僕だって、話をややこしくして、ケムにまいたうえで責任逃れしたい。
最近「東大話法」なる言葉をよく目にしたもので、多分良い意味ではないであろうけど、世の中とうまい事やっていくために役立つメソッドかもしれない、と下心を抱いて購入した。
「どこまでも欺瞞的で、どこまでも傍観者ぶったものの言い方」
逆
...続きを読むにまとめると、保身のためには、何かを発言、発表する場合に、自分の考えを述べるのではなく、自分の立場で言うべきこと、言えること、都合の良い事だけを言うように気をつければ良い、ということになりそうだ。なお、本書では、20個の東大話法ルールを紹介しており、これはある意味、非常に実践的ともいえる。
本書では、そういった無責任な物言いが出てくる原因は「立場」を重視する日本社会の特徴にあるとしている。自分自身よりも「立場」が表に立つがゆえに、何か問題が生じた時、意識せずに無責任な態度をなってしまう。みんなそうだ。そういう社会に憤りを感じませんか、というわけだ。確かにそうだが、だからみんな「東大話法」はやめましょう、戦いましょうと言っても、なかなかうまくいかないように思う。
「東大話法」がはびこることについて、僕は、官僚制の弊害の一側面といった話であるように思うし、それだけ日本社会が複雑なシステムになってしまっている、ということであるようにも思う。組織が大きくなった場合、個人は、多かれ少なかれ、システムの一部としてふるまうことを求められるようになる。個々の構成員のタスクを標準化、マニュアル化して、組織を効率化するのは常套手段だ。大きなシステムにおいては、人は役割を与えられ、それを演じることになる。
結果、組織が有している大きな目的や成果と、構成員が有している役割としての目的や成果が離れて行ってしまう。そういう人に、どうなっているんだ?と聞いても、それは私の範疇ではありません、という応えが返ってくるのは、仕方が無いと言えば、仕方が無いような気がする。
大きな組織で働く人たちが多い時代だから、そんな組織人としての振る舞いが染みついた人たちが世の中にあふれているとしても、不思議ではない。そういう悪い奴らがいるから、僕たちは気をつけよう、ではなく、自分も含めてそういう風潮になってしまっている事ををどう考えるか、という風に受け止めた方が良さそうだと思った。