ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
4pt
クリスマス、デパートのおもちゃ売り場の店員テレーズは、人妻キャロルと出会い、運命が変わる……サスペンスの女王ハイスミスがおくる、二人の女性の恋の物語。映画化原作ベストセラー。
アプリ試し読みはこちら
Posted by ブクログ
解説にある通り、眠い目を擦りながら夢中で読み切ってしまった。どうしてやめられないのか不思議~。 「見知らぬ乗客」で初めて著者の作品を体験し、二作目がこちらで、途中までサスペンスと思い込んでいた。裏表紙の梗概を見て魂消たが、それはそれでホッとした。 河出文庫のハイスミス作品の装丁、全て良すぎる。手に取...続きを読むらずにいられない。
“恐れていながら人を愛することなんて出来はしない。恐れと愛は両立しない。ふたりでいることで日ごとに強くなっているというのに、なぜ怯える必要があるのだろう? 昼だけではなく夜ごとにも。同じ夜は二度となく、同じ朝も決して訪れなかった。ふたりは一緒に奇跡を紡ぎ続けていた。”
「見知らぬ乗客」でサスペンス作家として世に名を轟かせたパトリシア・ハイスミスが、1952年に匿名(別名義)で出版した恋愛小説。 心情描写の詩的比喩が多く、若く主観的なテレーズが成長していく姿とリンクしていて美しい。 印をつけて大事にとっておきたい文章がいくつもあった。 映画も小説も忘れられぬ作品...続きを読む。 " 古典とは時代を超越した、人間の業を描くものだと思います " ・ ・ ・ ・ ・ ・ *余談 : 当時は「ザ・プライス・オブ・ソルト」として出版され、後に「キャロル」と改題されている。
舞台美術のデザイナーになる夢を追いながらNYのデパートで働く19歳のテレーズは、ある日接客した女性客を忘れられず、伝票から割り出した住所宛にクリスマスカードを投函する。それがキャロルとの運命的な出会いのはじまりだった。交際中の恋人リチャードとの関係に違和感を抱いていたテレーズは、キャロルへの燃えさか...続きを読むる感情に自分はやっと本当の恋を知ったのだと感じる。キャロルは夫と別居中で、一人娘の親権をめぐって争っている最中であることを明かし、娘を夫に預けているあいだの気晴らしとしてテレーズを車での旅行に誘う。旅中、ついに二人は心を打ち明けあい結ばれるも、キャロルの夫に雇われた探偵が二人を尾行していることが判明し……。 物語の始まり、テレーズは生活をひどく嫌悪している。勤務するデパートの客から、年配の従業員の曲がった腰から、恋人リチャードの爪の汚れまで。だから、生活感のない優雅な身のこなしをしたキャロルに強烈に惹かれていく。作中、テレーズの考案する舞台セットは空想的で主観的すぎると評されるが、そのセットのように彼女の理想だけで出来上がった世界から抜けでてきたような存在、それがキャロルだったのだ。 前半はそんなテレーズと一緒に自分もキャロルと恋に落ちるような気分でうっとりと読んだ。出勤前の逢瀬、昼に嗜む甘いカクテル、服から漂うシルクの香り。はじめてのドライブ、助手席で飲んだカフェオレ、キャロルお気に入りの緑の書斎、それから、疲れてベッドに横になったテレーズにキャロルが持ってきてくれるホットミルク。 「ミルクはとても熱くてすぐには唇をつけられなかった。少しなめると、肉体のさまざまな味が混然一体になって口のなかに広がった。骨と血の味がする。温かい肉のような、髪のような味。粉乳のように味気なく、それでいて成長する胎児のように生命力に満ちている。どこまでも熱く、カップの底のほうまで熱い液体をテレーズは飲み下した。おとぎ話に出てくる、人を変身させてしまう薬を口にするように。騎士が死をもたらすとわかっている盃を疑念も抱かずに飲み干すように。」 このあとキャロルから三つの質問をされ、テレーズが自分の意思とは関係なく溢れ出すように身の上を吐き出してしまうイニシエーションじみた場面へとつながる。このときキャロルはテレーズの魔法使いになってしまったのだろう。 二人がはじめて肉体関係を持った日の描写も美しい。「そして今、どこまでも広がる淡いブルーの宙を、テレーズは長い矢となって飛んでいた。矢はとてつもなく広い深淵をやすやすと越え、いつ止まるとも知れずに弧を描いて飛んでいく。テレーズはいつのまにかキャロルを抱きしめて激しく震えていることに気づき、その矢が自分自身だったことを知った。」彗星の青く自由なイメージ。 しかし二人のあいだには、経験値の圧倒的な差からくる不均衡が常に横たわっている。キャロルは結婚・出産をはじめ、同性との恋と破局、家具屋の夢と挫折、愛する娘と離ればなれになる恐怖など、テレーズが未経験のうちに漠然と恐れている事柄を多く経験しているが、それについてあまり語ろうとしない。