【感想・ネタバレ】ルネサンスとは何であったのか―塩野七生ルネサンス著作集1―のレビュー

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長らく積んでしまったけれど読み始めたら一気読み。

西洋のキリスト教の世界の一つの出来事でしかなかったルネサンスが地理も時代も越えて普遍性がある理由についての最後の言葉がとてもしっくりくる感じ。

若き日に教授たちに歴史ではないと言われたことに対して歴史学でないと言われるならわかるが歴史ではないといわれるのは納得できないという冒頭のエピソードと、本編後の対談の中で、いつもは事実を見て具体的な例を通じて語ってきたけれど、この作品の中では一回だけ理論的なことを書いている。それが恥ずかしいから対談形式にした、というのも実にこの人らしいなあと。

好奇心と批判精神、接写と鳥瞰。改めてこの人の作品を好きな理由がスッキリした感じ。海の都の物語も3巻以降積んでしまっているので読みたい。

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2024年05月12日

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初めて塩野さんの本を読んだ。歴史のダイナミズムやルネサンスの時代に生きた著名人の考え方がダイレクトに感じた。特にレオナルドダヴィンチの頭のよさにはびっくりした。

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2024年03月11日

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ネタバレ

「ルネサンスとは何であったのか」、それは既存の常識や権威(その大なるものはキリスト教会)を疑い、「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発」であった、ということをスタートに、様々な人物を取り上げながらルネサンスを対話形式で概観する歴史小説。
詳細な史料と分かりやすい論旨で、ルネサンスに関する事柄だけでなく、著者の他の作品への理解も深まり、とても楽しい読書だった。続けて『海の都の物語』も読んでみたい。

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2022年03月29日

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歴史というものにこれまで大きな関心を払っていなかったため、不惑を超えて流石に教養のなさを実感してきた。特にルネサンスとはどういうものであったか、よく分からなかった。本書を読んで少しではあるがそのイメージが掴めるようになったと思う。

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2021年05月16日

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ルネサンス時代のローマ周辺を塩野さんが対話形式で書き進める物語。
異世界に入って行ったような錯覚を覚えます。
前提知識はあまりなくても楽しめると思います。

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2017年09月09日

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ルネサンスとは、ローマカトリック教会の呪縛からの解放、精神運動!聖フランチェスコやフリードリヒ2世から始まるルネサンス論、必見です!

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2013年10月03日

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ネタバレ

 塩野七生先生のルネサンスについて描かれている一冊。塩野先生の作品では珍しく(?)対話形式で書かれている。対話形式なので、言葉遣いなど柔らかくわかりやすく描かれている。が、対話形式のせいで、塩野先生作品の特徴である小説なのか歴史書なのかよくわからない、あの文章が読めないことがとっても残念。

 ただ、ルネサンスについて勉強したい人にはお勧め。裏表紙にも書かれている通り、素晴らしい入門書だと思った。巻末についている人々の略歴がおもしろかった。解説も、対話形式になっており、こったかたちとなっていた。

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2013年01月19日

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分り易い。
ルネッサンスというとらえどころがないムーブメントの正体を
色鮮やかに語ってくれる本です。
イタリア、フィレンツェへの旅行前に読みました。

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2012年05月27日

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ルネッサンスってなんだったんだろう?

それを考えるとき、よくこの本を手に取る。
もう何回読んだかな。
対話形式で読みやすく、内容も微に入り細に入りすぎず、俯瞰的なものの見方を指し示してくれる。それでいてその根は深い。

イタリアを旅する時の格好の相棒。

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2012年01月05日

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ルネサンス補習。
やっぱり興味があるのは芸術家と大航海時代を担った航海者達。
最初の一覧を見るとほんと密度が濃いなぁと思う。

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2023年04月29日

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面白かった!
ルネサンスとは何であったのか?をフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアから見て考える。

「異教徒の遺物であろうと学ぶ価値があれば学ぶべきと考えるようになったルネサンス時代」

ルネサンスとは、遠い国のキリスト教徒の問題で、現代のましてやキリスト教徒でもない私には関係のないこと、ではない!!!ということ。

やっぱり塩野七生さんの本は分かりやすくて読みやすい。もっともっと知りたい。読みたい本がありすぎる。

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2020年08月01日

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塩野さんの作品が「ルネサンス」を軸に繋がってきます。良い解説書とも言えるかも。逆に読み返そうと思う人には良い入門書。今度はもっと深く味わえる気がします。

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2020年04月06日

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「ルネサンスとは何であったか」とは難しい質問であろう.学校で習った知識によれば「1000年近く続いた教会支配からの脱却,人間性の回復」だろうが,ではなぜ,どんな背景で1500年頃にイタリアで起こったのか?きっかけは何で推進力は何だったのか?がよくわかる.
「哲学」に対する作者の評価は目から鱗.ギリシア哲学を勉強してみようかしら.

