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【目次】美とは目的なき合目的性である/美しいものは倫理の象徴である/哲学の領域とその区分について/反省的判断力と第三批判の課題/崇高とは無限のあらわれである/演繹の問題と経験を超えるもの/芸術とは「天才」の技術である/音楽とは一箇の「災厄」である/ 「自然の目的」と「自然目的/目的論的判断力のアンチノミー/ 「究極的目的」と倫理的世界像/美と目的と、倫理とのはざまで
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Posted by ブクログ
自然と倫理の領域、第一批判が前者を、第二批判が後者を扱っており、両者は厳然と区別される。それでは、自由や目的が世界のどこに位置づけられるのか。第三批判の判断力こそが二つの領域を架橋する役割を果たす。 判断力は、普遍的なものに特殊なものを包摂する能力である。そして、普遍的なものが予め与えられていない...続きを読むときの判断力を反省的判断力と呼ぶ。反省的判断力は、多様性を有する自然を、ひとつの秩序としてとらえようとする。ここにおいて反省的判断力は、自然の底流に合目的性をおくことになる。趣味判断は、反省的判断の一種であり、ここで美によって自然と自由が架橋されることとなる。 しかし、合目的性は直感的判断力が見出すものであり主観的なものに過ぎない。そこで、客観的でなおかつ内的な合目的性についての判定として、目的論的判断力が登場する。ところが自然の美はあくまでも余剰であって、目的概念によって説明しうるものではない。著者は苦闘の末、思考する者としての人間こそが、世界創造の究極的目的である、と結論づける。 大急ぎで、議論をまとめてみたが、むろん本書の核心に何も触れていない。本書の要諦は「目的論的判断力」から「究極的目的」に至るまでの苦闘にこそあると思う。 著者は冒頭にこう述べている。「哲学的思考は回避し、迂回するもの」なのだ、そうすることで「生の目的と、世界が存在する意味とをめぐって答えようとした」のがカントなのだと。 本書の醍醐味は、回避し、迂回する用心深くも大胆な、冬山登山のごとき思考の挑戦である。
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カント 美と倫理とのはざまで
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熊野純彦
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