また年齢差を気にしているせいか、喧嘩もまともにしようとしない。それは相手と向き合う勇気がないということだ。テレーズは終盤になってキャロルを「わがままを通す悪い癖がある」と評するが、わがままというよりこの人の場合はカッコつけが一番の悪癖だったんだと思う。被支配欲にどっぷり浸かったテレーズに、「寄りかからないで」と言えなかったのがキャロルの弱さだ。 一方、テレーズはNYに先に帰ったキャロルを待つあいだの悩みが自分勝手すぎて、もう少し子を持つ親の気持ちに寄り添ったれ(笑)。でもこれは孤児院育ちで母親に捨てられたと思っているテレーズの出自とかたく結びついているのだと思う。キャロルに捨てられることは再び孤児院時代に戻ることを象徴的に意味する。だから孤児院に飾られていたのと同じ複製画を見つけて、その肖像画とキャロルを重ね合わせて勝手に裏切られたと思いこむのだろう。テレーズが孤児院出身というのは、先に言った生活に強い嫌悪感を抱く理想主義者という点にも、家族という単位に何の疑問も持たないリチャードの生き方へのコンプレックスにもよく表れている。(追記:こうしたテレーズのキャラクター造形は読者の共感を呼ぶと共に、同性愛者を書くにあたってのエクスキュースでもあったかもしれない) そう考えるとリチャードが手紙に書いてきた「こんな不安定で子供じみた行為は、人生の糧であるべきパンと肉の代わりにロトスの花や甘ったるいキャンディを食べて生きるようなものだ」という罵倒は、ある意味で的確に二人の問題点を捉えている。彼自身はレズビアニズムへの嫌悪を示しているつもりなのだが、この言葉自体は空想的な恋愛と、現実に人と人とが二人で生きていくこととのあいだにある普遍的なギャップを言い表していて、当たり前のようにテレーズを従順な妻として迎えられると思っていたリチャードにも跳ね返ってくるのだ。まぁでもパンと肉ってそんなに偉いのかって話で、できることならパンと肉を食べてても花とキャンディで生きてる気持ちになれるような魔法をかけてくれる相手がいいじゃんね、やっぱり。と思うんですけど。 では、二人はどんな未来に向かうべきか?そのヒントはミセス・ロビチェクに隠されていると私は思う。訳者あとがきでは、彼女はテレーズが憎む現実世界の象徴のように言われているけど賛同しない。何たってミセス・ロビチェクは作中でただ一人、テレーズを感動させるドレスを実際に作った人なのだ。クリエイターとして作中にミセス・ロビチェク以上の人は存在しない。彼女は才能のない凡人代表などではなく、“才能があっても夢破れることがある”という一つの未来の暗示であり、あるいは、テレーズを変身させられる“魔法使い”もいつかは老いるという、キャロルの未来を暗示する存在かもしれない。テレーズがロビチェクのような人を愛するようになることに、二人の未来がかかっているのだ。 こんなに恋愛小説に夢中になって、カップルの幸せを祈ったのは久しぶり。地の文とテレーズのテンションが完全に一体となった最終段落は泣いたし、ハイスミスのあとがきも泣けた。二人の行く先に、そしてこの世界にいるたくさんのキャロルとテレーズに祝福あれ。
クリスマスも近づいて参りましたので、「キャロル」を。 実は映画化された当時に購入したまま、積読となっておりました。 イヤミス(嫌なミステリー:読後感が良くない)の祖と呼ばれるパトリシア・ハイスミスの作品ですが、今作は異例の恋愛小説だそうで。 主題としてはNYに住む女性二人の恋愛模様と紆余曲折……と...続きを読む言ったところでしょうか。 この作品の時代背景と詳しい経緯については「あとがき」や他の方のレビューにもある通りなので割愛させていただくこととして、途中で中だるみというか、読んでいてつまらないなと(個人的にですが)思える箇所を少しずつ挟みながらも、やはり最初とクライマックスから最後までは一気に引き込まれる文章の熱量を感じました。 私自身はあとがきを読むまで知らなかったのですが、キャロルとテレーズの邂逅はハイスミス女史の実体験が元になっていたんですね。そりゃ、リアルで熱量があるわけだ、と納得しました。 世間的には同性愛者というのは「異常」であるとみなされていた世界で、キャロルは同性を愛することによって手ひどい仕打ちに遭うことになってしまいます。 それこそが、この時代の「歪み」であり、現代と比べてみても分かりやすい「差別」なのですが、そのことに当時の人たちが気づくわけもなく。「自分が正義だ、お前は間違ってる」となったときの(特にアメリカの)人の恐ろしさといったらありませんね。相手を軽蔑するだけでは飽き足らず、罪人ではない人間から何もかもを取り上げてしまおうとする、そんな恐ろしさがあります。 (そこの辺り、ハイスミス女史は巧みに描いています) 多様性と多数決は別次元で行われるもの、とはいえ実際の社会では「皆がこうなのになぜお前は違うんだ。それは異常だ」という考え方がまだまだ残っているなぁと感じずにはいられませんでした。 実際、同性愛は「(当人が)選べるもの」と認知されていたり、「何らかの外的圧力によって異性を愛せなくなった人間の逃げ」とされることもあるようです。 私自身は「他人を愛すること」から学ばねばならないのでそう詳しいことは分かりませんし、分かった気で話しちゃいけないのだと思いますが、「この人(相手)を好きという感情には理由なんてない……それが同性だったら違うのか?」というのが命題でしょう。 当時珍しかった(とされている)「お話の終わり方」にも注目の一冊です。
恋愛小説 デパート働くテレーズはお客のキャロルに一目で恋に落ちる。夫と子供がいるキャロルとの交際はテレーズに多くの葛藤をもたらす。一度はキャロルとの別離を決意し、仕事を選ぶテレーズだが、やはりキャロルのもとへ。 先に映画を見たのだけど、セリフが少なく表情や背景で心情を折っていかなければならないので...続きを読む、彼女たちの気持ちがわからなかった。 小説はテレーズの視点で描かれる。人を恋い慕い欲する心情が丁寧に書かれている。 アメリカを車で旅するって疲れそう。
とんでもなくよかった。控えめに言って最高。 映画を見て、次の日に原作を購入した。 映画では描かれていなかったテレーズの想いが書かれていてすごく共感した、キャロルと出会った時のテレーズと同い年の私。 最後キャロルの同棲の話を断った後のパーティで、美人な女優さんに好意を抱かれているのを見てやっぱりテ...続きを読むレーズは相当美人なんだなと思ったし、映画のキャストさんであるルーニーマーラで当てはめると、そりゃあモテる…と思った。テンション上がる。今でさえそうなんだから昔はかなりLGBTへの差別がキツくて、相当辛かっただろうし葛藤しただろうなと思う。今でさえ、同性で付き合うってなった時に間違ってるとか言わせてしまうのだから。それなのに、自分達の気持ちをしっかりと持って人を愛するなんてすごいなと思うし感動しかない。 性別が違うから愛せる、それが正しいんだという考えから人が人として人を愛するという考えに代わってほしいなと思う。
「太陽がいっぱい」などで有名なパトリシア・ハイスミスが1952年に別名義で発表した作品。 恋愛物です。 マッカーシズムの赤狩り旋風が吹き荒れた厳しい時代だが、ペーパーバックでベストセラーになったそう。 若い娘テレーズと、美しい人妻キャロルが出会う。 テレーズは舞台美術家の卵で、クリスマス商戦でにぎ...続きを読むわうデパートでアルバイトをしていた。 感受性豊かなのが災いして不慣れな環境に戸惑い、感性が暴走しそうになっていたのだが。 それとなく惹かれあう気持ちを伝えていく二人。 キャロルは教養があり裕福な社交界の女性だが、じつは離婚の危機を迎えていました。 テレーズにもステディなボーイフレンドがいたのですが、その上手く行ってないっぷりがまた、不安定で苦くて頭でっかちでどっちつかずで、若さそのもの。 幼い子もいるキャロルと、一体どうなるのというのか? キャロルの親友のアビーや、デパートに勤める仲間の女性なども異彩を放ちます。 揺れ動く切ない関係が美しく描かれ、どうがんばっても絶望かと思えば意外とそうでもない展望が見えて。 これは‥ 1952年という時期に書かれたのでは、バイブルとなるはずです。 そのことも含めて、感動しました☆
簡単に言ってしまえば、レズビアンの話だが、純粋な恋愛小説といってよい。 異性愛と異なるのは周囲の偏見だけだし、異性愛だって条件によっては偏見を持たれることもある。 繊細な感情の揺れ動きが行動によく表れていて、とてもよい小説。
映画もそうだったが、エドワード・ホッパーを思わせる世界観がとても好き。 人に恋する事の純粋さがストレートに描かれていて、どのラブストーリーよりも素晴らしいと思った。
レビューをもっと見る
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
新刊やセール情報をお知らせします。
キャロル
新刊情報をお知らせします。
パトリシア・ハイスミス
柿沼瑛子
フォロー機能について
「河出文庫」の最新刊一覧へ
「小説」無料一覧へ
「小説」ランキングの一覧へ
誰?
試し読み
愛と喜びの讃歌
アメリカの友人
カーリーの歌
贋作
サスペンス小説の書き方
殺戮のチェスゲーム(上)
死者と踊るリプリー
作者のこれもおすすめ一覧へ
▲キャロル ページトップヘ