【感想・ネタバレ】九十九十九のレビュー

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Posted by ブクログ

九十九十九はその名前を理由に3人いる。最後にラスト6話の九十九十九と前章7話の九十九十九が戦って、更には1話から通して世界を経験している九十九十九とも戦う。戦いを通じて、ラスト6話の九十九十九は次の新7話に移行することを拒む。だけどなんだかんだ6話にいちゃいけないと6話のお嫁さんに説得されて新7話にいくことを決意する。まだアポカリプスの見立ては終わってない。
家族愛の存在を信じ、その在りかを求める九十九十九永遠の旅。
登場人物はオリジナルでなくJDCものなので、この後のディスコ探偵水曜日のための習作なのかなと思う。

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2017年06月04日

Posted by ブクログ

こりゃもうほんとに衝撃だった。
初の舞城王太郎体験。

息苦しいほどに句読点もなく詰め込まれた文章、
だけど謎のスピード感にどんどん読んでしまう。
「読めてしまう」んでなく、「読んでしまう」。

グロくてクレイジーで限りなく悲しくて意味不明で。

元ネタを全く知らないけど、
メタ的に進むストーリィに引きこまれた。

何度巡っても、世界の形は残酷で、悲しみが広がる。
九十九十九がどんな存在だったとしても、
直視すれば気絶するほどの美形だろうが、
三ツ頭の恐ろしい存在だろうが変わらない。

物凄く力のある現代ポップアート(しかも露悪的なやつ)を見た感じ。

本当に衝撃のひとことに尽きる。

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2012年06月08日

Posted by ブクログ

大澤真幸の「不可能性の時代」で紹介されたため読んだ本。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の
レビューでもちらりと触れました。


舞城王太郎が書いたこの小説、
世間のライトコンテンツで描かれる無限ループ性に、終止符をうってみる、
ということをしたかったのかもしれない。

大澤真幸の言う「選択」の象徴、「同人誌の流行」。
自由にキャラクタの物語を変えられる同人誌は
「自由」「選択」という時代の表れらしい。
また、世間のライトコンテンツに見られる「無限ループ」という設定も、
同人誌のような「書き換え」によって無限な膨張の象徴、らしい。

ここで九十九十九を見てみる。

無限ループ性をしっかり備えている。
そして次章が前章を内包していき、終わりがない。
「自由」「選択」の象徴である無限ループの世界。

そこに舞城は、ピリオドを打つという作業をした。

「自由による束縛感」からの開放が必要なんじゃないの?
もしくは、それをみんな望んでいるんじゃないの?

なんて言いたげに。
そういう社会背景性が、読み取れる(あるいはこじつけられる)。

というのが大澤真幸の論のばっくりしたものだが、
やはり、これはいえていると思う。


何故なら、主人公が狙い済ましたように、同人誌的だからだ。
主人公「九十九十九」は、別の作家の小説の、主人公なのだ。
ここに「同人誌性」への意識が見られる。

つまり、主人公も「自由」「選択」の象徴なのだ。
その象徴的な主人公が、象徴的な無限ループの物語を生きる。
おそらく舞城王太郎はこれを意識してやっている。
それくらいの裏を期待をさせる作家なのである。

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2010年02月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ツライ。今回は辛さが勝(まさ)ってしまった。
この場合の「ツライ」はしんどいとか悲しいとかの意味です。
しばらく立ち直れないかもしれない。

清涼院流水のJDCシリーズの二次創作なのかと思って読み始める。
九十九十九が主人公で、美しすぎるって設定はそのままで、九十九十九が誕生するシーンから始まるんだけど、美しすぎて生まれた途端周りが失神して、美しすぎるので誘拐されて、美しすぎて顔を傷つけられたり折檻されたりして…って展開に、清涼院流水の世界ではまるっと無視されていた美しすぎることの現実(いやフィクションなんだけど)を突き付けられて、のっけから雲行きの怪しさを感じ取る。
誘拐犯で虐待者である鈴木君の暴力から逃れるため、夫の加藤君が、鈴木君と加藤君のコドモであるツトムとともに九十九十九を連れて実家の福井に帰る(福井かぁ舞城王太郎だなぁ)と、九十九十九は加藤家のコドモであるセシルとセリカにペット扱いされる。
この時点で、これいわゆる二次創作じゃなくね?と気づく(←遅い)。

