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Posted by ブクログ
書かれてから40年以上経っているはずなのに、色褪せない。
老人の介護問題がリアルに描かれている。
自分が親の介護をする側にまわることも考えるが、自分自身が老いてどんな老後を送るのかも考え、怖くなってくる。
茂造のケースで良い方なのか...。
自分の祖母がボケてきたのを実感しており、時々遠くまで出歩いて帰って来られなくなり警察の世話になっているので、とても他人事とは思えない。
祖母の様子を見て、父の老後も似たようなものかもしれないと覚悟していたけど、自分の人生の延長としては考えたことなかったな...。でも当たり前に自分も老いる。
老人を抱えたら、誰かが犠牲にならなきゃいけないなんて、そんな...。
老いるって残酷だ。老いに抗いたい。
Posted by ブクログ
耄確している父親は、信利がこれから生きて行く人生の行きつく彼方に立っている自分自身の映像なのだという考えが、払っても払っても頭の中から消えない。老いるということの極は、これか、と思う。それは死よりも昏く、深い絶望に似ている。
「昭子さん、小便が出ますよォ、小便をしたいですよオ」いつものように起されて、庭で用を足させながら、こうなるのは嫌やだなあとつくづく思った。現在こうして面倒を見ていることよりも、三十年、四十年先に自分がこうなるのは嫌やだという思いの方が遥かに強い。
もともと老人は、希望とも建設とも無縁な存在なのかもしれない。が、しかし、長い人生を営々と歩んで来て、その果てに老耄が待ち受けているとしたら、では人間はまったく何のために生きたことになるのだろう。あるいは彼は、もう終った人間なのかもしれない。働き、子孫を作り、そして総ての器官が疲れ果てて破損したとき、そこに老人病が待っている。癌も神経痛も痛風も高血圧も運よくくぐりぬけて長生きした茂造のような老人には、精神病が待ちかまえていたのか。
本当よ、光子さん。私は世界中の人間が、これからどうするのかって思ってるの。
認知症の問題を、かなり多面的に表現。老人がどうなるか、世話はどうなるか、そして自分がいつかそうなるという危機感、そこに考えの至らぬ若さ。自分は親の老いを憂うが、40手前でも自分の老いにはまだ気が回っていない。自分の体力や健康に自信があるからか。でも親の介護が大変という感覚以上に、自分の老いを憂う感覚は新しい。
悲惨で陰鬱な認知症対応の前半から一転して、明るく「お戻りになる」構成がおもしろい。昭子の変わり身も含めて、あらゆる登場人物の立ち位置や考え方がおもしろい。決してエンターテイメント小説ではないが、おもしろく読めた。
Posted by ブクログ
【まるで近未来SF】
なぜだか急に読みたくなって手に取った1冊。
この本が出版された当時、私はまだ小学生だったけど、親、主に母親が近所のおばちゃん達と話題にしていたことを覚えている。
それでもまだ母親世代の口調からは、「恐ろしい話だけれども他人事」のような気楽さが感じ取れたし、どこか怪談話を語っているような雰囲気でもあった。
でも今読んでみると、50年前に書かれたものとは思えないほどリアルな内容で、登場人物の年代に戦中体験者という描写がなければ、最近の話だと思ってしまったかもしれない。
そして(多少の改変はあるものの)現代とほぼ変わらない仕組みの各種老人施設がすでにこの時代にあったことにも驚いた。
認知症老人の処し方に悩む家族の負担や苦悩、超高齢社会への憂いを織り交ぜて書かれた社会派小説は今や正しく現実となっている。
共働き核家族世帯が圧倒的に多い中で、年老いて自立を失った親の処し方に悩み奔走するのも、行くべき場所が見つからなければ在宅介護を勧められるのも、50年前と何ら変わりがない。
若い頃に散々主人公を虐めた舅が認知症となり、実父を遠巻きに見ているだけの役たたずの夫を尻目に、葛藤を抱えながら介護に携わる昭子の善性に頭を垂れる思い。
私が同じ立場に置かれたら、いや、現実的にそれは自分の身にも遠からず起こりうることだけれども、あの境地にたどり着けるかどうかの自信は無い。
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