【感想・ネタバレ】ねじまき鳥クロニクル―第3部 鳥刺し男編―(新潮文庫)のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

血族的な呪いと戦前の満州国という二つのテーマが、多くの登場人物をコネクトするというアプローチは著者のスタイルを鑑みると、あまりらしくない方の作品だと感じました。私がこれまで抱いてきたイメージでの村上作品は、鮮やかにスーパーナチュラルを展開していく、といったものでした。一方で、本作の第一章「泥棒かささぎ」編では、間宮中尉の回顧録として、ノモンハン事件を鮮明に描写しているが、こういった種のリアリティを徹底的に表現する試み(石原莞爾やスターリンなどの実在した人物を登場させたことも珍しい?)は、これまで読んできた著者の作品の中でも本作にしか見受けられないと感じたためその意味で非常に楽しく読むことが出来ました。

井戸から通じる世界に対する解像度は再読することで、さらに深まっていくのではないかという期待もあり、時間をおいて、この世界に対する新しい発見が出来ることをとても楽しみにしています。

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2024年06月07日

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69冊目『ねじまき鳥クロニクル 第3部 鳥刺し男編』(村上春樹 著、1997年10月、新潮社)
村上春樹の90年代における代表作である3部作、その最終巻。
グネグネと形を変えながら進むこの物語は、まるで週刊連載の漫画のよう。第1部からは想像もつかないような地平へと読者を運んで行く。
お話に整合性はなくその形はかなり歪。しかし読み終わるのを勿体なく感じさせる、圧倒的な満足感は流石。村上春樹の非凡なイマジネーションを改めて体感させられた。

〈もし何かがあったら、また私のことを遠慮なく大声で呼んでくださいね〉

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2024年05月29日

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初めての村上春樹の長編作品です。
短編以上に没入感があり、村上春樹の魅力が詰まっていました。夢か妄想か現実かわからない世界観がとても良い

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2024年05月27日

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これ以上ないほど完結していた。
遠回りでも近道でもない表現でたまらなく心地よかった。
きっと再読にて新たな発見があるのであろう。

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2024年05月07日

Posted by ブクログ

「ねじは巻かれた」

ゆるみかかっていたねじは、最後には巻かれた。
岡田享さんは、その最後を担ったのではないでしょうか。

正直読むのにはかなり時間がかかりました。
精神世界から実社会、向こうとこちらの行ったりきたりで、考えることが多かったからです。

さて、
私たちが生きるこの社会は悲しいかな、理不尽な暴力と搾取で成り立っている一面があります。

それは故意に引き起こされたものではなくて、人間が社会生活を営んでいくなかでどうしようもなく生じてしまったということも。

クミコさんの失踪から間宮中尉の語り。笠原メイ、綿谷ノボルの登場に、加納姉妹やシナモンとナツメグの存在。

そのいずれもが、時代の流れのなかで生じた抗いがたい決定事項だったのかもしれません。

でも、最後に岡田トオルはねじを巻きました。

それは耐え難い歴史の濁流の中で、間宮中尉のように抗い続けた人たちがいたからこそ、彼は最後を担うことができたのでしょう。
きっと本作には登場しない古い時代から人々がどこかで、ねじを巻こうと東奔西走したはずです。

私たちはこれからもねじを巻かなくてはなりません。きっとまた、どこかで緩んでしまうから。
でもその度、誰かがねじを巻いてくれる。
いや、私たち巻かなければならないのです。

また、
悪はあってはならない。それは多くの人が声を揃えるはずで、その一方では自己に内在する悪には気づきません。私もそうかもしれません。

でも、私たちが生活するこの社会の裏側で、虐げられている人々はいないか。また私は、それに無自覚になってはいないか。現代社会を生きる私たちはそれらを絶え間なく考え、後世に伝えていく義務があるでしょう。

自己省察と実社会に対する問題意識。
そのいずれも考えさせられる、非常に興味深い作品でした。

さいごに。
サワラ、これからも元気でね。
いなくなっちゃだめだよ。

どこかで例の鳥が鳴いた気がしました。

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2024年04月21日

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ノモンハンのところがいつも怖くて、しばらく読んでいなかったのだけれど、再読。

