【感想・ネタバレ】翔ぶが如く(七)のレビュー

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Posted by ブクログ

明治10年西南戦争が勃発する前夜の状況を事細かに描写している。この戦争のきっかけとなる、西郷暗殺計画と火薬庫破りに関しては太政官側の動機がいまいち曖昧であり、そのこと自体の真偽も確かでない。ただ、どのようなきっかけにせよ、この時代の薩摩と中央政府を巡る関係から西南戦争が発生する危険性は非常に高く防ぐことは難しかったのではないかと推測される。西郷隆盛は薩摩士族にとって大きな存在であったが、それ以上に反政府の気運は強く、西郷の意思に沿わずともその西郷を表に立てることで得られる心理的な高揚感から戦争に突入した。

ただ、冷静になって考えれば新しい政府を作ることが非常に難しいことで、人心を掌握して多くの人が満足する国を作ることは一筋縄ではいかないことを示している。本来であれば、その薩摩の軍勢は西郷が恐らく考えていたであろう、将来的なロシアとの戦いに向けての重要な力であったはずである。そのように考えると残念で仕方が無い。

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2010年03月08日

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薩摩の立ち上りを恐れた政府は、薩摩における西郷を暗殺しようと企てる。ところが、この企てが薩摩に漏れ、薩摩の私学校にいる士族達が暴発しそうになる。西郷がこれに応ずるのか、大久保は疑問に思っているが、果たして。

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2009年10月07日

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ついに薩摩が動いた。
しかし、満を持した割には、薩摩の動きは解せない。
長い間眠っていたため、感が鈍ったか、それとも有能な仕官は政府に付き、頼みの綱の西郷はもはや倒幕に興味が無い。

実は、私、西南戦争ってほとんど知識が無かった。
時代も背景も、どことどこが争っていたのかすら…。

日本人は日本の歴史から学ぶべきだと思う。
良いところ悪いところ、あらゆるところで学ぶ箇所があるはずだ。

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2009年10月04日

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「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。

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2023年09月10日

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5巻、6巻とかなり地味であったが、7巻終盤で遂に動き始めたという感じ。
西南戦争が如何にして起こらざる得なかったかというのが5巻以降のテーマになっていると思うが、確かに何故そうなってしまったか…と思わざる得ない。
台湾出兵あたりから明治政府が瓦解し、以降大久保利通によるある意味独裁にはなるのだが…
西南戦争とは、幕末から続く藩閥と利権争いが混沌としてしまった末に、西郷さんが一時期に政治を諦めてしまった事が要因…と思うが、やはり一言でまとまらないので、このような長い小説になっているわけだなあ。

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2023年06月06日

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神風連熊本鎮台襲撃、萩の前原一誠決起から、西南戦争に向けて西郷が動くまでの第7巻。
変わらず進行が遅く途中余談が過ぎるところもあり間延び感は否めないが、その当時の空気感や、人物の心理をを細かく描写しており歴史資料としてとても貴重たと思われる。特に筆者が登場人物の子孫に直接取材した内容を織り交ぜ、執筆時点でしか得られない内容となっており、そういう意味でもとても貴重な一遍と感じる。西郷は、事象の原因的な存在で描くと前の巻で筆者が書いていたが、維新後の西郷は自分が思考し行動することを本当に止めてしまっているようで、西郷という人物感が大きく変わってしまいます。西郷が血気盛んな薩摩隼人を重用したのが西南戦争の悲劇を産んだとすれば奉り上げられた虚像の英雄とも言えるとではと考えてしまいます。
西南戦争は薩摩の身内同士の戦いとも言える事実、政府と薩摩私学校の確執が、川路大警視が大久保の薩摩鎮圧命令を過激に実施した結果であることが大変興味深い。

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2018年04月07日

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いよいよ物語は時代の核心に近づいていく。熊本、萩における不平士族の蜂起を鎮圧した政府は薩摩を怠らなかったが・・・。

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2018年01月23日

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ネタバレ

いよいよ物語は明治10年。
西南戦争の年に入りました。

西郷隆盛さんの暗殺を指示されたと思われる薩摩出身の政府方密偵が複数鹿児島に現れたことや、白中に運搬することを決められている火薬を太政官政府が夜間にこっそりと鹿児島から運び去ったことを引き金に、私学校の一部の後先を考えないタイプが政府の火薬庫を襲撃。
ついに西郷さんも動かざるを得なくなってしまいました。