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2020年03月26日

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☆☆☆2020年1月☆☆☆


「ルネサンスとは何?」
高校の世界史では絶対に答えの出ないもの。
作者の名前と作品を暗記するだけでその意義なんて授業では習わない。


物事をキリスト教というフィルターを通してではなく、「ありのまま」に見ようという意識の高まり。
「見たい・知りたい・わかりたい」という欲求が下地として存在し、芸術はその表現方法の一つであるといえる。
ルネサンスこそが、中世から近代への移行の始まりであり、大航海時代や産業革命につながっていく。


歴史は暗記科目ではない!!
そのことを改めて教えてくれた一冊。

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2020年01月03日

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ルネサンスや古代ローマをテーマに数多くの歴史小説を執筆してきた著者が、「ルネサンスとは何であったのか」を、対話編の形式で語っている本です。フィレンツェにおけるルネサンスの開花から始まり、ローマ教会の動きや大航海時代に触れた後、ヴェネツィアという都市の繁栄にまで説き及んでいます。

「ルネサンスとは何であったのか」という問いに対して著者は、「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発」によって特徴づけられる精神運動だったと答えます。ルネサンスの巨匠たちにとって、創造するという行為は理解の「本道」であり、それが美術を中心にした「作品」に結晶したと著者は言い、この点が宗教改革や反宗教改革などの精神運動とルネサンスとの最大の違いだと主張します。そして、宗教改革や反宗教改革はキリスト教徒でない人には「関係ないこと」と言うことができるけれども、「見たい、知りたい、わかりたい」というルネサンスの精神は、キリスト教世界以外の文明圏に属する人びとにとっても「関係あること」だと語られています。

むろんルネサンスの作品も、特定の時代に特定の地域で作られたものであり、一定の文化的背景によって染め上げられているには違いありません。しかしながらそれにも関わらず、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの作品は、見る者に「美の普遍性」を強烈に感じさせるように思えてなりません。おそらくそこに、誰にとってもルネサンスが「関係あること」だという著者の主張に通じるものがあるのではないかという気がしています。ルネサンスの巨匠たちの創造を通じての「理解」を、著者は一種のscientiaだと述べていますが、ルネサンスという時代が私たちに訴えかける「普遍性」が言い当てられているように感じました。

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2017年07月28日

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ネタバレ

一千年のキリスト教の抑圧へ
人間の欲望が反逆する。
それがルネサンス。


再読。

塩野七生を読むと
知的好奇心に駆られる。
中世から近世のヨーロッパについて
学びたい意欲が沸々とこみ上げる。

ルネサンスなんて高校時代は
たいして興味もなかった。
過去は過去。
温故知新?
はあっ?
って感じ。

でもね。
歴史に学ぶ。
歴史を学ぶって
とっても大切。
そう思うのはジジイだからか。
断定。そう。

で、塩野七生である。
珍しく、解説書。
ルネサンスを語る。
もちろん、口調はいつもの塩野節。
この人、絶対Sだよな。
でも、嫌いじゃない。

語られるのはルネサンスの人、人、人。
人なんだよな。
結局、歴史って。
だから、突き放したように見えても
塩野の本質は暖かい。
人の熱に感応するから。

『ルネサンスとは何であったのか』は
イタリアでのルネサンスの歩みをたどるように
フィレンツェ、ローマ、
キアンティ地方、ヴェネチアと
イタリア各地を巡る形で描かれていく。
この辺、映像で見たいね。
NHK辺りでやって欲しい。

最初にルネサンスとは
「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発」
と定義づける。
なぜ爆発したのか?
キリスト教会によって
一千年間も押さえつけられていたから。

そして、ルネサンスについて
フレンツェの地で
聖フランチェスコから始める。
続いてフリードリッヒ二世という皇帝までも。
さらに印刷業を確立した
アルド・マヌッツィオが登場する。
この辺は塩野ならではの視点である。

