【感想・ネタバレ】源氏物語 巻一のレビュー

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Posted by ブクログ

原文の味わいを損なわない雅な文章で、でもわかりやすく読みやすかったです。この勢いに乗って続きの巻もがんばって読みたいと思います。

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2015年01月05日

Posted by ブクログ

教科書や問題の断片的な場面しか読んだことがなかったので、初めて通しで読み、その面白さを体感できてよかった。とても読みやすくて、心理描写はきめ細やかで巧みだし、光源氏の自由奔放な恋愛模様は痛快ですらあった。

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2023年08月15日

Posted by ブクログ

紫式部の「源氏物語」というと、私の中では勝手に、平安時代という、歌を嗜むような、どこか優雅で気品のある、なんだろう、大人の余裕というかね、そんな貴族達の上品なやり取りの中に、パッと花開くように御座す、光源氏の存在をイメージしていて、「すべての恋する人に贈る最高のラブストーリー」、いいじゃないですか。

と思ったら・・・何これ(笑)


源氏物語は、全五十四帖あり、巻一は「桐壺」から「若紫」の五帖で構成されてまして、もしかしたら、私のように勝手に高尚なイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんので(後々、高尚になるのかもしれないが)、せっかくのこの機会、色々と書いていきたいと思います。なんということはありません。瀬戸内寂聴さんの、そのあまりに素晴らしい訳のおかげで、まるで最近、発売された現代小説を読んでいるかのような新感覚は、最初こそ見慣れない単語に躓きますが、それも巻末の語句解釈で理解出来ますし、読めばきっと面白いと感じ、続きが気になること間違いなしの、平安時代の小説です。


「桐壺(きりつぼ)」
「帝」から、右大臣の娘「弘徽殿の女御」を始め、名だたる妃たちを差し置いて、悪目立ちするくらいの好意を受ける「桐壺の更衣」は、その嫉妬からか、今でいうイジメのような精神的苦痛を受けながらも(天皇の夫人の地位は、皇后、中宮、女御、更衣の順番)、二人の間に誕生したのが、後の文武両道で艶やかな美しさと気品をたたえながら、稀有な相を備えた「光源氏」であるが、周囲からの精神的苦痛が影響したのか、その後、桐壺の更衣は亡くなってしまい、その葬儀の場面に於ける、母君の「娘と同じ煙になって空へ上りかき消えてしまいたい」と泣きこがれる姿には、思わず同情してしまうようなやるせなさがあり、帝も悲しみに暮れるのは分かるとして、もう少し上手いこと出来なかったのかなとも思い、帝がこそこそするのもあれだとは思うが、結果、更衣が亡くなったのはそういうことでしょ、って考えると、その後のメソメソしている様子からも、まさにそれは、男が意中の異性に出会った時、その周りの景色が全く目に入らないくらい、異性だけの世界に没頭してしまう、それに良い悪いの判断は簡単に付けられないのかもしれないけれど、そんな幾つになっても持ち続ける、男のセンチメンタルさの哀愁を描いているようでもあって、それは帝の心境の一つであった、闇の中での逢瀬が、はっきり見た夢のそれより劣っていたという古歌とは反対に、この手に実際に触れたあの生きていた人には到底及ばなかったという思いにも、よく表れている気がして、そんな憎めきれない微妙な在り方に、帝も人間なんだといった、新鮮な体験をさせていただいたようで、紫式部のこの視点、凄いかもしれない。

ちなみにその後、光源氏は、右大臣への権力の偏りを防ぎたい、帝と左大臣の思惑により、その娘、「葵の上」と望まざる結婚をさせられてしまい(所謂、計略結婚?)、当時の貴族の結婚は、婿よりも花嫁の方が年上でリード役との事であるが、案の定、自尊心の高いツンとした冷たさに、それも叶わなかった光源氏は、当時12才だったそうで、可愛そうにと、ここではまだ同情していたが、このような興味深い政治的展開は以後、ほぼ出て来なくなり、この時点では、まあ特に珍しくない普通の話じゃないかと思っていたが、ここからです、衝撃的な展開は。
いよいよ、お待ちかねの光源氏劇場の始まりでございます。


「帚木(ははきぎ)」
ちなみに源氏物語は、後宮に仕えている女房が語る話という設定で書かれてまして(所謂、家政婦は見た的な?)、ここからは、そんな女房ならではの率直で辛辣な心境を上品に語っている点に、また生々しい面白さがあり、早速、帚木の始まりの文章から、これまでと違った雰囲気というか、嫌な予感が。

『光源氏、光源氏などともてはやされ、その名だけはいかにも仰々しく華やかですけれど、実はあれこれ、世間からそしりをお受けになるようなしくじりも、少なくはなかったようでした』

うん、しくじり?

『ただまれには、強いて苦労の種になるような恋を、ひたむきに思いつめられるという、生憎な癖がおありでした。その結果、不謹慎なお振る舞いも時たま、ないとは言えませんでした』

生憎な癖に、不謹慎なお振る舞いって(笑)
なんか「お」が付いていると、とても雅なことをやっているように感じられるけど、これって大丈夫?

物語は、源氏の君(光源氏)と、その友人「頭の中将」に、「左馬の頭」と「籐式部の丞」が加わって、恋バナを繰り広げる場面から始まるが、このシーンがとにかく長く(30ページ以上)、こういうのって、それぞれの中の理想の女性像の違いは明確なのに、単にそれを人に話したいだけなんだろうなと思いつつも、特に左馬の頭はよく喋るなと思い、「身を入れすぎるのも、家事にかまけきっているのも困りもの」に、贅沢な奴だなと感じたり、「話のわかってくれる妻とこそ、話し合って慰みたい」に至っては、そもそも話し合わないと話を分かってくれないだろとツッコミ所満載で、くどいけれど、なんか面白い。

その後、左馬の頭の昔の失敗談となるが、そこで印象的だったのが、その浮気癖にひどく嫉妬をやいた女が、彼との口論中、その指にがぶりと噛みついた事であり、この生々しさはおそらく理性的なものではなく、私には、本能的な部分から引き出された、その燃え盛る愛ゆえの情念的純粋さに思われ、その形は歪なのかもしれないが、それだけの行動に駆り立てるくらいの本気さに、とても惹かれるものを感じさせられて、思わず、居住まいを正してしまう。

ちなみに、このエピソード、喧嘩の後、男がわざと意地を張って距離を置いていた間に、女は悩み悲しんだあげく亡くなってしまったそうで(えっ!?)、その後はあっさりともう一人の女の所へ行ったが、別の男といちゃつきあうのを見て、腹を立てて、結局別れたという・・あーあ。

しかも、それを聞いた源氏の君は、
「どちらにしても、みっともなく、外聞の悪い身の上話だね」と笑っていて、後々のエピソードを知った後であれば、おそらくお前が言うなよと感じているところであり・・・実はこうした後々の展開に向けた伏線にも、紫式部の凄さがあるそうで、読み返すと、改めてその構成の妙も感じさせられると思います。

また、もう一つ印象的なエピソードとして、式部の丞が久しぶりに女を訪ねたとき、その女は風邪のため、にんにくを服用していて、「この悪臭が消えた頃、お越し下さいませ」と大声をはりあげる中、気を遣った式部の丞は、逃げ腰になりながらも歌を送って走り出したら、その背後から間髪いれず返歌を寄こしたことに、男たちは嘘だろうと笑っていたが、こういうのを男は素直に誉めませんよね。とても健気だと思うし、そもそも、そんな状況だったら声を出すのも嫌なはずなのに、ちゃんと返歌もその場で瞬時に考えて寄こしてくれる、その博識ぶりも素直に認めたくない、単なる負け惜しみですよ。

