穂村弘の書評集は、他の書評集より読むのに時間がかかります。
作品を論理的に読み解き、分析し、解説してくれるような書評は、私には読みやすいのですが、穂村弘は感覚の人なのです。
まず感性が受け止めたものを、感覚を通して言語化して論理化する。
その感性の部分が私には圧倒的に足りていないと、いつも痛感させ
...続きを読むられます。
俳句は少ない文字数で表現するため、何をどれだけ削除しているかを脳内で補いながら読む。
それは絵画や写真と同じく、完成の不足を論理で逆算するということで、拙いながら、なんとか理解できる…時もある。
けれども、短歌は…未だ読み方がわからない。
描写の奥に隠された思いを読み取れないのです。
どうも刺さってこない。
それを、穂村弘の書評を読みながら、オノマトペの示すところ、描写された光景の意味するところなどを、指差しながら確認していくわけです。
時間がかかるはずだ。
小説や漫画など、自分では得意と思っている分野の作品でも、穂村弘の角度で解説されると、知らない世界が見えてくるのです。
ああ、まだまだ読みが浅いなあ。ぐさぐさ。
だから、目次を読んで笑ってしまうほど、ニアミスなのです。
好きな作品、読みたいと思っている作品の、そばにある違う作品が紹介されています。
ということは、傾向は似ているんだよな。
彼によると、詩(俳句や短歌も)の特徴として、再読性があることが挙げられています。
確かに好きな小説といえど、それほど何度も読み返す作品はあまり多くはありません。
しかし、好きな詩などは折に触れなんどもなんども読み返したり、口にしたりします。
ということは、再読を是とする絵本から感性を鍛え直すとよいのではないか、と言う気になってきました。
よし、頑張ろう。