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解説にある通り、眠い目を擦りながら夢中で読み切ってしまった。どうしてやめられないのか不思議~。
「見知らぬ乗客」で初めて著者の作品を体験し、二作目がこちらで、途中までサスペンスと思い込んでいた。裏表紙の梗概を見て魂消たが、それはそれでホッとした。
河出文庫のハイスミス作品の装丁、全て良すぎる。手に取らずにいられない。
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“恐れていながら人を愛することなんて出来はしない。恐れと愛は両立しない。ふたりでいることで日ごとに強くなっているというのに、なぜ怯える必要があるのだろう? 昼だけではなく夜ごとにも。同じ夜は二度となく、同じ朝も決して訪れなかった。ふたりは一緒に奇跡を紡ぎ続けていた。”
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「見知らぬ乗客」でサスペンス作家として世に名を轟かせたパトリシア・ハイスミスが、1952年に匿名(別名義)で出版した恋愛小説。
心情描写の詩的比喩が多く、若く主観的なテレーズが成長していく姿とリンクしていて美しい。
印をつけて大事にとっておきたい文章がいくつもあった。
映画も小説も忘れられぬ作品。
" 古典とは時代を超越した、人間の業を描くものだと思います "
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*余談 : 当時は「ザ・プライス・オブ・ソルト」として出版され、後に「キャロル」と改題されている。
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舞台美術のデザイナーになる夢を追いながらNYのデパートで働く19歳のテレーズは、ある日接客した女性客を忘れられず、伝票から割り出した住所宛にクリスマスカードを投函する。それがキャロルとの運命的な出会いのはじまりだった。交際中の恋人リチャードとの関係に違和感を抱いていたテレーズは、キャロルへの燃えさかる感情に自分はやっと本当の恋を知ったのだと感じる。キャロルは夫と別居中で、一人娘の親権をめぐって争っている最中であることを明かし、娘を夫に預けているあいだの気晴らしとしてテレーズを車での旅行に誘う。旅中、ついに二人は心を打ち明けあい結ばれるも、キャロルの夫に雇われた探偵が二人を尾行していることが判明し……。
物語の始まり、テレーズは生活をひどく嫌悪している。勤務するデパートの客から、年配の従業員の曲がった腰から、恋人リチャードの爪の汚れまで。だから、生活感のない優雅な身のこなしをしたキャロルに強烈に惹かれていく。作中、テレーズの考案する舞台セットは空想的で主観的すぎると評されるが、そのセットのように彼女の理想だけで出来上がった世界から抜けでてきたような存在、それがキャロルだったのだ。
前半はそんなテレーズと一緒に自分もキャロルと恋に落ちるような気分でうっとりと読んだ。出勤前の逢瀬、昼に嗜む甘いカクテル、服から漂うシルクの香り。はじめてのドライブ、助手席で飲んだカフェオレ、キャロルお気に入りの緑の書斎、それから、疲れてベッドに横になったテレーズにキャロルが持ってきてくれるホットミルク。
「ミルクはとても熱くてすぐには唇をつけられなかった。少しなめると、肉体のさまざまな味が混然一体になって口のなかに広がった。骨と血の味がする。温かい肉のような、髪のような味。粉乳のように味気なく、それでいて成長する胎児のように生命力に満ちている。どこまでも熱く、カップの底のほうまで熱い液体をテレーズは飲み下した。おとぎ話に出てくる、人を変身させてしまう薬を口にするように。騎士が死をもたらすとわかっている盃を疑念も抱かずに飲み干すように。」
このあとキャロルから三つの質問をされ、テレーズが自分の意思とは関係なく溢れ出すように身の上を吐き出してしまうイニシエーションじみた場面へとつながる。このときキャロルはテレーズの魔法使いになってしまったのだろう。
二人がはじめて肉体関係を持った日の描写も美しい。「そして今、どこまでも広がる淡いブルーの宙を、テレーズは長い矢となって飛んでいた。矢はとてつもなく広い深淵をやすやすと越え、いつ止まるとも知れずに弧を描いて飛んでいく。テレーズはいつのまにかキャロルを抱きしめて激しく震えていることに気づき、その矢が自分自身だったことを知った。」彗星の青く自由なイメージ。
