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明治7年前後の日本が内政上の問題にかかりきりで外交にまで十分に力をまわせていないことが分かる。海外の政府やマスコミからは馬鹿にされつつも、国内の反政府分子の勢いを沈めるため征台論をかかげその実行に乗り出すところなど、内政のための外政であるとの筆者の指摘は確かかもしれない。これは今でもいえることだが、国内がしっかりしていないと、海外からつけいられうまいように利用されるリスクを負う。だからこそ、政権が変わって大変な時期といえども政治がしっかりして欲しいものだ。
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西郷に続いて官を辞した江藤新平が、佐賀の乱を引き起こした。政府は大久保が全権を握り、これを完全にしずめる。薩摩との協力の可能性を恐れ、早めの対処である。一方、鹿児島では士族の集まりである私学校が設立され、のちの一大勢力となる。
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「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。
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廃藩置県が、西郷さんに重たい十字架を背負わせ、それが西南戦争に繋がっていく要因になるんだなと感じました。西南戦争前の西郷さんは、革命を成就させるためだったとは言え、色々と辛かっただろうなと思う。
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佐賀の乱での江藤新平の暴発、晒し首から、征台に至る国内外の駆け引きまでの4巻。作者が文中に記しているとおり、西郷隆盛という存在が本人の意思とは無関係に周りに与えた影響を描いており、知識欲を満たすものと考えれば良書であるが、読み物といえば話が進まず退屈すると思われ、後者をやや重視する自分としては読後はなんだかホッとする気持ちになる。
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征韓論をめぐって西郷隆盛に続いて官を辞任した司法卿の江藤新平が突如、佐賀で叛旗を翻す。その際の西郷を恐れる大久保利通の迅速な決着とは。さらに征韓論に反対する大久保利通、西郷従道らは「台湾征伐」へと動き始める。これは・・・?
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西郷隆盛という人物その物が英雄視され思想となって、どれだけ強力な渦を巻いていたかがよくわかる。しかしこれは西郷が望んでそうなったのではないだろう。自分では望まなかった強烈な吸引力は、やがて西郷の最期へと向かってゆく。
この巻では、そのようなことに焦点を絞って書かれているような気がする。
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グダグダの台湾出兵。第二次大戦の軍部の暴走はこの時に倣っているようだ。歴史に学ばないとこうなるのだ。
台湾出兵は秀吉の頃とあまり変わらない海外遠征で、つくづく征韓論は時期尚早だったとわかる。
学校の教科書だと、台湾出兵なんて2行程度で、薩摩士族への申し訳程度の出兵だとしか書いてない。もちろん興味もわかない。こんなにもグダグダだったなんて、この本を読まなければ一生知ることはなかっただろう。サンクス。
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p28 佐賀の乱は大久保の餌食になった
江藤新平の起こした佐賀の乱は、政府の根幹を揺るがすどころか、却って政府の結束を強めることになった。この乱のために、臨時的に明治政府の権力が集中し、来る西南戦争へ予行演習になった。
p35 独裁官だな
佐賀の乱において、大久保は独裁のごとくになった。軍事統帥権のほか、行政権・司法権の一部を委任された。その結果、佐賀の乱の戦犯の裁判は大久保のために厳粛に行われ、明治新政府の独裁性が強まった。
p38 大久保の戦略
大久保は佐賀の乱に対して驚くほど迅速な対応をした。その結果、佐賀の乱を挑発して導くことができた。実質、大久保の掌の上で踊らされた形になった。
p53 庭役
西郷は斉彬のもとで、藩士としてではなく、庭役として雇われた。それは、当時の封建制のしきたりで藩士は格式ばった形でしか面と向かって話すことができなかったからである。庭役だからこそ自由に話し合いができ、斉彬の教育を受けられるというわけである。
当時の庭役は庭の手入れだけでなく、密偵などの役も仰せつかったある種特別な存在だった。
p68 実話
佐賀の乱で配送した江藤新平が西郷のもとに救援を求めにやってきた。しかし、西郷はこれを拒否する。
この密談は西郷が宿泊していた宿で行われたが、そこのおかみさんが長命で、当時の西郷の声を聴いている。
「わたしのいうようになさらぬと、当てが違いますよ。」と西郷が怒号をあげたらしい。西郷はあくまで反乱を起こす気はなかった。なのに勝手に佐賀では反乱を起こし、それが破れたら私を担ぎに来るなんて、当てが違うということである。
p102 私学校を作ったわけ
佐賀で沸き立っている壮士たちの怒気を抑えるために、収容所のようなものか?