薩摩藩士はお隣の熊本と違って議論をする文化があまりなく、とにかく勢いのあるヤツ、何かあったら命を顧みずに討って出るタイプが好まれる傾向があったそうだけど、それが結果的には知識のない感情優先タイプを量産したってところがあったように思う。

明治維新以後、特に西郷さんが征韓論で下野して以降は、多少物事を客観的に見るころができて、大局を論じられるタイプが中央に残り、薩摩には視野狭窄の田舎者タイプの感情組しかいなかったような感じ。

そういった周囲のメンバーに恵まれなかった西郷さんが、最後はそういったヤンキー軍団に持ち上げられ、説得することも逃げることもできずに、その身を差し出したってのが西南戦争だったのかな~って思いました。

西郷隆盛さんが主人公のように見えて、けっこう大久保利通さんアゲの物語っぽい気がしてきたぞ(笑)

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2016年11月04日

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ついに薩摩勢力が蜂起となった。
果たして西郷という人はどのような人であったのだろうか。
薩摩勢力を蜂起させ政府と戦争をするということは西郷の本意でなかったことは事実なのだが、維新を終えてしまってからは西郷という人物としての塊が見えてこない。
まるで空想上の偶像のような感じさえしてしまう。
いずれにしても事態が「薩摩勢力蜂起」となり、今後の方向性は一本道となってしまった。
各々の正義が刃を交えるしかなくなったのである。

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2015年11月24日

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明治維新直後の不安定な時代を描いている。
征韓論から西南戦争にいたる5年間が舞台。
西郷隆盛を始め多数の人物のエピソードと緻密な時代考証にその時代を知る思い。

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2013年08月25日

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西郷暗殺疑惑に伴う政府密偵捕縛、私学校生徒による火薬庫襲撃を契機に、薩摩は政府との開戦を決議。西郷隆盛の思いとは裏腹に事態はいよいよ西南戦争へ。

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2013年02月09日

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脚色されているんだろうけど、130年前実際にこの人達が存在して、各々が悩み苦しんだかと思うと胸が詰まりそうになる。。。

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2013年01月15日

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ついに薩摩が暴発する。薩摩が決起に至るまでが克明に描かれていて興味深い。政府が西郷暗殺を企てたかいなか、そこから引き起こされる暴発にともない、読みすすめるスピードが一気に加速。「吉野郷へ駈けてゆく休ニは、薩摩という火薬庫の中を、火をくわえて駈け回るねずみに似ていた」など司馬遼太郎節が炸裂。

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2011年06月15日

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薩摩隼人たちの不気味な胎動が始まった…!!
私学校VS政府 の 攻防…。大久保(&川路)が放った、中原尚雄はじめとする密偵のみなさん(東京獅子/ああずまじし)が西郷暗殺を企てていたのかいないのかは謎ですが、それにしても可愛そうでしたね。近代化といっても地方じゃまだまだ江戸時代が続いてるんだなぁ。私学校の取り調べの凄惨さがいように印象に残った…。
私学校側の内情も複雑で、やたら挙兵したがる辺見十郎太のようなやつもいれば、比較的穏健派な永山弥一郎もいる、多彩な人物たちのやりとりが面白い。西郷どんはといえば、幕末の生彩を欠いてタマシイ抜けたようになって山とか温泉に引きこもりっぱなしでした。だけど私学校の若衆が政府の弾薬盗んだときは「シモタ!」と言ってもう戦争になることを覚悟したようです。
まあ本作中いちばん可愛そうだったのは、せっかく鹿児島くんだりまで出向いたのに、西郷と会談する約束取り付けて、しかもそのあとドタキャンされた川村純義(このころ海軍の最高職にあった)なんだろうね…。

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2010年05月30日

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全巻通読後のレビュー。

全10巻という超大作であるが、もともと毎日新聞に連載された小説であるから、多々同じ記述が見られる。

しかしながら、明治維新後の日本の姿を鳥瞰的手法で世界史と関連付けて論じられている点で、日本近現代の始まりを理解する際の基礎理解には最適の入門書であると考える。

島津久光という超保守派の考え方から、維新を支えた革新派の面々の考え方が手に取るように分かる小説である。重要なのは士族の不満、百姓の不満がどのようなものであったか、であるが、それもこの小説では網羅されている。


