【感想・ネタバレ】霧のむこうに住みたいのレビュー

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Posted by ブクログ

わりと読む本が偏っている私がいつ、どうやって須賀敦子という作家を知ったのか記憶にないけれど、なんだかとても惹かれて、全集もほぼ買い集めた。何度も読んだわけではないので、これも記憶があやふやだけれど、確か、だんだんと宗教色が強くなってきて、というと聞こえが良くないけれど、信仰という精神、信条にかかる記述が増えてきて、好き嫌いの問題でなく、到底私の理解が及ばずに、全集を完読できなった。
そこから数年。本書をたまたま見つけて、すぐに読みたくなって購入。

やはり須賀敦子の文章はいいな~、と思いながら読んだ。私はヨーロッパがなぜか好きで、ヨーロッパというと主語が大きいけれど、イギリスもスペインもイタリアも好きだから、やっぱり「ヨーロッパが好き」と言うしかないんだけど、須賀敦子が語るヨーロッパは私がイメージする華やかなものとは違い、どこか暗く、貧しく、それこそ、灰色の石畳に常に霧がたちこめているような、そんなヨーロッパ、イタリアなのだけれど、それでもやっぱり「ヨーロッパが好きだ」と思いながら文章を追ってしまう。物質的には貧しくても、精神的には豊かで、人間味にあふれた友人・家族とのエピソードがリアリティをもって静かに語られ、そこにひっそりと織り込まれる須賀敦子の思考が、とても魅力的なんだと思う。だから、霧のたちこめる町も暗いだけで終わらない。

全集を再読したくなった。

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2022年10月03日

Posted by ブクログ

少女のような心の瑞々しさと骨太な知性。
美しく編まれた文章に心が洗われる。

合理性は知性のほんの一面でしかない、ということを知っている人の豊かさ。

折に触れて読みたくなる一冊。

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2021年01月02日

Posted by ブクログ

須賀敦子さんの本が書店の平台に乗るようになってから亡くなるまで、その数は決して多くはなかったけれど、だからそれらを折りにふれて大事に読み返してきた。もう新しいお話を読むことはできないのだ。好きな作家が居なくなってしまうというのはそういうことだ。
没後に編まれた数々の本にも限りがあるから、なんとなく、ときが来るまで、と思って読まないできた。
文庫として書店に並んだのをきっかけに手にしたこの本も、そんな中の一冊。
思いがけず、ずいぶん時間が経ったわりに、世の中も自分もいろいろなことが変わったと思っていたのに、あの頃と同じような感慨とともにいまこれを読んでいる。
先に読んでしまった江國香織さんの文庫版解説も良かった。

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2014年09月14日

Posted by ブクログ

 本書は、単行本にこれまで未収録だったエッセイを中心にまとめた一冊で、書評集や日記などを除いては、おそらく最後の作品集になるそうで(江國香織さんの解説より)、読む順番は間違えてしまったが、その分、全方位に広がるような様々な出来事を通して、彼女がどのようなことを感じ、思い、日々を生きていたのか、そして、そこから私は何を得たのか、より実感出来た思いでいっぱいとなった。

 須賀敦子さん(1929-98年)は、慶應の大学院を中退してフランスのパリに留学し、その後、学生たちの団体旅行に参加したのがきっかけとなり、29歳の夏に、ローマのレジムナンディ大学に留学し、以後イタリアに惚れ込み、後にペッピーノさんという、最愛の人とも出会うと共に、翻訳家でもあり、その仕事の側面を映し出した、ナタリア・ギンズブルグと何度か会うエピソードでは、静かに燃え続ける、彼女の文学への確固たる思いを垣間見たようであったが、その情熱と共に、達観して見ることの出来る客観性も感じられたことが、本書に於いて、静かに紡ぎ出されながらも、どこか心を捕らえて離さない、そんな不思議な魅力が、彼女の文面に表れている気がしてならない。

 そして、その不思議な魅力に色取り取りの華を添えているのが、イタリアに纏わる出来事なのは、おそらく間違いないと思われ、しかも私が心を打たれたのは、そのイタリアでの出来事と彼女自身の人生とが、たとえ僅かでありながらも確かに触れ合って交差したと思われた、そんなささやかな点にこそ、忘れられない思い出や幸せを感じさせるといった、共感を呼び起こしてくれたことで、そこには、国内や外国による相違点は関係ない、人と人とが織り成すことによって生み出された、お互いにとっての、ささやかで素敵な思い出なのである。