清涼院流水が自作で繰り広げる言葉遊びを舞城も見せるんだけど、舞城の方が巧みで(あくまで個人の感想です)、清涼院流水の立場無いなぁとか思ってしまう。
でも清涼院流水は先駆者という点において絶対的な存在なのは揺るがない。
で、舞城は流水を凌駕しつつ、流水をすごく良く理解しているとも感じる。「JDCシリーズの本質は執拗なアナグラムと駄洒落にあるからね」なんて台詞は、鋭い指摘だなと思う。

清涼院流水の創作世界は現実とは切り離された「優しい世界」なのに対して、舞城王太郎のそれはとことん現実が介入してくる。しかも楽しくないほうの現実。
私は多少なりとも現実逃避したくてフィクション読んでるところがあるので、全然逃避させてもらえない舞城王太郎の世界はツライ。

第二話で清涼院流水の書いた第一話が届くのは、清涼院流水作品を踏まえてるが、その内容は、第二話の九十九十九が経験したこととそうでないことの両方が取り込まれてて、つまり事実に反している。第一話というフィクションと第二話という現実の二重世界が進行するくだりは、清涼院流水以上に『匣の中の失楽』ぽい。
でも第三話で届く清涼院流水の書いた第二話は(それを読む九十九十九が言うには)やはり事実に反していて、ここでも世界は分岐する。『匣の中の失楽』では奇数章と偶数章のパラレルワールドだったけど、舞城の世界はマトリョーシカを仕舞っていく感じでどんどん外殻が出来る。
そのうち、舞城の過去作品で起こったエピソードが挿入されたり、エキストラが舞城作品のどこかで出てきた人の名前だったりして、自らの作品をも取り込んでゆく。

作品中にはあらゆる見立てが散りばめられている。
でも見立てって見立てられるモノが万人に共有されていることで成立する手法なので、名物編集者やら話題の作家やら、よほどミステリ業界と講談社ノベルス界隈に詳しくないと通じない楽屋落ち的な一面は、ぼんやりとしか分からない(やけに佐藤友哉推しなのが気になる)。
一方、作品の核でもある創世記の見立ては、自分が創世記をちゃんと知らないものだから、こちらもぼんやりとしか分からなくて残念(これは教養の問題なので私の落ち度である)。

でもぼんやりとしか分からなくても、九十九十九の美しさとは何なのかという核心に物語が迫ってくると、ツラサMAXになる。

これ、JDCでも何でもないやん。

奇形児を中心に繰り広げられるネグレクトや虐待と、家族愛という、作品世界の正体は、最高にツライ。
ここに閉じ込もるべきか現実を受け入れるべきか、と当事者が葛藤する。
神(=創造主=作者)の設定は清涼院流水に重なるけど、物語を破壊しようとする行為は、舞城王太郎による「優しい世界」の否定でもあるのかも。(ちょっとこの辺りは確信がない)

虐待と家族愛は舞城王太郎の不変のテーマだけど、今回辛さが勝ってしまったのは、いや舞城は決して虐待を肯定してるんじゃないのは分かってるんだけど、ほんのちょっとそんな兆しをどこかに見てしまったからな気がする。

タイムワープして行ったり戻ったりするあたり、戻って読み直した方がより判るだろうとは思いつつ、舞城王太郎はやっぱり二度は読めないのである。


(追伸:ネット上に落ちている本作品の批評に良質なものがありました)

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2021年07月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

元の探偵ものシリーズのトリビュートとのことですが、未読のままこちらを読んだ自分も問題なく楽しめました。
(wikiの該当キャラの項目を先に読んでおいたほうが面白かったかも?)
それを踏まえても、元小説のファンはこの内容で怒らなかったんだろうか?と心配になる^^;

