【感想・ネタバレ】ヘヴンのレビュー

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Posted by ブクログ

著者としては初の長編作品だったのが本作でした。

いじめや嫌がらせを受けている主人公「ロンパリ」と、女子のコジマ。ふたりの物語です。斜視のことを俗に「ロンパリ」という人があるそうで、ロンドンとパリという離れたところを同時に見ているみたいな意味のよくない言葉だったりします。

さて。第6章がすごかったです。あそこで書かれている善悪については僕も以前、自作短編執筆中に同じような考えを進めたことがありましたし、その短編に痕跡を残したものですけど、本書のほうはじっくりと分量を割いて書いていました。心から血を流すぐらい真剣に、対峙している。ひとつの気付きにとどまらずにいました。

僕がこのような善悪観(本書で百瀬という少年によって語られているのは、物事や行為に善や悪はなく、それ以前に欲求があるだけだという思想です。僕の場合は、人はすべて善を行い、それを悪だとするのは周囲や社会に過ぎないというものでした。近しい思想だと思います)にたどり着くときまで、本作は何年も先んじています。プラトンのソクラテス活躍シリーズにもこのような善悪観があったとは思いますけど、そこからさらに現実世界に落とし込んで論理を展開していたのが本作。わがままを言うと、この第6章で語られる思想に対して、「世界観」や「人間観」といった価値観の在り方が人の考え方を左右しているという視点をぶつけたいですね。世界観や人間感が歪んでると思わないか、とこの思想を述べた百瀬という人物にぶつけてみたくなります。こういう悪役とは格闘したくなるものですよ。しかしながら、この第6章の会話の応酬は見事に編まれていました。

この第6章目でぐぐっと深まっていったので、ふつうにおもしろい小説だったならば最後の章まであとはそのテンションを維持すれば成功だったのかもしれないのですけれど、そこから変容を続けて最後の章でさらに上げてきていました。佳境の部分では破局と混沌とをきれいにまとめあげずに凄みある表現をできる技術がありました。踏み込んで、さらに踏み込んで、まだ行くかっていう作り。胆力、勇気、体力、精神力、捨て身、腕、といったそれらがどれも高レベルじゃないと、こういう作品は書けないでしょう。百瀬とコジマの、どちらもどこか偏っていると思える思想が、最後に主人公の中で交差するところにはしびれる。そういった土壇場で成し遂げたような巧みさもありました。

序盤こそ抑制の塩梅のいい文体だと思いました。すっきりと、隙間が狭くなったり広くなったりしない文章で内容が進んでいっていましたから。そういった基盤の元、最後には快刀乱麻でしたねえ。ぎりぎりに攻めた難しい殺陣の予定を実際に行ったら、それ以上の震えるような結果を出してみせた、みたいな感じです。そして、絶望からのRebornでこの小説は締めくくられる。深くこの世界に入り込んだ読者としては、コジマはどうなったのだろう、という心配はあるのですけども、でも彼女のその後に希望を重ねたくなるのでした。

といったところです。最後に、ふたつほど引用して終わります。

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「わたしは――なんて言ったらいいのかな、だいたいいつも不安でしょうがないわけ、びくびくしてるの。家でも、学校でも。でもね、なんかちょっとでもいいことあったりするじゃない、たとえば君とこうやって話してるときや手紙を書いてるときね。それはわたしにとってとてもいいことなの。それでちょっとだけ安心してるのね。この安心は、わたしにとってうれしいことなの。でも、そのふだん感じてる不安もこの安心も、やっぱり自然なことなんかじゃなくて、どっちも特別なことなんだって思ってたいんだと思うの、たぶん。……だって安心できる時間なんてほんの少しだし、それに人生のほとんどが不安でできてるからってそれがわたしのふつうってことにはしたくないじゃない。だから不安でもない、安心でもない、そのどっちでもない部分がわたしにはちゃんとあって、そこがわたしの標準だってことにしたいだけなのかも」と言ってコジマは唇をあわせた。
「標準」と僕は復唱した。(p41)
__________