そして、長い恋バナもやっと終わり、久しぶりに左大臣邸を訪ねた源氏の君だったが、方違えの為に、偶然泊まることになった、紀伊の守の家で、彼の父の後妻「空蟬(うつせみ)」に目を付けてしまい、それはおそらく、彼の父と比較して、かなり年下で若いことと、中流の上の女に掘り出し物があると言っていた、左馬の頭の言葉を思い出したのではないかと思われるが、その夜、なんと源氏の君はいきなり、空蟬の寝間に侵入して、呆れはてた彼女に対して、「長年ずっとお慕いつづけてきたわたしの気持もお話しして知ってほしくて」と、しれっと嘘を付く、この根性凄いなと思っていたら、今度は

『わたしはあなたのいう女の身分がどうのこうのということさえ、まだよく知らないほど初心で、こんなことははじめての経験なのですよ。それをまるでありふれた浮気者扱いなさるのは、あんまりだと思います』

に、浮気にありふれたも何も無いのではとは思ったが、これは源氏の君にとって、倫理的問題はともかく、もし初めての恋であるのならば、その無自覚な自分本位の行動が、女性には却って辛いものになることも知らないのだろうし、その無邪気さにイケメンが合わさると、また妖しい魅力となるのかもしれないとは思いつつも、この人馬鹿だなという気持ちは止められず、その後の手紙のやり取りも無理だろうと悟った瞬間、おいおいと泣き伏すのには、ピュアさを通り越して怖いものがあったし、更には、空蟬の弟「小君」を呼び寄せて、彼に姉との手紙のやり取りをさせるといった、小賢しい一面も持っていて、なんだか私の中で勝手に抱いていた、光源氏とはまた違った魅力があるようで、要するに善悪で判断するというよりは、好き嫌いで判断していくような感じというか、これは小説だからこそ楽しめる、ひとつの人間の生き様なのかもしれない。

それにしても、空蟬の気持ちを考えると、何ともやり切れないものがありそうで、彼女の中では既にその地位が決定してしまっているからこそ悟ってしまった、彼の決して本気ではない、一夜限りの遊びに、彼女自身の女としてのプライドを傷つけられてしまい、せめて本気の恋ならばと胸を締め付けられるような言葉に出来ない思いは、はたして、どう静めればいいのかと考えると、何とも罪な男だと感じたが、彼女の物語はまだ続きがあるのです。


「空蟬」
前回、空蟬から、思いっきり嫌われに嫌われた源氏の君だったが、それでも諦めきれず、紀伊の守が留守にしているときを見計らった小君の計らいで、再度訪れるが、ここで彼の生憎な癖が発動してしまい、紀伊の守の妹を覗き見してしまう。

『こんなに油断した無防備な女の様子を覗き見したりなさることは、これまで経験なさらなかったことなので、女たちが何の警戒心もなく、すっかり自分に見られているのは気の毒とは思うものの、もっと長く見ていたいとお思いになります』

ああ、こんな背徳的な事ばかり覚えていって、彼の行く末は大丈夫なのだろうか。
とは書きつつも、彼だけがしているわけでもないのだろうと思うと、割と大らかな時代なのかな。
今の倫理観に照らし合わせるから、そう思うのかもしれないしって、今ならば確実に通報されるけどね。

そしてその夜、小君の斡旋で(この子、健気だな)、再び空蟬の寝間に侵入するが、なんと、そこで寝ていたのは、気配を察して逃げ出した空蟬ではなく、紀伊の守の妹こと、空蟬の継娘の「西の対の娘」であった。

が、何ともばつの悪い感じになっても、挫けないのが(あるいは馬鹿なのか)源氏の君であり、『感心できないいつもの浮気なお心のせい』で、なんと、そのままなさってしまう・・しかし、面白かったのは、その継娘の自然体で個性的な所作であった。

『処女であったわりには、初々しさに欠け、物馴れた様子で、うろたえるという風情もありません』

あははは。その固定観念に若さが見えて、やってることは非道いけど、もはや滑稽だよね。
だから、もっと女性のことを深く知ろうよ。
しかも、この後、変に継母の事まで気遣った挙げ句に吐いた台詞が、
「実はあなたが目当てだったのですよ」(こらっ!)
で、その立ち去り間際には、継母の薄衣を持ち出してしまうといった・・・もう頭痛くなってきた(笑)
結局、あなたは何がしたいの?

また、その後はバチが当たったかのように、年寄りの女房にバレそうになったり、小君には、
「お前はやはり子供で役に立たないね」(こらっ!)
と八つ当たりをしたりと、ここまで来ると、彼自身の社会学習とも思えてくるような物語だが、最後には、空蟬のその名前に因んだ、彼女の切ない胸の内を知ることが出来て、見事な帖締めとなっております。


「夕顔(ゆうがお)」
六条あたりに住む恋人のところに、ひそかにお通いになられている(えっ!?)、源氏の君であったが、この帖で一つのポイントとなりそうなのが、尼君(大弐の乳母)との死別であり、「桐壺」での更衣の死もそうだったが、もしかしたら彼の浮気や留まることを知らない数々の恋は、幼い頃、充分に貰うことの出来なかった愛の枯渇さの裏返しなのではないかと思えてきて、実は彼は彼なりに苦しんでいたのかなと。だからといって、不謹慎なお振る舞いをしてもいいとは思いませんがね(笑)

さて、そんな源氏の君ですが、ついに平凡な身分の女性にまで興味を持つことになり(これで、何股かって…数えたくない)、その女性「夕顔」は、言いようもなく素直でおっとりしていて、ひたすら稚じみた初々しさと無邪気さを持っており、まるで、前回の継娘での無念を晴らすが如くといった心境の中で、紀伊の守の父「伊予の介」が上洛されて、継娘は適当な人と結婚させて、妻を連れて伊予に下るつもりであることを知り、内心慌てふためく源氏の君に、「ざまあ」と思いながらも、空蟬の心境はどうなんだろうと気になってしまう。

そんな心境の筈なのに、彼は、久々に六条と一夜を共にし、しかもその翌朝、何故か女房に手を出し、歌を送ったが、冷静に返歌で断られてしまい、何をしてるんだか・・・ここまで来ると一種の病気か。

そんな不安定な状態の中での、源氏の君と夕顔の逢瀬は、彼女がどうしても素姓を明かさない事から、彼もそれに則り、最初は覆面をしながらの逢瀬だったが、私が印象的だったのは、次第に深い仲へとなっていき、初めて彼が覆面を外した時の歌に対する、彼女の返歌であり、そこには、

『今近くで見ると 
それほどでもないあれは
たそがれ時の見まちがい』

とかすかな声で言う、洒落っ気の効いた面白さがあるところに、却って僅かに心を許した彼女の思いの奥ゆかしさを覗えたような気がして、その後も名前だけは絶対に明かさなかった、彼女の真意と照らし合わせると、あまり手がかりを得ることの叶わなかった、彼女の生きていたという、その時間の存在を知ることが出来た嬉しさと共に、上記した幼い頃に貰えなかった愛情と、その名前を明かさないこと以外は、素直に応じていた彼女の姿とを、つい重ね合わせてしまう。

そして、彼女との恋を経験した源氏の君にとって、これまでと異なる点は、たとえ、それが短い期間だったのだとしても、そこに於ける、その無様な姿も一切省みずに(馬にも乗れない落胆ぶり)、一人の女性を思い続けた真摯さのようなものが、初めて見えたのではないかということであり、これまでのどこか一方的なそれとは違った、そこで得た彼女からの愛は、彼をやっと前に向かわせ大人への階段を昇り始めさせてくれるような、そんな期待感をついつい抱かせてしまうものがあった気がする。本当にほんの少しだけど。