●以下ネタバレ
章の順番がめちゃくちゃなところからも、この小説がどういうものかがわかる訳ですが、色々時系列を気にして頭を回転させながら読んでも、ああ、そういうことなの・・・みたいなオチだから脱力すると同時にその疲労が全部悲しみに変わるストーリー構築なので再読する自信がまだ無い。

つくもかわいそうすぎるやろ・・・

●以下ラストネタバレ
ラストの「アキレスと亀」の引用は、時間をどんどん分割していくことによってはたからみたら永遠に静止しているように見える、ということを言っていると思う。
つまりカーズ様よろしく「考えるのをやめた」のだから結局目覚めないんじゃ・・・という結論になってしまって悲しい。
ていうか元々加藤さんちの地下室から出てないんじゃないかと思うんだけど・・セシルとセリカも本当はいないんじゃないかな。

って考えると本当に悲しいのでちゃんと目覚めて現実と向き合う展開で終わってほしい訳ですがそうなるともう別の小説なので続かないんだろうなあ

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2016年10月10日

Posted by ブクログ

2014年の1冊目。
これまでに読んだことのないタイプの小説だったのでものすごい衝撃を受けました。
面白いことは面白いのですが、粗筋が説明できない。それくらい難解。
でも不思議な中毒性があるので、もう何回か読み直すかも…

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2014年01月11日

Posted by ブクログ

舞城王太郎の九十九十九は、やっぱり舞城王太郎の九十九十九でした。
てか、加藤九十九十九って! 名字、別にあるのかよっ、みたいな。

キャラも全然違うしね。

あたしとしては、舞城王太郎の九十九十九の方が好きです。
というのも、清涼院流水の九十九十九は、なんか人間味がない。
で、それゆえにあまり魅力的とは思えないのだけど、舞城王太郎の九十九十九は、それとは違って、全然完璧でなく、悩んだり、迷ったり、困ったり、いろいろ「ふつー」だから。
とはいえ、清涼院流水の九十九十九とは違う意味で、人間を逸脱している感は否めないけど(目玉の取り外しが出来たり…)。

ストーリーの方は、ん〜…ぐちゃぐちゃ?
九十九十九がいっぱい。
舞城王太郎のこういうジャンルの本の書き方は、考える暇を与えないくせによく考えないとわかんない、っていう…。

その複雑ぐあいは、もう、目次構成で一目瞭然です。
1章→2章→3章→5章→4章→7章→6章。
目次で章を入れ替えるって、初めて見た。
びっくりです。
単純に入れ替わってるだけだったら、まだ混乱しないけど、これは…この書き方は…そりゃ、何人もの人が「5章以降わからなかった」って言うわけだ…。
興味がある人は直に読んでみて下さい。
この複雑加減は、読まなきゃわからないのです。

さて、長くなってきたので、最後に、この本の主題とはまったく関係ないところで一番おもしろかったとこ。
それは、清涼院流水のJDCメンバー、それぞれの推理法に対する記述です。
みんなそう思ってて、言わずにいたのに…みたいな。
抜け駆けちっくです。
…でもこれも、あたしがここで引用するより、直接読んだ方がおもしろいと思うので、JDCについて多少知っていて、興味がある方は、書店で流し読みでもしてください。

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2013年10月16日

Posted by ブクログ

一般論に「世界を変えたければまず自分が変わるべき」というのがありますね

そりゃ、物事の順番として
「まず自分が」というのがスジであろうと僕なんかも思う
しかし、そうであるからといって、いったい誰が保証してくれるだろうか
「自分が変われば世界も変わる」なんてことを?
そうだ、自分を変えたからといって、それに合わすように
世界のほうでもその形態を変えてくれるわけでは、必ずしも、ない
特に、彼がこの世界における「異物」だったりなんかした場合にはね
そして、世界の変わらないことを「自分の変わりかたが足りないからだ」
「自分の変わりかたが間違っているからだ」
などと思い詰めたあげく
寛大さや誠実さや正直さなんかをかなぐり捨てて
モンスターになっちゃったりする人も、まあ、いたりするわけだ

