面白かった。ジブリの鈴木プロデューサーに弟子入りした
ニコ動ドワンゴ川上さんの魅力的なコンテンツとは何かという分析。
まずアリストテレースの詩学から紐解いて、①異なった媒体によって、②異なった対象を、③異なった方法で再現、していればそれは違うコンテンツだと。つまり、映画とTVとDVDは異なるコン
...続きを読むテンツなんですね。
それで、ジブリのようなアニメがどうして実写より人気が長続きするのか。それは、写実よりも脳にとって真実に近い再現をしているのではないか、と言うんです。
風立ちぬの飛行機は実際の縮尺より大きく描かれている。それは宮崎駿監督が飛行機が好きだから。でも実は彼にとっては本当に飛行機が大きく見えていて、それに忠実に描くと脳にとって心地良いのじゃないか、というのですね。
・叙事詩と悲劇の詩作、それに喜劇とディーテュラムボスの詩作、アウロス笛とキタラー琴の音楽の大部分、これらすべては、まとめて再現といえる。しかしこれらは三つの点、すなわち、①異なった媒体によって、②異なった対象を、③異なった方法で再現し、同じ方法で再現しないという点におい て、互いに異なる。
―アリストテレース 詩学
この文章が2000年以上前に書かれていたというのは、すごくないでしょうか?アリストテレスの時代には、アニメも映画もマンガもありませんでしたし、コンテンツの大量複製の技術もありませんでした。詩作と音楽は当時の時代のコンテンツ全般を指していると解釈できるでしょう。ちなみに「ディーテュラムボス」とは合唱舞踊歌、「アウロス笛」とはオーボエに似た管楽器、「キタラー琴」とはギリシャの竪琴のことだそうです。
・長戸さんによると、ボーカルの才能で一番重要な要素はなにかというと、歌の上手さとか、魅力的な声質かどうかとか、いろいろあるけど、大事なのは歌詞がはっきりと聴きとりやすい声質かどうかなのだそうです。
・コンテンツのつくり手側の人たちは、プロであればあるほど、とかく「本物」を届けることにこだわりがちです。しかし、長戸大幸さんがボーカルの声の聴き取りやすさを重視した例や、ぼくらの着メロサイトが音圧を上げることで支持された例のように、一般の消費者のなかでも感度の高い人たちこそ、プロやマニアが軽視しがちなコンテンツの原初的な特徴の「分かりやすさ」を求める傾向があるというのは、真面目に受け止めるべき事実であるようにぼくは思います。
そして、それはコンテンツが「クリエイターの脳のイメージを観客の脳のなかに再現するための媒介物である」ことから、当然のことだと思うのです。
・UGC(ユーザージェネレイテッドコンテンツ)サイトというのは世界中のユー ザーがコンテンツをつくるので、とにかく数が多くなる。コンテンツは無料だからユーザーが集まる。無料でコンテンツをつくる人も実はインターネットのなかにはたくさんいる。そこで競争も生まれるのでコンテンツのクオリティもどんどん上がっていって、いずれ商業コンテンツもいらなくなる。しかも数が多いので、商業コンテンツでカバーできない多様性のあるコンテンツがたくさん生まれる。
そういう夢のようなふれこみで、インターネットにUGCサイトがつぎつぎと誕生したのです。
ユーザーが自由にコンテンツをつくるUGCサイトは、世間の予想や期待とは逆に、コンテンツの実質的な多様性を減らす作用があるというのがぼくの持論です。
コンテンツとはほうっておくとワンパターンになるので す。だから、ユーザーが自由にコンテンツをつくるUGCサイトはむしろワンパターンになりやすいのです。
…コンテンツの多様性を守るためには激しい競争をしてはいけないのです。
・あるとき、鈴木敏夫プロデューサーが『かぐや姫の物語』の予告編をどうやってつくればいいか、西村義明プロデューサーにアドバイスしていたのですが、そのとき鈴木さんは、「予告編は高そうなカットをつないでつくればいい」と教えていたのです。
ぼくがびっくりして、「高そうなカット、ですか。すごい表現ですね」と言ったところ、「これ、外では行ってないんだよねえ」と、鈴木さんは悪戯っぽい笑顔を見せたんです。
「人間、高そうなものが好きだから」
人間は高そうなものにしかお金を払おうとしな いと、鈴木さんは断言したのです。
・マリアを描き、彫刻に彫るときの大きなテーマはキリスト教の祈り。ルネッサンスの始まりは、そのマリアを荒々しいリアリズムで表現したことにあったそうです。
それが、時代が進むと、マリアにはその古典となるべき完成系が誕生し、さらに時代が進むと、今度は細部にこだわるようになり、最後はぎらぎら飾り立てるものになったといいます。細部にこだわったときには、本来のテーマであった「祈り」はどこかへ行ってしまい、残ったのは、たんなる女体だったそうです。
・ストーリーか表現かで、なぜクリエイターは表現にこだわるようになるのか、その理由は、ストーリーは表現に比べてパターン化されやすく、かつパターンの数が少ないからだとぼ くは思います。
・もし、宮崎作品の魅力がストーリーにあったとしたら、こんなに何度もお客さんに見てもらえるわけがありません。これだけテレビで再放送をやっているのですから、視聴率が下がらないわけがありません。ストーリーが目的だったら、分かってしまえばもう見る必要はないからです。
・庵野さんは実は中学生のとき、『宇宙戦艦ヤマト』が大好きでしたが、当時はビデオデッキなんてまだなかった時代ですから、テレビ番組の音だけをカセットテープに録音したのだそうです。そうして、カセットテープで何度も何度も聴いて、セリフも完全に覚えたと言います。
庵野さんは、音に対する感性がとても優れた映像作家なのだと思います。音の使い方がうまくて、おそらくは音だけで も物語を構成できるのです。そして音に合わせて補強するように映像をつけているのではないでしょうか。その意味では音楽PVに近い作り方をしているんじゃないかと思います。
庵野さんに、アニメにおける音の重要性について尋ねたことがあります。
「割合で言うと、どれくらいでしょう?」
庵野さんはしばらく考え込んでいたのですが、「作品の50%、60%…うーん」、その後さらに考え込んで、「いや、80%ですかね」と、最終的に言ったのです。
それぐらい庵野さんは音を大事にするアニメーション作家なのです。たぶんそういう感覚は宮崎駿さんにはないと思います。
・鈴木さんによると、独特の映画論を唱えているのが押井守監督だそうです。
押井さんによると、映画の構成要素は三つしか なく、それは、①ストーリー、②キャラクター、③世界観だそうです。
そしてこのなかのどれを優先するかで、映画の種類が決まってくるのだといいます。
押井さんがアメリカで、ジェームズ・キャメロン監督と話したときに、キャメロン監督は次のように言ったそうです。
「ハリウッドでは、キャラクター、ストーリー、世界観の順番でつくる。つまり、ユニークなキャラクターがいて、おもしろいストーリーがあって、最後にロケーションやセットという世界観を考える。この順番を守らないとハリウッドでは成功できない」
それに対して、押井さんは、
「それは逆だと思う。まず世界観があって、それからキャラクターがあって、最後にストーリーを考えればいい。だってそういう順番でつくれ るのは映画だけじゃないか」と答えたといいます。