しかし二人のあいだには、経験値の圧倒的な差からくる不均衡が常に横たわっている。キャロルは結婚・出産をはじめ、同性との恋と破局、家具屋の夢と挫折、愛する娘と離ればなれになる恐怖など、テレーズが未経験のうちに漠然と恐れている事柄を多く経験しているが、それについてあまり語ろうとしない。また年齢差を気にしているせいか、喧嘩もまともにしようとしない。それは相手と向き合う勇気がないということだ。テレーズは終盤になってキャロルを「わがままを通す悪い癖がある」と評するが、わがままというよりこの人の場合はカッコつけが一番の悪癖だったんだと思う。被支配欲にどっぷり浸かったテレーズに、「寄りかからないで」と言えなかったのがキャロルの弱さだ。
一方、テレーズはNYに先に帰ったキャロルを待つあいだの悩みが自分勝手すぎて、もう少し子を持つ親の気持ちに寄り添ったれ(笑)。でもこれは孤児院育ちで母親に捨てられたと思っているテレーズの出自とかたく結びついているのだと思う。キャロルに捨てられることは再び孤児院時代に戻ることを象徴的に意味する。だから孤児院に飾られていたのと同じ複製画を見つけて、その肖像画とキャロルを重ね合わせて勝手に裏切られたと思いこむのだろう。テレーズが孤児院出身というのは、先に言った生活に強い嫌悪感を抱く理想主義者という点にも、家族という単位に何の疑問も持たないリチャードの生き方へのコンプレックスにもよく表れている。(追記:こうしたテレーズのキャラクター造形は読者の共感を呼ぶと共に、同性愛者を書くにあたってのエクスキュースでもあったかもしれない)
そう考えるとリチャードが手紙に書いてきた「こんな不安定で子供じみた行為は、人生の糧であるべきパンと肉の代わりにロトスの花や甘ったるいキャンディを食べて生きるようなものだ」という罵倒は、ある意味で的確に二人の問題点を捉えている。彼自身はレズビアニズムへの嫌悪を示しているつもりなのだが、この言葉自体は空想的な恋愛と、現実に人と人とが二人で生きていくこととのあいだにある普遍的なギャップを言い表していて、当たり前のようにテレーズを従順な妻として迎えられると思っていたリチャードにも跳ね返ってくるのだ。まぁでもパンと肉ってそんなに偉いのかって話で、できることならパンと肉を食べてても花とキャンディで生きてる気持ちになれるような魔法をかけてくれる相手がいいじゃんね、やっぱり。と思うんですけど。
では、二人はどんな未来に向かうべきか?そのヒントはミセス・ロビチェクに隠されていると私は思う。訳者あとがきでは、彼女はテレーズが憎む現実世界の象徴のように言われているけど賛同しない。何たってミセス・ロビチェクは作中でただ一人、テレーズを感動させるドレスを実際に作った人なのだ。クリエイターとして作中にミセス・ロビチェク以上の人は存在しない。彼女は才能のない凡人代表などではなく、“才能があっても夢破れることがある”という一つの未来の暗示であり、あるいは、テレーズを変身させられる“魔法使い”もいつかは老いるという、キャロルの未来を暗示する存在かもしれない。テレーズがロビチェクのような人を愛するようになることに、二人の未来がかかっているのだ。
こんなに恋愛小説に夢中になって、カップルの幸せを祈ったのは久しぶり。地の文とテレーズのテンションが完全に一体となった最終段落は泣いたし、ハイスミスのあとがきも泣けた。二人の行く先に、そしてこの世界にいるたくさんのキャロルとテレーズに祝福あれ。
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クリスマスも近づいて参りましたので、「キャロル」を。
実は映画化された当時に購入したまま、積読となっておりました。
イヤミス(嫌なミステリー:読後感が良くない)の祖と呼ばれるパトリシア・ハイスミスの作品ですが、今作は異例の恋愛小説だそうで。
主題としてはNYに住む女性二人の恋愛模様と紆余曲折……と言ったところでしょうか。
この作品の時代背景と詳しい経緯については「あとがき」や他の方のレビューにもある通りなので割愛させていただくこととして、途中で中だるみというか、読んでいてつまらないなと(個人的にですが)思える箇所を少しずつ挟みながらも、やはり最初とクライマックスから最後までは一気に引き込まれる文章の熱量を感じました。
私自身はあとがきを読むまで知らなかったのですが、キャロルとテレーズの邂逅はハイスミス女史の実体験が元になっていたんですね。そりゃ、リアルで熱量があるわけだ、と納得しました。
世間的には同性愛者というのは「異常」であるとみなされていた世界で、キャロルは同性を愛することによって手ひどい仕打ちに遭うことになってしまいます。