p125 集成館
薩摩の最新式工場。当時すでに薩摩は小規模な産業国家を形成するだけの力があった。ガラス工場や反射炉による製鉄工場もあった。が、斉彬の死後、これらは廃止された。藩財政の圧迫ということだったが、斉彬ほどの人物がいなければ運営できない代物だった。
p130 兵農不分離
西郷は商業志向を嫌い、あくまで農業志向の国家観を持っていた。「武士は百姓になっても商人にはなるな」
武士の源流は平安時代の農民である。商業は武士の精神を失わせるという。
p138 ビスマルクの器
西郷曰く「西洋人と言っても何も違ったことはあるわけではありません。聞くところによると、ドイツのビスマルクなる者は豪傑で、何の技能もない男であると申します。」西郷は君子器ならずという。君子は道具ではない。道具のような技能はない方が良い。君子は偉大なる徳だけがあればいい。そういう意味でビスマルクを喩えている。
p140 小人は…
小人ほど才芸があって便利なものである。これは大いに用いなければいけない。しかし、長官に据えて重職を授ければ、必ず邦家を覆す。これは薩摩藩の斉彬の後継者争いで感じたことだろう。
p142 斉彬の家督騒動
斉彬は42歳まで藩主でなかったのは、父である斉興が家督を譲らなかったからである。それは斉興のブレーンであった調所笑左衛門の手回しによる。笑左衛門は茶坊主あがりで、藩財政の立て直しのため家老に大抜擢された男である。彼は大阪の借金凍結やサトウキビ貿易と中国密貿易など無理をして財政を立て直した有名な男である。
西郷に言わせれば、調所に家老という役職の褒美を与えたのがいけなかったという。褒美は物の褒美を与えればよかったのだ。
調所は財政力という技能を持っていたため、政治にそれを用いて失敗したという。調所は斉彬の開明的政策を財政ひっ迫になるとして強く反対した。それゆえ斉彬はなかなか藩主に慣れなかった。しかし、時勢を見れば斉彬が正しかったはずである。技能があると小手先に囚われ、対局が見れなくなる。そのため、政治には不向きなのである。
これが西郷の理論。斉彬が藩主になれなかった理由。
p156 沖永良部
おきのえらぶ島は西郷が二回目の島流しにあった場所。1862年に西郷は久光に「浪士を煽って武士社会の転覆を腹に含んでいる」という嫌疑で島流しにされた。
p171 空っぽの西郷、春日潜奄を訪ねる
大隈重信は西郷や板垣を馬鹿と思っていた。実際西郷は維新後の世の中で路頭に迷っていただろう。
西郷の新時代観は「堯舜のようなもの…」ていどのふわふわしたものだった。だから、勉強のために部下の村田新八を遣わした。
p173 横井小楠
この時代の新国家観の持ち主は、横井小楠、勝海舟、福沢諭吉、この程度だった。横井小楠は有名でないから調べたい。
p178 薩長の対比
長州は江戸時代から藩主を端に機関として扱い、君臨すれども統治せずを実施していた。
対して薩摩は、藩主がすべてを仕切っていた。「島津に暗君なし」といわれる奇跡の国家だった。
ゆえに西郷には天皇の存在がうまくつかめなかったようだ。
p191 西郷VS大久保 対立の原点
廃藩置県がその原点。大久保は廃藩置県を推奨したもののそれを決して表には出さないようにした。薩摩藩士でそれを唱えれば、殺されることは必至であった。木戸孝允ら長州人たちにこれを推進させ、島津久光の怒りはほとんど西郷にかぶってもらった。
このやり方から、二人の決別は始まった。
p222 台湾出兵
「薩摩の沸き立つ壮士たちが喜ぶであろう」という子供だましのために起こした対外戦争。
沖縄の漁船2隻が難破して台湾南部に漂着した。漂着者たちは高砂族に襲撃され66人中54人が虐殺され。残りの12人は中国の福州に逃れた。これに対する報復戦争である。
p224 尚氏は源氏、対馬氏は平氏
日本の武家らしく、源流を名乗っていた。
p229 鄭成功
鄭成功は日本の平戸藩の藩士の娘を母とする混血児で、明が清(ヌルハチら遊牧民族)に滅ぼされそうになった時に抵抗を続けた武将である。その対清の拠点としたのが台湾である。この当時の台湾はオランダの東インド会社に占拠されていた。鄭成功はゼーランディア城を奪取し、拠点を得た。