その影響か、その後の、源氏の君と空蟬との手紙のやり取りには、どこかしみじみとした哀愁を感じさせられて、結局、空蟬の心に宿したものの緩やかな変化には、源氏の君の魅力が、少なからずともあったことは確かなのかなと思わせるものがあり、この辺りの微妙な女心の心理描写に、女性の懐の深さと奥ゆかしさを垣間見るようでとても切ないながら、最後のどこかこざっぱりとした、醒めた締め方には、思わぬ本音が出てしまった的な生々しさを、ユーモラスに伝えており、こういう書き方、狙ってやってるんだろうなと思うと、やはり紫式部は凄い。


「若紫(わかむらさき)」
病気を治すために、聖の岩屋へと出かける、源氏の君一行は、そこでもやはり、意外な掘り出しものの美女を見つけだすが、彼女は「幼い姫」で10歳くらいとのことで・・待った待った、これだけは駄目だ。冷静に考えろって。

しかし、彼女は、更衣の生き写しと言われるくらい、帝にとっても源氏の君にとっても魅力的な、「藤壺の宮」の姪にあたり(実は藤壺の宮とも色々あるが、ここでは割愛)、その美貌は、宮に帰ってきてからも源氏の君を未練たらたらにさせる程の効果があり、幼い姫の祖母「尼君」のお見舞いに於いても、「前世からの約束事と思われてなりません」や、
「あの可愛らしいお方のお声をせめて一声でも」と、その必死すぎるアピールに徒ならぬものを感じ、更には、彼女の家を尋ねて直談判して、それでも駄目ならばと、ついに・・・ここでは書けません。
取りあえず、一線を越えてはいないのかもしれないが、現世では間違いなく捕まります。
また、ふと油断すると、彼の身に纏う聡明さと無邪気さが、その狂気ぶりを消しているように思われるけれど、よくよく考えてみると、これは怖い。

しかし、彼にとっては、やはり藤壺の宮との事があったから、尚更、このような行動に走らせたのかと思うと、既に戻れないところまで来てしまっている、そんな哀しみもありそうで・・・というか、なんだか今になって、とてもドロドロしたものが渦巻いているような世界に来てしまった感に、今後、彼はどんな人生を歩んでいくことになるのか、ますます気になってしまい、少なくとも、この巻が、彼の若さ故の過ちだったのだと、後から振り返ることが出来るような展開になることを祈りたいと思う。


巻末の瀬戸内寂聴さんの「源氏のしおり」が、また、源氏物語初心者の私には、興味深い事ばかりだったので、かなりの長文になってしまったのですが、もう少し書かせて下さい。

約千年前、平安時代に書かれた「源氏物語」は、子持ちの一寡婦、「紫式部」によるものと言われており、彼女のパーソナリティは、文学少女であり、美貌ではなく小生意気な感じ。
父ほどの年の藤原宣孝と結婚したが、女の子「賢子」の誕生後、病死し、その結婚生活はわずか三年余りで、その後、彼女は誰も寄せつけず、物語を書くことで心の空虚を満たしていたとか。

そして、政治的策略の一環に於いて、藤原道長という何よりも強力なパトロンを持ったことで、心おきなく執筆できた、彼女の最高の読者は、「一条天皇」と道長の娘「中宮彰子」で、そんな至高の国家君主と、政治権力者に支えられているという自信と誇りが彼女の情熱の根源にあったとされています。

また、当時は印刷術はなく、物語は全部手写しであり(すごい)、当時の鑑賞法は声に出して読むのを聞くのが常だったそうで、それが口コミで伝わり、評判を高めていったそうです。

更に興味深いのは、当時から存在していたらしい、週刊誌や月刊誌の連載小説の形をとっていて、読者の反響や希望を参考にしながら、執筆したそうで、例えば、「帚木」を読まれた反響次第で、それならば空蟬のことをもっと書いてみようかとか、次はこんな女性を登場させようか、といった、紫式部の嬉しい悩みや葛藤まで頭に思い描けるような、そんな楽しさを教えてくれた瀬戸内寂聴さんの、この古典に懸けるその情熱の凄さには、ただただ圧倒されて、それは源氏の君に、あれだけの行いをさせておいても、尚、感じさせられる、人間の愛しさや可笑しみに切なさといった、ひとまとめに出来ないような、深い存在であることを、品のある粋で美しい情景を柔らかく浮かばせてくれる文章表現によって教えてくれた事に加え、そこから日本語の素晴らしさを改めて実感させられた事で、日本人としての喜びも伴わせてくれて、改めて、本書に出会えた嬉しさに、感謝の気持ちでいっぱいです。


ここまで読んで下さった方々、
ありがとうございます。
まさか、こんな長文になるとは、
私自身思っておりませんでした。
そして、本書の存在を教えてくれた、
Macomi55さん、ありがとうございます。

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2023年07月23日

Posted by ブクログ

ネタバレ

第二帖 帚木のみ読んだ!雨夜の品定め、光源氏や頭中将 たちが女性の品評をする場面とは、凄いオモチロイ!女性は上・中・下では中が良いらしい。理想の女性像:⓵顔が可愛くても、手紙がうまいのは浮気が多い証拠、②世話好きだけではダメ、才色がないとつまらない、③子どものように素直なだけではダメ、気苦労が多くなる、④不愛想はダメ、⑤嫉妬深いのもダメ、男が疲れる、⑥家出をして気を引く女もダメ、男が疲れる。次の場面で光源氏が空蝉に無理やり行為に及ぶ(こりゃまずいでしょ)光源氏は空蝉に引き付けられる。イヤ~すごいお話し。空蝉の魅力を感じました。⑤

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2023年05月28日

Posted by ブクログ

桐壺、帚木、空蝉、夕顔、若紫っていう有名どころのほとんどが一巻の5つっていう衝撃よ、しかも訳がいいんだろうけど本当に面白くて読みやすい!
違う本を1,2巻挟みつつどんどん読み進めていく!楽しみだ〜!