それこそが、この時代の「歪み」であり、現代と比べてみても分かりやすい「差別」なのですが、そのことに当時の人たちが気づくわけもなく。「自分が正義だ、お前は間違ってる」となったときの(特にアメリカの)人の恐ろしさといったらありませんね。相手を軽蔑するだけでは飽き足らず、罪人ではない人間から何もかもを取り上げてしまおうとする、そんな恐ろしさがあります。
(そこの辺り、ハイスミス女史は巧みに描いています)
多様性と多数決は別次元で行われるもの、とはいえ実際の社会では「皆がこうなのになぜお前は違うんだ。それは異常だ」という考え方がまだまだ残っているなぁと感じずにはいられませんでした。
実際、同性愛は「(当人が)選べるもの」と認知されていたり、「何らかの外的圧力によって異性を愛せなくなった人間の逃げ」とされることもあるようです。
私自身は「他人を愛すること」から学ばねばならないのでそう詳しいことは分かりませんし、分かった気で話しちゃいけないのだと思いますが、「この人(相手)を好きという感情には理由なんてない……それが同性だったら違うのか?」というのが命題でしょう。
当時珍しかった(とされている)「お話の終わり方」にも注目の一冊です。
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恋愛小説
デパート働くテレーズはお客のキャロルに一目で恋に落ちる。夫と子供がいるキャロルとの交際はテレーズに多くの葛藤をもたらす。一度はキャロルとの別離を決意し、仕事を選ぶテレーズだが、やはりキャロルのもとへ。
先に映画を見たのだけど、セリフが少なく表情や背景で心情を折っていかなければならないので、彼女たちの気持ちがわからなかった。
小説はテレーズの視点で描かれる。人を恋い慕い欲する心情が丁寧に書かれている。
アメリカを車で旅するって疲れそう。
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とんでもなくよかった。控えめに言って最高。
映画を見て、次の日に原作を購入した。
映画では描かれていなかったテレーズの想いが書かれていてすごく共感した、キャロルと出会った時のテレーズと同い年の私。
最後キャロルの同棲の話を断った後のパーティで、美人な女優さんに好意を抱かれているのを見てやっぱりテレーズは相当美人なんだなと思ったし、映画のキャストさんであるルーニーマーラで当てはめると、そりゃあモテる…と思った。テンション上がる。今でさえそうなんだから昔はかなりLGBTへの差別がキツくて、相当辛かっただろうし葛藤しただろうなと思う。今でさえ、同性で付き合うってなった時に間違ってるとか言わせてしまうのだから。それなのに、自分達の気持ちをしっかりと持って人を愛するなんてすごいなと思うし感動しかない。
性別が違うから愛せる、それが正しいんだという考えから人が人として人を愛するという考えに代わってほしいなと思う。
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彼女は白黒の世界に生きていた
無味乾燥な毎日
婚約しているけど愛情のない関係
私はこの生活を
果たして自ら望んだのだろうか
彼女は日々自問自答する
やりたいことがある
夢がある でもそれは遥かに遠い
現実の先に夢が繋がっているとは考えられない
そんな日常で
彼女は色づいた一人の女性を見つけた
白黒の世界に色彩が訪れ
光と影が舞い降りる
喜びの分だけ悲しみを知った
温もりの分だけ寂しさを知った
彼女にとって その人は女神のように
映ったかもしれない
しかしその女神は
彼女のことは地上におりてきた天使だと言った
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「太陽がいっぱい」などで有名なパトリシア・ハイスミスが1952年に別名義で発表した作品。
恋愛物です。
マッカーシズムの赤狩り旋風が吹き荒れた厳しい時代だが、ペーパーバックでベストセラーになったそう。
若い娘テレーズと、美しい人妻キャロルが出会う。
テレーズは舞台美術家の卵で、クリスマス商戦でにぎわうデパートでアルバイトをしていた。
感受性豊かなのが災いして不慣れな環境に戸惑い、感性が暴走しそうになっていたのだが。
それとなく惹かれあう気持ちを伝えていく二人。
キャロルは教養があり裕福な社交界の女性だが、じつは離婚の危機を迎えていました。
テレーズにもステディなボーイフレンドがいたのですが、その上手く行ってないっぷりがまた、不安定で苦くて頭でっかちでどっちつかずで、若さそのもの。
幼い子もいるキャロルと、一体どうなるのというのか?