鄭氏の台湾は21年間続いたが、清の追討軍により破れ、清の植民地になった。
p233 グラント大統領はだめだった
アメリカ南北戦争の北軍の将軍グラントはアメリカ大統領になった。しかし、グラントは史上もっとも無能と言われるほどだった。
p243 客家
中国でも不思議な存在である客家。唐末の黄巣の乱の際に華北から南下した連中を祖先に持ち、そのうち全土に散った。常に反政府的気分を持っており、太平天国の乱なんかも彼らの仕業で、洪秀全なども客家だった。
p252 革命のエネルギー
革命のエネルギーは正義とか人権擁護とかキレイごとは並べていても、結局は殺意と反逆心のエネルギーでしかない。このエネルギーは革命が収束したら消えるというものではない。歴史ではしばしばそのエネルギーは外国に向けられる。
中国がいい例である。中国で国号が変わる革命が起きたのち、その強大な軍隊を解散させるわけにもいかず、北方遊牧民族などの外征や防衛などに用いられ、中央から遠ざけられることも多かった。ナポレオンの対外戦争もフランス革命のエネルギー発散だったということもできよう。
p254 台湾へぶつける
台湾出兵の理由。①出兵の兵を募れば、薩摩藩士の気も紛れるだろう ②台湾に出兵することで政府が外国に対して弱腰ではないということを示すため
結局、台湾はとばっちりを受けただけなのである。
p257 清ならまぁいっか
征韓論はダメで、征台論が良い理由。挑戦を打倒した後に出てくるのはロシアである。しかし台湾ならその後に出てくるのは清である。この時期、日本はロシア帝国に勝てる軍事力はない。しかし、清ならまだ何とかなるという希望があった。
p261 毛利元就から始まる長州の気質
元就は輔佐政治という家憲を残した。元就亡き後、輝元を支えるため、二人の叔父である吉川元春と小早川隆景が「毛利の両川」として本家を護るために補佐官に徹した。
この精神が長州藩の法人的国家観を生んだ。
p285 西郷の台湾出兵の反応
木戸孝允は「政府は征韓論を押した江藤新平を処した。それなのに、台湾出兵をするという。これは理に合わない。本来ならば、江藤をして台湾出兵の総大将にすべきである。」といって矛盾をついた。
しかし西郷は、「それはよろしい」と従道に言った。
p317 当時の明治政府軍の程度
台湾出兵と言っても猪狩りのようなものだった。日本の持つ銃器は火縄銃で、高砂族の者たちは日本軍が追えば山林に逃げ、それを追い落とす程度のものだった。
日本軍はマラリアでひどい被害を出し、それを含めれば日本人の方が被害が大きかった。
p319 台湾出兵の異常さ
台湾出兵は日本史上の珍事件と言える。兵三千以上の軍隊を国民に開示することなく、夜盗のようにこっそりと出兵するという近代国家にあるまじき一大事であった。そして、それは現代に至っても日本人に馴染むことのない不思議な事件である。
この台征に際する大久保の所業は詐欺まがいと言っていい。太政大臣の三条実美と岩倉具視の勅命だけで出兵の許可を得て、早々に西郷従道に出発させて既成事実として作戦を進行させた。ゴリ押しにもほどがある。
このやり方はのちの軍部のクセになる。このせいで昭和の大失敗が起きた。その起源とも言えそうである。
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この巻の中心は台湾出兵であるが、ここにも昭和の軍人の思考を絡めてくるところがさすが司馬遼太郎だ。
しかし、まだ4巻。半分いかない。スゴイ読みごたえを実感している。
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四巻はやや進行が淀む。
淀まざるえないほどに、明治日本にいろんなことが起き混乱する。
西郷下野、佐賀の乱、鹿児島私学校設立、台湾出兵…。
明治維新により一夜にして近代国家としての日本ができたのではない。
混乱を解決することにより少しずつ作られていく。
大久保利通の冷酷さが恐ろしい。
日本人必読の書だと私は思う。
どうして人気がないのだろう?
