【感想・ネタバレ】翔ぶが如く(六)のレビュー

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Posted by ブクログ

西郷の唱えた征韓論は知っていたが、征台論は知らなかった。それもまさか征韓論を反対した大久保利通が征台論を唱えたというのは、その時代背景の複雑さを物語っている。例えそこに事情があったとしても、やはり民衆から見れば太政官に対する信頼を失うことになりかねない。
大久保は西郷のことを考え、そして、薩摩士族の不満を少しでも解消させる手段として負の影響を少ないと考えた台湾出兵を考えた。しかし、結果的にはそのこと自体が士族の不満を増大させることになる。

一貫性の無い政策はいつの時代も国民の信頼を失う。

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2010年03月08日

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士族の不満がたまる中、薩摩の立ち上りを恐れる政府は、この場合、大警視川路は、長州に密偵を送り、まずは長州の士族壊滅を狙う。薩摩と協力されることを恐れているためである。ところが、熊本における神風連が先に行動を起こした。のちの神風連の乱として知られる。

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2009年10月07日

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改めて司馬遼太郎さんの文学力・文章力には脱帽します。司馬さんはこの様な小説を書く時には資料を徹底的に調べて書いたそうです。それに、司馬さんの素晴らしい事は、読者に時代背景をキチンと説明していてくれている所です。時代背景を分かってから、時代を読まないと、その時代の人は分からない。司馬さんの言う事が最もだと納得した巻です。西南戦争がおこる序章の乱が何故起きたか、その根底にあるものを分かりやすく、そして深く書いている巻にまとまっています。

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2009年10月04日

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「尊王攘夷」のスローガンで始まった筈の倒幕運動から、明治維新が為ってみたら、幕末からの開国方針が何も変わっていないという、この歴史の流れが、長らく釈然としなかったのだが、これを読んで、漸く腑に落ちたというか――当時の士族達も釈然としなくて、だからあちこちで士族の反乱が起きて、最終的に西南戦争に至ったのね、と。しかし、旧支配層の武士は既得権益を取り上げられ、庶民は税金やら兵役やら負担が激増した、この明治維新という大改革が、よく破綻・瓦解しなかったものだという、新たな疑問が湧いてきた。

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2023年09月10日

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この第六巻は西南戦争の勃発する1年前の明治9年が描かれているが、前半は地方官会議や島津久光について書かれている。後半は太政官への不平不満を抱く士族たちが、ついに立ち上がり熊本で「神風連の乱」が爆発する。

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2018年01月15日

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神風連が決起し事が起こった。
いよいよ西南戦争に向かって動いてゆく。
反太政官思想の波が大きくうねり出したと言って良いだろう。
歴史的には西南の役が大きく取り上げられるが、その前夜、反太政官思想の有志たちがどのようにしていたかなどがよく分かる。
後の日露戦争などで後世に名を残す、児玉源太郎や乃木希典、野津道貫の兄、野津鎮雄の名前なども出てくる。
神風連の決起が西南戦争への弾みになったことは確かであろう。

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2015年11月20日

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明治維新直後の不安定な時代を描いている。
征韓論から西南戦争にいたる5年間が舞台。
西郷隆盛を始め多数の人物のエピソードと緻密な時代考証にその時代を知る思い。

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2013年08月25日

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後半突入第6巻。全体的にはやや停滞気味ですが、ラスト100ページの神風連の乱は映画のような迫力です。純粋暴力から派生する殺戮は鬼気迫るものがあります。

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2013年02月09日

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やっと6巻まで読み終えました~
字が小さくて多いので時間がかかるのと、電車の中では老眼に辛いです(^^;
萩の前原一誠が川路警視の放った密偵に騙されるあたりは悲壮感が漂っていましたね。
続いて7巻に突入します。なんとか夏までには読破できそうです(笑)

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2011年06月14日

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全巻通読後のレビュー。

全10巻という超大作であるが、もともと毎日新聞に連載された小説であるから、多々同じ記述が見られる。

しかしながら、明治維新後の日本の姿を鳥瞰的手法で世界史と関連付けて論じられている点で、日本近現代の始まりを理解する際の基礎理解には最適の入門書であると考える。

島津久光という超保守派の考え方から、維新を支えた革新派の面々の考え方が手に取るように分かる小説である。重要なのは士族の不満、百姓の不満がどのようなものであったか、であるが、それもこの小説では網羅されている。