ああ、本当に引き込まれて、ここではないどこかに連れて行ってくれる壮大な冒険ができてやっぱり素晴らしい。
なかなか得難い深いどきどきはらはら感です。

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2024年03月17日

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『ねじまき鳥クロニクル』の舞台を観劇するために、原作を購読。
現実か非現実かわからない世界が渦巻いていて、でもそこに人間の本質だったり、言葉にはできないぼんやりした何かを追求していて面白かった。

一章、二章はまだなんとなく整理ができるのだが、三章は世界線がおかしすぎて、、なにが真実なのか、この描写は何を意味しているのか本当に分からなくなってくる。そして謎があまりに多すぎる…。解釈は自由なんだろうなぁと思いつつも、作者の考えが知りたくなってしまった。
んー、これは終わった後も引きずって考えてしまうなぁ〜〜

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2023年11月15日

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あらゆる悪意を見過ごしてきた主人公が、ある日突然この世の「あちら側」に侵食され始めていく。



この世の物語の殆どは、遠くから聴くと同じことを歌おうとしていて、それは、「悪意や絶望を乗り越える方法、または受け入れる方法」なのかなと思う。

村上春樹はその中でも、明確に「作家性」なるものがある人だなと思う。幻想的な要素を用いつつ、帰結のある出来事を避けた浮遊感のある世界が、この人の中で確固たるものとして出来上がっている。

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2023年09月28日

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村上春樹の小説を読むと、なぜこの人は自分のことを知っているのだろうか、と思う。そのような感想を持つ人は少なくないとも聞く。これは極めて個人的な経験だと思っているようなことであっても、類似の経験をしている人がいるということだろう。もしくは、そのような類似の経験をするような人たちが、彼の書いたものを読んでそう感じた経験を1度でもすると、また彼の書いたものを読みたくなるということかもしれない。彼の書いたものを立て続けに読んできたのだが、最新作である「街とその不確かな壁」を読んだところで、いったん長編はしばらくいいかなと思ったのだった。しかし、やっぱり読みたくなって手を取ったのでした。あ~、やっぱり、村上さん、どうしてあなたは、私のことを知っているんですか。知りすぎているとも思ってしまいます。また、別の作品も、読ませてもらいます。

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2023年08月27日

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ネタバレ

その長さに恐れて後回しにして読み残していた村上春樹の大物をやっと読み通した、読んでみればあっという間だった。確かに著者の最高傑作と言われるだけあって流石の出来だった、「海辺のカフカ」も好きだったがそれを上回るかもしれない。物語は主人公岡田と妻クミコの兄綿谷ノボルとの決闘だったように思う、それはロシア戦役での間宮中尉とボリスと対決にも同調している、そしてそれは井戸の底で通じている。悪の権化たる綿谷ノボルは自分の妹たちを陵辱し、他にも悪の限りを尽くすが悪は滅びる、あとはこの世界の修復を期待せざるを得ない。

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2023年07月19日

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ネタバレ

とても面白かった。文字から場面が観えた。

やはり笠原メイ、好きなキャラです。茶わん蒸しのもとをチンしたらマカロニグラタンができるかもって話、でもそうだよなって思えちゃうのがすごいね。
牛河がここにもいた!生い立ちがいくつか違うため、1Q84の牛河とは別なんだとは思うけど、まぁ牛河だね。個人的には憎めないキャラです。

笠原メイがクミコでクミコが電話の女で電話の女が208号室の女だとしたら、笠原メイの影に208号室の女は囚われていたんじゃないか。あの日月の光を全身に浴びた笠原メイの影から208号室の女がクミコに戻ったんじゃないか。最初に電話の女が笠原メイだと感じたのは間違いじゃなかったんじゃないかって、妄想。

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2023年07月05日

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何度目かの再読

難解だし、登場人物はみなエキセントリックだし、主人公は淡々と奇行を繰り返すけど、読んでいるうちにだんだんと自分のほうがおかしいのかなとか思ってしまう不思議。井戸の底に潜るなんてなんでもないことなんじゃないかって。

これからもまた読み返すのだろうなぁ。
渡り鳥が抵当用資産を持たないように、僕も予定というものを持たない、ってなんだかステキですね。

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2023年06月27日

購入済み

さすがの村上作品

自分が年をとってきて、青少年時代に読んだ感想とは違った感想を持つようになった。
あのころの紙の手触りや本の重さもよかったが、電子書籍で上下巻、3部構成など村上作品を持ち歩ける幸せ。
表紙を眺めてると、全て欲しくなってしまう