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2023年03月08日

Posted by ブクログ

 いい歳をして日本人なのに源氏物語が「あさきゆめみし」止まり(それも途中まで)ではいい加減恥ずかしいと思って、思い切って現代語訳を読むことにした。選んだのは、瀬戸内寂聴訳。選んだというより、これが家にあったから。
 冒頭「桐壺」の帖は源氏のお母さん、桐壺の更衣の話。帝の寵愛を一身に受けているため、数多くの妃たちから恨まれ、通り道に汚いものを撒かれたり、帝の部屋への通り道を塞がれたりなどの虐めを受けている。なんかこの“女子たち”の関係、まるで学園ドラマ。そして桐壺の更衣はストレスでとうとう亡くなってしまう。その桐壺の産んだ忘れ形見の若宮が、“光源氏”。眩いばかりに美しく、何をやっても優秀過ぎる若宮。帝は一の宮を差し置いて東宮にしたいのだが、占い師に見てもらうと「帝になるような人だがそうすると災厄がある」と言われたので、仕方なく、早々に大臣にされて、“源氏”姓を与えられる。眩いばかりに美しいから“光源氏”と呼ばれていた。
 次の「帚木」の帖は、時は飛んで源氏17歳。梅雨の長雨の中、源氏の部屋で頭の中将や他の若い大臣達が集まり、恋バナを楽しんでいる。
「上流階級の女は気位が高くて疲れるし、下流階級の女は品が無くて話にならないし、意外と中流階級の女に掘り出し物があるんだよ」とか
「しかし、いい女は沢山いても妻にするとなると難しいね。結局は容姿とか知性よりも自分に尽くしてくれる女が一番だね」
とか他の男たちが自分の恋愛遍歴を自慢しながら話しているのを源氏は殆ど黙ってニコニコしながら聞いている。
 この有名な「雨夜の品定め」の場面、以前読んだ源氏物語をパロディ化した江戸文学の「好色一代男」では、主人公の世之介らが全国各地の遊女について品定めする場面になっていた。言っちゃなんだが源氏たちにとって女性たちは遊女に近かったかもしれない。そして「好色一代男」の世之介が源氏の生まれ変わりかと思うくらいキャラクターが似ていたのでびっくりした。
 また、この「帚木」の帖では「本当にこんなこと書いてあったの?瀬戸内寂聴の創作じゃないの?」と思うようなことも書かれていた。例えば、
「夫婦喧嘩をしたときに妻に指をカブリと噛まれた」とか
「とても知性豊かな女がいたんだけど、暫く会わずに久しぶりに行ったら「私は暫く風邪をひいていて、ニンニクを使っていたので臭いから近寄らないでよ」とつれなく言われた」とか。
なんか普通に面白い。
「いくら歌が上手くても、こっちが出掛ける前でバタバタしてるときに歌を送ってきて、返事を寄こせっていうような空気の読めない女も困るね」とか、なんかフツーの感覚のことを言っている。
男性の願望もワガママだな、女性に辛辣だなと腹が立ってきたが、紫式部、瀬戸内寂聴という二人の人生を達観した女性が語っているのだから、説得力がある。勉強になる(今さら?^_^)。
 源氏は「雨夜の品定め」では、大人しく人の話を聞いていただけだったが、“中流の女に掘り出し物がある”という部分が気になったらしく、ある中流の人妻に目をつける。その家の主人(伊予の介)が留守の間に忍びこみ、その女が寝ている几帳の中へ…。びっくりした女は「私を軽く見ないで」という態度を取ったので、簡単にものにできると思っていた源氏の恋心にかえって火がついた。二度目に忍びこんだときには、女のほうが薄衣だけを脱ぎすてて、逃げてしまい、源氏は間違って隣に寝ていたその義理の娘のほうを抱いてしまう。「あれ?おかしいな。」と気付いたが、その娘の心を傷つけてはいけないと思い、とりあえず、この先もずっと変わらない愛を誓って(軽っ!)、逃げてしまった人妻のほうに益々未練が募って、脱ぎ捨てられた薄衣を持ち帰った(ヤバっ!)。
 上の「空蝉」のくだりにしても、この巻最後の「若紫」で、北山のお寺で出会った幼女に目をつけて、最終的に奪うようにして二条の院に連れてきたのも、キラキラの源氏でなければ許されないこと。いや、もっともっと大きな罪を義母の藤壺の宮との間で犯しているのだけれど、軽いのに影も似合うイケメンだから困るな。だからといって、別に私は源氏のことが好きでも嫌いでもない。小説の中の登場人物のように、深く検証された人格をもっているのではなく、全ての男たちの恋愛願望を代わりに叶える一つのキャラクターだと思うからだ。“障害がある恋愛こそ燃える”という公式もあって面白い。
あと登場人物に「この人は誰かの生まれ変わり?」「これは何かの暗示?」と思えるようなところがあるのも面白い。源氏と一夜を共にした後すぐ死んでしまった夕顔は初めから儚い雰囲気があって、おっとりとしていて自己主張なんかしない、源氏の思いのままの人だった。初めから亡霊だったのでは?源氏の母の桐壺の更衣が乗り移っていたのでは?と私は勝手に思っている。この推測があたっていなくてもいい。人物の名前の付け方とかもほんわかと意味を持たせていて、エンタメでありながら、さすが平安時代、奥ゆかしいところもあると思う。

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2022年12月18日

Posted by ブクログ

与謝野晶子、谷崎潤一郎の訳に比べ、優しい語り口でとても読みやすく、王朝文学のきらびやかな雰囲気も伝わって現代語訳では今のところ一番お気に入りです。巻末の解説も勉強になりかつ面白い。あさきゆめみしと双璧!

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2020年06月21日

Posted by ブクログ

さぁ「源氏物語」にチャレンジしようと思い立ち、どの作家の現代語訳にしようかと数日かけて調べる。
瀬戸内寂聴訳は、ですます調の語り口調で中学生でも読めるとのことで安心してチョイスした。

源氏物語は紫式部ひとりで書いたのではなく複数説があるとも言われているようだが、私は紫式部がひとりで書き上げた物語だと、もちろん信じている。
千年も昔に、こんなに面白く人を惹きつける物語を創作した作者はどんな人物なのか、そのひと本人にも興味を抱きつつ読んでいました。

源氏物語は後宮に仕えている女房が語り手となり話が進行していくという設定で書かれている。
その語り手は、途中途中に「内緒の話をひけらかすのは気がひけるけど・・・。」みたいな言い方をして、事の内容にふくみをもたすところが読者の知りたがり心を、突っついてストーリーにハマらせてしまう。

それだからなんなのよ、早く教えてよ!と、読者を惑わすテクニック使いに私もやられました。

当時は印刷技術がないので、紫式部の姉や友人たちが手写しして、それが口コミで伝わり写す人が増えていき読者が広がった模様とのこと。
その時代にいたら喜んで写し手となって読みたかったものです。

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2018年10月09日

Posted by ブクログ

年明けから読み始めました。
今5巻目ですがとても面白いです。

寂聴版を読み始めると、田辺版は、小説としておもしろおかしく誇張してあるのかなという印象を受けました。

源氏の君の政治的な側面も描かれていて、解説も合わせて読むと理解が深まります。
丁寧な文章で読みやすく、初めて源氏物語を読む方にもおすすめです。

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2014年01月27日

Posted by ブクログ

マザー•コンプレックスが衝撃的に描かれている第1巻。
亡き母の面影を追って藤壺を想い、その血筋の紫の上を引き取り育てる光の君•••こんな昔からマザコンが認識されていたのかと感心します。
いくつか源氏物語よみましたが、寂聴さんの訳はとても読みやすい。

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2013年04月14日

Posted by ブクログ

高校で習った古文の中で、もっとも印象に残っているのはやはり「源氏物語」である。
冒頭の文句は、覚えさせられたわけでもないのに何年経っても忘れることがない。

「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に…」

世に例のないほど美しく、才能豊かな光源氏。
気に入った女性は、どんな手段を使っても我がものにしようとする。
まだ幼い若紫に心惹かれ、自分の屋敷である二条の院に強引に連れて行く。
つまるところ拐しである。
こんなことが許されるのか、と思いながらも、寂聴さんのすばらしい日本語にどんどん引っ張られて読んでいく。

この巻一でのいちばんのお気に入りは、第ニ帖「帚木」である。
雨夜に頭の中将らと独自の恋愛論を披露しあっているのが実におもしろい。
千年前の男性の考え方って現代人と少しも変わらないのだなあと感じるからである。
幾年もの時が流れても変わることのない人間の機微が巧く描かれていて、「史上最高の恋愛小説」というコピーにも十分納得できる古典文学である。

桐壺 帚木 空蝉 夕顔 若紫 を収録

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2013年01月13日

Posted by ブクログ

女性が読むには分かりやすいし、文章が美しいから心に残る。
光源氏がどれほど見目麗しく、雅で神々しかったのかが、瞼がちかちかするくらいに思い浮かびました。というか、しつこいくらいに「もう分かったから!美しいのは分かった!もう言わないで、分かったから!」って叫びたくなるほどに『美しさ』を表す表現が出てきます。
初心者や女性が読むには持って来いだと思います。

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2014年09月19日

Posted by ブクログ

大学時代に授業を受けたきりになっていたが、大人になって改めて読んでみる気になった。巻一を読んでみて、大学生だって頃の自分には到底理解できなかった六条の良さを知ったことなど、また読んでみてよかったと思えた点が多かった。源氏物語が本当に楽しめる年になったのだと思うとなんだか嬉しい。

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2011年09月11日

Posted by ブクログ

別の現代語訳版は読んだことがあったが、瀬戸内寂聴さん訳の源氏物語は初。とても言葉選びが素敵だなと思った。
全文読むのは初めてだが、伏線が多く、読み応えがあった。一読しただけでは理解しきれていない部分が多いと思うので、また時間をあけて読んでみたい。
今も昔も、恋愛の仕方こそ違えど、感じることはあまり変わらないものだなと感じた。