メディチ家が重要なのは言うまでもない。
そして、やはりレオナルドだ。
ミケランジェロだ。

各地を旅しながら
ルネサンスが
各都市で
どんな栄枯盛衰をたどったかを
人物を中心に語っていく。

この辺は目の前に
その時代の人がいるように
いきいきとしている。

塩野の洞察は一刀両断だ。
以下、記憶に残った言葉をいくつか。

「哲学とはギリシア哲学につきる。
それ以降は、キリスト教と哲学の一体化という
所詮は無為に終わるしかない
労力のくり返し」

「ローマは『arioso』(アリオーゾ)。
こせこせしない」

「ルネサンス精神とは、
人間がこの心眼を、
再びわがものにしたということ」

内容は豊富にして
とても語りきれない。
それが塩野の
ルネサンスの豊かさ。

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2016年02月29日

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ネタバレ

対話形式をとりながら、ルネサンスという、それまで押さえられていた感情・欲望が爆発した革新の時代にするどく肉薄していく本でした。宗教・美術・政治など、それまでと全く違う方向へ歩みだす、その一歩をスローで眺めているような
気にさせる内容で、とてもおもしろかった。

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2015年07月02日

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ネタバレ

 ローマ教会が何かおかしい、から始まって400年もかけてローマ教会の支配を解放。
解放したというより、芸術科学の進歩により、ローマ教会の矛盾点が炙り出され、自滅した時代。

「神がそれを望んでおられる」が、通った、今から見たら偽りの世界。
今の世も、数百年後の人類が見たら、偽りの世界と言われる点があるのだろうか。

なお、異教徒の遺産といって、古代ローマの遺産を破壊しつくしたのが惜しい。

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2015年04月05日

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ネタバレ

・見たい、知りたいという欲求の爆発
・キリスト教=神を信じること ⇔ ルネサンス=疑うこと
・フィレンツェ → ローマ → ヴェネチア

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2012年09月02日

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なぜルネサンスが起きたのか?
そして、それがフィレンツェで始まり、ローマ、ヴェネツィア に広まっていった理由、時代背景・・・。それらを理解できる内容ではあるが、あくまで著者の考え、視点だと思う。それが全て事実なのかはわからないが、参考になるし一つの側面であろう。

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2011年10月02日

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対話形式で読みづらいかと思ったが、意外に却って読みやすかった。フィレンツェからローマ、ヴェネティアへ到るルネッサンスの人的系譜と、キリスト教の天蓋から離れて自己の独立心が羽ばたいたルネッサンスの意味づけについて、わかりやすくまとめてあった。

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2018年10月14日

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フィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアと、ルネサンスが花開いた三都市を順に辿り、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、フリードリッヒ二世や聖フランチェスコ、チェーザレ・ボルジアなど、時代を彩った人々の魅力を対話形式で説く

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2019年09月08日

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筆者はルネサンスを「見たい、知りたい、わかりたいという欲望の爆発が、後世の人々によってルネサンスと名づけられることになる、精神運動の本質でした」と定義。

そしてなぜダビンチやミケランジェロといった天才がうまれアートが芸術がうまれたのか?について、何かを見聞きするだけではほんとに理解できない、それを語りあたり字にしたり絵にしたり建築にしたりといった「創造するという行為が、理解の「本道」につながると。知りたい、ほんとに理解したい、だから造る。

ほんとうの理解とは創造やアウトプットを通じて生まれるということを以下のようにも指摘。
「言語には、他者への伝達の手段としてだけではなく、言語を使って表現していく過程で自然に生れる、自分自身の思考を明快にするという働きもある。明晰で論理的に話し書けるようになれば、頭脳のほうも明晰に論理的になるのです。」

ルネサンスは、中世の反動でいっきに見たい、知りたいが爆発。ほんとうにもっと深く知りたいという欲求が創造を生み出した。

とくにフィレツェト、ローマ、ベネチアの3つの都市国家の重要性を指摘。
都市国家とはそれまでの農村国家とはまったく別のスタイルの街。
中世は、土地を資産とする経済構造下にあり、その土地を所有する封建領主が主導権をふるっていた時代でした。これに対し、土地は持っていないが頭脳は持っている人々が集まって作ったのが都市国家。都市とはイコール頭脳集団、と言ってよいくらい。いろいろな種類の人があつまるがゆえに、いろいろなものがうまれていく。
一方で、ローマ法王庁や封建諸侯たちのような、異分子導入によるカルチャーショックを嫌って純粋培養をつづけた組織が危機に陥ったのが、中世末期であり、ルネサンスという精神運動を生む端緒になった。

