今までの貧困対策では適応されなかった社会的弱者の包括的支援政策がメインの一冊です。
災害の一番の被害者は貧困層であるという指摘にはっとさせられました。
他者とのつながりや役割が、貧困対策の鍵であると著者は述べます。確かにそれらは必要だと思いますが、1970年代以降一貫して、人間関係の束縛を解放する方
...続きを読む向に進んできたように思えます。近所付き合いやお中元・お歳暮、自治会、それらの煩わし人間関係を否定してきた時代だと言えます。そのような時代背景のなかで、今度は『絆が大事だ!』と叫ばれても、今一つピンときません。絆それ自体の重要性は理解しますが、果たして前時代のような人間関係に戻った方が良いのか、疑問が残ります。
強制的費用は、江戸時代の身分費用(『武士の家計簿』参照)という概念と同じで、特に通信機器の発達によって費用が嵩んでいる現実は看過できません。ところで、江戸時代の武士の借金は収入の2倍であったらしく、しかも金利が高いため、自転車操業に陥り、おトクな身分ではなかったようです。僕が着目するのは、『収入の2倍の借金』で、これは現代日本社会でも応用できないかと考えます。まぁ、借金に対するステレオタイプ(ネガティブイメージ)が強いので、すぐに却下されそうです……。
マタイ効果は興味深いです。マタイ効果とは別ですが、僕の体験談を書きます。僕は中学生の部活に携わっているのですが、所謂問題児に手がかかりすぎてしまい、真面目に練習に励む生徒に構ってあげる時間が取れないというジレンマがありました。真面目に練習する子にはそれに相応しいステージ、応用練習や練習試合、公式試合への参加等を用意してあげたいのですが、少数の問題児の影響で、素質ある子の芽を伸ばす機会を逸してしまい、また、真面目にやっても構ってもらえないという無気力にも注意しなければならない。かといって、問題児を放っておくのはできない。真面目な子はそれでも真面目に取り組むのですが、『ひょっとすると、真面目に練習しても損するばかりじゃないか?』と疑心暗鬼に陥ると、最早お手上げ状態になる……。実際はそこまできていませんが、そんな想像が現実になるのではないかという危惧はありました。
ウィルキンソンの主張は尤もで、格差が拡大してしまえば、富裕者も貧困者も住みづらい社会になることは容易に想像できますし、これは都市計画論でも論じられているものです(バージェスの同心円理論とか?)。
ただ、ホリエモンこと堀江貴史の名言『格差なんてあって当然。みんな同じだったらつまらないでしょ。』にあるように、格差がどの程度が許容されるかが問題です。
誰もが生きやすい環境を、ということでユニバーサル・デザインの社会を構築するのは賛成ですが、果たしてできるのかが、これは難しいように思います。
その地方に住む人のニーズの割合が問題となってくる上、自分の能力が発揮できる環境が身近にあるかという地理的な問題もあります。ただ、労働市場をもっと弾力的にし、すべての人が働きやすい環境を整えようとする改革の姿勢は大切です。こういった人達が政治を動かしてくれるのを願います。
僕の評価はA+にします。