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2024年02月06日

購入済み

授業の思い出は忘れて読むと◎

高校古文のことを忘れて読むとこんなに面白いんだなあと思いつつ、
終始光源氏にツッコミながら読みました。
自分を権力者と思ってる痛いおじさんってこういう人おるよな、と。

心理描写の周到さが素晴らしかったです。
書き口も読みやすく、ストレスはただ源氏の人間性がクソという一点で読み進めています。
光源氏は最悪。憎しみ。胸くそ。
でも物語的にはとても味わい深いです。

#ドキドキハラハラ #深い #じれったい

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2023年12月20日

Posted by ブクログ

 漫画の『あさきゆめみし』は過去に二回ほど読んだ。その他関連本も多少読んだからなんとなく知った気になっていたが、現代語訳そのものは読んだことがなかった。たださんの本書レビューに触発されて、私も源氏読んでみることにした。
 角田光代版が最も新しく、これは絶対読みやすくて面白いだろうなという予感があった(角田さんの『曽根崎心中』がとても好きだから)が、瀬戸内寂聴版を自分でもパラパラと見てみた感じ、「これは紫式部が書いたままの文章なんじゃないか」「古文をそのまま読んでいるのに脳内で理解できてしまってるんじゃないか」と、そんな錯覚さえ起こしてしまうような文体が魅力的で、全十巻と長いのだけど、これに決めた。(ちなみに角田版は実物を見てはいないが、敬語の省略など思い切ってやられており、すっきり淡麗?らしい。それはそれで興味はあるが、今の気分ではなかった。)
 ざっくりした感想は、先ほど述べた通り、原文のままかと思い紛う感覚が楽しい。はるか昔に学校の授業で触れた、長々しく、主語がなく、敬語がたくさんのあの文章。先生が、目まぐるしく変わる主語を補い、意味不明の述語を品詞分解して敬語その他のニュアンスを解きほぐして示してくれたあの訳文が、現代小説プロの手で美麗になって蘇ったかのようだった。原文と比べながら読んだわけではないのでこの感じ方は私の勝手な思い込みといえばそれまでなのだが、私が楽しむ分には問題あるまい。
 最後にある寂聴さんによる解説「源氏のしおり」では、本編とは打って変わって簡潔明瞭な語り口。嫋々とたおやかな演技を見せた女優さんが、舞台挨拶ではパンツルックの似合うカッコいいお姉さんだった、みたいなギャップがまた良い。

 以下は、自分の備忘のためのメモと感想。

■桐壺
・桐壺〜藤壺。藤壺は源氏の五つ年上。
・左大臣の娘(漫画では葵の上だったのでここではそう呼ぶ。)と、源氏十二歳で結婚。葵の上十六歳。
・左大臣は臣下最高位だし、帝の妹の夫。源氏にとっては最高の後ろ盾。

■箒木
・源氏十七歳。
・左馬の頭、頭中将たちによる女性論「雨夜の品定め」。伏線がたくさん。
・頭中将は左大臣の娘の兄。
・紀伊の守の父の妻(?)=空蝉。この人の心理描写が、後の二章にわたってとてもリアルで細やか。思い入れあるのかなあ。源氏から言い寄られ、とにかく拒み続ける。「ただしイケメンに限」らない、イケメンでもダメ!ただ身分が高すぎるしついに抗いきれなかったのだが、心は決して受け入れてない。
・源氏は空蝉の弟である小君を隣に寝かす。

■空蝉
・二度目は逃げ切った空蝉。藤壺なんかに比べると徹底していてとても良い。
・空蝉と間違えられた女の子は空蝉の継子。
・小君は相変わらず健気である。

■夕顔
・惟光、源氏のことを「軽々しいお心のせい」などと評して諌める気持ちもあるのか、と思いきや、「これだけ美しければ仕方ないか」と軽々しく恋のアシストをする。
・六条御息所は七歳年上。ひたひたと伏線。
・空蝉また登場。彼女の、夫に対して貞淑を守りたい気持ちと、もしまだ自分が若い娘だったらこんな素晴らしい人にこんなに求められて嬉しかったかもしれないが私なんて大した女でもないし夫もいるしという諦めと、かといってこのままつれなくされたら悲しいかもという愛されたさと、この心模様の複雑さがすごい。紫式部こういうことあったのかな、って思っちゃう。
・夕顔は、素直で幼くて従順だが男女の仲を知らないわけでもなくて最高などと言われている。「源氏のしおり」によると男性読者からダントツで人気なのがこの夕顔なのだとか。源氏も、「私自身がはきはきせず頼りない性質だからか、女は頼りなくやさしく素直なのが好き」と言っている。
・源氏にだって失敗談もあるのですよ、という最後の作者の言葉。

■若紫
・空蝉のファイトを見た後だと、藤壺は本当に拒否する気があったのか?と疑ってしまう。
・「源氏のしおり」では、藤壺の懐妊が誰の子か問題があって藤壺も源氏も思い悩んでいるとはいえ、源氏はその最中に紫の上かっさらい事件までやり仰せているのだから、藤壺とは悩みの深度が違うと指摘。
・つれない妻としてちらちら登場する葵の上。正妻としてでなく出会ってたらこの二人も心が通い合ったかもしれない。こんな大変な人の正妻であることの大変さがあるんだろうなあ。
・紫の上かっさらい事件。源氏は、好色ぶりだと言われて醜態をさらしたくないなどと気にしてはいるようだが、「でもそんなことで逡巡してあの子を失ったら一生後悔する」と攫ってしまったあの行動力はすごい。

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2023年10月06日

Posted by ブクログ

全10巻の為、今後自分が混乱することを防ぐためにも、あらすじを主としたレビューです。
その為、いつもにも増してめっちゃ長いです。
スミマセン。

①桐壺
冒頭の「いつの御代のことでしたか、……」
それだけでもう、これこれ!と、心は平安京へ。

帝のあまりの寵愛ぶりに妃たちが妬み、
桐壺は酷い苛めを受けていた。
「打橋や渡り廊下の通り道のあちこちに、汚いものなどを撒き散らし……」
えー引くわ。。。
妃たちよ、気品や気高さはどこ行ったー!
元々桐壺は、腺病質で弱々しく、気苦労の耐える間がなかったとある。
更に桐壺の部屋は帝の清涼殿から一番遠い淑景舎。
可哀想に。
いつの時代も苛めは身勝手で残酷で醜い。

帝の妃や女官たちは後宮に暮らしていた。
後宮には淑景舎の他に様々な建物があったけれど、清涼殿に近い建物ほど格上となる。
そう、桐壺はそれほど高貴な家柄の出ではないのだ。

桐壺は次第に病んで衰弱してゆくが、帝との間に「世にもないほど美しい玉のような男の御子さえお生まれに」なった。
衰弱した身体でよく耐えたなーとは思ったけれど、
「よほど前世からのおふたりの御縁が深かったのでしょうか、…」と式部さんが雅におかわしになったので良しとする。

そんな美しい若宮が生まれたものだから、帝は余計に愛おしく思い、
跡継ぎである一の宮は既に生まれていたのだから、当然妃たちは面白くないし、周りもソワソワする。
いやいや帝よ、帝なんだからもう少し上手に立ち回ろうよ…。

そのうちに桐壺は重態に。
ようやくお里下がりのお許しを貰えるが、時既に遅し。
亡くなってしまう。
中々お里下がりを許さない帝の稚拙さ。
いや、それほどまでに桐壺が愛おしく、一瞬たりとも手離したくない気持ち。
もう宿命としか言いようがないな。
この時代は死=穢れとされていたから、帝のおられる内裏で死ぬなどあり得ない。
死を迎えるために里へ帰ったようなものだ。