物語は維新開始直後から、西南戦争(明治10年)を経て翌年の紀尾井坂の変(大久保の死)、さらに川路利良の病没までを描く。

明治維新は天皇の威を借りた王政復古という形でスタートした。それが後に軍の独走いうものを招くが、この時点ではそうせざるを得なかったということも、小説中で書かれている。

後の日本を支えていく山県有朋、伊藤博文、板垣退助、軍人で乃木希典、川村純義などが登場する。

西南戦争は8巻の半ばくらいから始まる。桐野、篠原ら薩摩隼人に担がれた西郷、悲劇のような最後の激闘である。西郷が桐野や篠原といった兵児(へこ)を最も愛し、彼らと生死をともにしたことは、西郷をうかがい知る上で、見逃せない点である。

西南戦争の中身についての描写は一流である。

時間がない方にも、8~10巻は読むことをお勧めしたい。

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2009年11月01日

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司馬遼太郎に初チャレンジした作品。が、10作もあり読むのに2ヶ月超もかかってしまったww
舞台は戊辰戦争後の明治初期。西郷隆盛を大きな軸として揺れ動く日本政府の動向をあらゆる人物の観点から追っている。よくもここまで調べたなって感心してしまう

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2009年10月04日

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熊本、神風連の乱に関する描写が主題。
一転して、反政府運動家側の活動内容が時系列で各団体の思想の相違点などを比較しながら、詳細に記述されている。
島津久光の読書ふり、春秋左氏伝、資治通鑑、史記、十八史略。国家の興亡の摂理がよくわかる。
長井雅楽の航海遠略、幕末における佐幕派の国策案としては歴史的な名
西郷の人柄、親族の臨終直後でも、主治医に対して、丁重に落ち着いた礼を言った点で、
人に対して、常に丁重であったことをうかがわせるエピソード。
旧会津藩士永岡久茂、反政府指導者の中でも、優れた世界観と、人間としての魅力、力量を持っていた人物。目的意識も明快であった。
当時の警察の密偵調査の徹底振り。幕府時代からの継承もある。既にこの時代から、ウラ取ってから、戦略を練る情報戦は始まっていた。
札幌にビール製造所、人民にビールを飲む習慣を付けさせ、開化の気分を普及させる政策。
政府は国の制度作り・外交・軍備の他に、人民の教育・指導も施さなければならなかった。
革命政府としては、多忙を極め、多くの脱退者がいながらも、正否はともなかく、なんとか政府を維持し続けられたという事は、
木戸・大久保等の高官だけでなく、その他官吏の個々の資質や意識も相当高かったのであろうことが伺える。
その事は、小説の中でも、あまり知名度はないが、有能な行政者らがその具体的成果と共に頻繁に紹介されていることでも
分かる。(熊本県令安岡良亮等)
秋月党と神風連党、その後の右翼の原型。
前原一誠、まじめで純朴で、親孝行。典型的な日本人の優等生。だが、萩の乱という反政府活動の首領になれるタイプの人間ではなかった。
渦中、常に精神が動揺してしまい、取り乱している。秩序の中で、力を発揮するタイプ。
反乱の首領になれる、人の上に立つ人物とは、いざ事を決定したら、それに向かって一心不乱に行動し、
自分の心の中で乱れを起こさない、鈍感になれる人物でなけれなばならない。
薩摩人は幼少のころから「議ヲ言フナ」という教育を受ける。理屈をこねたがる人間はその性癖そのものをもって不道徳とされるという他郷にはないモラルの基準がある。








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2009年10月04日

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どちらかというと伏線の話。
西南戦争に向け着々とした動きが描かれている。

当時も今も人間の本質は変わらない。
一部の有能なものに使われるのが大多数の人民と言うのはわかる気がするなぁ。
それを取り違えた平等精神が今の日本じゃないだろうか。

リーダーはなるべくしてなるもの、単に年功序列じゃダメだよね

強烈な思想に基づいた行動、してみたいものだ。

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2009年10月04日

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神風連の乱までのストーリー
あっけなさが伝わるようにこのシーンは数10ページで完結してしまったが…
ここまできたのでなんとか読み切りたいが、勉強になると思いつつ少し単調…
坂の上の雲で出てくる児玉源三郎や乃木希典とか出てきたのがおっ!ってなったくらい