→そして、その標準を自分自身がちゃんとわかっていないと、ぜんぶがほんとうにだめになるような気がする、とコジマは続けます。そのとおりだ、と僕は思ったのです。なんていうか、標準感覚を失くしかけているから余計にわかるんですよ。このコジマという女の子の名前は、名字なのか下の名前なのかはっきりでてきません。まあ「小島」とか「児島」を当てて想像しやすいのですが、あえてカタカナ表記なので、リストの娘でワーグナーの妻だった女性(ニーチェとも交友がある)が、コジマという名前だったから、もしかして彼女由来かなと思いもしました。文化的セレブの名が託されたかのようで、ご加護がありそうというか、どこか拠り所となりそうというか、そんな気がしてきます。村上春樹さんの「カフカ君」みたいな命名手法へのオマージュだったりするんでしょうか。


__________

 駅について帰りにスーパーによった。買い物客はあまり好ましくない目で喪服の母さんと制服の僕をじろじろと見た。母さんは気にするそぶりもみせず、かごにほうれん草やたまねぎやスライスされた豚肉なんかを入れていった。塩をかけないで入ったけれどいいのと僕がきくと、スーパーは強いからいいんじゃない、と言った。買い物袋をふたつとも僕が持ったマンションについてエレベーターを待ってるときに、ついて来てくれてありがとう、と母さんが僕の顔を見ないで言った。つぎあったらまたついていくよ、と僕が言うと、母さんはため息を吐いて僕の肩を抱き、困ったような顔をして笑ってみせた。(p139)
__________

→なんでもない箇所なのだけど、なんだか好ましい倦怠と健全の間という気がするのでした。うまく言えませんけど、こういうのは好きです。主人公の、父の再婚相手であるこの母は、こういうどこか調子のくだけた人で、だからこそなんだか信じられる人なんですよね。こういう人はいいですよね。

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2024年05月23日

Posted by ブクログ

コジマは神様みたいだと思った。
普通はこんなふうには生きれない。
弱いまま生きていくことが他の弱い人たちのためになるのか。
哲学的な課題で溢れてる。
とても面白かったてす。

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2024年04月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

14歳。僕と、コジマはひどいイジメにあっていた。もっと早く、親に、そして、教師に言えたら、違っていたかもしれないと思いながら読んだ。そんな二人が歯がゆかった。「耐える二人」。本の中でコジマが「受け入れる」「これには、何らかの意味がある」と言ったけど、違うと思う。絶対的に、いじめる側が悪いんだ。

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2024年03月28日

Posted by ブクログ

芸術選奨文部科学大臣新人賞、紫式部文学賞のダブル受賞。
2022年「ブッカー国際賞」最終候補作。

虐めの描写が辛かったです。今まで文章で読んだ中で一番心が痛い。こんなに容赦なく人を痛めつけられるのか。
少し曖昧で哲学的な表現が多く海外文学を読んでいるようでしたが、作者が詩人でもあると知って納得。重いテーマの中でも美しい表現がたくさんありました。

また、話が進むにつれて明らかになるのかと思った疑問のいくつかは解けないままでした。
バレーボールの皮を被った僕を蹴り上げたのは誰だったのか、放課後に見た百瀬と女子との関係、なぜ百瀬は病院にいたのか、コジマが僕に見せたかった「ヘヴン」の絵とは。など。

また、途中百瀬と僕で2人きりで会話をする場面がありましたが、百瀬の考えが全く理解できませんでした。
「『自分がされて嫌なことは人にもしない』が理解できない」というセリフは特に。

僕のお母さんが素敵な人でした。
コジマが僕の斜視を、それが僕を僕たらしめる大切なものだと言ったのに対し、お母さんはただの目だと言いました。それで僕が変わるわけではないとも。
僕が手術を受けることを決めたのはお母さんの後押しのおかげだと思いました。
斜視の手術代が15,000円なのには、驚きながらも拍子抜けでした。

この作品に限ったことではありませんが、一冊の本を書くのにかかった時間は作品によると思いますが、読者がその本を読むのにかかる時間は、本を書くより圧倒的に少ないはずです。
作者が長い時間をかけて書いた本を、あっさり読んでしまうのは、とても贅沢なことのように感じました。