そんなことになるぐらいなら、一生自分の殻にとじ込もって
妄想の世界に生きたほうがマシかもしれない
けれども、人は老いてゆくものであり
老いは人を否応なしに凡庸な死へと追いやる
だから、やっぱり
アキレスは立ち止まることなく亀を追い越してゆくべきなんだ
それがどんなに恐ろしいことでも
後悔のないように、手遅れにならぬうちに

平行世界モノに見せかけて、これは一種の夢オチであると思う
主人公の「メタ探偵」ぶりは第一話から圧巻、なんだけど…

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2014年01月14日

Posted by ブクログ

これはまた、あまりに難解で、何回読んでも(駄洒落じゃないよ)話の階層が把握できない、舞城ワールド全開の一冊でした。メタメタメタメタメタ構造、みたいな。第1話・第2話・第3話・第5話・第4話・第7話・第6話という目次の並びから、くらくらと眩暈。
基本的には、各章が小説という形で次章の主人公=九十九十九に送られるっていうメタのマトリョーシカ的な構造になってるんだけど、章をまたいだタイムリープがあったり「創世記」と「ヨハネの黙示録」の見立てがメタ世界を繋いだり…と、まあとにかくなにがなにやら。
でもカオス具合と世界観のでかさでは、『ディスコ探偵水曜日』が一枚上手かなあ。

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2013年03月25日

Posted by ブクログ

―――「苦しさを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ」。
聖書/『創世記』/『ヨハネの黙示録』の見立て連続殺人を主旋律に
神/「清涼院流水」の喇叭が吹き荒れる舞台で踊りつづける
超絶のメタ探偵・九十九十九の魂の旅が圧倒的文圧で語られる。


舞城王太郎二作目若干表紙に惹かれたとこもあるけど
ちなみに読み方は「つくもじゅうく」

もうね、ハンパじゃない
現実と小説と嘘と真実とメタが
何層も何層も折り重なって
読んでるうちに、脳みそを直接揺さぶられてる感覚をあじわえた

でも エログロ含め、あらゆる意味で
露骨な表現が多用されてるから
そういうのに免疫というか耐性のない人にはオススメできない

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2012年12月30日

Posted by ブクログ

時系列めちゃくちゃだけど、一応どっかとどっかはつながってて整合性は保たれてる。

嘘と気づけないならばそれは真実。
ラストのゼノンのパラドックスの引用は渋い。
まぁとにかく舞城氏は「書き出し」と「結び」がうますぎるので、どれだけ中身がぐちゃぐちゃしてても読めてしまうのが魅力かと。

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2012年08月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

前話が次の話の中で作中作として消化されていく入れ子構造をとったとんでもなくメタメタな作品。
一見すると意味の見えない行動、現象もその後の話の中で見立てとして回収され、意味のないものを全て消し去る勢いであらゆるものに意味付けがなされていく。
作品内で自分が登場する小説を読まされる九十九十九は読者の視点を共有しながらも自身が虚構内の存在にすぎないためどっちつかずの宙ぶらりんな状態に放っておかれる。
その不安定さをだんだんと九十九十九自身自覚していき、最終的にはその不安定な状態を積極的に肯定する形で作品は終わる。
東浩紀の『ゲーム的リアリズムの誕生』で取り上げられていた通りの解釈だけに留まる作品とは思えないが、繰り返される物語と増殖するプレイヤー=九十九十九の部分は確かに一部分言い当てているように思える。
最後の一文「その一瞬の永遠の中で、僕というアキレスは先を行く亀に追いつけない」がたまらなくかっこいい。

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2011年08月17日

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『苦しみがあるのなら、その愛情は諦めて、別の相手を探した方がいい。世界には他にも自分の愛情を注ぎたくなる人間がたくさんいる。』