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2023年01月01日

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この本は、だいぶ前の引っ越し時の整理で廃棄しました、が、河合隼雄さんの本に参照本として出てきたので、そんなに良い本だったのか?と再度購入して読みました。
村上春樹さんの本は数冊読んでいますが、どれも読後感が良くなかったので、その時期以降は読んでませんでした。

読んでいて、最初にひっかかったのは
笠原メイは目の下に傷がある?」という文章。
「ドライブ・マイ・カー」のミサキも目の下に傷があったな~、主人公に救いの手をのべる女性という点で同じ役柄なのでしょうか?
「ひとりの人間が他のひとりの人間について十全に理解するというのは果して可能なことなのだろうか」(第1部p53)というセリフも「ドライブ・マイ・カー」にありました。

次に個人的にひっかかったのは
笠原メイのバイク事故で死んだ彼氏のこと、これは私だけの経験なんですが、私の友人の息子さんが、この本と同じ年代で同じように彼女を乗せて交通事故に遭遇し、同じように息子さんは死んで同乗の彼女は大怪我をしたということがあったのです。後日その事故の翌日の朝刊を探すと、地方版の下の方に、場所と時間などが数行書かれているだけでした。
笠原メイの死んだ彼氏がどんな人かの話はこの本には出てきてませんが、私の知人の家では、一人息子を失った奥さんがその事故が原因で心を病んでしまい、大怪我を負った同乗の彼女の一生のコンタクトなど。厳しい現実に遭遇しています。
私が重く感じるのは、子供がこれからという時にいなくなってしまった奥さんのグリーフケアです。死んだ人との融合という点では、この「ねじまき鳥クロニクル」の人々とつながるものがあります。悪夢であって欲しい、逆に良い夢なら覚めないで~ということ、ありますよね~。

次にひっかかったのは「大日本帝国・ノモハン事件?」
作者のルーツとして興味があるのはわかるのですが、なんか、つげ義春の「沼」や「赤い花」をもじったように感じる。他に違うモチーフで同じテーマはできなかったのでしょうか?奇をてらう感があります。

次にひっかかったのは、パソコンでの文字のやり取りです。これはもう昭和感ですね(この本が書かれたのは1990年代なので平成ですが)。「スマホが無い時代はこうだったんだ」とわかるように、ちょっと最初に説明がほしいですね。(この時代はスマホはなくパソコンでのやり取りも文字でのやりとりをしていました)

次にひっかかったのは、クラッシク音楽の名前や高級料理の名前が、私には(ほとんどの人には?)わからないこと、このブルジョア不明語が魅力かもしれないけど、ちょっと鼻につく。(私のひがみです)

村上春樹さんの本は数冊よみましたが、急にエロいところでてくるので、どれも健全な書ではないと感じます。また、これが魅力なので、やっかいです。女子の友達にこの本を推したらセクハラの疑いをかけられるかも?

あと、妄想部分なのか現実の部分かわからなくなることです。でもなんか次を知りたくなり一気に読んでしまいます、途中でやめられない。
これは魅力があるからなんですが、これはちょっと感じてはいけない部類の魅力なのではないかと思える箇所があります、麻薬のような「これ以上、その薬を飲んではだめよ」というぐらいの。これ以上説明が具体的にはできないので、また、思いついたら追加記述します。
たぶん、「魂」や「こころ」をお金儲けのアイテムとして使うこの本への違和感なんだろうと思うんだけど・・

「ねじまき鳥クロニクル」についての河合隼雄さんとの対談は「こころの声を聴く」の中に45ページ分あります。また「こころの読書教室」「村上春樹、河合隼雄に会いにいく」などにも関連の話が載っています。
たとえば、「こころの読書教室」のP206に
河合:『失われた魂を回復するためにそうとうな努力がいるわけですが、そういう中で、ものすごく暴力的な世界にどうしても直面していかなければならない。それが現代です。 現代の世相を見ていられたらわかると思いますが、いろいろなところで変な殺人が起こったり、ものすごい事件が起こったりしているでしょう。人類は賢くなったと思っているのに、戦争したり、途方もない殺し合いしなければいけなかったりしますね。だから、人間の心の中の、魂の領域に近づくということは、すごい暴風雨圏というか力の世界にも直面していかねばならないということです。 「ねじまき鳥クロニクル」を読むと、それがすごくよくわかります。そういうふうな現代人の生活における魂というものを異性像に求めていく場合のむずかしさ、すごさ、それがよく書かれている と思います。
「ねじまき鳥クロニクル」は、世界中で読まれていますね。日本だけではなくて。世界のベストセラーと言ってもいいぐらいではないですか。 このあいだ僕はロシアに行ってきたんですが、ロシアでも村上春樹は大変によく読まれていて、いま、いちばん読まれているんじゃないかと思います。
ロシアの文化大臣と話をしていて、僕が『村上春樹、河合隼雄に会いにいく」という本があるんですよといった途端に、「あの村上春樹の知り合いなのか」というのですごく僕は尊敬されましてね (笑)。『ねじまき鳥』はドイツでも読まれているし、韓国でも読まれています。 世界中で読まれているというのは、現代人の魂の問題を実に適切に取りあげているからではないかと思います。』
ーーーというのがあります。おもしろい話ですね〜。