亡き子を思って泣く北の方が不憫でならない。
「鈴虫の声のかぎりをつくしても ながき夜あかずふる涙かな」
胸が痛む。

やがて若宮が宮中へ上がり、北の方もこの世を去る。
まだ七つだというのに、若宮の聡明で人たらしな様といったらこの上ない。
そんな時、よく当たると評判の人相占い師がやってくる。
高麗人である占い師は、ここで、暗示めいた発言をする。
『将来、帝王の最高位にのぼるべき人相をそなえているが、
帝王になるお方として占うと、国が乱れ、民の憂いとなることが起きる。
それならば国家の柱石となって、補佐役として見立てればどうかと思えど、その相とも違う。』
そんなわけで若宮は臣籍として源氏の名を与えられる。

いよいよ、亡き桐壺に生き写しの藤壺が登場。
「帝は亡き人のことをお忘れになったわけではありませんが、いつとはなしに、お心が藤壺の宮へ移ってゆき、この上もなくお心が癒されるようなのも、これが日との心の常なのでしょうか」
式部の描く「人の心の常」が、仕方のないこととは言え虚しく悲しい。
けれど源氏の君も、母親への憧れから、藤壺に思いを寄せていく。
(他の女御や更衣たちより、藤壺は若いのです)

そして何かにつけてちょいちょい描かれるのが、弘徽殿の女御の気の強さと気性の激しさ。
桐壺へ向けられていた意地悪い心は、藤壺と源氏へと向けられてゆく。
でも、弘徽殿の女御もたまらないのだろうなぁ。
家系丸ごとプライドを踏みにじられるような思いに違いない。

と、ここへ政治的な力関係まで絡んでくる。
左大臣の娘(葵の上)が源氏の君と添うよう、帝と左大臣の二人で進めてしまった。
右大臣の立場は弱くなってゆく。


②帚木
「源氏物語」って飲み始めるまでは、光源氏が自身の美しさから多くの女性たちを虜にし、浮き名を流してきたという話だと思っていた。
この世のものとは思えないほど美しい源氏の君の、女性たちとの華やかな日々。
でも
「…源氏の君はずいぶん世間に気がねなさり、表向きは真面目らしく装っていられたので…」
とあり、普段は、彼は彼なりに人の噂などを気にして行動していた事が分かる。
宮中なんて狭い世界だろうし、人の噂は恐ろしい。

"帚木"では源氏の親友である頭中将の他、左馬頭と藤式部丞も現れて、女性談義に花が咲く。
どうやら彼らは恋愛経験豊富。
そこで源氏は問うのだよ、
「その中流、下流とかの階級というのは、どういうことなのだろう。何を基準にして上中下の三つの階級に分けるのですか。」
外見だけの美しさだけではない、人としての源氏の君の魅力を、ここに感じてしまった。

この物語で紫式部は、源氏の君だけでなく、他の登場人物にも、この世の真理や人の世の無情を然り気無く語らせる。
脇役だからと侮るなかれといったところ。
それが平安の世だけでなく現代にも通じる部分があるのだから流石だ。
"中流にこそ風情がある女性がいる"などという話も飛び出す。
それぞれの体験談がとても面白い。(このシーン、源氏は聞き役だ)
左馬頭は武勇伝でも語るかのように饒舌だが、私にはどうも最低の黒歴史に思えてしまう。

ところで。
以前足しげく通っていた女性が、他の男性と笛と和琴、和歌を謡いあってイチャイチャするのに居合わせるシーンは、
「………と、いちゃつきあいまして…」など訳が面白い。
寂聴さん訳ならではの面白味なのかな。
それにしても藤式部丞のやり過ごし方が巧みで、話も面白くてニヤリ。
こうなると、他の方の訳本も少し気になるところだ。

左馬の頭の長台詞は3ページ半、2行のト書きを挟んで更に3ページ半もにおよぶ。
おいおい…。
「器量も綺麗で、年頃もうら若い女が、自分では少しの塵もつかぬようにと、立ち居振舞いに気を配り、手紙を書いても、おっとりと言葉を選び、墨色も薄くぼんやりと書き、男にじれったく気を揉ませ………」
平安の世の駆引き。
今で言う"あざとい女"って事だよね。
薄墨に関しても、平安時代でも訃報を知らせる時などに用いられたと聞いていたけれど、
こんな技もあったのだと興味深く読んだ。
「手折ればこぼれそうな萩の露のように」
「玉笹の上の霰にも似た、いかにもはかなそうな」
など、比喩表現も美しい。

さて、左馬の頭と藤式部丞の語りはきちんと前振りとなっている。
このあと登場する空蝉は、まさしく中流女性だ。
で、ここでの源氏の振る舞いにビックリな私。
それでも別れ際の源氏と空蝉との和歌のやり取りが上級で、おぉ!と思う。
つれなき、泣き、(鶏が)鳴き…と韻を踏み、
鶏の鳴き声や響きと、空蝉の鳴き様、源氏のせかされる心など、意味合いも情景も重ねてくる。
そんなシーンに式部さんは有明の月を添えたりするものだから、
身勝手な源氏の行動が生んだ結末さえ、哀れで儚く美しいものに思えてきてしまう。
どうも私は紫式部に飲まれっぱなしだ。
空蝉の女心、姉心が痛ましかった。

★帚木
遠くから見れば箒を立てたように見えるが、近寄ると見えなくなるという伝説の木らしい。
近づいても逢ってくれない人、逢えそうで逢えない人の喩えに用いられたとか。
また、「ははきぎ」の「はは」が「母」に通じることから、まだ見ぬ母の喩えにも使われた。

★「あの物語の、好色で有名な交野の少将」
=「交野少将物語」。
作者は不詳らしいが、「源氏物語」が執筆されるまでは"美男子"といえばこの方だったようだ。

★撫子
秋の七草の1つだが、夏から秋にかけて花を咲かせるのでトコナツとも呼ばれた。


③空蝉
え!?「ままよ、それもよかろう」って。
良くないだろーよ、人違いで空蝉の義娘(軒端荻)と契るだなんて。
でもこういうこと、本当にありそうで怖い。
お互いに傷付きそうだ。
恋多き男、危険だなー。
ちなみにこれまでの出会い、手の指が見惚れるほど綺麗な男性は皆ろくなもんじゃなかった 笑笑(←完全に個人的見解です)

さて、空蝉が逃げる際に脱いでいった薄衣を、持ち帰った源氏の君。
この時代は着物に香を焚きしめていたりするから、暗闇に源氏が現れても彼の香りが先に漂ってくるし、空蝉もきっとそのようにしているはず。
伏篭といって、香を焚いた上に竹の籠をふせて、その上から装束を被せて香りを移す。

空蝉とはセミの脱け殻だ。
でも少し検索してみれば、空蝉とは古語の「現し身(うつしみ)」に通じていて、この世とか現世の人という意味だと知った。
「現し身」が転じて「空蝉」なら、なんとも現世の儚く無情な。
源氏はずっと、亡き母の面影と温かさを追い求めているわけで、
物心ついた時には実母は彼岸の人。
似ていると慕う藤壺は帝の妻。
こうして追いかける空蝉にはするりと逃げられ。
華やかな見た目や女性関係とは裏腹な源氏の真の姿が哀しい。
でも空蝉は、本当は人知れず源氏を想っている。
「空蝉の羽におく露の木がくれて しのびしのびに濡るる袖かな」

いやいや…美しいなぁ。
式部さんの描き方もクスリと笑えるところもあれば、悲しく美しい情景にうっとりさせたり、読者を飽きさせずに先へ先へと誘ってくれる。
各章のタイトルも楚々として美しい。
それが女たちの名であるわけだし。


