太平洋戦争が勃発する直前、南洋サイパン島を舞台にスパイ活動という密命を帯びた主人公の活躍や生き方に焦点を当てながら、軍人や島民の姿、南洋社会の様子などを描いたスケール感あふれる長編小説。
主人公・麻田健吾は東京帝国大学を卒業して英語教師になったが、持病の喘息が悪化し、休職中に旧友から別の就職先を提案
...続きを読むされる。提案されたのは、転地療養を兼ねた南洋庁サイパン支庁の庶務係勤務だった。だが、条件として、支庁の海軍武官補である堂本頼三少佐の手足となり情報収集する“犬”となることが課せられていた。
家族のことを考え、逡巡しながらも腹を決めた麻田は1940年11月、サイパンに単身で赴任する。
サイパンではあらゆる種類のスパイが跋扈しており、麻田は堂本少佐から、まず、鰹漁師の自殺と米国への情報提供との絡みを解明するよう命ぜられる。
真相を見事に解き明かした麻田は、その後も、夫婦になれず毒を飲んで心中した事件や別の殺人事件を調べ、その裏に陸軍のスパイや皇民を自負する人物がいたことを暴き、堂本少佐の信頼を得ていく。
一方で堂本少佐は謎めいた人物だった。無表情なエリート将校だが、留学経験があり「アメリカ側の人間では?」という疑惑も持たれていた。
第3章までは、こういった展開で、麻田の推理と謎の堂本少佐との絆を主眼に置いたミステリー小説の色彩が強かった。
だが、12月8日、開戦を迎える日から始まる第4章に入ると、麻田に危機が迫る怒涛の展開となる。そして、ラストで強烈に伝わってくるのは、麻田の「生命の軽さ」への強烈な反感、なんとしても戦争を避けたい、生き抜きたいという熱い信念だ。挙国一致で戦争至上主義がまかり通る世に、息子に対して、戦う術(すべ)ではなく生きる術を説いていた麻田の姿に崇高さを覚えた。
麻田と合い通ずる堂本少佐の人間性、チャモロ人の優秀な女性、ローザ・セイルズと麻田の間にできた信頼関係、海軍と陸軍の微妙な思惑のすれ違い、島民が日本軍に抱く感情、沖縄・本部村の漁師がサイパンに渡ってきた事情など、様々な要素が組み込まれ、リアリティーもあり、読みごたえ十分な小説だった。