あと、もうひとつ紹介します。同じ「こころの読書教室」のp104
河合:『これは、「ねじまき鳥クロニクル」(新潮文庫)という本の中で、井戸の中にこもる男性がいるわけですが、「井戸」にこもる、つまり、心の底の扉を開いて、底へ入っていく。面白いですね、井戸はIDOに通じますね。イドはラテン語で、ドイツ語で言うと「エス」です。”それ” です。だから、「井戸を掘って、掘って」というのは、「無意識を掘って、掘って」”それ” の世界に入ってゆくのです。』
ーーー河合さんのダジャレ的発言ですが、これもなるほど〜ですよね。

村上:『ぼくが「ねじまき鳥クロニクル」を書くときに、ふとイメージがあったのは、やはり漱石の「門」の夫婦ですね」とあるのは「村上春樹 河合隼雄に会いに行く』の99ページです。

この本の第3部出版の半年前の1995年3月に地下鉄サリン事件があったのも忘れてはならないでしょう。裏世界だったスピリチュアルが、普通にテレビで語られる時代の幕開けの年に「ねじまき鳥クロニクル」という本は現れたのです。

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2022年10月23日

Posted by ブクログ

村上春樹の世界観をひしひしと感じた一冊だった。
本当に凡人には考えつかない世界だと思う。
そして長かったーーー!!!
読み終わるのに2.3週間かかってしまった〜
戦争が絡められてて描写がリアルで読んでるだけで鳥肌がたった。特に皮剥ぎボリイはえぐかった。
猫がいなくなってからよくないことが立て続けにおきて、ねじまき鳥がいなくなって、色んな人と関わりをもって、井戸の存在を知り、井戸でアザができて、最終的に想像の世界でクミコを救い出せてアザが消えて、、、
書ききれないけど全部の伏線が回収されてって気持ちよかった。けど言葉で表せないモノの存在を表現できるのって本当にすごいと思った。

この作品は何を伝えてるのだろう。

難しい!!!!

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2024年02月17日

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後半は緊張感があって、一気に面白くなった。
暴力はさまざまに形を変え、私たちの人生にひそんでいる。
巻き込まれてしまうこともある。
笠原メイの立ち位置が、ちょうどあっちの世界とこっちの世界の狭間で、その手紙の違和感が、現実から離れた世界を強調しているように思った。
マルタとクレタの関係の暗示性も、実に巧みだと思う。
しかし私には、ナツメグとシナモンの協力が、どうも納得がいかない。
都合がよすぎる。
最後の未確定な、問題がの多い、傷ついた現実は、リアルでよいと感じた。
みんな、しっかりと守られて、あたたかく生きていけたらいいのに。
と願いたくなる。

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2024年01月26日

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7年ぶりの再読。
当時は、何も意味はわからない、でも何かわからないけどただただ面白い、ただただ読み進めずにはいられない、そんな気持ちで読んだ。
今回もまた、意味はわからない。でも意味を考えたい、解き明かしたいという気持ちが強くある。
それは謎を放っておけないというより、村上春樹が何を考えているのかを知りたいという欲求。

最近1Q84年を10年ぶりくらいに読み返した時に「ああ、村上春樹は善と悪の対決みたいなものを描きたいのかなあ」と思った。
その上でねじまき鳥を読んでみると、この作品も見事に綿谷昇との対決=善と悪の対決ではある。
でも、綿谷昇に象徴される悪って一体なんなのだろう。
それがわからない。