ルネサンスはフィレンツェからはじまりローマへ。そして最後はヴェネチアにうつっていく。初期のフィレンツ、ローマ時代を代表する人物は
ダビンチとミケランジェロ。この二人に共通するのは「絵画、彫刻、都市計画、解剖、機械器具等々に手を広げたレオナルドや、絵画と彫刻と建築の傑作でイタリア中を埋めた観のあるミケランジェロのように、専門別に分けることが不可能な人が出てくる。分類不可能ということで、「万能の人」(uomo universale)と呼ぶしかなかった天才たちです。」という普遍性。
一方でベネチア時代にはいると「画家は絵だけに、建築家は建築だけに専念していたヴェネツィア人とは、大きなちがいですね」に変容していく。
筆者はその背景を「専門化とは、相当な成果があがった後ではじめて効果を発揮できるシステムだから。反対にスタート期には、分化されていない渾然一体のほうが新しいことの創造には適している。新しい考えとは必ず、既成のわくからはみ出たところから生れるものだからです。」と定義。時代に大転換期は普遍性のある天才が、そしてある程度、成熟してくると専門性の天才が生まれてくると。

また、芸術にはお金が莫大にかかる。ルネサンスといえばメディチ家だが、じつはメディチ家の繁栄は十五世紀になってから。それなのにフィレンツェのルネサンスは、明らかに十四世紀からはじまっていると指摘。ルネサンス=メディチ家の見方をしていたけど自分は勘違いしていた。

また、当時はペストによる人口の大激減があった。しかしながらそれをむしろプラスに転換したのが当時のイタリア。「人口の激減とは、やむをえずにしろ人々の関心を効率性に向けざるをえなくする。それ以前は都市に流れこんでくる人の量を頼りに上昇していたフィレンツェ経済も、ペスト以後は、質を重視し個々の生産性の向上を期すやり方に変わってくる。ヴェネツィアでもまったく同じです」。少子化を叫ぶ日本でも同じことがいえる状況だ

また芸術は金にならない、といわれやすいが、以下の一節を読むとその考えを改めざるをえない。
「わたしは、この都市の気分を知っている。われわれメディチが追い出されるまでに、五十年とは要しないだろう。だが、モノは残る」。これはルネサンス後期をささえたメディチ家の当主の言葉。しかし、そんなパトロンによって生み出された芸術に、ローマ、フィレンウェ、ベネチアはいまだに飯をくっている。
あれから五百年以上も過ぎた今のフィレンツェを埋めている観光客の群れを眺めるたびにこのことを思い出すと筆者は語る。

京都のような歴史都市も同様であろう。当時の富裕層によってさまざまな彫刻や寺院が建築され、それによっていま飯をくっている現実。
芸術は金にならない、ビジネスこそ金になるとはいうが、一方で1000年前の京都でつくられたビジネスはほぼ残ってなく、いっぽうで芸術はのこっていてそれで飯がくえている。

最後にルターによる宗教改革への言及が興味ふかい。もともとはルターは、神ー教会ー人の中抜をおこなった。それによって人々は、余計な教会をはさまずに聖書を信じればいよいというふうになった。しかし教会は弊害もあったが、狂信的にいきがちな宗教活動を中庸にする緩衝にもなる。これは現在の社会にもあてはまることで、_?
純粋に理念に準じると美しいが狂信さと紙一重になる。意味のある中間組織、中庸さをもたらす何かの重要性をかんじる。

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2017年05月19日

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ルネサンスは、14世紀から16世紀にまたがる古代文明の復興活動と教わってきた・・・。

塩野女史の考えるルネサンスとは、キリストの教義に疑いを持つことで、イタリア中心にヨーロッパに興った文化活動を紐解く。

当時の多くの文化人を取り扱う一方、対話形式で時代とイタリア各地をめぐりながら話が展開する。

やや教科書的な側面は避けられないが、解説書としても充分魅力がある。

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2014年08月10日

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実はこの本、数年間積読状態だった。それが、先日TVで同じタイトルの紀行番組を見て(出演:塩野七生、向井理)、あらためて手に取ったしだい。映像による知識のおかげで、今回はすんなりと内容が理解できた。

ルネサンスとはなにか? ルネサンスはなぜイタリアで花開いたのか? ダヴィンチやミケランジェロのような天才たちが活躍できた背景について語られている。

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2017年01月31日

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ネタバレ

「ルネサンス著作集」の1巻目として書かれた、対談形式のルネサンス入門書。
フィレンツェ、ローマ、ヴェネチアとルネサンスの中心地を移動しながら、ルネサンスの変遷を語っていきます。
巻末のルネサンスの主役達の略歴もあり、分かりやすかったです。
しかし、著者の作品はやはり物語の方が面白く、「ルネサンス著作集」を読み返したくなりました。