『知識には必ず限界がある。それはちゃんと知っておかないとね。自分が何でも知ってると思ったら、それこそ無知の表れ。』

『誰かと争ってるからいろんなものが見えなくなるんだよ。意味もなく争うのは控えなさい。争うのは、その争いが誰かを育てるときだけ』

『言いたい言葉を捜して選んで直して整えているのだ。』

『頭がいいのとは違う。僕は知ってることと知らないことをちゃんと分けてるだけ。他の人の中には、知らないことも知ってるつもりになる人がいて、そういうに人が間違えたり勘違いしたりする』

『どうしようもないことをどうにかしたいと思いすぎているのだ。』

『解消された問題を、さらに解決しなきゃいけないことだってあるんだよ』

『判んなかったら考えて欲しいの、私』
『判んなかったら教えて欲しいよ僕は』

『いろいろありがとう。お前が僕のためにやってくれたこと、たぶん僕は判ってる。全部判ってるかどうかは判んないけど、いろいろ判ってる。判んないところはこれから考えるよ』

『愛してるよツトム。何があろうと。どんなことが起ころうと。あなたがどんなふうであっても。どんなことをしても』

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2011年06月02日

Posted by ブクログ

小説の中に小説が入り込む。意味がわからないのではない。"小説"における常識的な事が徹底的に覆されている。
自分が出会った事の無い小説。

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2010年06月28日

Posted by ブクログ

いつもの舞城作品と同じく、うねりにうねるドライブ感で600ページも一気に過ぎていく。
この作品では小説内における登場人物の「自分」とは何かについて書かれているように思う。
各章ごとにおいて主人公もその他の登場人物も違った役割を演じているし、それぞれの章が入れ子のようになっていて、彼らは死んではまた別の「自分」として生き返る。
また、九十九十九そのものがほかの作家のキャラで、いわばこれは二次創作とも言える。
そのような二次創作的な世界の中において、キャラクターはどのような役割を果たすのか、どのようにして境界線を越えて広がる小説内を生きるのか、そのことについて追及されているのではと思ったりもした。

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2010年04月23日

Posted by ブクログ

清涼院流水の流れで読んではみたものの
舞城のすごさに圧倒された感がある。
流水とはまったく違う。
しかし、これはこれでありだわなあ・・・

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2011年09月07日

Posted by ブクログ

わっけわかんない
と思いつつもページをめくる手が止まらない
純文学だけが文学だ!って人には受け入れられないだろうけど、こういうのもアリだと思う

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2009年12月14日

Posted by ブクログ

こんな人に薦められない小説ないなあと。

小説読んでると、空気を掴むような話でさっぱり意味わかんないとかよくあるじゃないですか!
でもこれはそんなんじゃなくて普通に話が難しすぎてよくわからない。1話の内容は実は二話の主人公のもとに届いた小説の内容で、実際その二話の主人公(1話の主人公と同一人物)が体験した過去とリンクしてるんだけど、そこには嘘と真実が混在しててどれが実際に起こったことかわからないです。で、その二話の内容も三話の主人公の元に届いた小説で…という風になっています。それぞれの話で創世記やヨハネの黙示録に見立てた殺人事件が起きるんだけどそれも嘘だったりホントだったり、そもそも見立てても元ネタ知らないからそれもよくわからない。それぞれの話で共通の人物(主人公の弟とか)も出てくるけど、それぞれの話で言ってること違うからどれが真実かもわからず。

話自体はよく分からないだけど、そもそもこの話はその難しい構造を分からせようとしているんじゃない気がします。ただ遊びたかったんじゃないかと。
実際に言いたいことはやっぱきっとそんで愛で、恋人に対する愛だとか、自分の子供に対する愛だとか、兄弟に対する愛だとか、育ての親に対する愛だとかそんなんな気がします。グロかったらりエロかったりするんだけど愛がにじみ出てるのです。それがまた心地よいです。