 それは、最初の「七年目のチーズ」から、いきなり驚愕のエピソードでありながら、須賀さんと共に、私もドキドキして、最後は不快感よりも『みんなの笑い声』の温かさが強く印象に残ったことや、マナローラの入江のそそりたった岩の上に建つ、「ビアンカの家」の、30メートルほど下に見える海の上に突き出したようなヴェランダに立った時の、彼女の率直な気持ちからも感じられた、全く想像出来ないような現実からかけ離れた話ではなく、イタリアに居ながらも、同じ日本人としての率直なありふれた感情表現に、とても親しみやすさがあるように思われた。

 また、それとは別に、「思い出せなかった話」の、ミラノの市電内で突然声をかけられた、上品な女性は果たして誰だったっけと思いを巡らせる、一見、シンプルなエピソードに思われても、そのかけてくれた言葉、『ご主人がなくなったんですって。うかがって、びっくりしましたわ』に込められた、女性への思いから、もし、このエピソードを書こうと思ったのであれば、夫のいない感傷が、ミラノの秋の到来を普段より早く思わせたことに加えて、その同じ時期には重病を患った母を看取るため、日本に帰国していた事も知ることによって、その市電内でのエピソードには、一種独特な須賀さんだけにしか分からない、ちょっとした戸惑いと温かさを同時に抱かせる心境にさせてくれた感覚に、彼女の中では、イタリアと日本は確かに繋がっているのだということを実感させてくれて、しかもそこには、どこか素朴で家庭的な雰囲気も内在している点に、彼女ならではの視点も感じられた、それは何時の時代に於いても大切な、光と影、表と裏を見ることの大切さなのではないかと思った。

 たとえば、彼女がローマを見るとき、そこには永遠の都というよりは、『なにか暗いゲットに、そしてじっと耐えてきた、ローマの庶民といわれる人たちに、つよく惹かれた』や、『二千年もむかしから、あらゆる権力に搾取され続けてきたローマの庶民の自己防衛の表現なのかも知れない』、更には、フィレンツェやピサのあるトスカーナ地方のすぐ隣のウンブリア地方に関して、『中世そのままの姿、といっても塔や城壁やカテドラルの中世ではなくて、山羊や羊と暮らしていた遊牧民の中世が、ふいに目の前に現れることがある』等から感じられたのは、いずれも表向きの華やかな一面だけではない、その裏で確かに生き続けている者たちへの、素朴な温かさや優しさを抱いている者の眼差しなのであり、そこには、私がイメージしていたイタリアからは、おそらく想像出来なかったであろう、彼女ならではの人間性で触れ合い暮らしてきた、イタリアの一つの素顔が内在していたのである。

 そして、それは旅行ガイドとは一線を画した、彼女とそこで暮らす人たちの交わる人生だからこそ、知ることの出来たものであるのならば、エッセイという本の素晴らしさというのは、その人の人生に於いて、見たもの感じたものを率直に知ることに加えて、それを通さなければ実感出来ない、海外で暮らす人たちの人生の一部を知る喜びもあるのだなと感じ、そこには貧富の差も、素朴な風景に心安らぐ感情も、お葬式でも水と縁の切れないヴェネツィアも、どうしても見てほしくてフランスの友人を連れて行って一緒に眺めた、アッシジの町を一望出来る夕焼けも、全てがイタリアでなくても体験出来そうでありながら、それは確実にイタリアならではのものなのであって、イタリアといえば、パスタやピッツァ、ルネッサンスにコロッセオ、皆陽気で明るい人だよねって、そんな訳無いでしょう、ということに、何故、私はこれまで気付かなかったのかと恥ずかしくなるくらい、世界は驚くほど、未知で身近で不可思議で温かかったのであり、そう感じさせられた点に、改めて、須賀さんの人柄が垣間見えるような気がした。

 そう思わせる一つの側面として、彼女の可愛らしい部分があると書いたら失礼なのかもしれないが、それはクロスワードパズル好きの(もちろんイタリア語)彼女の、『夜、床についてから、明りを消すまでに、いっちょうやる』の言葉に加えて、イタリアのちょっと田舎ふうの煮込み料理が得意だと、自信満々の彼女の言葉の裏には、姑の料理がそうだったからという、家族の温かな絆があり、ここにもイタリアと日本との確かな繋がりを感じさせられたのは、夫のペッピーノさんの存在も大きいのだと思う。

