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精神と物質,こころと身体の関係.アポリアと化した〈心身問題〉にベルクソンが挑む.実在論や観念論の枠組みを離れて最初から考え直してみること.そのためには問題の立て方じたいの変更が求められる.身体は生きるために知覚し,精神は純粋記憶のなかで夢みている.生の哲学から見られたときに現れる新たな世界像とは.新訳
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Posted by ブクログ
41 対象群は,自分の身体の有する力が増減するのに従ひて秩序着けられる.私の身体を取り巻く対象群は,其れ等の対象に対する私の身体の可能な行動を反射するのである. 99 第一の仮説では,精神も亦物質と等しく認識不能な物となる.精神は定義し難い能力に帰されており,其の能力が感覚を何処からともなく呼び起...続きを読むこし,何故だかは解らぬが其れ等の感覚を空間中に投射して,かくて空間の中で諸感覚が物体を形成するに至る,とされるからである. 第二の仮説に於いて,意識の役割は明確に定義される.つまり,意識は可能な行動を意味してゐるのである.其れ故,精神が獲得した様様な形式,意識の本質を我我に対して覆ひ隠す形式は,この第二の原理と云ふ光を当てる事で遠ざけられなければならぬ運びとなるだらう. 111 身体は単に外部からの作用を反射するに留まる物にあらず.身体とは闘ふ物であり,かくて其の作用の何程かを吸収する.此処に感受の起源が存在する事になるだらう.かうして比喩的に語るなら,知覚に因りて身体の反射する力が測られるとすれば,感受が測る物は身体が吸収する能力なのである. 152 命題 I・過去は二つの異なりし形で残存す. 一,運動機構に於いてであるか, ニ,独立なスヴニールに於いてである. II・現在の対象の再認は,其れが対象から生じる場合は,運動に因りて行はれ,主体から発する時には,表象に因りて行はれる. III・感知されぬ段階を辿りて,時間に沿ひて配列されるスヴニールから運動への移行が行はれ,其の運動は生まれつつある行動,あるいは可能な行動を空間の中に素描す.脳の損傷が此の運動を冒す事になるとは云へ,此のスヴニールを冒す事あらず.
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