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ヴェネツィアのフェニーチェ劇場からオペラアリアが聴こえた夜に亡き父を思い出す表題作、フランスに留学した時に同室だったドイツ人の友人と30年ぶりに再会する「カティアが歩いた道」。人生の途上に現われて、また消えていった人々と織りなした様々なエピソードを美しい名文で綴る、どこか懐かしい物語12篇。
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Posted by ブクログ
家族、そしてさまざまな人たちとの出会いが著者の人生に大きく影響を与えたのだなあと感慨深かった。戦後間もない時代、その時代に留学を実行したことや結婚を目標としない女性の生き方を考えていたことに感動する。女性として憧れる生き方だ。また、文章の表現が丁寧で美しく、その土地の空の色や風、空気感、草花の色など...続きを読む自分も体験しているように感じ、読んでいて心地良かった。
洗礼者ヨハネは、苦行しながらキリストが世に出るのを待ちわびたというが、キリストのようにはではでしく弟子に囲まれるのでもなく、これといった逸話もないまま、ヘロデ王の逆鱗にふれて処刑され、孤独な生涯を終える。ヨハネは、生きることの成果ではなくて、そのプロセスだけに熱を燃やした人間という気がしないでもない...続きを読む。 待ちあぐねただけの聖者というのも悪くない。 大聖堂まで。フランスシャルトルの大聖堂の外、洗礼者ヨハネ像を見て。 オリエント・エクスプレス 憎いとも思っていた父との会話に心打たれる。
イタリア生活を書いた内田洋子さんのエッセイ集を読んだので、今度は須賀敦子さんのイタリア地名の付いたエッセイ集を読んでみた。 お二人とも素晴らしい文章力をお持ちだが、視点は全く逆である。 内田さんはご自分を透明化させて周りの人たちを小説のように描写する。 しかし、須賀さんは何処までいっても須賀...続きを読むさんご自身なのだ。 戦前からカトリックの学校に通い、戦後は同じ系列の修道院が経営する専門学校、それからまだ女性が大学へ行くことが珍しかった時代に大学へ進み、さらにフランス、イタリアに留学された。 確かに、裕福なご家庭に育たれており、高い学問を積んだり海外へ積極的に出たりということが出来る文化的背景のある方だったが、それでもまだまだ女性が大学まで行くことや留学まですることに偏見を持つ両親を説得して出国されたのだ。大学での文学や歴史の勉強の中で「どうしてもフランスやイタリアに行って見なければ分からない」という衝動にかられたからなのである。 戦前の兵庫から東京、戦後のフランス、イタリアとどこへ行ってもそこで出会う本や町や人が須賀敦子という人を形作ってきた。須賀さんの書くエッセイは須賀さん自身が主人公の小説のようだ。 戦後、修道院の経営する寄宿学校に入ったとき、中世のような時代遅れの訳のわからない規則縛られ、不自由な生活を送りながらも「戦争中に工場で働かされてばかりのころよりはずっといい」と、中世と現代、西洋と東洋、戦前と戦後が混在したような不思議な寄宿学校生活を好奇心を持って受け止めていた、そんな目のキラキラした少女。清貧と言う言葉が似合う。アニメ化して子供たちに見せたいな。 須賀さんが初めてパリに行かれたときの印象は安野光雅さんの挿絵入りで朗読したい。ホテルの窓からすぐそこに見えた、白く輝くノートルダム大聖堂がぽっかり宙に浮かんでいた。その「薔薇窓の円のなかには、白い石の繊細な枠組みにふちどられた幾何模様の花びらが、凍てついた花火のように、暗黒のテラスの部分を抱いたまま、しずかにきらめいている。」 その後のフランス中の学生が参加する年に一度の大巡礼の旅は映画で見たい。お弁当として、バケットを無造作にリュックに挿して歩く学生の姿。歩きながらの熱気溢れる学生たちの討論。農家の納屋に泊めてもらい、ハイジのように干草をベッドにして寝る。 病気だというのに家にちっとも帰って来ない父親を京大病院に訪ね、そこで父親の愛人と出くわしてしまったことを悩みながら母親に打ち明けるシーンは、そうだな朝ドラみたいかな。 須賀さんは14歳の時に自宅の窓から身を乗り出し、ミモザの薫りを嗅いで、「ワタシは今日のことを一生忘れないだろう」「確かに私は二人いる。見ている自分と、それを思い出す自分。」と思われたそうだ。その視点が須賀さんご自身の生涯を小説のように豊かなものとされたのだろうと思う。