 それは、書店で働いていた本好きのペッピーノさんが、彼女に初めて贈ったプレゼント、「パラッツィ・イタリア語辞典」を、彼の死後も、彼の書斎でひとり翻訳をしていた彼女を証明するものとして、ずっと大事に書斎に置いていたことや、彼が買ってきてくれた古いイタリアの料理書「アルトゥージ」は、初版が1891年にもなる実用性の薄さながら、台所に立てなくなっても、それを小さな空き時間に読み耽る愉しみは続いていたり、はたまた、彼との最初の出会いの地である、ジェノアは、彼女が初めてイタリアに上陸した地でもあるといった、そんな因果関係までもが、俯瞰してみると、まるで最初からそう運命づけられていたかのような、ひとつの大きな繋がりを感じさせられながらも、彼女自身は悠々と自然体で、そこにドラマ性は一切感じさせない、そんな生き方には、彼女のフィレンツェから思いを馳せた言葉、『フィレンツェがつくられたころ、人々はゆっくり考えてものをつくっていたことを、忘れないほうが、いいのではないか』のような、変にきっちりせずに、ある程度の気楽さと心に余裕を持った方が、きっと人生も世界の見方も人間関係も上手くいくのではないか。そんな忙しない現代に於いて忘れかけているような、自然体が織り成す人生の不思議な美しさを、彼女は私に教えてくれた気がしてならないのである。

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2024年02月04日

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霧の流れる向こうに石作りの家
ぽつんと残されて立っていると誰かが迎えにくるかもしれない
ーこういう文章が書けるといいなぁ

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2023年01月06日

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各作品の土地の風景、空気、登場する人たちの人柄を肌で感じることができ、読み終わった後は、充実した旅だったなあという感覚になった。

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2023年01月03日

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(一万円選書)多分、選書していただかなかったら出会わなかった作家さんだと思います。
静寂感が漂い、どこか厳かで儚げな雰囲気を感じました。著者はイタリアで29歳から13年間過ごしたそうです。私にとっては全く馴染みのない国なのですが、空気の流れや香り、音、肌への感覚などが不思議と伝わっていきます。

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2021年11月06日

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ある土曜日、娘に"朝活しよう"と、出かけたカフェで読んだのが、『霧のむこうに住みたい』。

エッセイが苦手なわたしですが、出だしから心地よい! ちょっと何⁈ 面白い! と、感動。

実は、わたしの朝活の目的は、ピスタチオジェラートをサンドしたクロワッサンと温かいカフェラテ‼︎
のせいか、食い気のせいか、肝心の本を忘れてしまったわたしに、呆れた娘が『霧のむこうに住みたい』を貸してくれたのです。なので、殊勝な心で読みました。

心地よい温もり、また、押し付けがましくないさっぱりとしたところもあり、行間のノスタルジックな香り、街や人や物などの描写に愛情を感じられ、読んでいると、心が落ち着きます。

古民家カフェの懐かしいストーブに温められたわたしは、ぬくぬくと心地よい読書ができました。

須賀敦子さんの夫の従弟・ジュゼッペの妻・アドリアーナの「アスパラガスの記憶」
ミラノを引き上げるとき、なによりも置いてくるのがつらかった「白い本棚」
亡夫のはじめての贈り物・三十年後ガザグサになっても捨てられない「パラッツィ・イタリア語辞典」
そして、「芦屋のころ」など、
印象深かった。

イタリアを知らない、イタリア文学も知らない、わたしですが、須賀敦子さんの『霧のむこうに住みたい』のわたしの知らない世界に惹かれました。

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2021年10月27日

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美しく、みずみずしいエッセイです。
須賀さんの生活を、近くで覗き見しているかのように、光や湿度を感じる作品です。

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2020年12月05日

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落ち着いた文章が読みたくなると戻ってくる須賀敦子。
1990年に『ミラノ霧の風景』を出版し、1998年に亡くなっているので、生前に出版されたものは5冊と実はとても少ない。
1998年から99年には5冊が出版されているが、追悼のタイミングにあわせるために雑誌などに掲載された文章を集めてバタバタと出版された感が否めず。

この『霧のむこうに住みたい』は『須賀敦子全集』をもとに2003年に出版されたものなので、きちんと選ばれて編纂されているという感じがする。

選者の意図まではわからないけれど、最後の一文で泣かされるエッセイが多い。もともと須賀敦子のエッセイはラストの一文が見事なのだけれど、「アスパラガスの記憶」のように、ああ、あれはそういうことだったのかと過去の思い出と現在がすっとつながる。悲しい話ではないのになぜかそこでぐっときてしまう。

須賀敦子の文章がなぜすばらしいのか、なかなかうまく説明できないのだけど、巻末の江國香織の解説がそこをうまく文章化している。
須賀敦子を初めて読むという人にもその魅力が伝わる一冊だと思う。

以下、引用。

というのも、私は、ナタリアの大きい造作の容貌が、一般に女性的として肯定的に評価される種類のものではないことと同時に、それと対するときに感じる、するどい知性と深い安堵感について、どのように表現すればよいのか、解決のつかぬままにこれに触れることをずっと避けてきたからであった。

平和だ、平和だとうかれている今日の社会が、人間が、われわれの知らないところで腐敗し、溶解しはじめているとしたら、それは戦争で人を殺していたときと、おなじくらい、もしかしたら目に見えないだけもっと、恐ろしいことなのではないか。そんなことへの警鐘をギンズブルグは鳴らしているのではないか。今日の世界は、もしかすると、あの頃とおなじくらい、危機的なのかもしれない。