物語は維新開始直後から、西南戦争(明治10年)を経て翌年の紀尾井坂の変(大久保の死)、さらに川路利良の病没までを描く。

明治維新は天皇の威を借りた王政復古という形でスタートした。それが後に軍の独走いうものを招くが、この時点ではそうせざるを得なかったということも、小説中で書かれている。

後の日本を支えていく山県有朋、伊藤博文、板垣退助、軍人で乃木希典、川村純義などが登場する。

西南戦争は8巻の半ばくらいから始まる。桐野、篠原ら薩摩隼人に担がれた西郷、悲劇のような最後の激闘である。西郷が桐野や篠原といった兵児(へこ)を最も愛し、彼らと生死をともにしたことは、西郷をうかがい知る上で、見逃せない点である。

西南戦争の中身についての描写は一流である。

時間がない方にも、8~10巻は読むことをお勧めしたい。

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2009年11月01日

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司馬遼太郎に初チャレンジした作品。が、10作もあり読むのに2ヶ月超もかかってしまったww
舞台は戊辰戦争後の明治初期。西郷隆盛を大きな軸として揺れ動く日本政府の動向をあらゆる人物の観点から追っている。よくもここまで調べたなって感心してしまう

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2009年10月04日

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西南戦争勃発前夜の話。
政府側と薩摩側の人物のエピソードが交互にあり、
作者は常に中立的視点から、この戦争の起こりを描こうとしている。
ただ、全体として、やや大久保擁護の文章であるが、
西郷についても、その器の大きさは認め、類まれない政治能力と人格的魅力を、
事細かに記している。
戦争のきっかけとなるキーワードは、西郷暗殺。
つまり、風説の力である。いつの時代も、大事を起こさせるのは、
世論であり、更にいえば真偽も定かではない噂話がきっかけになる。
それを意図的にしろ、偶発的なものにしろ、
それを利用し、自分のシナリオにしてしまえたものに、
最初から勝利が約束されているのである。
事実、西郷はこの風説により、自分の構想が崩れ、
熱狂的な薩摩士族の勢いを静めきれなくなり、
ついに自分の身を捧げるにいたる。戦争など望んでなくても、
わけが分からない内に、当事者勢力に飲み込まれる。
影響力を持つ人物になるという事は、それだけ危険を伴う。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

【感想】
本物語の10分の7が終わり、ようやく西南戦争が始まるかぁ。
開戦に至る数々の過程を省略すべきではないが、「やっと」感が強い。
むしろあと3巻ですべて終結するのかと思うと寂しさもあるが・・・

幕末は英雄だった西郷隆盛の凋落が本作品には詰まっている。
自身の能力が低下したからなのか、それとも周りのプッシュに諦めを持ち、投げやりの上で開戦する決意を持ったのか。
おそらく後者だろう
西郷自身の手記がないため、彼が抱えていた苦悩と絶望に関しては一切わからないが、彼が決してただの虚像ではないと信じたい。

終盤になるにつれて、西郷と大久保の差を感じる作品になってきた。


【あらすじ】
明治十年二月、ついに西郷が立ちあがった!
圧倒的な士気で熊本城を攻める薩軍と援軍を待つ政府との闘いが始まった。
熊本、萩における士族の蜂起をただちに鎮圧した政府は、鹿児島への警戒を怠らなかった。
殊に大警視川路利良の鹿児島私学校に対する牽制はすさまじい。
川路に命を受けた密偵が西郷の暗殺を図っている―風聞が私学校に伝わった。
明治十年二月六日、私学校本局では対政府挙兵の決議がなされた。
大久保利通の衝撃は大きかった…。


【内容まとめ】
1.西南戦争はごく単純に言えば、私学校における若者の暴発から出発し、その暴発に西郷が身を委ねた事で起こった。
西郷は敗北を決意したか、なるようになれというような自暴自棄に身をゆだねた。

