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卓越した文学案内人カルヴィーノによる最高の世界文学ガイド。ホメロス、スタンダール、ディケンズ、トルストイ、ヘミングウェイ、ボルヘス等の古典的名作を斬新な切り口で紹介。須賀敦子の名訳で。
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Posted by ブクログ
ここで紹介されている作品や解説は日本人には馴染みが薄いと思う。が、それ自体は問題ではない。 最新作のレビューではなくなぜ古典なのか、古典というものをどう捕らえるかが問題なのだ。 たしかに理解しづらくはあるが、カルヴィーノの古典に対する精神に触れられることは、日本においても素晴らしい特権である。 彼の...続きを読む気質をなぞりながら読書したいと願ってしまう。 池澤夏樹氏の善きおせっかいなカルヴィーノ擁護論。 それぞれ別個の古典作品が、読み手の中でつながって、あらたな物語を紡ぐ。 これぞ、古典多読の醍醐味! 「なっちゃん、よくぞ言ってくれました!」の拍手喝采である。
ここで取り上げられている本の殆どを読んだことがないというだけでも買った価値のある本です。いいなぁ、こういう本。知らない世界を押し広げてくれるんだから。ヘミングウェイの作品くらいは読んだことあったからそこしかまだ読んでませんが、なにか新しい作品に出会いたくなったら本書を頼りとして、ゆっくり堪能させても...続きを読むらいます。
なぜ読むのか、と言われてもそもそもなかなか手が伸びにくいものではある。あまりにも膨大で変なところに手をつければ崩れて埋もれてしまうんじゃないかと腰が引けてしまう。 そんなことはカルヴィーノも分かっている、ただ古典のほうから呼びかけ続けるものだから手をとるより仕方がない。ここで紹介される様々な古典は...続きを読むしたがって、書物のそれぞれの気候と眺望から描かれる。 彼の「見えない都市」と同じような手触りで、読めるようで読めないが、非常に楽しませてくれる。ぐいぐい手を引っ張りながらそれぞれの書物を訪問させてくれる。 訳者あとがきで述べられてるようにごつごつとわかりにくいところも多いけれども、また、古典の入門書でもまったくないが、読むことの愉しみがしっかりと詰め込まれている。 っていうか、訳者が須賀さんなのはわかってたけど、その上に池澤氏まででてきちゃうんだから、はぁ、僕のこの文章はそのうえのお節介なんてことになってしまうじゃないか。
カルヴィーノはイタリアきっての知識人。彼の前には偉大なイタリア文学者、作家がいて、彼はそれを担わなければ行けないと自覚していたのか必然とそうなったのか、彼は特異の冷静さを持って文学に向かっているような気がする。その冷静さが、レビューという形でも現れているがしかし、私が知りたいのはあなたのことなのだ。...続きを読む他人について語りながら自分について語るような狡猾さが欲しい。紹介など、二の次だ。
カルヴィーノと須賀敦子の組み合わせはいい感じ。 訳者自身が後書に書いたように、これらの文章を遺してくれたお二人に心から感謝する。
最初に出てくるカルヴィーノの定義した「古典とは」を何度も噛み締めながら読む。シンプルに見えるが、行動に移すのが実は難しかったりもする。 特に好きだったのは以下の4フレーズ。 ・古典とは、最初に読んだときとおなじく、読み返すごとにそれを読むことが発見である書物である。 ・古典とは古代の護符に似て...続きを読む、全宇宙に匹敵する様相をもつ本である。 ・「自分だけ」の古典とは、自分が無関心でいられない本であり、その本の論旨に、もしかすると賛成できないからこそ、自分自身を定義するために有用な本でもある。 ・古典とは、他の古典を読んでから読む本である。他の古典を何冊か読んだうえでその本を読むと、たちまちそれが「古典の系譜のどのあたりに位置するものかが理解できる。 以上 自分だけの古典、なんて素敵だよなあ、本との対話という言い方をするけど、自分の鏡になる体験は素晴らしいと感じた。 カルヴィーノが取り上げている個々の古典は読んだことがあったりなかったり。読んだことない本は正直あまり頭に入ってこない。でも、もう一度、古典とは、に戻るとおぼろげながら理解できた気になる。
イタリアの作家イタロ・カルヴィーノが、文学について雑誌などに書いた文章が死後まとめられたもの。須賀敦子が訳している。須賀敦子が訳している小説ではない本を読んでみたかったのが、この本を読んだ理由の一つなのだけど、もともとのイタリア語の文章がそうだったのだろうけど、須賀敦子自身があとがきで書いているよう...続きを読むに、ごつごつして読みにくい文章も多かった。 表題作の「なぜ古典を読むのか」に始まり、取り上げられているのは、オデュッセイア、アナバシス、オウィディウス、スタンダール、バルザック、ディケンズ、フロベール、パステルナーク、トルストイ、マーク・トウェイン、ボルヘス、パヴェーゼと多岐に渡る。カルヴィーノの読書量には驚かされる。ものすごい。例えば、プリニウスの「博物誌」について書かれた「天、人間、ゾウ」の章を読むと、カルヴィーノは「博物誌」37巻全部を読んだことがわかる。私は、(プリニウスによると)「人間にもっとも近いのはゾウだからこれを精神的な手本にすればいいという。」などと書かれたこの章をおもしろく感じた。 その他では、「オウィデウスと普遍的なつながり」の章の「イアソンとメデアの物語は、そのまま『マクベス』に用いられる」という部分、「ホルヘ・ルイス・ボルヘス」の章で、ボルヘスが「私たちにとってもっとも大切なテクスト」であるダンテについてボルヘスが情熱をもって研究しつづけたことに(イタリア人として)感謝を表明したいと述べた部分などが印象に残った。 「なぜ古典を読むのか」の中で、カルヴィーノは古典を読むいろんな理由を述べているが、私の印象に一番残ったのは次の文章である。 「古典がなんの役に立つかといえば、私たちがどういう人間たちであるのか、どこまで来ているのかを知るためなので、そのためには[イタリア人にとっては]イタリアの文学を読むことが必要になる。自分たちを外国の人々とくらべてみるために。また、外国人[の著作]が必要なのは、これをイタリア[のもの]と比べるためだ。」
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イタロ・カルヴィーノ
須賀敦子
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