キャロルの親友のアビーや、デパートに勤める仲間の女性なども異彩を放ちます。
揺れ動く切ない関係が美しく描かれ、どうがんばっても絶望かと思えば意外とそうでもない展望が見えて。
これは‥
1952年という時期に書かれたのでは、バイブルとなるはずです。
そのことも含めて、感動しました☆
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キャロルとテレーズが出会うシーンにやられた。
大人の世界がまだわからないテレーズとか、出会いのシーンとか、もう共感するところがありすぎて、身につまされる思いで読んだ。
初めての恋を思い出す。
私の結末は、ハッピーエンドではなかったけれど。
とても真剣なふたりを感じられるラストにほっと胸をなでおろした。だいたい同性愛、しかもレズビアン小説って自殺とか自分を押し殺して無理に結婚したり、って結末が多いので、きっとそうだと予想していたから。
作家の他の作品も読んでみたい。
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簡単に言ってしまえば、レズビアンの話だが、純粋な恋愛小説といってよい。
異性愛と異なるのは周囲の偏見だけだし、異性愛だって条件によっては偏見を持たれることもある。
繊細な感情の揺れ動きが行動によく表れていて、とてもよい小説。
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映画もそうだったが、エドワード・ホッパーを思わせる世界観がとても好き。
人に恋する事の純粋さがストレートに描かれていて、どのラブストーリーよりも素晴らしいと思った。
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1回目の感想
映画を観てから原作を読んだ。原作のキャロルは、脆さであったり危うさであったりがよく表現されていて、より人間らしく感じられた。テレーズが、キャロルをただ美しい理想の人間ではなく、現実の人間としてとらえはじめたところにテレーズの成長がある。
この2人の織り成す関係性がとても美しい。人が求め合うとか惹かれあうといったことは、本来簡単なことではないはずでうまいこといくものでもないのだろうけれど。
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「太陽がいっぱい」を書いたパトリシア・ハイスミスが書いた女性同士の恋愛を書いた小説。19歳の主人公テレーズから見た魅力的な年上の女性キャロルとの恋愛模様が丁寧に描かれている。冷静な目で見ればキャロルなんてわがままで気まぐれで自分勝手でどこがいいかわからないけど、テレーズの目を通してみるととても魅力的な女性にうつるから不思議。作品が終わる頃には読者もテレーズと共にキャロルと恋に落ちているだろう。
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きっとテレーズにとって本当の初恋。
だからこそキャロルしか見えないし、他のものに対して苛立ちが伴う。人を初めて苦しくなるほど愛するとはこういうことだったなぁと思い返したりした。
2人が離れてからのほうが結構好きだったかな。
冷静になって彼女をまた愛するの良かった
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映画版のビジュアルだけ見た状態で原作を読んだ。
キャロル、ケイトブランシェットってはまり役すぎるだろ…。あまりにも「運命の女」が似合う。
全く2人は変わってしまったけれど、でも、というラストが好きだった。
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パトリシア・ハイスミスはミステリーの作家さんだというイメージが強かったのですが、恋愛小説も書いたのですね。
描かれている人々の生活ぶりが自分の住む世界とあまりにかけ離れていすぎて現実感が薄かった。現在よりも比べ物にならないくらい同性の恋愛への偏見の酷さを考えると希望のある終わり方。
幸福感の描写がとても美しい。
「テレーズの中で幸福感が緑の蔓のように広がり、細い巻きひげを伸ばして全身に花を咲かせていく。…」
読みながら主人公の恍惚に私も一緒になって陶酔した。
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レズビアンへの差別や社会風刺が、とかよりもまず、単純に恋愛ものとしてとても刺激的。
物語は終始テレーズ視点で進むが、上品で魅力的で思わせぶりなキャロルの態度にはらはらさせられる。
そして、そんなキャロルがついに囁く「私の天使」という言葉!