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2013年08月08日

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ルネサンスを代表する人物をたくさん取り上げているが、著者自身が他の本で言っているようにアッシジの聖フランチェスコから書きはじめているところが特徴。巻末に一人ずつまとめたページもあり便利。一般にはあまりなじみのない話が多いが、読みやすく、ルネサンスに対する関心が深まる本。

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2013年05月21日

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ちょっと前に、ラファエロ展を見て来て、ルネサンス期の絵画の神がかり的な精巧さに完璧さに「感心」あるいは「感嘆」してきました。
しかし、どうも、もやもやっとした思いが残って「感動」は出来なかった感が。
もやもやの正体は、結局「ルネサンスってなんなのよ?」
その問に正面から答えてくれるのが本書のはず、と思い、4,5年ぶりに手に取った次第。

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2014年11月23日

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ルネサンスは二元論から一元論への、回帰でもあり進化でもある。手法は科学に受け継がれるも、精神は未だ、新たなる巨人の誕生を待つ。

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2012年03月26日

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イタリア史の中でも、特にルネサンスという時代に焦点を絞って、その始まりから終わりまでを通して説明した、入門書的な本。
ルネサンスはフィレンツェでの出来事かと思っていたけれども、その舞台の中心は、フィレンツェ→ローマ→ヴェネツィアと、時代と共に変遷していったらしい。その、それぞれの時代ごとに、章を分けて特色が語られている。

教科書的な説明と違い、塩野七生氏による解説は独自の史観が入っていて、その視点からいったんまとめて説明がされているので、一つの流れに従って読み進めることが出来、とてもわかりやすい。
そして、彼女の話しは歴史的事実そのものよりも、誰を中心としてその出来事は起こったか、という観点から語られるので、物語としてのドラマ性が加味されて、一層面白い読み物になっている。

この本で特に面白かったのは、ヴェネツィアという都の特殊性だ。ヴェネツィアは、栄枯盛衰を繰り返すイタリアの諸国家の中で唯一、1200年の長きに渡って存続した。フィレンツェのメディチ家や、ローマにおける法王のような際立った存在はヴェネツィアにはなく、徹底した民主制と自由がそこにはあった。
異端審問や、宗教改革のような、キリスト教の激動の時代にも、ヴェネツィアは自由の砦としてその存在意義を保ち、様々な人材を受け入れ続けた。最終的に、ルネサンスの精神や成果を受け継いだのはこのヴェネツィアだったのだと思う。
ルネサンスについての見方をシンプルにわかりやすく教えてくれる、非常に中身の濃い本だった。

私は、哲学とはギリシア哲学につきるのであって、それ以降の哲学は、キリスト教と哲学の一体化という、所詮は無為に終わるしかない労力の繰り返しではなかったか、と思っています。無用の労の繰り返しと言うのでは過激すぎるなら、ギリシア哲学の打ち上げた命題に、時代ごとの答えを与えようとして労力、と言い換えてもよい。なぜなら、宗教とは信ずることであり、哲学は疑うことです。(p.122)
いかに敢然と言い返しても、軍事大国であると同時に政治大国でもあった国家は、後にも先にもローマ帝国しか存在しなかったのが人間世界の現実。この現実を直視せざるをえなかったマキアヴェッリにとっては、政治の巧者ではあっても軍事は重要視していなかったロレンツォは、イタリアの現在を論ずる「君主論」には、とりあげる価値のない過去の人であったのでしょう。だからこそ、フィレンツェの過去を叙述した「フィレンツェ史」では、このロレンツォを高く評価したのです。そしてそれは当然だし、またロレンツォとマキアヴェッリの二人は、本質的には似たもの同士ではなかったか。二人とも、他のどこでもなく、フィレンツェにしか生まれえない人間であるという点で。(p.131)
レオナルドやミケランジェロやティツィアーノの作品の前に立ったときは、これらのルネサンスの天才たちを解説した研究書など読む必要はない。ガイドの説明も、聴き流していればよい。それよりも、あなた自身が「年少の天才」にでもなったつもりで、「虚心平気」に彼らと向き合うのです。天才とは、こちらも天才になった気にでもならないかぎり、肉迫できない存在でもあるのですよ。(p.240)

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2020年07月15日

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