ヒントはたくさんある。
綿谷昇がお姉さんを汚したという「何か」。
ノモンハンの戦闘やシベリア抑留や新京の動物虐殺で表される「何か」。
綿谷昇によって加納クレタから引き出された「何か」。
クミコに妊娠を怖がらせた「何か」。
クミコを放蕩に走らせた「何か」。
シナモンから声を奪った夜、男が木の下に埋めた「何か」。

これらはすべてら村上春樹が描きたかった「悪なるもの」と多少の差こそあれ関わりがあると思うんだけど、それを一言で表すとなんなのだろう?
人間の暗い闇の部分?どろどろした欲望?我欲?でもそれってつまりなんなの?
その「悪なるもの」を一つの言葉で言い表そうとすること自体、間違っているというかできないことなのかもしれない。
けど春樹くんが何を悪と見做すのか、すごく知りたい。

あと純粋に、もう結婚した身としては、(より深い事情がありそうだとはいえ)クミコは男を作って出ていったのになぜ主人公は全然怒らないのか、とても不思議。
『女のいない男たち』もそうだけど、村上春樹の小説の男は妻に逃げられても全然怒らない。

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2023年12月10日

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ネタバレ

三部は長かったけど、すらすら読めた。
間宮中尉の井戸のシーンがすごく印象に残っていて、自分が体験したくらい鮮やかに想像できた。
戦争中の話であり、残忍な死の描写は多かったが、主人公の周りでの死者がほぼいなくて救いだった。
最終的に困難は切り抜けられたようで、関わった人たちが穏やかに過ごせているような描写があってよかった。

二つの世界で、一つ一つの物事がどこに繋がっているのか考えながら読むのも面白そうだが、
ただ漠然と与えられた情報だけを読んでいくのでも楽しめた。

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2023年11月24日

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2つの世界が登場するのが村上春樹らしい。

シナモンが個人的に特に魅力的なキャラに映る。というか村上春樹作品に出てくる人物のような何か人を惹き付けるミステリアスさ、妖艶さのような魅力を出せるような人になりたい笑

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2023年11月10日

Posted by ブクログ

感想を書くのが難しい。
全体を通した内容を理解するのは難しく感じるが、と言うかそれがあるといえるのかはわからないが、独立した一つ一つの話の内容は比較的テンポ良く読み進められる。
特に戦争の場面の描写はありありと鮮明で、読んでいてこんなにリアルな緊張感を感じる文書は久々で、深く心を動かされた。
村上春樹独特の文体や世界観が心地よく、読んでいて気持ちよかった。
そのため長さの割にそんなに苦ではなかった。
メタファーが非常に秀逸。

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2023年07月31日

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辻褄が合ってるようで合ってないような、最後で繋がってるような繋がってないようなそんな暗示に溢れた作品だった。ノモンハンの描写は参考文献の多さからも分かるようにとても綿密に描写されていた。ねじまき鳥はクロニクルな役割を担っていたのかな。

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2023年07月27日

Posted by ブクログ

当時初期から村上作品を読んでいた人達は、このねじまき鳥クロニクルでの変化に驚いたのではないかと思う。第一部から第三部にいたるまで戦争や残虐な描写が出てきた。目を覆いたくなるような場面もあった。ボリスと綿矢ノボル、間宮中尉と岡田トオル。ボリスをやれなかった間宮中尉、綿矢ノボルを追い詰め葬った岡田トオル、そして妻のクミコ。色んなものが複雑に絡み合っている小説だったなと思う。

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2023年07月27日

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損なわれてから回収するまではとてつもなく長い時間がかかる。
ある程度は自分でやらなければいけないし、残りは手伝ってもらわなければならない。
でも時間がかかることは変わらない。

自分の意志と相手の気持ちをうまく一致させることはめちゃくちゃに難しい。
お互いが自分にとってどうしても必要だと思わなければならないから。

壮大に入り組んでいて、回り道をして、
着きそうでなかなか着いてくれない
そこまでして、自分はやっと回収される

普通の生活をする
というのはとてつもなく難しいことなんだと思った。

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2023年07月24日

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いやー面白かった。というか面白かったような気がする。裏に潜んでいるテーマや様々な描写をどう解釈するか。考察サイトで振り返ってみたい。