2.「木戸はつねに池のふちにいる。大久保はつねに飛び込んで池の中にいる。」

3.薩人は、木強者(ぼっけもん)を喜ぶ。
木強者とは、学問はさほどになくても勇敢、頑固、質朴、平素、必要以上に死を軽んずる者を言う。


【引用】
p69
薩人は、木強者(ぼっけもん)を喜ぶ。
木強者とは、学問はさほどになくても勇敢、頑固、質朴、平素、必要以上に死を軽んずる者を言う。
この種の男を薩摩隼人の典型とした。


p118
「木戸はつねに池のふちにいる。大久保はつねに飛び込んで池の中にいる。」
鯉を捕まえねばならぬときの2人を謳った評価。


p264
幕末の西郷は、あくまでも勝利を目標とする政略と戦略を考える人物であった。
しかし彼は、ここで必ず勝つという政略と戦略を考えるべきであったが、少しも考えた形跡はなく、考えたことと言えばせいぜい挙兵の名目だけである。
敗北を決意したか、なるようになれというような自暴自棄に身をゆだねたか、そのどちらかというほかない。


p290
二十歳以上の大人たちの集まりとは言えないほどに子供っぽい雰囲気が一座を浮かれさせていたし、この奇妙な非厳密さは、西郷と桐野それに篠原といった一種異様な3人の楽天家が醸し出している精神操作であるとしか言いようがなかった。


p302
西南戦争はごく単純に言えば、私学校における若者の暴発から出発し、その暴発に西郷が身を委ねた事で起こった。

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2018年08月30日

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「翔ぶが如く(7)」(司馬遼太郎)を読んだ。
『自分は、何もいうことはない。一同がその気であればそれでよいのである。自分はこの体を差しあげますから、あとはよいようにして下され。』(本文より)
そう言った時西郷隆盛の胸中を何が去来したのかを想うと私は少し哀しくなってしまうのである。

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2018年07月06日

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いよいよ西南戦争へ。
実にくだらない下っ端の暴発や勘違いから、内戦がはじまる。空気というのは怖いものだ

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2018年05月18日

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ネタバレ

神風連の乱を経て西郷隆盛が明治政府との対決を決意するまでが話の中心。政府との対決を決意するというよりは、西郷の回りに与える影響の強さで、西郷がやむなく政府との戦いを選ばざるを得なかったという過程が丁寧に書かれている。何というか日本国内での内乱を本音では避けたかった西郷の意思が象徴化されたという理由だけで反映されないのは読んでいて非常にやり切れない気分だ。政府と対決することになった薩摩の行く末を引き続き読んでいきたいと思う。

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2017年05月18日

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ついに西南戦争の火蓋が切って落とされるまでの経緯が描かれます。

神風連の乱、萩の乱、秋月の乱を抑え、いよいよ薩摩の不平士族たちに対する準備を進める明治政府の動向にも多くの筆が費やされており、川路利良の国家観が凄みを帯びて迫ってきます。

ストーリー上の展開は、いつにも増して遅いように感じたのですが、あまり退屈することなく読めました。

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2015年01月22日

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神風連に呼応して、秋月、萩ノ乱が起こる。

鹿児島私学校生徒、火薬庫を襲い、西郷隆盛これを怒るが、彼等を政府のいいようにさせないためにも立ち、西南戦争へ。

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2014年09月24日

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西郷が終に決起に踏み切る。踏み切るまでの幾つかの私学校の乱の様子が描かれる。

彼が当初から開戦に賛同していた訳でなく、むしろ抑制の側にいたことを知った。踏み切るに至ったのは様々な理由があるが、その一つは川路の刺客が西郷の暗殺者と誤解されたことにあるよう。