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明治維新直後の不安定な時代を描いている。
征韓論から西南戦争にいたる5年間が舞台。
西郷隆盛を始め多数の人物のエピソードと緻密な時代考証にその時代を知る思い。
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江藤新平による佐賀の乱、それに対峙する大久保利通の独裁的強権が書かれている第4巻。
独立国家として存在する鹿児島、台湾出兵をめぐる迷走等、近代国家日本の道はまだまだ遠い。
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佐賀の乱。国権の確立。
征台の悲壮な滑稽。
無計画な反乱というものは、結局は政府の統制装置を強化させる以外のなにものでもない(27頁)
才芸のある人間を長官にすえたりすればかならず国家をくつがえす(131頁)
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全巻通読後のレビュー。
全10巻という超大作であるが、もともと毎日新聞に連載された小説であるから、多々同じ記述が見られる。
しかしながら、明治維新後の日本の姿を鳥瞰的手法で世界史と関連付けて論じられている点で、日本近現代の始まりを理解する際の基礎理解には最適の入門書であると考える。
島津久光という超保守派の考え方から、維新を支えた革新派の面々の考え方が手に取るように分かる小説である。重要なのは士族の不満、百姓の不満がどのようなものであったか、であるが、それもこの小説では網羅されている。
物語は維新開始直後から、西南戦争(明治10年)を経て翌年の紀尾井坂の変(大久保の死)、さらに川路利良の病没までを描く。
明治維新は天皇の威を借りた王政復古という形でスタートした。それが後に軍の独走いうものを招くが、この時点ではそうせざるを得なかったということも、小説中で書かれている。
後の日本を支えていく山県有朋、伊藤博文、板垣退助、軍人で乃木希典、川村純義などが登場する。
西南戦争は8巻の半ばくらいから始まる。桐野、篠原ら薩摩隼人に担がれた西郷、悲劇のような最後の激闘である。西郷が桐野や篠原といった兵児(へこ)を最も愛し、彼らと生死をともにしたことは、西郷をうかがい知る上で、見逃せない点である。
西南戦争の中身についての描写は一流である。
時間がない方にも、8~10巻は読むことをお勧めしたい。
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内乱(革命)を達成した後のエネルギーが行き場をなくして外征へ向かう…この歴史は何度も繰り返されており、明治維新における薩摩も同様と見える。。それを抑え込むための征韓論であり…というのが要旨。
10巻あるのでまだ西南戦争も始まっていないのだが、やや長い…
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p.219
「文明が極まれば神なきに至る。開化がきわまれば、戦争なきに至る。必ずそういう日が来るであろう。」
そういう日への道のりは、まだまだ遠そうですね…。
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「翔ぶが如く(4)」(司馬遼太郎)を読んだ。
『結局、人はその古巣に還ってくる。その古巣の中の現実にまみれ、足をとられてゆくのが人生であるのかもしれない。』(本文より)
蓋し名言である。
しかしまあ明治政府がこんだけ迷走していたとは知らなかったよ。
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【感想】
「竜馬がゆく」とは大きく異なり、現世に近いドロドロとした人間関係がエグイ・・・
大久保と西郷、2人とも日本の将来を展望していると言う意味では同じ立場かつ同じ目線なのだろうが、
それぞれの立場やわだかまりがズレを生じさせつつ、それが日本全体に波及していっている。
いくら影響力がある者同士とはいえ、国家を揺るがすくらいの問題になるのが今では考えられないなぁ。
とは言え、今は爆発寸前で一点の揺らぎもない状態で物語は進んでいる。
たまに突き合いがある程度でハラハラする事もなく、少々読んでて退屈になってきた。
【あらすじ】
西郷に続いて官を辞した、もとの司法卿・江藤新平が、明治七年、突如佐賀で叛旗をひるがえした。
この乱に素早く対処した大久保は首謀者の江藤を梟首に処すという実に苛酷な措置で決着をつける。
これは、政府に背をむけて、隠然たる勢力を養い、独立国の様相を呈し始めている薩摩への、警告、あるいは挑戦であったであろうか
【内容まとめ】
1.征韓論の衝突は、西郷・大久保という両大関の衝突
2.大久保だから、行き詰まらずに彼流儀の日本国を作り上げるかもしれない。
その時はその時で、自分は故山で朽ち果てるだけのことだ。
西郷は気長に物事を見ていた。
3.征韓論は、所詮近衛軍人や士族たちの憤りのはけぐち
西郷としては、これ以上抑え続ける自信がなかった。その征韓論を、大久保が蹴った。
【引用】
p12
「思うて一なれば敵なし。」
若い者に、自分は何事かをしようと思うがどう心がければいいかと問われ、西郷が答えた言葉。
卵を抱いているメンドリの心境。
どんなにうまそうな餌を近づけても、また脅しても、メンドリは見向きもしなければ逃げもしない。
また猫がねずみを狙う境地も似たようなもの。
