加来耕三のレビュー一覧
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◆渋沢栄一の主な活躍
◇その生涯で保険/運輸/製紙/製鉄など顧客を超える企業の創設に関わったが、いずれも軌道に乗れば会社を後にして次なる企業の創設に取り組んだ。
◇しかも金銭や株式等の財産を占有することなく、教育や医療福祉活動にも精力的に取り組んだのである。Posted by ブクログ -
次回の一万円札の顔になるくらいのすごい人だったのですね
徳川慶喜との関わりを知りたかったのですが、
平岡円四郎の推薦で開国に関わる仕事をされ、
500以上の会社・団体を作り、幕末から明治の日本を作った偉人の一人。Posted by ブクログ -
元々、戦国時代・武将も好きな上で仕事に活かせるような題材だったので、すぐ読み終わりました。
比較的読みやすい印象を受けましたし、"今で言うなら〜"という視点もあり、分かりやすかったです!今後も時々読み直して、参考にします‼️Posted by ブクログ -
大坂冬の陣は和睦になる。大阪城の堀は埋められ、丸裸になってしまった。豊臣方に感情移入すると、徳川の騙し討ちには腹立たしさを感じる。但し、石田三成が堺を支配下に置いた際も、堺の堀を埋めさせていた。堺に同じことをしていたならば印象が変わる。 和睦直後から徳川方は大砲の製造など戦争準備を進めていた。徳川と...続きを読むPosted by ブクログ
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蘇我入鹿はちょっと乱暴な人ですが未来を考えているとかこういう人になるのはいやだな〜と思いましたので勉強になったので良かったです。Posted by ブクログ
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元親の強さは一領具足の兵士を編成したことにある。一領具足は半農半武の兵士である。突然の召集に素早く応じられるように、農作業をしている時も、常に一領(ひとそろい)の具足(武器と鎧)を田畑の傍らに置いていたことから一領具足と呼ぶ。Posted by ブクログ
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昭和の学習マンガ違って今風の絵で、勝海舟の主な出来事を順を追って知れる。
ただ、昭和版よりも大ゴマを多用しているため、冒頭の場面など,説明不足で分かりにくい面は否めない。
巻末には豆知識もあって、よい。Posted by ブクログ -
テレビでもおなじみの歴史家、加来耕三先生が武道家でもある視点から、刀を美術品として鑑賞するためではなく、歴史上一度も主要な武器とならなかったという日本刀の歴史や特徴が語られていて興味深い。専門用語が多いところは読みにくさを感じるが、歴史上の人物と名刀の由来の話が面白い。Posted by ブクログ
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戦国最強の武将は誰か。
筆者は、一度も負けたことのない武将、立花宗茂だと主張する。
関ケ原の西軍につき敗軍の将とされ領地を取り上げられるも、二十年後に再び自らの土地に戻ってきたのは立花宗茂しかいなかった。
それは、東国の本多忠勝と並び立つ西国一の将として評された実力にあった。
懸待一如。...続きを読むPosted by ブクログ -
いずれ大河ドラマ化されそうな波乱万丈、壮絶な生き様。柳河藩主立花宗茂の生涯。
過酷な戦国時代。九州の戦乱、あわや島津氏に九州を統一される直前孤軍奮闘、篭城し秀吉の進出により救われる。秀吉に寵愛され朝鮮出兵でも活躍。不敗の戦国武将。関ヶ原の戦いで西軍。柳河の領地は家康に取り上げられるが、20年後に再...続きを読むPosted by ブクログ -
関ヶ原の戦いで小早川秀秋が家康に威嚇射撃されて自分が秀吉の親族にも関わらず裏切ったところがおもしろかった。
そして宇喜多、大谷隊が崩れていくところが面白かったPosted by ブクログ -
私と子供たちの名前は、安倍晴明の晴明神社にて名づけられました。家族で参ったことはあるのですが、詳しく説明できずにここまで過ごしてきた中、私も子供たちにも人物像だけではなく、歴史について理解できて何よりの本です。Posted by ブクログ
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時代が変わっても、人間関係というものは大事ですね。どんな組織も人間が運営しているのですからね。武力だけで決まっていたと思ってしまう戦国時代も、人間関係はとても大事だったようです。それらを私に馴染みのある武将にまつわる話で解説してくれています。改めて「気配り」の大事さを痛感した本でした。
以下は気に...続きを読むPosted by ブクログ -
桶狭間戦記の影響を強く受けて執筆されたことがわかるマンガ。
絵はきれいでとても読みやすい。
花蔵の乱の寿桂尼の動きも良い。
しかし、花倉表記なことが残念ですが…。
義元を知るきっかけとしてはとても良い入り口かと思います。
安くて手に入りやすいことも嬉しいことです。Posted by ブクログ -
徳川最後の将軍が、こんなに思慮深い人だとは、知りませんでした。
この本で、渋沢栄一の『徳川慶喜公伝』に書かれた紹介を知りました。Posted by ブクログ -
幼い頃は、両親が弟をかわいがり、遠ざけられていた。お福(後の春日局)の計らいで、家康から跡継ぎのお墨付きを得る。そこからは、民のことを思いまつりごとを行う。以後、戦のない安定した時代を築いていくことに。Posted by ブクログ
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中国地方の豪族、大内家・尼子家を一代で倒した頭脳派。秀吉の中国攻めの最中に、本能寺の変がおこり秀吉は毛利家と和睦して明智を討つために急いで戻った(中国大返し)。関ヶ原の戦いで西側についたため、山口県に国替えされ。しかし、後の長州藩となり薩摩藩と同盟を結び徳川幕府を倒す。Posted by ブクログ
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武田信玄の後継者の勝頼と徳川家康が、三河・遠江めぐって争う中、勝頼が三河の長篠城を攻めた。劣勢の家康は織田信長の援軍を要請して城に立て籠もっていた。織田・徳川の両軍は、設楽原で陣を構えた。織田側は、鉄砲を使った戦いで圧勝して武田は滅んだ。Posted by ブクログ
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東海(東から駿河、遠江、三河、尾張)の覇権争い。
今川義元(駿河、遠江、三河)が織田信長(尾張)を攻めたが、圧倒的に戦力の劣っている織田側が桶狭間で休息してい今川側に奇襲をかけて勝利した。Posted by ブクログ