小田嶋隆の日経ビジネスオンラインに連載する時事エッセイ「ア・ピース・オブ・警句」は11月の頭に「地雷を踏む勇気」として技術評論社から出版された(尚、奥付けの日付は12月1日となっている)ばかりなのに、何故か今度は本丸である日経BP社から同じエッセイが「その正義」があぶない。」として出版された。こうや
...続きを読むって同時期に同じものが違う本として出るとやはり買わずには居られないが気にもなる。
何故にして一つの連載エッセイが同時期に違う出版社から続けて出版されるのか良く判らないのだが、想像するに、この連載エッセイを見た技術評論社の編集者が「是非出版したい」と言い出し、日経BPは「どうせ書籍化する予定は無いし、ええよ」とでも言ったのでまずは技術評論社の書籍が先行したのであろう。ところがそれを聞いた日経BP社の中の誰かが「何故にして自分の会社で書籍化しない!」とでも見直しがあったのだろう。それで後追い企画ではあるが、本書が生まれたのではないかと勝手に想像して楽しんでいる。なんとなれば本書のほうは大半が2011年のウェブ版登場の記事と云うことからもそんな気がするのだ。そうそうもう一つの違いは本書にはイラストが載っていることだ。
さて今回読んで一つの疑問が解けたのだが、それは「子ども手当て」などにあるような「子ども」という漢字・ひらがな混じり表記のことだ。小田嶋ももともとは「子供」と書いていたらしいのだが、編集者から「供の字には大人のお供、即ち大人に付き従うニュアンスが生じる、供には神に捧げる供え物との見方もある」と指摘してくる人が居るので「子ども」表記にしたほうが面倒がないと言われたのだと。
いやはやこんな漢字一つ一つの意味を殊更意味深長に取上げるような言葉狩りが蔓延しているのかと改めて知った次第。恐るべきは人権(または差別反対)馬鹿だな。そんなに「人」が大事なのか?人という文字だって本当は「大きい方が小さい方に 寄っかかってんだぞ」(By藤岡藤巻)