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2023年06月22日

Posted by ブクログ

相変わらずの個性派揃い

誰が一番良かっただろう?
やっぱシナモンかなぁ

ラストのクミコを取り戻す闘いは
手に汗握りました

面白かったね

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2024年06月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ウィキペディアによると、「第三部:鳥刺し男編」は、第一部、第二部が出てから一年以上経った1995年の8月に出たらしいけど、これは蛇足だ(爆)
これでは、第二部の終わりで描かれていた、あのなんとも言えない寂しい陽光の風景が台無し。

そういえば、松任谷由実の「悲しいほどお天気」という曲の歌詞に、♪みんな まだ 気づかず過ごしていたんだわ ずっと一緒に歩いていけると 誰もが思っていた いつまでもわたしの心にあるギャラリーにある あなたの描いた風景は 悲しいほどお天気ぃ〜というのがあったけど。
この第三部はさしずめ、「悲しいほどお天気」の後に、この時間が終わることを気づかないで過ごしていた“みんな”でゴールデンウィーク辺りに集まって酒を飲んでワイワイ騒いだという歌を聴かされているみたいなものだ。

ただ、それは、自分がこの『ねじ巻き鳥クロニクル』を倦怠期を迎えた夫婦(夫婦というよりは男と女?)の物語として“のみ”読んだからで。
著者がテーマに組み込んだらしい、組織としての暴力が個人に及ぶことということに付随する要素である綿谷ノボル等々、さらに、主人公の岡田亨を助けるorストーリーを動かす役割のシナモンとナツメグ云々を含めて読んだ人は、自分とは違う感想を持つのかもしれないな?とは思う。

自分は、クミコが岡田亨の元を去ったのは、綿谷ノボルとは全然関係ないと思う。
いや。著者が描くこの物語(フィクション)には、そのことは関係あるんだろう。
兄妹として一緒に住んでいた綿谷ノボルとのいきさつがあったからこそ、クミコはずっと心に闇を潜ませていた。
信頼し安心していた岡田亨が他の女性と一晩過ごしたこと、クミコが中絶したことをきっかけに、その潜んでいた闇が頭をもたげだして。
ひょんなことから他の男と寝たことで、気づかず欲していた欲望に気づいて。そこに火が着いてしまえば、その欲望のまま突っ走ってしまう……、というのが、この物語(フィクション)だが。

でも、そういうことが起こってしまうのは、なにもクミコだけじゃない。
現実においては、綿谷ノボルとのいきさつのようなことが過去にあろうとなかろうと、それは女だろうと男だろうと、どんな人にでも起こりうることだ。
それは、大人としての分別とか、そういう次元の話ではない。
むしろ、それが大人だからこそ、社会的な責任やストレス、あるいは時間的な制限で、自分が見えなくなって、どんどん深みにはまっていくものだと思う。
深みにはまっていった結果、本来のパートナーへのすまない気持ちから、自分を責め、罰しようとして、結果的に本来とのパートナーとの関係を壊していく。
世の中にはそんなこと、普通にある。
結婚していない男女の間に起きることなら、もっと普通だろう。


ただ、村上春樹としては、そういう物語にはしたくなかったんだろうね。
だから、そこに組織としての暴力が個人に及ぶことというテーマを組み込むことで、クミコが岡田亨の元を去ったのは、悪の根源としての綿谷ノボルがいたからだ、という現実のドロドロした出来事とは違うキレイなファンタジーにすることで、読者が読みやすい物語に仕立て上げた。
そういうことなんじゃないのかな?

ウィキペディアを見ると、『国境の南、太陽の西』はこの『ねじまき鳥クロニクル』の中にあったエピソードを分離させて一遍の小説にしたみたいなことがあるけど、それを見てもそんな気がするかな?
ただ、そうすることで一種のファンタジーとして面白くはなったんだけど、暴力云々というテーマはこの物語にうまく結合していないように感じた。
出来上がったジグソーパズルに、一部他のジグソーパズルのピースがはまっているみたいって言ったらいいのかな?