④夕顔
ニ章の「帚木」でこずかれて藤式部丞も話をしているのだが、
その時に語られた"常夏の女"が、この夕顔だった。

この章の夕顔の咲く様が可愛らしい。
「鮮やかな青々とした蔓草が気持ちよさそうにまつわり延びていて、白い花が自分だけさも楽しそうに、笑みこぼれて咲いています」
それが粗末な小さな住まいの、粗末な板塀に咲いているのだ。
これから登場する夕顔の人柄も暗示させる。

まず始めに源氏の心を惹き付けた、夕顔の歌は
「心あてにそれかとぞ見る白露の
ひかりそへたる夕顔の花」
扇に、"当て推量で、あの方ではないかしら?と思っています"
という歌が、風流な筆跡で書き流してあるという場面。
「それとなくほのかに変えてある筆跡も、上品らしくわけありそうに見えます。源氏の君は思いのほかにお気持ちをそそられ……」
やっぱり字が綺麗な人には心惹かれるよね。
綺麗なうえ、そこに仄かに癖が表れていたりすると、どんな人だろう?って気持ちをそそられるのも分かるなー。

ここで源氏の君が、努めて自分の字ではないように筆跡を変えて返す歌が、これまたニクい。
「寄りてこそそれかとも見めたそかれに
ほのぼの見つる花の夕顔」
相手が歌に使った言葉を繰り返して韻を踏む。
しかも、近寄って夕顔の花の正体を見定めては如何ですか?と挑発する。

風情のあるな~。
しっかりと対面で話せない、男女の出会いにおいては危うい慣わしだけれど、
焚きしめたお香が先に香ってからその人物が現れたり、
立ち去った後や着物からの残り香や、
筆で書かれた和歌の内容から、まだ見ぬ相手を思うのはロマンチックとも言える。
さらには、和歌を詠んだその墨の濃淡や、相手が吹いた笛の音に琴で応えるなんてことも、男女の駆け引きになり得る。
時には庭に咲く花や、屋敷の佇まいまでもが、人を惹き付けることもある。
相手の知らぬ間に御簾や垣根から覗いた時に、上品に振る舞っている様子に品を感じる事もあれば、逆に気持ちが緩んで奔放に振る舞っている様に惹かれる事もある。
式部さんはその辺りの事柄を描くのが上手い。
優雅であればこそ、人の世の無情も炙り出される。

これは夕顔の歌。
「山の端の心も知らで行く月は
うはの空にてかげや絶えなむ」
これから沈んでいこうとする山の端の本心も知らないで
そこへ近付いていく月は空の途中でもしかしたら消えはててしまうのかもしれません

この後、女の物の怪が現れ、夕顔は死んでしまう。
歌としてだけでも美しい喩えなのだが、この先の展開も暗示していて見事。

それにしても懲りない源氏の君。
自身もあんなに傷付いて、死ぬかもしれないなどと言いながら長らく伏せっていたのに。
皆それぞれの魅力や可愛らしさがあるのだろうけど。

「今日はたまたま立冬なので、それらしく空は時雨れて、もの淋しい風情をたたえています」
朝晩の日の傾きや、その季節ならではの様子を物語の展開になぞらえて、情景が感情に訴えかける。

★揚名の介
「夕顔」の巻に「揚名介なる人の家」という形で1ヶ所だけ現れるが、『源氏物語』が古典・聖典となった鎌倉・室町期には揚名介の意味が分からなくなっていたらしく、『源氏物語』の古注釈書などで「源氏第一の難義」あるいは「源氏物語三ケの大事の一なり」等と呼んでとして秘伝扱いされていた。

★六道
天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄


⑤若紫
瘧病を患った源氏の君は中々回復せず、北山の寺に優れた僧(聖)がいると訪れる。

北山の聖のもとを去る際に、源氏の君が山桜の美しさを詠んだ歌
「宮人に行きて語らむ山桜
風よりさきに来ても見るべく」
山桜が○○のように美しいなどと詠まずに、「都に帰ったら、花散らしの風よりも先に来て早くこの花を見るように、大宮人たちに聞かせます」と詠んでいるのに痺れてしまった。
この方が伝わるし、風情があるし、人の心も体も動かす。

一方、聖は、
源氏の君の"まだ見ぬ花"のようなお顔を拝めるなんて嬉しいと
泣きながら歌を読む。
それほどまでに源氏は美しいってことだよね、凄いな。
そして独鈷を献上する。
更に、聖徳太子が百済から手に入れた(!)数珠に玉飾りのついたものを、送られてきた時のままの唐風の箱に入れて、透かし織りの袋で包んで、五葉の松の枝に結び付けて贈っている。
それから瑠璃の壺に薬も持たせてあげている。
薬壺は藤や桜の枝に結び付けて、山里らしさを演出して。
これだけじゃなく、「さらにあれこれとそえて献上いたしました」というから凄い。
源氏の君もお布施だけでなく色々と用意していたものを渡している。
「そのあたりの樵夫(きこり)にまで」相応の物を渡したというのだから、こちらも凄い。
なんかもう、別れも1つの儀式だ。
それから更にみんな泣く。
下級の僧や召し使いの童たちまでが、別れが辛くて名残惜しいと泣く。
で、泣きながら、この世のものとは思えない美しさだと言い合う。
もう何度この言葉を目にしただろう、"この世のものとは思えぬ美しさ"だと式部さんはゴリゴリに刷り込む。
僧都にこんなことまで言わせる。
「…どうした前世の因縁で、このようなすばらしいお姿で、こんなうっとうしい日本の末世にお生まれになられたのかと、お姿を仰げば悲しくてなりません」
そんな美しさ、ちょっと笑ってしまうほど私には想像もつかない。
私まで何度も言ってしまうが、源氏の君という人は、加えて筆跡も美しく、学芸にも秀でており、心遣いも素晴らしいのだ。

先に記した六道でいうと人間界は天上の下。
源氏の君の美しさは神の領域なのに、何がどうして人間界なんかに…ということだよね。
もしかして天上よりもっと上、極楽浄土が相応しいという意味まで崇めてるのかな…。
天上は六道の中では一番上なのだけど、極楽浄土とは違う。
楽しみの多い世界だけれど、天上でも惑ったり悲しんだり、寿命もあるのだとされている。

けれどそんな源氏の君も、妻である葵の上とはずっとギクシャクしている。
気高く美しい女性なのだけれど、「歳月がたつほど他人行儀になり、お互いの心が疎遠になってゆくのです」

そうなると余計に他の女性たちのことを考える。
目下、源氏の君が気を惹かれているのは、
北山の尼に育てられている少女(若紫)だ。
ここで明かされるのは若紫が藤壺に似ているということ。
実際、若紫は藤壺の姪だった。
ただ、若紫はまだ幼い。
18歳の源氏の君に対して、若紫は10歳くらいだ。
周りの者には好色が過ぎると思われてしまうけれど、(それもあるのかもだけど、)ずっと母親(桐壺)の面影を追いかけているんだよね。
藤壺は生き写しかのように桐壺に似ているわけだし。

そんな中、藤壺との再開を果たす源氏の君。
そして藤壺は源氏の君の子を宿す。
勘違いして喜ぶ帝。
こうなると恐ろしく思うのは藤壺だ。
悲しき運命だよね、どうしてこうも彼のお方は、周囲の女性たちを苦しめるのか。。。
ここでまたも夢占いが先を暗示する。
「…その御幸運の中につまずきごとがあって、御謹慎遊ばさねばならぬこともございましょう」
もしや藤壺が宿したのは自分の子ではないかと、源氏の君も思うのだ。
チラッとしか書かれていないが、帝、藤壺、源氏の君が同席する場面もあり、二人の気持ちが察せられる。