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2024年05月15日

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ネタバレ

p.257
「おれの説が変わったのではない。進んだのだ」

意見がコロコロ変わると言われたら、この言葉を使ってみようと思います。

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2020年04月16日

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「翔ぶが如く(6)」(司馬遼太郎)を読んだ。
『要するに、神風連ノ乱は日本における思想現象のなかで、思想が暴発したという点では明治後最初のものであった。』(本文より)
と言われてもなあ。そもそも「神風連ノ乱」そのものを知らずにこれまで私は生きてきたのだよ。
西郷どんいまだ動かず

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2018年07月06日

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本筋を見失うほどの、余談のオンパレード(しかも重複多い)。
もちろんスピード感などまったくなく、唯一神風連の乱の描写だけは多少なりともスリリングだった。
変わらない構造に辟易。

しかし、これは、それぞれが独立したコラムなのだ、と思うようになってから、遅滞がなくなった。

また、もともと西郷の人格に興味があり手に取ったが、読み進むに連れて、本当にえらいのは大久保だったのではないか、と思うようになってきた。
彼の沈黙と実行、忍耐はなみではない。

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2018年04月25日

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静かなる西郷。
明治に入り、様々な思想が沸騰直前のようだ。
まるで富士山が噴火しそうでしない感じの日本の状態が書かれている。

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2018年01月10日

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ネタバレ

士族の魂ともいうべき刀を帯びることを禁じる廃刀令が施行され、旧士族の不満は爆発寸前。そんな中、熊本で神風連という組織が熊本の鎮台府を襲うという反乱が起きるのが話の筋。ここから明治最大の内乱西南戦争へどうつながっていくのか?。読むたびに、自分の歴史認識の無さに辟易するが、続けて読んでいきたいと思う。

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2017年05月12日

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この巻は西南戦争が起こる1年前の明治9年をメインに描かれていました。

島津久光さんについても詳しく書かれていたよ。
この殿さま(って藩主になったことはないけれど…)の超エラそうな立ち位置をいつも不思議に思っていたので、その点がとても興味深かったです。

今回は西郷さんや大久保さんの動きはほとんどなかったけれど、太政官に不満を抱く士族たちの怒りが火を噴き始め、熊本で神風連の乱、そして長州で萩の乱が起こるところまででした。

これらは政治的ポリシーがないとか、他力本願的無計画だったりしていて、明治維新もそうだけど、頭が良くて全体が見渡せるようなタイプは暴力で事を起こそうとはしないのだな…と思いました。

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2016年11月02日

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ネタバレ

まだつまらない。けど、次回、西南戦争がはじまりそう…!?西南戦争前夜のきな臭い時期の日本の空気が伝わってくる。



 藩閥政治に辟易し始める頃合い。結局いつの世も、政権は嫌われる。それは今の世も。

 一番狙いのは、自分の生きる時代を、自分の理想のために、全力で生き抜く人間たちである。

 それにしても、昔も今も、前原はカッコ悪いなぁ。

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p24 薩摩の農民
 薩摩藩は他の土地と違って、富農がいない。他藩では農業生産が飛躍的に伸び、富農が生まれ読書階級になったが、薩摩では戦国時代から変わらず藩によって厳しい搾取が行われてきた。それゆえ薩摩の農民は教育を受ける時間が無く、軽侮されてきた。
 薩摩の士族にとって農民とはそういう存在である。それゆえ明治の薩摩人もその程度にしか市民をとらえていないから、民主主義などあり得ないと考えていた。

p38 植村正直の後は進歩無し
 明治初年に植村正直が実施した開明的な政策以後、彼がやめて半世紀近く京都では正直以上の前進はなかった。それほどの手腕を持つ男だった。
 しかし、それゆえ市民議会など信用しない男だった。

p53 島津久光への厚遇
 島津久光は結局、薩摩藩では置物だった。しかし、新政府では左大臣に任官するなど異例の厚遇を受けた。藩政でも政治実績は皆無だったが、薩摩藩主として保守派の頂点におり、政府転覆の頭目におかれかねない危険人物だった。敵に担がれるくらいなら、新政府の管理下に置けるよう異例の厚遇を与えられたようである。

