映画の特殊効果という表現に魅入られて、スクリーンの裏側の沼にはまり込んでいく世代の違う二人の女性の物語です。どうして作者はこの主題を選んだのだろう?と、思うくらいに小説としては新鮮な主題でした。ハリウッドをに吹き荒れたマッカーシズムからコンテンツビジネス全体をNETFLIXが席巻する現代ちょっと前までの大河小説ですが、二人の主人公によって二つの時代の断絶が描かれています。ひとつは特殊造型というクラフトに対する愛とCGという映画が獲得した表現方法の壁。もうひとつは男性がやる仕事の中に女性が入っていくのがハードだった時代とその性差がなくなった時代の壁。それぞれの断絶があるからこその映画のSFXに対する、いや映画の想像力に対する狂おしいほどの熱情は世代を超えて繋がれていくというテーマを感じました。全然関係ないけどadidasのimpossible is nothingキャンペーンの初めのモハメド・アリvsレイラ・アリのフィルムを思い出しました。二人の主人公のパッションと自己肯定感の低さが強烈です。獲得すべき自己肯定のシンボルとしてスタッフロールに名前が載る、ということへのこだわりがふたつの時代を繋ぎます。米ハリウッド版『GODZILLA』にinoshiro hondaの名前がクレジットされた時の感動もそうだし、今年のシン・ウルトラマンのオープニングでシン・ウルトラQのタイトルが出て来た歓びもそうでした。「巨人の肩の上に立つ」、これは物理学だけの話ではなく、すべてのクリエーションのテーマなのだと思います。ところで、ふたつの壁、以外に小さな壁をもうひとつ。海外の映画界を舞台にしたアメリカ人、イギリス人の主人公の心の動きを表現にするという日本の小説が挑んだ挑戦も面白いと思いました。でも、ベルサイユのバラ以来、これも日本のクリエーションのお家芸かも。