親しい友人がいることは無条件にいいことだと思われている。
友人の数が、すなわちその人間の価値だとみなす風潮がある。
TwitterやFacebookなど、ソーシャルネットワークでも、フレンド数の多さが競われたりする。
名刺の数が「人脈」と称され、仕事の能力とほぼイコールだと考えられている。
確かに、
...続きを読む人と人とのつながりは尊い。人間は一人では生きていけないから、人間同士のネットワークが大事なのはあたりまえだ。しかし──。
「あいつは人付き合いが悪い。だからつまはじきにしてしまえ」。
「あいつは友達だから、特別に便宜をはらってやろう」。
「同じ釜の飯を食った友人なのだから、不正にも目をつぶるべきだ」。
「能力のない首相だが、永年のつきあいだから支持しよう」
こうして見ると、社会の不正、停滞、犯罪の根っこに、しばしば「友情」が隠されていることもまた確かではないだろうか。
本書はこうした「友情」の逆理を見据え、「絶対的によきこと」とされている「友情」が、むしろ思想史の中では危険視されてきたことを明かす。冒頭、アリストテレスの末期の一句「友人たちよ、友人などいないのだ」から始まり、ルソー、カントに至るまで、思想家のさまざまな考えが紹介される。「友情」はえこひいき、付和雷同、烏合の衆を生み出しやすい。だから一部の哲学者たちは国会など公的な討論の場における対等のパートナーをこそ友人と呼ぶべきで、意見を同じくする人々の密着した関係を友情とは呼ぶべきではない、とみなしていた。このような議論から著者は結論づける。「少くとも現代の日本では、本当の意味での友情が機能する場所は見い出されないこと、したがって、私たちが『友人』と名付けている知り合いは、本当の意味での友人なのではなく、比喩的な意味で『友人』と呼ぶことができるにすぎない存在であることが明らか」。
「友情」だけではなく「人間関係」全般にまで反省を迫る衝撃の書である。