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2024年02月27日

Posted by ブクログ

多くの日本に生まれて育ってきた人はそこにある平均的正義に照らしながら読書をすると思うが、1/3ほどまでは虐められている主人公にその正義を当てはめて読むのが通用するので、感情が寄り添いやすい。しかしながら、途中から別の虐められているクラスメイトの思考を知ることで、段々と何が正しくて何が正しくないのかがわからなくなっていった。そして、虐めている側の思考も読み手の基準を惑わせてくる。

感情と行動と事実、この3点を分離して考えた時に生まれる何とも言い難い思考の描写が素晴らしかった。どうしてここまで様々な立ち位置の思考をフラットに書けるのか…改めて心底、川上未映子という作家が恐ろしくなった。もちろん良い意味でです。

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2024年02月20日

Posted by ブクログ

いじめに対するコジマの受け入れ方、言葉に
強さを感じてこれからの展開に期待を寄せたが
加害者の意識のなさに全部虚しく思えた、
崩れ落ちる感覚があった
印象に残る言葉もいくつかあって、
苦しいながらも興味深く読めました



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2024年01月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

強いメッセージ性を持った作品だった。

あらすじとしては斜視を理由にいじめを受ける僕と、小汚い見た目のためにいじめを受けるコジマの物語。

色々と思うところはあるけれど、最も思うのは虐められる側の主張があり、虐める側にも主張があり、交わらないからどこかに軋轢が生まれているのだなということ。
にしても主人公は可哀想で仕方ない。

コジマには仲間として思われ、あなたの斜視も「しるし」だから大切にして欲しいと言われる一方でその斜視は簡単に治るものと宣告され、揺れ動く気持ちにとても同情する。

知らないから排除したがるというコジマの主張とただ自分のしたいがままに生きるという百瀬の主張に挟まれる、難しいメッセージを持った小説だった。

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2024年01月19日

Posted by ブクログ

コジマが自分を保つために、苛めから自分を守るために貫いていた信念のようなものが、最後に溢れ出してしまったシーンが苦しかったし、見惚れていた。

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2024年01月15日

Posted by ブクログ

最近読んだ中で一番心が動いた。
昔のことをたくさん思い出した。
気づいたら一気読みしていて、自然と涙がでていた。

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2023年11月28日

Posted by ブクログ

いじめられる場面は読んでてつらかった。そんな中でもコジマと過ごした時間は救いだった。君は正しい、君のその斜視の目が好きと言ってくれた。
自分ではどうしようもないことで苦しんでいる人は、この苦しみにもきっと何か意味があるはず、神様が見ていてくれるはず、と思わないとつらすぎて生きていけない。対照的に、いじめる側の百瀬はみんなやりたいことをやってる、いじめたりいじめられたりはたまたまそういう関係性ができているだけ、と言う。主人公はすごくびっくりしただろうな。
義理のお母さんの言葉にはほんとに救われた気分だった。自分とは全然違う人の考え方を知り、斜視をどうするかを自分で選んだことで、世界の見え方が変わった。ラストは感動的でした。

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2023年10月28日

c

購入済み

ちょっと理解できるような、、

虐められる側の「受け入れる」と言う考え、たしかにそれは弱者ではなく勝者に感じた。

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2022年09月15日

購入済み

役立たないけれど、役立つこと達

私たちが社会に役に立つものを求めるとき、
私たちも役に立つものであることを求められる。
これはきわめて当然だけれど、
私たちは役に立つものばかりから
できているわけではない。
私は私自身の役に立たない部分を
かえって私のアイデンティティを
表すものとして、「最後まで」
愛することができるだろうか。
また、私は、私だけで私であるわけではない。
私を生み出してくれた者たちも
私の一部である。
私は、私の一部が不完全であっても
かえってそれを愛せるだろうか。

〇〇は、後ろめたくて
自分に大きな穴ができたように感じる行為
かもしれないが、意外と戦略的で
原罪とも呼ばれるものの暴発を回避して
守るべきものを守る強い力になりうるもの
かもしれない。
〇〇が怪我をして血を流すのを読んだとき、
読者としての私は、主人公に復讐や逆襲を
そそのかしたい気持ちを冷まされた。
突発的な凶事も、ないに越したことはないが、
もっと大きな取り返しのつかないことから
自分たちを守ってくれるものとなってくれる
こともあるようだ。
〇〇の凶事や、〇〇に芽生えた強さが、
勇気を持ち始めた主人公のその勇気の、さらに
先にある何かを示しているようだ。