元来、猫というのは物事に過敏な動物なのだが、ひとたびねずみを狙う時は恐れもせず他を振り返ろうともしない。
p21
西郷の思惑
10年もすれば、大久保のあの専制的なやり方は行き詰まる。
そのとき東京から自分を呼びに来るだろう。
しかし一面、大久保ほどの男のことだから、行き詰まらずに彼流儀の日本国を作り上げるかもしれない。
その時はその時で、自分は故山で朽ち果てるだけのことだ。
気の長い政略計算があっただけに、佐賀士族がこぞって乱を起こした時に、「しまった」と失落感があったと思える。
p82
西郷と薩摩人という存在がなければ、江藤は死刑にもならず、まして「晒し首」されなかったに違いない。
p171
「海老原に聞けばどうか?」
と、高橋がいうと、村田は一笑に付した。
「そういう人間に聞いたところで仕方がない。」
物事というのは、人間の料簡によって見方が違うのだ。
海老原ごとき小器量の人物に聞いたところで何になろう?
「征韓論の衝突は、西郷・大久保という両大関の衝突である。」
p185
東京政権が確立したのは、廃藩置県のおかげである。
それを可能にしたのは薩摩系近衛軍人で、彼らは政府に騙されたとはいえ、その功績は大きかった。
しかし彼らはことごとく政府に対して激怒している。
大久保は、性格上それに対して冷然としている。
西郷はその大久保の態度に、配下の近衛軍人と同様、憤りを覚えただろう。
その西郷が、近衛軍人や士族たちの憤りを他に向ける為に征韓論を持ち出した。
西郷としては、これ以上抑え続ける自信がなかった。
その征韓論を、大久保が蹴った。
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感想は変わらず。
ただ、江藤の死と征台という二大事件が多少読む速度を上げる。
後者のお粗末ぶりは、同じ日本人として悲しくなるばかりである。大事なのは文明である。
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西郷隆盛がいかに、明治維新の中で英雄だったかという点が事細やかに書かれている印象。この巻では、主に薩摩藩の志士の不満を解消するために、台湾に出兵する過程の話がかかれていた。幕末~明治維新の歴史の流れが頭に入っていないとちょっと文章中の事柄を理解するのは辛いかな。逆にその部分に興味を持ったりもする。こうして文章を読むといろんなことが知りたくなってくる。(そんな時間はあまり無いけれど)。感想はこんなところです。
Posted by ブクログ
西郷隆盛さんが明治6年の政変で下野して、鹿児島につくった私学校は、かなり政党的色彩の強いものだったみたい。
てか、この頃は本当に行政が一部の薩長土肥の元下級士族に「私」されて、本当にズブズブだったんだね。
それと、征韓論はダメなのに征台論はOKって、対外的にも対内的にも何も言わずに4千人近い「軍人」を他国へ押し込ませるってダメだと思う。
明治初期ってのは、過激派サークルのノリで全体を見れない(見る立場にもない)兄ちゃんたちが勢いで政権を倒しちゃって、それまで手にすることができなかったお金と地位と高級な女性たちに入れあげてただけの時代だったのかもね~。
長く続いた江戸時代・徳川幕府の残像でしばらくは保っていたんだろうな~。
これじゃあ、昭和の戦争も流れだったろうな~。
Posted by ブクログ
西郷と共に征韓論を唱え、大久保と敵対した江藤新平が佐賀の乱を引き起こします。これに対して大久保は、いち早く政府の権限を掌握し、江藤をさらし首にするという過酷な処置を下します。
その後、鹿児島に帰った西郷の暴発を恐れる大久保や西郷従道らは征台論に傾き、日本の国情や国際情勢に対する分析を怠ったまま、台湾に派兵するに至ります。
大山綱良や村田新八といった周辺人物への目配りがおこなわれているのですが、本筋のストーリーはなかなか進みません。西郷たちの人物像を解き明かすことに著者が情熱を注いでいるのは分かるのですが、小説としては若干退屈に感じてしまったところもあります。
Posted by ブクログ
第3巻は3週間ほどかかってしまったが、本巻はトータル4時間ほどで一気に読み切ってしまった。いや、普通は小説というものはこうして一気に読むべきものなのだろう。
本巻では、西郷隆盛の動きに特段の進展はない。ずっと薩摩にいて狩りに明け暮れている。せいぜい、私学校のボスに据えられたくらいである。その代わりに、時間潰しをするかのように征台論が急浮上。あれだけ西郷隆盛の征韓論を否定していた大久保利通と西郷従道が、旧士族の不満を発散させるため、として台湾への攻撃を思いつくのである。もちろん2人とも西郷隆盛を意識してと行動なのだが、非常に矛盾だらけの行動である。この辺りが政治史の面白さか…。
興味深く感じた点を幾つか…。二つとも藩に関するもの。どうも私は藩のカラーなどを論じた文章に興味を示すらしい。現代でいう、県民性に共通するものなのだろう。
・島津家は日本で最も古い大名だったが、江戸末期から人材登用が活発になっていた。この点、大名家として古い仙台の伊達家が牢固とした門閥主義をとって幕末には鈍重な動きしかみせなかったのと対照的。
→人材登用の大切さが分かる一文である。これは現代では企業に相当するのだろう。実力主義を採用する企業と年功序列を頑なに固執しようとする企業、どちらに軍配が上がるかは自明の理。
・どういう訳か、長州藩は代々凡庸揃いで一度も英気溌剌とした藩主を出さず、また自分に個人的忠誠心を強いる自我の強い藩主も出さなかった。これらの事情がこの長州藩を独自なものにした。