そういう風に読んじゃうと、結局、岡田亨はこの第三部でも、♪Nothing’s gonna change my world〜でしかないんだよね(^^ゞ
だってさ。第一部の最初、クミコは不満をあらわにして言うわけだよ。
“あなたは疲れていても誰にもあたらないでしょう。あたっているのは私ばかりみたいな気がするんだけど、それはどうして?”と。

奥さんであるクミコは、一番信頼できて安心できる旦那の岡田亨に文句なんか言いたくないわけでしょ?
仕事等で疲れてるから、イライラしていて、つい言っちゃうわけだよね。
つい言っちゃって、その申し訳ない気持ちから、自分を責める。
でも、自分を責めている自分に居ても立っても居られない気持ちになって、そのことでどんどんストレスを溜めていく。

仕事等からくるストレスで、クミコがイライラするのはどうしようもないことなわけだ。
それは、世の人全て一緒なんだもん。
仕事をしている限り、ストレスは絶対付きまとうものだし。
仕事を辞めることでそのストレスの原因を取り去ったところで、今度は今までストレスでなかったことが新たなストレスに変わっていくだけだ。
それは際限がない。
てことは、ストレスに対処するには、他の何か楽しいことで紛らわすしかないんだよ。

にも関わらず岡田亨ときたら、延々♪Nothing’s gonna change my world〜だ。
もちろん、クミコだって、♪Nothing’s gonna change my world〜は理解出来る。
理解出来るからこそ、クミコは出逢った岡田亨に惹かれて。岡田亨も♪Nothing’s gonna change my world〜を理想とするクミコに惹かれた結果、お互いを一番信頼して、一番安心出来る相手としているわけだ。
というか、だからこそ、クミコは働かないでブラブラしている岡田亨に、“あなたのペースでやればいい”とことあるごとに言ってあげることが出来るわけだ。

でも、♪Nothing’s gonna change my world〜じゃ、友だち同士ではいられても、毎日顔を合わせて一生を暮らしていく夫婦としては続かない。
夫婦というのは、どんなに気が合おうとも、元々は異物同士だからだ。
自分を妥協させて、変わっていかなければどうにもならない。
そのことがよく表れているのが、第一部P16の二人の電話での会話だろう。
知り合いの雑誌社で詩の選考と詩を書く仕事があるけどどう?と言ったクミコに、岡田亨はこう言う。
「僕が探しているのは法律関係の仕事なんだぜ」、「詩なんか僕には絶対書けない」と。
クミコはそれに対して、こう言う。
「でも詩っていたって(中略)別に文学史に残るような立派な詩を書けって言っているわけじゃないんだから。適当にやればそれでいいのよ」と。


先に変わったのは…、というか、仕事等のストレスで否応なく変わっていったのはクミコの方だった。
わたしは、もう♪Nothing’s gonna change my world〜ではいられない、それまでの自分を保ち続けるのはもう限界…、と。
クミコがそれを明確に意識するようになったのは、たぶん、自分一人で中絶を決心して病院に行った時なんじゃないのかな?
相手(クミコ)の意見を尊重するばかりで、旦那としてなんらサジェスチョンしない岡田亨に人生の伴侶としての物足りなさを感じた…、というより、たんにぶっ切れたんだろう。

もちろん、クミコにとって、岡田亨はその時でも一番信頼して安心出来る人だった。
クミコが岡田亨のことを信頼して安心するのは、岡田亨が相手を尊重するタイプの人間だからだ。
なぜなら、兄の綿谷ノボルが相手を一切尊重しない人間だからだ。
だから、クミコは自らを尊重してくれる岡田亨に惹かれ、付き合い結婚したのだ。

そんなクミコも、仕事等のストレスによる日常的な疲れから、自分の行動を他人に決めてもらえたら楽になるのにな…、と変わっていった。
なのに岡田亨は仕事辞めて疲れないのをいいことに、相変わらず♪Nothing’s gonna change my world〜と、クミコとつき合いだした頃のまま、オレもキミもそうだよね?と、その価値観を押し付けて接してくる。

いや。岡田亨からすれば、それはクミコに対する愛情なのだ。
ていうか、もしかしたら、岡田亨はクミコから、おそらく相手を尊重しない綿谷ノボルの精神的暴力を聞かされていたはずだから、意識して相手の意見を尊重するようにしていたというのもあるのかもしれない。
だから一概に岡田亨が自分一辺倒だったwとは言えないのかもしれないが、いずれにしても、クミコがストレス等で変わっていったことに岡田亨は気づかずに♪Nothing’s gonna change my world〜だった。
だから、ストレスに耐えきれなくなったクミコは、岡田亨にあの電話をかけていた。
♪Nothing’s gonna change my world〜じゃないわたしを愛して。
♪Nothing’s gonna change my world〜じゃなくなってしまった、わたしを思いっきり辱めることで罰して、と。
そういうことなんだろう。