初めて読む須賀敦子は、引き込まれるように読み終えた。 本書の解説を関川夏央が書いているが、その解説と、Wikipediaで調べた須賀敦子の生涯は、おおよそ下記のようであった。 ■1929年生まれ。 ■20代の終わりからイタリア在住。1961年にイタリア人と結婚するも、1967年に夫が急逝。 ■19...続きを読む70年に父親が亡くなる。翌年1971年にご本人も帰国。大学の講師から教授まで務める。 ■作家としてのデビューは、1990年、61歳の時。「ミラノ 霧の風景」がデビュー作。 ■1998年没。 本書、「ヴェネツィアの宿」は、1993年の作品。 少女時代から、ヨーロッパ滞在中の出来事を綴った12編から成るエッセイ集。とても美しい文章。 特に最後の2編は、夫と父親の死を題材にしており、淡々とした中に哀しみが感じられる。死後20年以上を経てからの文章であり、逆に言えば、このような文章として仕上がるためには、20年以上が必要だったのだと思う。
イタリア語翻訳者の須賀敦子さんのエッセイ集。彼女が翻訳した本は読んだことがあったが、エッセイを読むのは初めて。 どれも心にしみて、とても良かった。でも妙に共感できたのは、私がヨーロッパに住んで似た人生を送っているからだろう。それにしても、彼女の感性はすごい。本書は、彼女がフランスやイタリアへの留学時...続きを読む代や結婚してからの生活のなかで出会った人々や、訪れた場所、日本でのミッションスクールで暮らしながら考えたことなどが綴られている。全く偉そうでないのに、教養がにじみ出る文章である。 イタリア人の夫に先立たれるところは、胸が痛んだ。ドイツ人の友人の話もとても良かったし、オリエント急行の話も素晴らしかった。
名文。 これは読む人を選ぶと思いますが、本好きなら一度は読んでほしい。 水のようにすらすらと読めて楽しいエッセーもいいけど、たまにはこういう文も読まないとダメになってしまう。 しっかりと意識して読まないと一つ一つの文が意味を持って入ってきません。でも、読めば読むほど、面白いし情景が心に迫る。 ...続きを読む塩野七生や米原万里をおもわせます。 しかし、上記の二人にも通じるけど、時代から考えて外国に飛び出してそして一端の人となることのむずかしさ。その才智。憧れます。バックアップがあるとはいえ、やはり尋常ではないエネルギー。でもそれをひけらかさない。 すごいなぁ。
須賀さんの家族についてのエッセイが多いこの本。 若い頃、けっこう家族のことや留学のときの苦労の話が多く語られている。 年をとってから再び会った友人と1時間を共に過ごしたとき、あまり語らうことができなかったけど、友人のたたずまいを見ていい人生を送っていることが感じ取れたそう。 この話を読んで、今も昔...続きを読むも変わらないことというのはたくさんあるんだなと思った。 須賀敦子さんってけっこう遠い人なのかと思っていたが、少しだけ近く思えた。
戦前・戦後の古い佇まいを残した東京と京都、ヨーロッパが憧憬の対象だった時代、厳格さと格式を残したミッションスクール、ヨーロッパでの寮生活、静謐で上品だった時代の記録。須賀敦子の視線は柔らかく、居住まいを正したくなる。あの時代に生きていたことが羨ましい。
須賀さんの文章に初めて触れた時 ?と、疑問符が湧いた。 初めての味覚に戸惑う子どもに なった様で、それは新鮮さを持って 何度も何度も口の中で須賀さんの言葉を転がすのだが、不思議とぴったりの 形容が浮かばない。 彼女の人生に触れれば、糸口が見つかるだろうか? そんなわけで、私の須賀敦子探しの旅がこの本...続きを読むから始まった。
ずっと読んでいた本。借用本で一区切り。 ヴェネツィアの宿 夏の終わり 寄宿学校 カラが咲く庭 夜半のうた声 大聖堂まで レーニ街の家 白い方丈 カディアが歩いた道 旅のむこう アスファデロの野をわたって オリエント・エク...続きを読むスプレス イタリアに住んでいた頃のことと日本にいた時の話が交互に綴られている。何故か音が聴こえない風景ばかり思い浮かべて読んでしまう。ゆえに、何も考えず、静寂の中に浸りたいと思うとき、著者の本を手にとってしまう。著者は恵まれた環境の中で好きな勉強に没頭できる身分。なるほど、戦中戦後と外国へ女一人旅立てるのだから。エッセイストとして右に並ぶ人がいないと思うくらい。
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ヴェネツィアの宿
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