p62 西郷は復帰させよ
 久光は三条実美と岩倉具視に「西郷・大久保の免職」をもとめていたが、明治7年頃、征韓論を取りやめ薩摩に帰臥した西郷にたいして「容易にはできがたいだろうが、これを復職させよ」という請願を出している。大久保よりは西郷の方が保守的だと感じたのだろう。ただ、これも取り上げられることはなかった。

p82 河野は卑怯
 木戸曰く、征韓党・封建党・民権党みな十巴一絡げに単なる不平家である。という。その持説を半年間も維持させられない、ただただ不平しか言うことしかできず、芯のある対抗論をぶつけられる奴もいない。と。
 特に佐賀の乱で裁判官に任官された河野敏鎌をあげる。河野は大久保に任官され、民権的思考を持った江藤新平を裁き首をはねた。しかし、その一年後には板垣と一緒になって民権論を吐いている。
 不平のために転身を軽々として、卑劣極まりないという。

p157 会津の恨み
 会津は薩長を憎む。
 幕末、薩長は徳川慶喜の首をあげて新時代の到来を天下に知らしめようと画策していたが、当の慶喜が簡単に恭順してしまい、人柱を失った。
 そのかわりに会津を人柱にした。というのも、幕末の京都で新選組とともに市内巡査をした会津藩士に恨みを持つ長州藩士がたくさんいたからである。
 
p203 萩の乱をハメる
 萩の乱の首謀者:前原一誠は大久保や川路に泳がされていた。
 長州人のことは新政府の長州人に任せる方が反感を買わない。下手につつくより、早期蜂起を誘導し早期誅滅を目指した。そこで、前原は薩摩の西郷に連絡を取ると考え、大久保は密偵をもぐりこませ偽の西郷からの密書を前原に届けた。

p204 密偵
 川路利路による密偵政治が明治初期の歴史を陰惨なものにした。とはいえ、密偵のしくみは江戸中期からある。奉行所の人員不足を補うための、岡っ引きなどがそうだし、井伊直助の安政の大獄も密偵の公安調査がなければできなかった。

p217 長州軍人は金に汚い
 長州奇兵隊の幹部だった奴は金に汚い。奇兵隊の幹部は給料をだいぶ不正に多く得ていたようである。その気質は新政府の軍幹部になってもかわらず、山形有朋などは山城屋事件という大汚職事件を起こしたりした。

p252 江華島事件
 明治9年、江華島事件が起き、黒田清隆全権のもと日朝修好条規をむすび不平等条約を獲得し、朝鮮を開国させることができた。
 これによって征韓論は不要になり、浮いた対外戦力を国内平定に動かすのではないかという流説が広まった。

p254 廃刀令
 明治9年3月28日に布告された廃刀令は旧士族に強い衝撃を与えた。武士のアイデンティティを捨てることは今では想像を絶する衝撃だったようである。これが、神風連や萩の乱の決定的引き金といえるほど。
 新政府は東京ではすでに文明開化が進んだことを根拠にこの法律制定に踏み切ったようだ。武士たちは、帯刀がダメでも手で持っているならいいのだろうと、屁理屈で抵抗した。

p260 ワシントン
 ワシントンは独立革命を実らせた後、すべての栄職を捨て、マウント・ヴァーノンに退陰し百仕事にふけったそうな。それから4年後、ワシントンは乞われて米国初代大統領として政治に復帰した。
 明治維新の革命後、退隠し畑仕事にいそしむ姿は西郷隆盛と重なる。

p305 日本の文化大革命
 明治維新後の廃仏毀釈運動、これは日本の文化大革命と言えるかもしれない。神社の神官は寺院の仏像を投げ捨て焼き払った。罰が当たることを恐れた農民たちの嘆願も無視し、「それが迷信なんだ」と吐き捨てた。
 どこの革命にも、革命に加担することで自分が時代の最先端に立っているという昂揚をもとに、自分の正義を推し進めることこそ人のためになると理性を失う者がでるのだな。

p323 神事と神意
 熊本:神風連(敬神党)は国学と神道を教育の中心にした肥後藩の派閥である。
 彼らの理念は神道に拠っている。宗教を盾に政府転覆をはかった。

p344 神風連のせいで
 神風連の乱が西南戦争誘発の原因と言える。
 また、神風連が熊本城を軽く落とした。それほど熊本鎮台は弱かったのだが、それを参考にした西郷は、西南戦争において一直線に東京を目指さず、手始めに熊本を落としに行く。
 しかし、強くなっていた熊本鎮台にてこずり、失敗したといえる。
 神風連のせいっちゃせいだ。

p352 児玉源太郎
 当時24歳の児玉源太郎が熊本鎮台に駆けつけ、神風連の乱を鎮圧した。このころから児玉は一目置かれていたようだ。
 さて、この翌年の西南戦争で乃木希佐も登場する。各作品がつながっていく感じ。

