レビュアーの多くがこの物語を9.11について特化して語るのは当然だとしても、私はもっとシンプルに、きわめてオーソドックスに“エディプスコンプレックス”について書かれたものだと感じた。
だからオスカーについても「ちょっと変わった」なんて思わなかった。
逆に、少し斜めから物を言ったり、覚えたてのちょっと
...続きを読む小難しい単語を日常会話で差し挟んだり、徹底的に“自分理論”にこだわったり、自分の周りの大人の頭の上を越えて雲の上の“すごい人”にあこがれたり…といったことなどを、自分にもあったなあと思い返して、たぶんフォア氏にも同じようにあったんだろなと、読みながら笑みがこぼれた。
とは言っても、オスカーは誰もが共通する少年像で描かれてるのではない。父をテロで急に失うという体験は、もちろん私も含めて大多数の男子が経験する(した)ものではない。
オスカーはたぶん、前日に父親からベッドで語られた「第六行政区」の話を、話半分に聞いていたと思う。
なんで?そんなありえない話を?いま自分にしようとするの?
?は頭のなかでいっぱい、でもあえて聞き返す気も起らない。そもそも、自分はパパが思う以上に知識や思考が上回っていて、ぼくなら、もっともっと面白い話を知ってるし、もっともっと役に立つ発明もできるし、The Beatlesで一番好きな歌は“Iam the walrus”て言えるトンガった感性を持ってる…っていうプライドが、その時は支配してたんだと思う。
だけど実は、それはみんな、パパの存在が当たり前にあったから、できたこと。
突然の喪失-パパが急にいなくなってからは、自分のよりどころだったものが全く無くなってしまったことに気付いた。
そこから、自分と相対し、乗り越えるべき最も身近なものを断たれたオスカーが、「パパがほんとうに言いたかったこと」とか「パパはぼくにどんな大人になってほしかったのか」とか、いろんなものを探し求めるための“精神的成長へのロードムービー”がはじまった…
でもこの物語は、少年の追い求めの旅だけじゃない。おじいさん、おばあさん、ママ、それぞれの大人も、それぞれの喪失を抱え、失われたものはもう元にもどらないのは大人は重々にわかっていて苦しみもがくけど、それでもその喪失を抱えて生き続ける姿も描かれる。
それぞれ事情はEXTREMELY複雑で、乗り越えるのはINCREDIBLY困難だけど、それでもそれぞれの人物が人生の歩を進めようとする姿が、オスカーがコンプレックスを自分なりに見つめ、とらえ、理解しようとする姿と一体となって最後に向けて収束していくところはここちよく読めた。この本は分厚くて、話が交錯していて読みづらい所もあるけど、ぜひ最後までがんばって読み進めてほしい。
テロや戦争、または天災による大切なものの喪失というテーマももちろん重要だが、世界に数多く存在するだろう、父親との距離感に何か説明困難なもの抱いている少年のうち何人かは、こういう読み方もするのかなと思って、あえてレビューに書いてみた。