→なるほど、確かに毛利の殿様って、中世の毛利元就や輝元くらいしか思い当たらない。幕末の毛利敬親は名前こそ知っているものの、印象に残らない。しかし、そのお陰で下級藩士たちの伸びしろが出来たのだろう。
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昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。
坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
ネット上での解説を少し転載します。
明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
誰もその意見には反対しなかったという。
ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。
西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。
薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
その者に一切の業務を任せてしまう。
次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。
日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。
日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
細かいところまで口を出す殿様は
家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。
でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。
古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)
私も大きな組織で働いているが
トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!
1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。
いや〜〜長かった。
面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。
「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。
新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。
本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
と思ってしまいました。
[読んで思ったこと1]
本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。
しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。
[読んで思ったこと2]
西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。
当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。
一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。
両者が激突するとどうなるのか。
短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・
古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。
いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。
仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。
この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。
Posted by ブクログ
2回目
やっぱりおもしろい。
筋の通ったシンプルでわかりやすい人ほど世間的な行動はややこしいもんやなあと。
文字で読むとかっちょいい人たちも現実に接するとややこしいんちゃうかなあ?とおもいました。
Posted by ブクログ
西郷という巨人を中心に日本が歴史を転がっていく。
数多い明治の偉人を巻き込む西郷という人は本当にでかい。
やれやれ、スケールが大きすぎる。
現代にいれば良いのに。。
Posted by ブクログ
後半、にわかに征台論がクローズアップされ、西郷従道により強引に実行される。西郷どんは鹿児島に篭もり、政府に無言の脅威をあたえつづける。大久保利通とは征韓論で袂を分かち下野したのだった。この西郷兄弟について、長州人は全く理解できないとあきれ果てるばかりなのだ。薩摩人にも理由はある。江戸幕府が無血開場したことにより、江戸を焦土にすると振り上げたこぶしの下げ場所が無くなってしまった。この有り余るエネルギーのはけ口にされる隣国はたまらない。
行動があまりにもストレートすぎはしないだろうか。思考では理解できても感情が抑えきれないという場面は確かにある。確かにあるのだが、それでいいのかと苦笑せざるおえない。彼らの不満が政府に降りかかることを恐れ、大久保もこの案を了承するのだった。