こんなことを書くと怒り出す人もいるかもしれないけどw、岡田亨はクミコを“きちんと支配してあげなきゃいけなかった”のだ。
だって、クミコは自分からかつて自分を支配してた綿谷ノボルの元に行ったわけだ。
物理的な理由で行かざるを得なかったというのはあるのかもしれないが、綿谷ノボルの下にいれば生きていく上でのことを自分で決めなくていいから楽だ、…というより、日々のストレスで疲れ果ててしまって、まともな考えが出来なくなり、綿谷ノボルに支配されていた子どもの頃に戻って楽に生きたい…、と考えたというのもあるはずだ。

でも、他人を尊重しないで支配することしか出来ない綿谷ノボルの下で暮らして、クミコが幸せに生きられるわけがない。
だって、クミコは自立した心を持っている。
なら、相手を尊重できて、お互いに一番信頼して安心できる岡田亨に“きちんと支配されて”暮らす方が絶対幸せなはずだ。
なぜなら、それは男といわず女といわず、世の中の多くの人が普通にしている生き方だし。
なにより、たぶん、それらの人たちは自分が支配されて暮らしているとは思っていないはずだ。

それが、P499でボリスが間宮中尉に言った、“この国で生きる手段はひとつしかない。それは何かを想像しないことだ”、に通じているとしたら、かなり怖いが。
でも、P567での笠原メイの手紙に書かれていた、“「また氷かよ、しょうがねえな」とぶつぶつこぼしながら、冬は冬でけっこう楽しく生きているみたいに見えます。私はそういうアヒルの人たちのことが好きです”、という風に見れば気が楽になる。

それは、ネットだのマスコミだのに巣食う輩に「今は生き辛いよね」とエセ共感されることで、オレ/わたしも「生き辛くていいんだ」と自ら幸せになるために頑張ることを放棄するよりは、「しょうがねえな」とぶつぶつこぼしながら生きる方が幸せということと通じているのかもしれない(爆)

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2024年05月01日

Posted by ブクログ

バット、カツラ、井戸、抜けられない通路、パソコン通信、戦争、夢、現実、、

話に出てくるわけわからない物や状況を並べてみると、ボヤっと村上春樹さんの言いたいことがわかるような気もする。

まあ境目がわからないまま終わるとこが良いし、わからなくて良いと思う。

あるいはわかるフリをしてみるとわかるのかもしれない。

そんな感じ。

1番好きな登場人物は
クリーニング屋のオヤジ

数ある表現で良かったのは
程度の良い死体: 無気力な状態


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2024年04月13日

Posted by ブクログ

第一部からコップの水をひっくり返したかのように四方八方に広がっていった物語が、第三部で徐々に収束していくのかと思いきや、広げた風呂敷はそのままの状態で終わってしまった。純文学を読み慣れている人には面白みを感じるのだろうか…難しかった…

1Q84の牛河が登場(本作が初登場だったらしい)したときが、個人的に一番テンションが上がった。

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2024年04月08日

Posted by ブクログ

やーーっと、読み終わった。
3部作を読み終えるまで実に長かった。
なぜ長くなったか。暗く底が見えない井戸のように世界観が深くすぎて、様々な解釈をしながら、一歩ずつその世界を進んで行ったから。
主人公の思考の世界に迷い込み、一緒に苦悩し、解放された、そんな感覚を覚える作品だった。

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2023年11月17日

Posted by ブクログ

テーマも文体も1つ前に読んだ1Q84より難解。ノモンハン事件の描写とか重い出来事を小説の中に組み込んでて凄いなあと思った。

集合的無意識の考え方で話が進んでて気がつくまで物語の理解が難しかった笑
様々な謎は最後まで読んでも結局明らかにされないことも多くて残念。

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2023年11月10日

Posted by ブクログ

来月、門脇麦ちゃんが出る舞台を見に行くので20数年振りに読み返し。
最近は活字に入り込むのに時間がかかるようになってこの分厚い内容を読み終えるのに1ヶ月ほどかけてしまった。間宮中尉のくだりはやはり面白いな。主演の二人が「ここだけで舞台できる」って言ってたけどまさにそれ。
内容はもうまさに村上春樹ワールドすぎて、理解とか、感想とか、そんなものを文字にすることはできないけど、とにかく舞台が楽しみです。

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2023年10月30日

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