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かつてミラノに、懐かしくも奇妙な一軒の本屋があった。そこに出入りするのもまた、懐かしくも奇妙な人びとだった。女流文学賞受賞の筆者が流麗に描くイタリアの人と町。(解説・松山巖) ※この電子書籍は1995年11月に刊行された文春文庫を底本としています。
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Posted by ブクログ
淡々とつづられている文章を読み進むと、何となく泣けてくるような気がする。 文章そのものに鎮静効果があるように感じるのは、少し昔の出来事をあとから整理して書いているからなのかな、と思ったりもする。 コルシア書店、というのは日本によくある町の本屋とは異なり、哲学者や思想家のような人々が集まって議論をする...続きを読むような場でもあったようだ。 日本にもそういうサロンのような雰囲気の書店があるのかもしれないが、自分の周辺には無い。少し羨ましい気がする。
かつてミラノの小さな書店に集った仲間たち。 その一人ひとりが、須賀さんの静かで温かな眼差しを通して細やかに描かれている。 須賀さんは彼らをいつも真っ直ぐに見つめ、深い愛情を持って接していたのだろうと思う。 扉のウンベルト・サバの詩がすごく好き。 生きることに疲れてしまった時、そっと寄り添ってくれそ...続きを読むうな言葉だと思う。出会えてよかった。
本好きが集うオフ会で須賀敦子の『ミラノ 霧の風景』をいただいたのが昨年の春。以来、この著者の本は「村上春樹翻訳ライブラリー」シリーズと並んで、ワタシの積読棚に常に鎮座することになった。 心が乾いて荒れた時、心が乱れて雑になった時、この著者のエッセイを手にとって、治癒してもらう。美しく繊細でしなやかな...続きを読む文章は心を穏やかにする、ということを実感できる。 1960年代、著者がミラノ在住時に関わった書店には、理想を求めて若者たちが集まった。その個性あふれる面々を綴ったこのエッセイは、楽しくもあり、物哀しくもあり。ミラノに行ったことのないワタシが読んでも、その美しい街並みとその街で正直に生きていた若者達の躍動感は、しっかり伝わってくる。 明日からは少し心穏やかに過ごせそうだ。
どこか距離を置いた視点で描かれる友人たちの個性。最初こそイタリア語の混じった表現に読みにくさを感じたものの、第2章ともなればぐいぐい引き込まれて行く。それは、東京へ帰った著者が、まるで夢か現実か区別のつかない過去に、友人たちという輪郭を描くことによって亡き夫の影を求めて暗中模索あいているかのよう。そ...続きを読むの夫と結婚した経緯も知らされなければ、突然読者には彼が結婚しばらく後に亡くなったことが知らされる。書かないからこその思い出が伝わってくるよう
須賀敦子さんが『ミラノ 霧の風景』で女流文学賞、講談社エッセイ賞を受賞したのが1991年と知り「なるほど、あの頃か‥」と強烈に思い出した。平成3年。昭和から平成へ変わってまもない頃。 世界では湾岸戦争が起こり日本では雲仙・普賢岳の火砕流で多くの方々が亡くなった年。(個人的事情で忘れられない年でもある...続きを読む。) 本書はその翌年、1963年に著者がミラノを去ってから二十余年、63歳の時出版されたもの。須賀敦子さんの美しく無駄のない文章からは彼女が住んでいた1960年代頃のミラノの景色、時代の移り変わりがリアルに伝わってくる。 須賀敦子さん入門本としてはずせない一冊。
以前、新聞で須賀敦子さんのことを初めて知りました。それ以来気になっていて、この書を手に取りました。とにかく、静かな書。心が落ち着きます。哀しみを含んでいるけど、空虚じゃない。 ミラノでの日々が描かれているけど、彼女が日本での日々を書いた本があったら、読んでみたい。
お布団に入って、 寝る前に聞く、 おばあちゃんの思い出話、のような作品。 イタリアで過ごした若き日の思い出が、 たんたんと綴られています。 小説のように客観的。 感情が抑えられているぶん、 じわーと、胸がくるしくなる。 「もう過ぎたことだけれど」 みたいな、 諦め?のようなもの...続きを読むのアンニュイな感じに、 いつも涙ぐんでしまいます。
ミラノに実在した書店に出入りする、様々な境遇の人たちにまつわるエッセー。 それぞれがそれぞれに不幸を背負い、もがきながら不器用に生きている。 みんながハッピーではないけど、そんなものなのかも知れない。 他人が見たらそう見えてしまうけど、本人はそれなりに時々幸せを感じたり。 結局自分もそうかもと思って...続きを読むしまう。
「… 広場に憩う。星の かわりに 夜ごと、ことばに灯がともる。 人生ほど、 生きる疲れを癒してくれるものは、ない。」 巻頭の詩。(ウンベルト・サパ 須賀敦子訳 後半) 読み終わってこの詩をしみじみ味わうと、このエッセイを要約しているのだという思いと共に、文学に浸ることはどういうことか、の答えが...続きを読む出る。 遅咲きの作家ということを知りとても興味を持ち、まず読んだのがこのエッセイ。 随筆といえどもフィクションの如きだった。 11章に分けて、著者が1950年代半ばから71年までのイタリア留学、滞在中知り合った人々の話。だけれども一章一章その友人の人生が凝縮されていて、なおかつ文章がなんともうまくて心揺すぶる。さながら11の珠玉の小説。 それは著者が「オリーブ林のなかの家」で友人の文体について書いているのに表れている。 友人アシェルが創作した自伝的小説を読んでの批評に 「自分の言葉を、文体として練り上げたことが、すごいんじゃないかしら。私はいった。それは、この作品のテーマについてもいえると思う。いわば無名の家族のひとりひとりが、小説ぶらないままで、虚構化されている。読んだとき、あ、これは自分が書きたかった小説だ、と思った。……」 著者がイタリアから帰朝し30年も過ぎて、昇華したように書いた文章。 イタリアのミラノにあった「コルシア・デイ・セルヴィ書店」。 教会の物置を借りた小さな本屋さんだけれども、ある思想を持った共同体でもあった書店につどう仲間にはいった日本人の著者。 友人たちの人生は様々、ヨーロッパは人種のモザイク模様、ことさらそれを強調するでもなく淡々と書き綴る。一人一人への熱い思い、人間として息づいている認識。 やがて「コルシア・デイ・セルヴィ書店」は無くなるのだし、人々も老いていなくなる。けれど熱い人恋しさにみちあふれる喜びが残る。人懐かしくなければ孤独もない。孤独を恐れることはないと悟る著者。私も泣いてしまった。 章ごとに魅力的な人物像ではあるが、私は「家族」の家族たちが通ってきた道に強く印象を残こした。これだけでも映画になりそうだ。たった37ページなのに。「小さい妹」もモーパッサンやサキの短編の如くで魅力的である。 ああ、しかし私はどれともいえない、全部よかった。
戦後間もないイタリアでの結婚生活。 今でも留学や国際結婚も想像つかないけど、70年前のこのお嬢様の行動力すごいな。 人生の節目に出会った仲間たち。 そして晩年。 大学時代や就職した頃の、今では消息も分からない仲間たち、元気かなと思うと泣けてきた。
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