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2012年01月05日

Posted by ブクログ

途中まで物語の構造をある程度把握してるつもりで読んでいたのだが、九十九十九が複数人登場し出す辺りから訳が分からなくなった。「不可能性の時代」(大澤真幸)の207ページ以降を読んでさらに混乱。この本ってそんな話だったの?!
もう1回読まなければ、頭の中で整理出来なさそう…。

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2019年05月11日

Posted by ブクログ

清涼院流水作品は未読。とにかく過剰のアクセル全開の上、グロいしメタだしで読んでいて疲れた。メタ度は『匣の中の失楽』以上と言っていいのではないか。
しかし、私は舞城さんのしょーもないギャグになぜかけっこう笑ってしまうのだ。この作品でも、「名探偵大爆笑カレー」という名前が出てくるたびになぜかあははと思ってしまった。なぜだろうな。

とはいえ、書いてあることは他の舞城作品と共通している。現実を認めること、自分で選ぶこと、そしてやっぱり家族愛。この人の愛情の書き方は、本当にドメスティックだなぁ。

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2015年02月22日

Posted by ブクログ

なんやこれは。二番目に読んだ舞城作品。移り変わっていく世界にびっくりして、でもすごいスピードで進んでいくのに必死でしがみついてた。

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2014年03月11日

Posted by ブクログ

文章を必死に追いかけて、そのシーンを想像するのは楽しかった。だけど意味不明。
何年も前に読んだけど、何年も忘れない内容。だけど意味不明。
結局主人公はどうなってどういう話だったのか誰かに説明してもらいたい・・・

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2013年08月19日

Posted by ブクログ

舞城王太郎大好きなんだけどこれは難しい難しい清涼院流水知らないし聖書も読んだことない!と思いながらも最後まで読まされてしまいました。
舞城王太郎天才。舞城王太郎の小説には愛が溢れてる。

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2011年05月12日

Posted by ブクログ

この方の作品中、一番わからなかった作品。


ただ、なぜか
最後2話
涙が出た


いや、それにしても
びっくりするほど
わからなかった

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2011年04月21日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ヴィレバンの舞城特集で、「舞城の基本作!」みたいな紹介のされ方をされていたので読みました。読んで見て納得というか、これからの舞城氏の可能性の原点を総て詰め込んだ小説だなあと思いました。

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2015年03月05日

Posted by ブクログ

清涼院っぽさがもともとけっこう苦手にも関わらず
舞城だからv とミーハー心で読んでみたのですが、
ところどころに清涼院っぽさが見え隠れして
くじけそうになりながら読みました。

永遠に続くループなんじゃないかと五話六話あたりを
読みながら恐ろしくなったのですが…
…あれはきれいに終わった、のでしょうか。
正直よく分からなかったです。

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2010年06月27日

Posted by ブクログ

ミステリー型舞城作品。
各一話ごとの世界にそれぞれ「同一の」主人公が居るパラレルワールドの展開。場合によっては、ある主人公が自分の世界(=自分の第○話)を飛び出して別の世界(=自分以外の第×話)に登場してみたり。よって話が進行していくほど、混乱の極みに近付く。清涼院流水の作品を読んでないと面白さは半減なのかな、やっぱ。

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2010年04月18日

Posted by ブクログ

テーマのひとつである聖書の見立てが、私にはさっぱり。
舞城特有のドライビング感は控えめ。
主人公が「美しすぎる美」を持つ理由には、ががん!となった。

MVP:寛大誠実正直

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2010年04月04日

Posted by ブクログ

美しすぎるあまり、顔を見た人を失神させてしまう名探偵の話。今まで読んだ小説の中で一番意味不明かもしれない。
この本の影響で、清涼院流水さんの小説を買ってしまいました。

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2009年12月15日

Posted by ブクログ

2007/1 購入。
2012/7/25~7/28

永らくの積ん読本。久しぶりの舞城作品だが、相変わらずのハチャメチャぶり。おまけに清涼院流水作品のパロディということで、清涼院作品を読んでいない身としては、イマイチ乗り切れなかった。でも、なんだかんだでグイグイ読ませるのはやはり筆力の為せる技なんだろう。

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2012年07月28日

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