今を生きる日本人が向き合うべき、そして近い将来向き合わざるを得ない問題。
男女間格差が問題視されるようになって久しいが、世代間格差ももっと議論されるべき問題だろう。
✏所得制限(生活保護制度の生活保護基準額の1.1倍〜1.3倍)を下回る世帯は就学援助費(低所得世帯の子どもの義務教育にかかる費用を国
...続きを読むと自治体が支援する制度)を受給できる。
公立小中学校に通う子どもたちの6人に1人が就学援助費を受給していることは、子どもの貧困が極一般的な世帯においても進行していることを表している。
✏貧困問題は「働けない」高齢者や障害者、母子世帯などの「特殊なケース」(と理解されてきた)における問題と理解されてきた。しかし、年齢層別に貧困率をみると、女性の高齢者の貧困率は高いが、男性においては25歳未満の子どもの貧困率が65歳以上の高齢者の貧困率を超えている。
つまり、人生の中で最も貧困リスクが高い時期が子ども期である、という現象が起きているのだ。
✏世界とくらべた日本の貧困率は、先進20カ国ではワースト4番目(1位アイスランド4.7%、17位日本14.9%、20位アメリカ23.1%)である。
特に、日本のひとり親世帯に育つ子どもの貧困率は58.7%と突出しており、OECD諸国の中で最悪である。これは、ひとり親世帯の大半を占める母子世帯の貧困率が特に高いためである。
✏子どもの貧困が「自尊感情が低い」「不安」「自己肯定感が持てない」「精神的不安定」「希望が持てない」などといった心理面への影響を引き起こしている。
✏もし国がA君の子ども期に、彼が貧困を脱却する可能性を高めるような支援をしていたら、どうだろう。国は、A君が払ったであろう税金・社会保険料を受け取ることができるうえに、生活保護費や医療費などの追加費用を払う必要がなくなる。つまり、長い目で見れば、子ども期の子貧困対策は「ペイ」する可能性が高い。逆に、貧困を放置することは、「お高く」つくのだ。
✏強いストレスを抱えた母親から生まれた子どもは、低出生体重児で生まれるリスク・生まれた後も情緒的な問題を抱えるリスクが高くなる。
つまり、親のストレスによる子への影響は、生物的な帰結であり、精神論の問題ではないのである。
✏経済学において子どもを「将来の人的資本」と見なすことは、貧困に対する政策をただ単に「可愛そうだから」という論理でなく「社会に対する投資」という論理で考えるという点では説得性がある。
✏「ビッグブラザー・ビッグシスター」プログラムは、アメリカにおいて100年以上の歴史があるメンター・プログラムで、比較的低コストで高い収益率をあげている。子どもと1対1の関係を持ち「見守る」大人をつくるというだけで、子どもの学力向上に貢献している。
✏どんな綿密に対照者を絞り込む制度をつくっても、結局のところ漏れてしまう子どもがいる。普遍的制度として全ての子どもを対象とすれば、このような漏れは発生しない。貧困の子どものことを考えれば、普遍的制度にするのが一番ということだ。
✏制度の対象者が「弱者」であればあるほど、対象が絞られれば絞られるほど、その対象者になることは社会的排除の引き金となる。
✏生活保護制度では疎遠にしている家族や親族に、福祉事務所が扶養意思の有無の確認の連絡をとる。それが苦痛となって困窮していても受給しない人々も多い。
✏結局のところ、貧困削減に有効であるかどうかに一番効いてくるのは再分配のパイであって、普遍主義か選別主義かという違いではなさそうである。普遍主義であっても選別主義であっても、小さいパイでは貧困削減は進まない。
✏「最貧層を選別すること」ではなく「富裕層を除外すること」を目的とすれば、貧困者を「選別」することによる偏見や、本当に必要な人が給付を受けることができないといった漏給の問題が少ない。
✏学力や将来の収入などに重要であるのは、学力テストなどで表される認知能力のみならず、対人能力・自己規律・粘り強さなどの非認知能力であり、これらは幼児期から成人に至るまでの家庭環境に培われる。乳幼児期における介入政策が最も効果的であると結論づける。
✏保育所は、小中学校やその他の子どもに関わる制度に比べて、ほぼ毎日親との接触があるという点で、親へのアプローチをする絶好の場である。
✏子どもの居場所づくりを目的とした放課後プログラ厶は、いかに子どもたちが自発的に継続して通うようなものにするかが最も大きい成功の鍵である。そこにさえ行けば、子どもがなんでも相談できる大人がおり、魅力的な活動があり、友達がいる。「家」「学校」が必ずしも安らぐ場所でない子どもたちにとっての「ほっとできる」場所であることが必要だろう。
「待つ」という姿勢では恐らく成功は難しい。
✏メンター・プログラムの特徴は、子どもとボランティアが「1対1」の関係性を築くところである。そのボランティアにとって、自分の担当する子どもは「特別な子ども」であり、子どもにとってもそのボランティアが「特別な大人」となる。このボランティアはあくまで素人であり、支援をする側に専門性がない中においても効果が得られていることは、日本における子どもの貧困対策を実施するうえで貴重な知見である。