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 我慢の時がこの巻で終わりそうである。次回から、胸熱の展開が予想される。

 しかし、西南戦争の原因となるこの時代、しっかりと解説してもらったので西南戦争も表面的な楽しみ方だけじゃない、味わい方ができるだろう。…かな。

 
 思ったより、藩閥政治への嫌悪感が薄かったな。木戸孝允の言ったように当時の人間はただの不平家なだけだったから、あまり響かないのかな。

 少佐の名言が思い出される。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ。それが嫌なら目と耳を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ。それも嫌なら…」

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2015年02月05日

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今回は、西郷の私学校以外に、当時の不平士族たちが期待を寄せていた島津久光、前原一誠、熊本の神風連が扱われます。

守旧派の頭目とされた島津久光は、大久保を憎みながらも自身が反乱の指揮を取ることなどは露ほども考えておらず、前原一誠は独自の思想もなく川路利良の放った密偵にそそのかされてしまい、神風連は神託にしたがって戦略もないまま挙兵します。

いずれも、西南戦争と同じく新政府に対する反乱でありながら、西郷とは異なる立場を取っており、その対照が鮮やかに描かれています。

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2015年01月20日

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神風連立つ
著者曰く「この神風連騒動は、全国一般の士族感情を刺激した。士族であるかぎり、神風連を粗暴凶悪の徒として憎んだものはおそらく、ひとりもいないであろう。維新以降、廃藩置県、廃刀令等いわば全ての権利と権威を失った」

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2014年09月16日

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西南戦争勃発に影響を与えた、士族集団の乱を取り上げている。

一種の宗教•思想集団に近い、各種組織。

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2013年12月29日

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昨年、司馬遼太郎の「坂の上の雲 全8巻」を読みました。

坂の上の雲の中ですごく気になったのは、司馬遼太郎が描く薩摩藩型のリーダーシップ。
ネット上での解説を少し転載します。


明治時代も終わりに近づいた頃、ある座談会で、明治の人物論が出た。
ある人が「人間が大きいという点では大山巌が最大だろう」と言ったところ
「いや、同じ薩摩人だが西郷従道の方が5倍は大きかった」と反論する人があり
誰もその意見には反対しなかったという。

ところが、その座で、西郷隆盛を実際に知っている人がいて
「その従道も、兄の隆盛に較べると月の前の星だった」と言ったので、
その場の人々は西郷隆盛という人物の巨大さを想像するのに、気が遠くなる思いがしたという。




西郷従道(つぐみち)は「ウドサァ」である。薩摩藩(鹿児島)の典型的なリーダーの呼ばれ方である。
本来の語意は「大きい人」とでもいうようなものだ。
従って、西郷隆盛などは、肉体的にも雄大で、精神的にも巨人であるという点で、
まさに「ウドサァ」を体現した男であると言えよう。

薩摩藩型リーダー「ウドサァ」の手法は二つある。まずは最も有能な部下を見つけ
その者に一切の業務を任せてしまう。
次に、自分自身が賢者であろうと、それを隠して愚者のおおらかさを演出する。阿呆になりきるのだ。
そして、業務を任せた有能な部下を信頼し、自分は部下が仕事をしやすいように場を平らげるだけで、後は黙っている。
万が一部下が失敗するときはさっさと腹を切る覚悟を決める。これがウドサァである。



日本人はこのリーダーシップのスタイルに対してあまり違和感を持っていないと思う。

日本の組織のトップはリーダーというよりは殿様なのだ。殿様は知識やスキルではなく人徳で勝負。
細かいところまで口を出す殿様は
家老に 「殿!ご乱心を!」とたしなめられてしまう。

でも、このリーダーシップのスタイルは世界のスタンダードではないと思う。
世界の卓越したリーダー達で「ウドサァ」みたいなスタイルだった人を私は知らない。
スキピオ、ジュリアスシーザー、アレキサンダー大王
ナポレオン、リンカーン ・・・ ビルゲイツもジョブズも孫正義も
部下に仕事を任せはするが、後は黙っているなんて事は絶対にない。

古代中国の劉邦と劉備は「ウドサァ」かもしれない。(だから日本で人気がある?)