さて、若紫の章はあれこれと事態が変ずる。
若紫を育てていた尼がこの世を去るのだ。
このままでは若紫は、父親の元へと移ってしまう。
源氏の君はかなり強引な手段で若紫を二条の院へ連れ帰ってしまう。
いやいやいや…これはちょっと気持ち悪いぞ 苦笑
これまでどんなにあちらこちらの女性と結ばれても、まぁまぁ理解出来たけれど。
源氏の君の物腰が柔らかい分だけ、犯罪者の香りがする 笑
それに勝手に連れ帰って、若紫の父君はどーするんよ。。。

なにわともあれ、次第に若紫は可愛らしくも源氏の君に慣れ親しんでゆく。
無邪気で可愛らしい様が、文章のそこここに散りばめられて、なんとも微笑ましい。
彼女こそ、のちの紫の上だ。

★瘧病(わらわやみ)
熱病の1つで、発熱・悪寒が間隔をおいて起こるもので、マラリアに近いもの。


それにしても紫式部の文才よ!
次々と転じてゆくストーリーも面白い、
真実味がある、歌も素晴らしい。
これは少々清少納言の悪口くらい言っても仕方ないかなー 汗(良くはないけど。)
でも紫式部こそ、気位が高くて、嫌われたら怖そうな人に思えてきた。
女房同士の自分の地位確立って中々厳しそうだもの。
ともあれ、季節の移り変わりが美しい!
雅!
これは先が楽しみ~♪

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2023年09月16日

Posted by ブクログ

私がはじめて全巻通して読めた源氏物語です。
沢山現代語訳があるので本屋さんで最初だけ読む比べて購入。
全体的に丁寧で柔らかな綺麗な文章でした。
ただ、その後源氏物語の解説や解釈を色々あたってみて、書き出しの最初の一文はwhenではなく、whichが正解なのだろうなぁと感じたので、ちょっとそこだけ残念です。

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2022年01月17日

Posted by ブクログ

超恋愛体質のスパダリ光源氏。平安貴族の自由さよ。

やはり、どこかで読破しようと思っていた源氏物語。今でしょ、ということで挑戦。

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2021年05月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

突発的源氏物語強化週間に入り、積読していた瀬戸内寂聴版に取りかかってみた。
筋はすっかり知っているはずなのに引き込まれる。
1巻は一気に読み終わりました。

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2013年10月12日

Posted by ブクログ

高校生頃、通学中に読んで雅な気分になって登校していました。
当時の恋愛小説ですが、現代の人が読むと当時の生活習慣が
わかり、いろいろな点でおもしろいと感じると思います。
紫の君や葵の上も好きですが、末摘花と光源氏の関係が好きでした。

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2011年10月20日

Posted by ブクログ

借本。
確かに面白いけど、読むのに凄く時間がかかった。
文章が古いので、読みにくいのが難点。
でも、そこを超えてしまえば、これほど面白いシリーズも他にないような気が。
これは購入して、じーっくりと読む本です。
ハマる人の気もわかった一冊。

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2012年12月29日

Posted by ブクログ

やっぱり「源氏物語」を読みたくなって、だれの訳で読むか迷ったものの、結局、基本的な感じのする瀬戸内寂聴訳に。大塚ひかり訳も読んでみたいと思ったけれど、ちょっとマニアックかもしれんと思って。たぶん二十年以上前に円地文子訳で読んで以来なので、ほとんど初めて読むように新鮮で、やっぱりおもしろい。瀬戸内寂聴訳はすごく読みやすい。「千年の黙」「輝く日の宮」に書いてあったように、確かに、「桐壺」のあとに一帖抜けているような感じがするー。と思えるのも、「千年の黙」「輝く日の宮」に続けて読んでいるからで、鉄は熱いうちに打て、だ。(ちょっと違う?)でも、全十巻をすべて読むか、とばして読むかちょっと迷い中。とばしてところどころ読むってのもヘンか?

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2011年09月18日

Posted by ブクログ

源氏の君との初めての出会いは確か中学生。二度目の邂逅は高校生の古典の授業。その後、幾度と無く出会ってはその都度別の女御更衣に心惹かれてきた。中学生の時は幼くして源氏に見初められる若紫に、高校生になっては気高く凛としていてなお物の怪となってしまうほど激しく源氏を愛する六条の御息所に。今回寂聴訳の源氏巻一を読み終えて心惹かれるのはやはり藤壷であった。継子である源氏に愛され不義の子を産む、そして死をもって永遠に源氏の心に生き続ける…これぞ究極の愛、至高の愛ではないか。若かった頃は源氏の調子の良さや優柔不断さそして何より移り気な薄情さに憤りさえ感じていたが、オトナになって読んでみると、源氏が愛した女たちもそれぞれに恋愛を楽しんでいたのだという事が分かる。愛し愛され騙し騙され あくまでもさり気なく出会い、美しく分かれる、そこに恋愛のルールを感じるのである。巻二を読む前に他の訳本も読んでみたいと思った。

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2011年08月01日

Posted by ブクログ

原文の雰囲気を残しつつ読みやすく訳してあるようなのだが、やはり現代文に比べると読みにくい。普通の文章に出来ないものなのだろうか?巻末に載ってる現代文での要約の方が面白い。

代わる代わる女性に言い寄り恋をして、別れる度に泣いたり悲しんだり。この物語は1000年前に書かれたものですが、今も同じですね。

がんばって全十巻読破したいと思います。

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2020年12月24日

Posted by ブクログ

言わずと知れた源氏物語にようやくチャレンジすることにしました。全10巻読み切るのにどのくらい時間がかかるやら。

瀬戸内寂聴さんの翻訳なので、読みやすいのですが、原文の雰囲気を残すためかもしれませんが、誰が話しているのか分かりにくい。登場人物のしゃべり言葉がとても似ているので、よく前後関係を把握しないと、誰と誰の会話か、分からなくなってしまいます。

うーん。難しいな。雅な言葉。

でも、最後に寂聴さんのまとめがあるので、これがとても良かった。

さて、2巻へ。

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2014年09月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

3年前から購入読み始め、やっと1巻を読み終えた。
紫式部の著書は何人もの現代人に訳されているが、寂聴さんの本を一度読みたいと思っていたので、この著者を選んだ。文章や短歌がやや難しいけれど、なれてくるとなんとか読んでいける。
光源氏が10才から18才までの話。(始めは源氏の父と母の恋物語から)源氏は男前で女好き。父の後妻(源氏より5才年上)にも手を出し、18才のとき、10才の女の子も自分のものにする。女好きであるが、一つ一つ情熱的な恋をしている。残り9冊が楽しみである。

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2013年07月04日

Posted by ブクログ

ロマンポルノである。誰でも好きな男女の色恋沙汰を当時の男女が夢中になったのはわかる気がする。彰子の部屋を訪れることが前より多くなる一条天皇。 激しく求めあったろうことは想像に難くない。そして現代の紫式部は瀬戸内晴美である。?

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2013年05月07日

Posted by ブクログ

源氏物語は、一度すべて読んでみたくて、瀬戸内寂聴さんの訳を購入しました。

桐壺、夕顔、若紫は知っていたけど、
帚木と空蝉は初読。
読んでなるほど、これはマンガ日本の歴史には載せられない内容だσ(^_^;)
光源氏の好色がこれほどとは(笑)

続きもゆっくり読もうと思います♪

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2012年11月15日

Posted by ブクログ

日本人なら読んでおくべきかなと思い手に取りました。すごく丁寧に訳されていると思う。というか言葉を大事にしている。ただ読解力が足りないので「???」な部分もあったけど、とりあえず話の流れがわかればと。あと巻末でかなり理解が深まった。はず。
それにしても光る君、それは強姦というものでは…。若紫に至っては誘拐に近いし…。雅なだけではないのですね。
先が長すぎて挫折しそうですが、ゆーっくり読んでいこうかと思います。

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2012年06月26日

Posted by ブクログ

いまから源氏物語を読む人にはおすすめする読みやすさ。瀬戸内寂聴の女君たちに対する愛を感じる現代語訳。

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2011年12月12日

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