テレーズが夢中になってしまうのもわけはない人物だと思わせられる。
運命というものは存在するし、どこにも転がってる。ただ、何もかもを捨ててそれに飛び込む勇気が普通の人には無いんだと思う。でもこの「キャロル」のテレーズは、最後はきっとうまく飛び込めた。
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女性が女性をあんなに好きになってしまう・・・
分からないでもないけれど、イマイチ共感できない。
男女間の恋愛とはやっぱり違うんだろうなとは思う。
それでも最後までドキドキが止まらない。
文章がきれいで(翻訳者のおかげで?)そういった偏見や嫌悪缶など持たずに読めた。
私も10代のころならきっとこの本が人生のBEST10に入ったのかも。
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ハイスミスにとって本作は、イーヴリン・ウォーにとっての『ブライヅヘッドふたたび』みたいなものか。作家にとって異色作ということでも、同性愛を、はっきりと描くと、仄めかす程度の差はあれど、描いているという点で。静寂を感じた。ロードノヴェルの面はあるが、私立探偵との対決以外はこれといった事件は起きないし。テレーズが女優に惹かれる場面があるが、ということは、彼女はたまたま恋したキャロルが女性だったという訳ではなく、元々その傾向があって、それをキャロルが引き出したということ?キャロルはバイセクシャルかな。
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ハイスミスは、本格ミステリ、暗いミステリ、と思っていて読んでいなかったのだけれど、この作品はミステリではなくて恋愛モノ、ときいて、しかもものすごく評判がいいし、映画のほうの評判もすごくいいので読んでみたんだけど、評判どおり、すごくよかった。まったくミステリではなくて、文章も純文学っぽく、雰囲気があって、美しい。
主人公テレーズがデパートの売り子っていうのはきいていたけど、舞台美術家志望ってきいたらもっと早く読んだかも。舞台の話がちょっと出てきたり、彼女がセットの模型つくったりしているのが楽しい。時代は1950年代、そのころのニューヨークのデパートや街の雰囲気、ふたりが旅するいろいろな街のホテルの感じとかが素敵。
テレーズは十九歳、彼女が恋するキャロルは妻であり母であり、30代後半くらい?、そしてテレーズと同じデパートで働く中年の独身女性、旅先で知り合う老女、とか、年齢のことを考えさせられたり。
テレーズは若い。キャロルが旅から先に戻ってしまってひとり残されたテレーズが、それでもはつらつとして、自分のエネルギーを、自分の未来を感じるところ、自分はまだ若い、どこも痛くない、なんでもできる、とか思うところ、ほんとに、若いってそういうことだよな、いいなあ、と思った。愛する人と別れても、まだいくらでもやり直せる、未来がある、なんでもできる、と。
一方、離婚され、子どもを奪われたキャロルは、いったいこの先なにがあるだろう、もう立ち直れないんじゃないか、と思った。そう、わたしは、てっきり、ふたりは別れる、と思い込んでいたのだ。なので、ラスト、テレーズがキャロルのもとに戻ったのは心底意外で、本当に驚いた! これこそ大どんでん返し! ハッピーエンドになるなんてこれっぽっちも思ってもなかった! だからなおさら、すごくうれしかった。信じられないながらも、なんだかぱあーっとまわりが明るくなったような気がしたくらい。
ハッピーエンドにしたのは、ハイスミスの希望かな。現実はそうじゃないから希望を託したのかな、と推測するとせつない気もしたり。
一緒に住みましょう、と言ったキャロルは強くてかっこいいと思った。自分の気持ちに正直で、勇気があって。ケイト・ブランシェットぴったりだ。というか、映画では彼女がキャロルを演じていると知っていたので、読みながらキャロルはケイト・ブランシェットでしかなかったけれど。映画もぜひ見たい。
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テレーズとキャロル、年齢や環境も異なる2人の女性の出会いと愛を描いた一作。
芸術関連の夢を持ちつつ、そういった人におおそうな現実とのギャップで
若さの割にややくたびれた印象のあるテレーズ。
そして、そんな彼女と出会うキャロルも、
上品な美しさと裏腹に、グラグラした夫婦関係に陰りが見えて…。
ふたりの眩い煌きを感じる出会い、
そして手紙を通して距離を縮めていく様子は、
ふたりが同性ということを除いても特別な高揚感があります。
キャロルとの出会いまでに灰色く濁った空気が漂っていたテレーズの日常だけに、その輝きは一層強い。