私も大きな組織で働いているが
トップに非常に細かいことまで指示される事を想像すると辟易してしまう。
そのくせ、「トップの方針が明確でない」みたいなことを言ってみたりもする。 どないやねん!


1年以上かけて、ようやく全10巻を読破しました。

いや〜〜長かった。
面白かったけど、やっぱり長いよ司馬さん。

「翔ぶが如く」本線のストーリーは、征韓論から西南戦争に至るまでの話なんですが、水滸伝のように、周辺の人物の描写や逸話に入りこんでしまって、本線のストーリーが遅々として進まない。。

新聞小説の連載だからなのかもしれないが、ふだんノンフィクションの実用書ばかり読んでる身としては、かなりじれったかった。

本線のストーリーだけ書けば、半分ぐらいの頁数で済むのでは?
と思ってしまいました。

[読んで思ったこと1]
本書を読み「薩摩藩型のリーダーシップ」について理解するという当初の目的は果たせませんでした。
著者にとっても、西郷隆盛という人物は、スケールが大き過ぎて掴みどころのない存在のようでした。特に征韓論以降の西郷隆盛は、現在の我々からは訳がなかなか理解し辛い事が多いです。

しかし、リーダーシップとは何かという事について、いろいろと考える事ができました。昨年一年間かけて考えた、私なりのリーダーシップ論は、後日別のエントリで纏めようと思います。

[読んで思ったこと2]
西南戦争は、西郷隆盛を担いだ薩摩藩の壮士と、山縣有朋が徴兵して編制した政府軍との戦いでした。

当時の薩摩藩は古代のスパルタのような軍事教育国家であったため、壮士達は世界最強の兵士とも言える存在でした。
しかし兵站という考え方がほぼ皆無に近かった。

一方で政府軍の鎮台兵は百姓出身者が大半であり、本当に弱く、戦闘となるとすぐに壊乱してしまう有様でした。
しかし、山縣有朋の綿密な軍政準備により、予備兵・食糧・弾薬などの後方支援が途切れる事は無かった。

両者が激突するとどうなるのか。
短期的には薩摩藩が圧倒的に有利なのですが、戦いが長期的になつてくるとジワリジワリと政府軍が有利になってくる・・・

古代ローマ帝国とカルタゴのハンニバルの戦いを見るようでした。

いや、普段の仕事についても同じ事かなと思いまして。

仕事でも、短期的に物事をガーと進められる人に注目が集まりますけど、さまざまな兵站をキッチリ意識して、長期的に組織的に物事を動かせる人の方が最終的な結果に結びつくのかなと。

この間、絶好調のアップルの決算発表がありましたが、今のアップルの収益性を支えるサプライチェーンとロジスティクスの仕組みを確立したのは、現アップルCEOのティム・クック氏だとの事。

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2013年08月29日

Posted by ブクログ

熊本神風連の乱を中心に、西郷隆盛を担ごうと各地の落ち武者が立ち上がる。
武士の世の中から、近代化するために、武士を排除する必要があったと思われる。「維新前より維新後の方が難しい」そんなことを感じさせるこの小説から、この3年の民主党政権の成れの果てが重なって見える。

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2012年09月15日

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明治維新という大きな流れのなかで、小さな動きが頻発し、それが徐々に時代の動きになる。

いやー歴史は深い。

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2011年10月27日

Posted by ブクログ

主要人物が、宮崎八郎、島津久光、前原一誠と目まぐるしく変わり場面転換する。そして終盤、神風連ノ乱が起こる。
たぶんこれまでの話は西南の役への長い助走なんだと思う。

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2011年05月19日

Posted by ブクログ

薩摩人は幼少のころから「議ヲ言フナ」という教育を受ける。理屈をこねたがる人間はその性癖そのものをもって不道徳とされるという他郷にはないモラルの基準がある。

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2009年10月04日

「歴史・時代」ランキング