ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
9pt
口さけ女はいなかった。恐怖の大王は来なかった。噂はぜんぶデマだった。一方で大災害が町を破壊し、疫病が流行し、今も戦争が起き続けている。何でもいいから何かを信じないと、今日をやり過ごすことが出来ないよ――。飛馬と不三子、縁もゆかりもなかった二人の昭和平成コロナ禍を描き、「信じる」ことの意味を問いかける傑作長篇。
アプリ試し読みはこちら
Posted by ブクログ
「本の雑誌」で、読まなきゃ損です、と激賞していたので、どれどれ、と最初のページを読んでから、なんと、止まらない。一気読み。 何が正しいのか、正しくないのか、正しいと信じることは罪なのか、良かれと思って人に勧めるのはお節介なのか、疑うのは愚かなのか、信じるのも愚かなのか。 バランス感覚の優れた人間...続きを読むだけがうまく世の中を渡っていけるのか。 欠けたものがたくさんある普通の人間たちが、間違えないように一生懸命やればやるほど間違えて生きていくさまを、不器用な不三子と過去を引きずる飛馬の生き方を通して描いている。 主人公たちは、真面目に生きよう、誠実に生きようとした。世に流布している当たり前を疑い、でも、極端な陰謀論に騙されないよう用心もちゃんとした。周りに押し付けないように遠慮もしたはず。自分と自分の愛する人を「方舟」に乗せるため、頑張った。 なのに孤立し辱めを受けてしまう。 普通の真面目な人間だからこそ。不器用だけど、頑張った。 その人たちに著者は光を当てた。 久しぶりに角田光代の小説を読んだけれど、善でもなく悪でもない、グレーゾーンにこそ、リアリティがあることを、よーく知っていて、それを書ける手練れの作家になってました!前からそうだったと言えなくはないけど、今回は特にそう感じました。 確かに読まないと損!レベルでした。
大きな事件は特に起きないけど 主人公2人の人生が気になって 一気読み〜 この2人が最後の章で出会って 関わりを持つのも面白かった
1967年に生まれた飛馬と戦後すぐに生まれた不三子の二人の視点が交互に語られていく。飛馬の子供時代にはノストラダムスやコックリさんが流行り、不三子は自然食を知りそれに傾倒していく。真偽のわからないものがたくさんあって、そのなかから何を選び信じていくのか。それが本物だとどう確かめればいいのか、誰が教え...続きを読むてくれるのか。その迷いや不安感に襲われていく過程にとてもリアリティーがある。それがコロナ禍に入ってさらに加速していく様子の終盤にはただただ圧倒されてしまう。この先何が起こるのか誰にもわからない世界と、デマやフェイクの溢れた世界のなかで何を選び信じていくのかを問われているような作品。角田さんの凄さを改めて感じた一冊。
切なかった 昔からラジオやTVそして今はネットで いろいろな情報が溢れていている中、 どれが正しいのかデマなのか? 自分できちんと決めて生きなさいと言われても 誰かや何かに「一緒に・・・」って言って欲しい気持ちがあります それは弱さじゃないんだって 教えてもらったような気がします
方舟を燃やす=自分が信じているものを手放すことなのではないかと思った。 噂話やオカルト話に踊らされ、そんな話よりも斜め上を行く出来事が実際に起こって、強く信じていたことが正しかったのか、自分は何をしたいのか、どうしていきたいのか、わけがわからなくなってしまう現実が切り取られた作品だったと思う。 自...続きを読む分の選択が正しかったのかは誰にもわからないし、時には後悔することもあるかもしれないけれど、それでも自分で考え決断することはやめたくないという感想を持った。 方舟を燃やしても、本当に正しいと思うところに戻ってくるだろう。しかし自分が正しいと考えるものや信じていることは必ずしも自分以外の誰かとイコールではないから、行き過ぎてしまうと押しつけになってしまう。その辺の塩梅が本当に難しい。 何かを結論づけようとしない結末はそういうところの表れのような気がした。 ところで、昭和から現在の歴史ダイジェストでも読んでるみたいで、時には懐かしく、本質とは別のところでも読んでいて面白かった。
2024年 28冊目 1960年代〜今日のコロナ禍において男女2人が、信仰や噂に翻弄され、苦しみもがきながらも正解を求めて生きる姿が描かれた1冊。家族のためを思って尽力するが、結果として結びつかない歯痒さが、フィクションだかリアルに感じられた。
私も飛馬より少し下の世代だが、ノストラダムスはひょっとしてと信じたし、コックリさんもしたし、コロナの時は情報に翻弄されまくった。何を信じて何を信じないか。かなりの難問。人は信じたい物だけ信じるという単純なことではなく、まだ内容をうまく咀嚼できないでいる
1967年生まれの飛馬が小学生の頃に母を亡くし、父と兄と暮らしていた時代にはみんなノストラダムスの大予言を信じていて、コックリさんに夢中になったオカルトブーム真っ最中だった。 東京の大学を卒業してからは公務員となり区役所に勤めたが、それまでに昭和から平成になり、震災ボランティアで高揚しては、妻の捨て...続きを読む台詞に価値観の相違で離婚。 子ども食堂の手伝いをしている頃には、令和になりコロナ禍を経験する。 一方で戦後すぐに生まれた不三子は、結婚後退職し専業主婦となり二人の子どもをマクロビオティックの食事で育て、ワクチンも打たせず神経質なほど気を遣ってきたが、娘は大学卒業後に就職もせず家を出て行き、息子も結婚してからは孫も連れて来ず疎遠になっていた。 飛馬と不三子の様子が昭和から平成、令和へと続き、どこで繋がるのかと思っていたら… 飛馬と不三子が出会ったのは、子ども食堂だった。 時代の流れとともに共有できる部分が多いのは、同じ年代に生きてきたからかもしれない。 飛馬と同じように小学生の頃はコックリさんをしたし、ノストラダムスの大予言も多少気にしてはいた。 そして、不三子と同じように二人の子どもを育ててきたが、彼女ほど神経質だったわけでもなく、では無頓着だったのか?と考えてみたが自分では答えは出せない。 多分、子どものほうが明確に判断するだろうが…。 高度成長期の日本に育ち、数々の予測不能な震災や疫病を経験し、今もフェイクニュースやSNSに何を信じていいのかわからない不安さはこれからもあるのだと感じた。
角田さんらしいなぁと思いつつ読む。 昭和、懐かしい… というか、すでに昔感あり過ぎでヤバいwww
昭和・平成・令和と三時代を経てきたが「この時代が一番良かった」なんて一概に言えやしない。いつの世も不安はつきまとい、人々を煽り、何を信じて何を疑えばいいのか。そんなことが浮かんでは消える複雑な心境となった。物語は不三子と飛馬という男女を軸に成り立つ。不三子は料理教室をきっかけに自然派ママになり、家族...続きを読むの健康を願うあまり空回りする。飛馬は常に「人を助けたい」と漠然と考えていたがそれも空回りする。平凡な人の平凡な人生と思いきやそこは流石角田さん、読ませます。コロナ禍への切り口も既読の小説では初で興味深かった。
レビューをもっと見る
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
新刊やセール情報をお知らせします。
方舟を燃やす
新刊情報をお知らせします。
角田光代
フォロー機能について
「小説」無料一覧へ
「小説」ランキングの一覧へ
いつか、アジアの街角で
対岸の彼女
月と雷
だれかのいとしいひと
あしたはうんと遠くへいこう
夜かかる虹
それもまたちいさな光
愛がなんだ
「角田光代」のこれもおすすめ一覧へ
▲方舟を燃やす ページトップヘ