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2014年01月01日

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本巻はそこそこスピード感をもって読めた。と言うか、内容が面白くなさ過ぎて、一気に読まないといつまでも終わらない気がしたのである。
前巻で描かれた神風連の乱後、本巻では長州萩の前原一誠の乱、福岡秋月の宮崎車之助の乱を簡単に描くとともに、警視庁の送った刺客が薩摩で捕らえられ開戦の火蓋が切って落とされる直前までが描かれている。こと、薩摩の武力蜂起に至るまでの経過が長い長い。最後まで開戦には反対だった西郷隆盛に重い腰を上げさせるまでの周りの人間のエピソードが細か過ぎるのである。太政官側(大久保利通、川路利良)も、23人の密偵(刺客?)も、鹿児島県庁(大山綱良)も鹿児島県警(野村忍介)も、私学校も全て薩摩人。薩摩人の、薩摩人による、薩摩人のための物語であると言っても過言ではない。主人公の西郷隆盛はほとんど無口で感情を表さないし、大久保利通も川路利良も命令するだけで心情描写はなし。実に無味乾燥な小説である。司馬遼太郎氏がここまでこの戦争に拘って緻密に描いた動機は何だろうと訝しい。特に西郷隆盛に肩入れしている訳でもないし。若干、桐野利秋のことは好きなのかなと想像する程度。
次巻ではようやく開戦だろう。少しは楽しく読めるのかな…。

最後にひとつ、興味深かったこと。
・かつての薩摩藩は全ての仏教が禁止されていたというようになっているが、実際は念仏の宗門だけが禁止されていた。念仏宗の中でも浄土宗などは構わない。戦国期に一向宗と言われていた本願寺の宗旨(真宗)だけがかたく禁止されていた。島津家がこれを嫌った理由は、一向宗が講という横の組織をして主従の縦の関係を崩すおそれがあったことと、信徒が主君よりも阿弥陀如来という唯一的存在を崇敬することに不愉快さを感じたためであろう。
→なるほど、宗教を嫌うのは権力者の統治のしにくさによるものということか。私は無神論であるが、仏教の種類分けを勉強すると日本史がもっと面白くなるかもしれない。

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2013年12月05日

Posted by ブクログ

昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
ネット上での解説を少し転載します。


明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
誰もその意見には反対しなかったという。

ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
その者に一切の業務を任せてしまう。
次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
細かいところまで口を出す殿様は
家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

私も大きな組織で働いているが
トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

いや〜〜長かった。
面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
と思ってしまいました。

[読んで思ったこと1]
本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

[読んで思ったこと2]
西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

両者が激突するとどうなるのか。
短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

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2013年08月29日

Posted by ブクログ

 政府のやり方に異を唱える不満分子が各地方で決起する。その指導者たちは何の成果も上げることなく犬死するに至る。政府は事前に反乱分子を内偵し、未然に防ぐすべを確立していたのだ。そのやり口が思わぬ事態に発展する。どちらが仕掛けたのか、歴史の闇からはうかがい知れないのだが、結局は薩摩と明治政府が激闘することになる。

 緊迫する状況のなかで、西郷が側近に担ぎ上げられる辺りはものすごくマンガじみていてユーモラスでもある。その様な空気のなかではなんでもありうるのだ。後になると「なぜ」がいっぱい頭の中をかけめぐる。結局、修羅場には声の一番大きい者の発言が優位なのだった(笑

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2011年11月09日

Posted by ブクログ

ふーむ、これから西南戦争を具体的に描いて行くわけですな。

司馬遼太郎ってすごいなー。
フォーカスの取り方がすばらしい。

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2011年07月07日

Posted by ブクログ

薩軍が立つか否かの協議の場、避けようがあったように思える中での西郷の心中は。

死に場所を探す者にとって、一個上京と大軍での進行の違いは。

戦略なき巨大な暴力。

人の才は好悪を入れずに判断すべき。

・私学校の愚かさは、ただ氏を墨守しているのみで、氏の教えであるところの開明に従って大義名分を明らかにすることを知らない。(128頁)

・憎悪を資格としてその任をえらぶ(135頁)

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2009年12月05日

Posted by ブクログ

西郷は私学校という士族団をロシアの南下に備えるために使おうとしていた。そういう大状況がいつかは到来すると思い、それまで薩摩の士気を保存しようとしていたが、かれの生徒たちは目前の太政官の挑発にやすやすと乗り、一揆化した。生徒が一揆化して政府の犯罪人になった以上、西郷は見捨てるわけにいかず、鹿児島に戻らざるをえなかった。かれは反政府のために挙兵するということを、かれ自身一切考えたことがなく、そのことについては多くの証拠がある。かれは外患を想定し、そのときに役立たしめるべく私学校をつくった。

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2009年10月04日

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