三十年まえに死んだ夫が、結婚して一週間も経たないころ、つとめていた書店から重たそうにかかえて帰ってきた、それがこの辞書だ。きみのだ、といって、もう夕食の支度のととのったキッチンのテーブルに、どさっと置いた、その音までを憶えているような気がする。夫になった彼からの、はじめての贈り物だった。

質量。それについて、須賀さんの文章は奇跡みたいな均整を保っている。この作家は決して多くを語りすぎないし、人々を切りとってみせたりしない。
ごくあたりまえのこととして、人には人一人ぶんの厖大な物語があり記憶があり、その向うには家族がしっかりーどういう境遇にせよどんな考え方を持っているにせよーつながっていて、街があり国があり歴史があり言葉があり、たいていのことはわからないまま光もあてられぬまま、それでも一度だけの輝きをもってくり返されていくのであり、切りとることなど不可能だし無意味なのだ、と御本人が思っていらしたかどうかはともかく、本質的には物語とはすべからく長く重く暗いものだということを、須賀さんのエッセイは思いださせてくれる。そして、だからこそ存外、ひそやかで心愉しい瞬間にみちているのだということも。



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2020年09月02日

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イタリアの暮らしや旅行した先の風景、夫や友達との思い出が綴られているエッセイ。須賀敦子さんの本は初めて読んだんだけど、なんというかホスピタリティのあふれる感じの文章で心地よかった。愛が通奏低音のように流れている、と思う。様々な描写も、風景がさあっと浮かんでくるように自然で豊か。何気ない文章に深い観察と洞察がにじんでいるので、かみしめるように余韻を楽しむことができる。
「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」と、「となり町の山車のように」が好き。
私も黙って人の話を聞いているというのが苦手ですぐ別のことを考えているので、なんだか沁みてしまった。線路に沿って、思考をつなげる…。

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2020年08月27日

Posted by ブクログ

なんとなくこの本は晴れ渡った日よりも、雨の日に読みたくなるな、と思っていたら、最後の解説で江國香織の文章を読んで納得でした。

須賀敦子さんを存じ上げなかったので、この本で初めて知ることになりましたが、イタリアに惹かれて過ごした日々が静かに美しく語られていて、心が落ち着きました。

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2020年07月25日

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紀行文が特に秀逸。
「ミラノの季節」や、「ヴェネツィアに住みたい」、「アッシジに住みたい」は、行間からその街の佇まいだけなく、街の匂いまでもが立ち上ってくるような感じがする。
また、訳書である「ある家族の会話」もぜひ読んでみたくなった。

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2016年06月28日

Posted by ブクログ

須賀敦子の没後2003年に、様々な月刊誌、新聞等へ掲載されたエッセイをまとめて発刊された作品集。
よって本書は、著者が存命中に立て続けに発表した、『ミラノ 霧の風景』、『コルシア書店の仲間たち』、『ヴェネツィアの宿』、『トリエステの坂道』など、比較的はっきりしたテーマをもっている作品集とは趣を異にする。
しかし、解説で江國香織が「読んでいると、雨が降っている気分になる」と表現している、愛するイタリアの懐かしい家族、友人たち、思い出の風景を綴った、しっとりと落ち着いた美しい文章は、須賀敦子ならではのものである。
表題作『霧のむこうに住みたい』には、「ふりかえると、霧の流れるむこうに石造りの小屋がぽつんと残されている。自分が死んだとき、こんな景色のなかにひとり立ってるかもしれない。ふと、そんな気がした。そこで待っていると、だれかが迎えに来てくれる」という一節があるが、これは、処女作『ミラノ霧の風景』のあとがきの結び、「いまは霧の向こうの世界に行ってしまった友人たちに、この本を捧げる」にも見られる、須賀敦子の死に対するイメージを感じさせるものである。
心を穏やかにしてくれる珠玉の作品集。
(2014年9月了)

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2016年11月23日

Posted by ブクログ

イタリアやフランスでの日々を追憶するエッセイ。
日本語で書かれているのに、読んでいるうちに「こんなことばがあったんだ」と感じていました。
するする入ってくるけれど、洋画の字幕を目で追っているような。そんな不思議な感覚です。
しかし、須賀さんの感性と視点を通して描かれる人々は、とてもリアリティがあって、"暮らしている"姿がありありと目に浮かびました。

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2023年01月20日

Posted by ブクログ

202101/タイトルと表紙に惹かれて初めて読んだ須賀敦子さんの暮らしや旅等が綴られたエッセイ。余韻が残る落ち着いた文章、風景が浮かぶ描写で、ゆったりと味わう一冊。

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2021年03月27日

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