しかしその後の、夫婦、男の誇りに振り回され、今一歩踏み出せない関係と、女同志の嫉妬
…そういった負の要素が混ざって同じ場所を繰り返し引き記するようなもたつきを感じますが、
それでも読みすめることをとめられない不思議な感覚で、
ラストまでたどり着くと
この停滞ですらストーリー上、必要に思えます。
終わってみると想像を裏切る幸せのある結末。
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映画化され、映画は観てないけど、帯の宣伝など見ているとすごく期待していた。
だからか、読み進めているうちに、あまり面白くないなぁと思い始めた。ダラダラしているというか…冗長というか。
だけど、最後まで読み終わると、良かったなと思う。
テレーズもキャロルもその他の男たちも、ワガママ、気まぐれ、自分勝手、意地悪な感じ。そういうもんなんだろうな。
キャロルの選択、決断は、かなりキツイものだ。
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初出は1952年、当時売り出し中のミステリ作家が世に問うた女性同士の恋愛小説。LGBTなどという言葉はもちろん無く、同性愛者が蔑視されていた時代にあって、主人公があじわう逡巡、煩悶、そして歓びが行間にあふれる。
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映画化で話題となり、観る前に読もうと思った。1950年代という背景を意識すると、とてもリアルに描かれているのを感じる。
同性愛者の筆者による女性2人の描写は説得力があるが、そういう前提を取り払い、切ない愛の物語、成長する若い女性、夫婦仲に悩む女性の悲哀、といった方向で読むこともでき、どのテーマにおいてもしっかり描かれていて重みがある。
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映画が高評価だったことを覚えていたので、原作を読んでみたくなり手に取りました。
主人公のテレーズが好きになれませんでした。醜さをとても嫌うところ、不安定すぎるところ…。登場人物が好きになれなくても物語として面白ければ良いはずなんですが、私にはひっかかるところが多すぎたみたいで合わなかったです。
映画で観るとまた印象が違いそうなので、そちらも観てみたいです。
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人並みに嫉妬したり、恋に思い悩むテレーズが愛おしくなった。
キャロルに対する評価が定まるのは、中盤以降。実はテレーズへの愛に溢れていて、そして人間臭いところがたまらない。
愛すべき二人が車でアメリカ横断旅行(?)に出るって、すごく映画的と言うか、おしゃれだなと思ってしまった。
単なる恋愛小説ではないのは、テレーズには男性のお相手がいて、キャロルには元夫と娘がいたことかもしれない。いわゆるLの世界的な「イケてるビアン達の都会ライフ」とは全く違うお話になっているw
テレーズとキャロルの関係が監視されて、娘の親権争いに利用されるのは、ゲイとしては非常に苦しい気持ちになってしまった。
子どもの幸福が大人の勝手な都合と司法によって損なわれるのは、同じLGBTというくくりだと「チョコレートドーナツ」という映画を思い出した。
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パトリシアハイスミスの作品にはイヤミスというか丑の刻参りというか黒い憎悪を想像しがちですが、これは普通に恋愛物でした。舞台美術の仕事に進もうとしてる若い女性と、魅力的な主婦を巡る話。この二人が自分の気持ちに素直で後ろめたさを感じていない。
さすがに会話などは洗練されてる。
「古典になる条件って何だと思う?「時代を超越した業を描く物だと思います」「人は得てして別の方法で探した方がずっと見つけやすい物をセックスを通じて見つけようとする」
かなり若い頃に書かれた作品のようだが、さすが巨匠になる人は違う。
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2016年現在、LGBTなる言葉も人口に膾炙し始め、ようやく性的マイノリティの人たちの立場が本来あるべきものに近づきつつあるような気もするが、この小説が著された1950年代はどのような時代、空気感にあったのか、同性愛者≒犯罪者とでもいうべき見なされ方が描かれている本作を通読すると、なんとなく想像を及ぼすことができる。
著者の自伝的要素も多分に含まれているので、主観的とはいえ強い説得力もある。
古さが感じられるのはもちろん致し方ないが、当時、とんでもなくチャレンジングな試みだったであろうことが容易に推察される一冊。