著者「たしかに、社会の変動に自分の運命が翻弄されるなんてことはなかった。それを幸せと呼ぶなら、幸せは私のような物事を深く考えない、他人に対する想像力の乏しい人間を作りやすいのかもね」
青年「単に経験の相違だと思います。人間は自分の経験をベースにして想像力を働かせますからね。不幸な経験なんてなければないに越したことはないですよ」
また、著者は、アーニャの父親の生き様を前に、
「どこから、彼の人生は狂いはじめたのだろう。」と問う部分があります。
社会・時代の流れと人生、世界の見方がどう形成されるかについて考えさせられるストーリーでした。
「白い都のヤスミンカ」のヤスミンカの故郷はベオグラード。1990年代には旧ユーゴスラビア連邦が崩壊し、戦場となってしまう中、彼女の行方を追い、幸いベオグラードで再開を果たします。彼女は外務省での通訳の職を離れたところでした。父親は古郷ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国からの最後の大統領だったとのこと。絵を描く才能に秀でており、なぜか葛飾北斎を信奉していたヤスミンカが、実はムスリムであったことも著者は後に知りました。
才能についてのヤースナの言葉は印象的でした。
「西側に来で一番辛かったこと、ああこれだけはロシアのほうが優れていると切実に思ったことがあるの。それはね、才能に対する考え方の違い。西側では才能は個人の持ち物なのよ、ロシアでは皆の宝なのに。だからこちらでは才能ある者を婚み引きずりドろそうとする人が多すぎる。ロシアでは、才能がある者は、無条件に愛され、皆が支えてくれたの」(本文より)
私たちが単に西欧・東欧という、東欧について、東欧と中欧を区別する見方についても紹介されており、興味深かったです。
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他者の世界について想像し、共有する素晴らしい想像力をお持ちの方なのだと思いました。