作品一覧 2024/04/10更新 文藝春秋 NEW 試し読み フォロー IT時代の震災と核被害 試し読み フォロー IT時代の震災と核被害 電子版 試し読み フォロー 一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル 試し読み フォロー 角川インターネット講座12 開かれる国家 境界なき時代の法と政治 試し読み フォロー 観光客の哲学 増補版 試し読み フォロー クリュセの魚 試し読み フォロー 現代日本の批評 1975-2001 試し読み フォロー ゲンロン10 試し読み フォロー ゲンロン11 試し読み フォロー ゲンロン12 試し読み フォロー ゲンロン13 試し読み フォロー ゲンロン14 試し読み フォロー ゲンロン15 試し読み フォロー ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる 試し読み フォロー ゲンロン0 観光客の哲学 試し読み フォロー ゲンロン叢書 試し読み フォロー 小松左京短編集 東浩紀セレクション 試し読み フォロー これからの教養 激変する世界を生き抜くための知の11講 値引きあり 試し読み フォロー サイバースペースはなぜそう呼ばれるか+ 試し読み フォロー 社会不満足 ―乙武洋匡 対談 試し読み フォロー ショッピングモールから考える 付章 庭・オアシス・ユートピア 試し読み フォロー 新対話篇 試し読み フォロー セカイからもっと近くに 現実から切り離された文学の諸問題 試し読み フォロー 「戦後80年」はあるのか――「本と新聞の大学」講義録 試し読み フォロー 戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島 試し読み フォロー 草木の生起する国 試し読み フォロー 父として考える 試し読み フォロー 訂正可能性の哲学 試し読み フォロー 訂正する力 試し読み フォロー 哲学の誤配 試し読み フォロー テーマパーク化する地球 試し読み フォロー 動物化するポストモダン 試し読み フォロー ニコニコ超トークステージ ネット言論はどこへいったのか? 試し読み フォロー 2035年の世界地図 失われる民主主義 破裂する資本主義 試し読み フォロー 日本の歪み 試し読み フォロー フェイクニュースが世界を覆う 試し読み フォロー 不正と失態が組織をむしばむ 試し読み フォロー 忘却にあらがう 平成から令和へ 試し読み フォロー 郵便的不安たちβ 試し読み フォロー ゆるく考える 試し読み フォロー 弱いつながり 検索ワードを探す旅 試し読み フォロー リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか 試し読み フォロー 私たちはどう生きるか コロナ後の世界を語る2 試し読み フォロー 1~44件目 / 44件<<<1・・・・・・・・・>>> 東浩紀の作品をすべて見る
ユーザーレビュー 訂正する力 東浩紀 訂正する力がないと、自分の話したことにこだわり動けなくなる。時が経てば考えかたも変わる。そういう時に、自ら訂正することは普通な雰囲気を作っておく。訂正は何か問題あるの、といった空気を作っておく。周りからは、朝令暮改かよ、と言われるかもしれないが、それが通常なのだ、と自分に思い込ませておく。 Posted by ブクログ 訂正可能性の哲学 東浩紀 事後的に解釈やルールを変えられる、それが人間と言語の本質にある、だから社会の無意識的な理想、一般意志の実現を目指すAIによる統治は、人の本質を欠いていて理想にはなり得ない。分人は責任を負わないので異なるポジションを取るのではなく、全人的に訂正していこう、とも理解した。こじつけ感あるなと思うところもあ...続きを読むるが、合意できる内容。議論する、難癖つける、相手を思いやる、そういう社会性で人の幸福は成り立ってる。何かに意味を見出すのはこれからも人がやりたいことなはず。 Posted by ブクログ 訂正可能性の哲学 東浩紀 著者がおわりで述べている哲学とは、過去の哲学に対する再解釈であるという姿勢が体現された著作だったなと。 過去の文献の丁寧な読み込みと再定義から発する「訂正可能性」の意義。人間に対する親しみを込めた諦観が、著者の人間愛を醸し出す。 ところで過去の作品から文体が変わったとのこと。ぜひ、『一般意志2.0...続きを読む』あたりから振り返りたいなと。もちろん今後の創作活動にも期待しておりますです。 Posted by ブクログ 訂正可能性の哲学 東浩紀 クリプキのある種詭弁ともいえるような議論から「家族とは訂正可能性の共同体だ」(p88)と驚くべき議論に展開していく。そして、AI・ビッグデータのような技術で人間社会のリセット(いってみれば完全最適化)はできないと説き、「私」という固有性の感覚に直面しない思想は「欠陥」(p258)と切り捨てる。 10...続きを読む0%の民意や100%の正義、100%のテクノロジーはありえない。 『ぼくたちはつねに誤る。だからそれを正す。そしてまた誤る。その連鎖が生きるということであり、つくるということであり、責任を取るということだ』(p343) アメリカ大統領選でトランプ氏の再選が現実味を帯びるなかで、そして日本でも、議論なき一方通行の政治・文化が展開されるなかで、ごく当たり前の、そして大変まっとうな主張だといえる。訂正することを認める。変わることに開かれる。そこからしか、我々は前に進めない。 ちなみに、訂正する「家族」として、日本の天皇制をイメージしてみた。あたらずとも遠からずではなかろうか。つまり「男性」一辺倒じゃなくてもいいだろう、と著者の議論を使えばそういう結論が導かれる。訂正していいだろう、と。日本の少しでもまともなエリート、言論人ならば、本書を手引としてもらいたいものだ。 Posted by ブクログ 訂正可能性の哲学 東浩紀 「動ポ」の頃の東さんのような文体と、まるで大学で講義を受けているかのような懇切丁寧な脚注。 文系軽視の日本社会を「人文学への信頼の失墜」と自己批判しつつ、著作によって回復させようとする試み。 当時は近しい考えを述べていた、と吐露しつつ徹底されている落合・成田(というか、人工知能民主主義への)批判。 ...続きを読むルソー人物伝から繰り出される社会契約論の再解釈。 常に誤り、訂正するのが民主主義であり、ひいては生きていくということであり、理解するのではなく変化させていくのが哲学の役割という明瞭な論旨。 なんの事前情報もなく、ふと東さんの最近の仕事を一気に読みたいと思って手に取ったのですが、コロナ禍以降の取り組みの集大成で、大変労作でした。 Posted by ブクログ 東浩紀のレビューをもっと見る