山上浩嗣のレビュー一覧
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当時は教会が政治との結びつきが強く、政治扇動の書として誤解されることを防ぐため、友人のモンテーニュがラ・ボエシの死後も発表を躊躇したという書籍。
人は力や謀略により強制的に服従することはあっても、強制されずとも自ら進んで権威に服従するのは何故か。この自発的隷従のメカニズムついて様々な考察を示し、最...続きを読むPosted by ブクログ -
モンテーニュを本当に味わうにはある程度の「成熟」が必要だ。端的に言えばそれは「老い」である。『エセー』の最大の読みどころはその死生観だと思うが、本書もその点にフォーカスする。この世界に常住不変の真理はなく、自己を含めて全ては移ろい行くと観ずるモンテーニュにとって、よく生きるとは、ありのままの自然を受...続きを読むPosted by ブクログ
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「日本の状況が他人事と思えなくなる」の帯がついていましたが、一人の圧政者に云々という下りは、北朝鮮を思い起こさせました(著者はモンテーニュと刎頸の交わりがあったとのことで、引用はギリシア・ローマが多いのですが)。
圧政者一人が4〜5人を追従者として周りにつけ、徐々にそれを広げて権力基盤を固めていく...続きを読むPosted by ブクログ -
モンテーニュの時代(1500年代)に圧政者とこれへの隷従が生じるのはなぜか、その構造は何かを論じたもの。うーん、自発的隷従か、確かにその構造
があるからこそ、圧政は可能となるように思われる。今の時代のsenseを読み解く鍵になるかもしれない。Posted by ブクログ -
自発的隷従論 ポエシ ちくま
公務員でありながら
客観性に飛んだ人間論を持った人によって
1500年代に書かれた稀有な本だ
人の本質には個としての自律心と
全体の一部としての依存心が共存しているのだろう
そのどちらが表面化するかによって
生き様が変わるのだけれど
自主的参加による集いから
余剰生...続きを読むPosted by ブクログ -
西谷修氏の解説『不易の書『自発的隷従論』について』の中に「一人の支配者は独力でその支配を維持しているのではない。一者のまわりには何人かの追従者がおり、かれらは支配者に気に入られることで圧政に与り、その体制のなかで地位を確保しながら圧政のおこぼれでみずからの利益を得ている。そのためにかれらはすすんで圧...続きを読むPosted by ブクログ
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その刺激的な題名と、書かれた時代(16世紀末)とのギャップから受ける印象を全く裏切らない刺激的な内容は、その平易な訳と相俟って、強いメッセージ性を帯びたもので、一気に読み進むことが出来た。
又、本書の約半分を占める解題や解説は、その内容を読み下す助けの役割を十二分に果たしており、この手の重い本にし...続きを読むPosted by ブクログ -
とても色々なことを考えさせられる刺激的な本だった。読むことができて大変良かったと思う。
この本はとても素朴な疑問から出発している。なぜ何百人、何万人もの民衆が、数の上では圧倒的に有利なのにも関わらず、たった1人の圧政者に従うのか。
著者はその疑問を考察していき、本来自由なはずの人間が習慣の力によっ...続きを読むPosted by ブクログ -
モンテーニュがその才能を賞賛していたラ・ボエシの本を読む。なんか時代的に意外なタイトル。
色んな時代の色んな党派がこの小論を基にアジテートしてきたというのも頷ける、汎用性が高い内容。自分だったら、今の職場に当てはめて読んだ。
議論の出発点の、自由は人間の本性が求めるものということの根拠として、人間が...続きを読むPosted by ブクログ -
覚え書き。
人間はどんな物事であっても一つの気持ちを純粋に味わうことはできない。
目に見えるもの、見えないもの(感情)全て異物が混ざっている。
物事や他人からの評価をすぐに肯定したり否定したりしない。白黒つけようとしない。懐疑主義でいること。
仕事は演劇と同じ。求められた役割を演じればよい。
身も...続きを読むPosted by ブクログ -
やはりタイトルのとおりに入門内容だが、非常にコンパクトにわかりやすくまとまっているので、とても読みやすい。
これを読む前か後に、ちゃんと原著も読みたい。Posted by ブクログ -
もう大分前に、岩波文庫版『エセー』を通読したことがあるが、箴言のように感心した箇所はあったものの、引用されるギリシャ・ローマ時代のこともピンと来なかったし、全体的に良く分からないままに終わってしまった。
本書では、いくつかのテーマに即して、モンテーニュが如何なる問題関心の下に、長い時間にわたっ...続きを読むPosted by ブクログ -
自発的に隷従とは?という疑念にかられその内容について知りたく購入。
人類には本性が2パターンあり、本来の自由であること、そして習慣的に自由から自発的隷従であること、と述べられており納得がいった。人類史を振り返ると教皇や王、独裁者等多くの圧政者が必ず存在する。圧政者はその下につく民衆が自発的に隷従する...続きを読むPosted by ブクログ -
ルールやシステムを再検証する際の視点、フィルターとして有用であると思う。忘れがちな、或いはスルーしがちな観点であることは確かだと思う。が、同時に、この視点で点検されるべきものは、中共であるとか北朝とか、各省庁の事務次官以下であるとか、閉鎖的な地方議会の首長以下であるとか。その問題点を色濃くあぶり出す...続きを読むPosted by ブクログ
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主君が複数いてもなにも良いことはない。
たった一人のものでも主君という称号を得た途端に、その権力は耐え難く、理を外れたものになるのだから、ましてや複数者による支配など良きものであるはずがない。
しかしオデュッセウスはここに付け加えた。
頭でも王でもたった一人が望ましい。
冷静に考えれば一人の...続きを読むPosted by ブクログ -
さすがに古典という感じを受けた。わかりやすい言葉だが読み方はおそらく難しく、読み手にとって都合のいいフレーズだけをつまみ食いされることも多いだろう。それだけでもパワーを持つというのが、古典の力か。Posted by ブクログ
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人はなぜ、自らを害する者にわざわざ自分から従ってしまうのだろう。
という疑問をつきつめて考えてみた500年近く前の若者の論文。
「なぜ」よりも「どのように」が近い。
君主はどのように振る舞い、民衆はいかにして隷従するか。
見えるものをただ書いただけ。だから今にも通じてしまう。
ラ・ボエシは革命を...続きを読むPosted by ブクログ -
16世紀半ば、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ若干16歳もしくは18歳の時に著された小論文。啓蒙時代以前の著作であり、近代・現代思想の洗礼を受けてきた現代人にとってみれば、その「自由」概念は驚くほど牧歌的で微笑ましいものではあるが、そうだからこそ逆にあらゆる支配形態下の人々に訴えかける普遍性を持ち、本書...続きを読むPosted by ブクログ
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勢いでもって論じられる、根拠もない正論。
そこに根付くのが正義だ。
惰性と習慣は紙一重であり、自覚的にならない限り、そこからの脱却は困難を極める。いや、たとえ自覚したとしても。Posted by ブクログ -
「自発的隷従論」とはいかにもピンと来るタイトルだ。王権は民衆が隷従するからこそ成立する。人々は自ら好んで、権力に支配されることを欲する。
これはなんと、16世紀の、当時16歳だか18歳だかの若造(もしくは小僧)が書いた本である。あまり学問的でもない筆致だが、鋭いところを突いていることは確かだ。
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