私たちは交流する間に、たとえ
強く幸せに結びつくことができなくても
ばらばらでいるのに、それぞれが成長して
違っているのに、それぞれの成長を
なんとなく感じて安心できることが
あるように感じる。

役に立たなさそうでいて、
役に立つこともあるようですね。

#ハッピー #切ない #ダーク

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2022年04月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

クラスで苛められている中学生の男女、「僕」と「コジマ」が、寄り添い合いながら苛めを乗り越えようとするが、「僕」へのある激しい苛めをきっかけに次第にすれ違うようになり、二人はすれ違ったままそれでも苛めは続いていたが、結局はたまたま苛めが露見して二人に対する苛めは終結して終わり。

モノの善悪とは、世界の構造とはなにかを考えさせられる作品だった。
されたら嫌なことはしてはいけないこと、それは当然?じゃあされたら嫌なことをやりたくなっても全部我慢するの?できるの?やりたいことをやったら駄目なの?
それらは全部建前であり、世界という現状は強者と弱者、それと「たまたま」の積み重ねで成り立っている。もしその現状を変えたければ、自分で行動して打破するしかない。できないのであればそれは自分が弱者であるが故、あとは「たまたま」そうである運命だから。
では弱者は搾取され続け、死を待つだけなのか?それでは物と変わらないのではないか?
きっと考え続けたコジマは、自分の現状を受け入れて理解し、先へ繋いでいくことで自分の存在に意味を持たせようとしたのだろう。コジマも苛められ続けているはずなのに、「僕」が続く苛めに弱っていく中、コジマは魚の骨のようだった手紙の筆圧を強めていく。
そして結局は運命の「たまたま」により、苛めからは解放されるのだ。

元々二人はクラスメイトである他特に接点はなかったが、コジマが「わたしたちは仲間です」とだけ書いた手紙を「僕」の筆箱の中に入れたことから文通のようなものが始まる。
「僕」は自分が斜視であること、コジマは不衛生であることがそれぞれ自分が苛められている原因であると考えていた。

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2024年04月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

暗いなーーと思っていたけれど最後主人公が斜視の手術を終え並木道を見る場面、ぶわーーっと光が差し込んでくるようで綺麗でした。ヘブンってどんな絵なんだろう

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2024年03月08日

Posted by ブクログ

僕とコジマの友情は永遠に続くはずだった。もし彼らが僕たちを放っておいてくれたなら-。

初めての川上未映子san。

中学2年生の「僕」と同じクラスの女子の「コジマ」を軸にした、いじめがテーマの物語。読み終わった後、主人公に名前が無かったことに、言葉が見つかりませんでした。

苛められているのに、暴力をふるわれているのに、なぜそれに従うことしかできないのか。苦しみや弱さを受け入れた私たちこそが正義という深理。善悪の根源が揺らぎました。

「机も花瓶も、傷はついても、傷つかないんだよ、たぶん」
「でも人間は、見た目に傷がつかなくても、とても傷つくと思う、たぶん」

これは物語の序盤で、「ヘブン」を見に行く電車の中でコジマが「僕」に言った言葉です。この”たぶん”に、コジマの人柄が詰まっていると思います。とても大切で、一番好きなフレーズです。

目の手術が成功して、良かった。「僕」には、コジマが全身全霊をかけて残してくれた想いを抱締めて、生きていってほしいです。

【第60回芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞】

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2024年01月14日

Posted by ブクログ

苛めの描写が具体的に描かれ、痛みの表現が生々しいため目を背けたくなるような場面が多々あった。

苛める人と苛められる人の違いは、ただそれができるかできないか、したいかしたくないかであり、そこに呵責の念や罪悪感などは介入しないという考えに妙に納得した。

この世の全てに意味があると主張するコジマと、この世の全てに意味などないと主張する百瀬。どちらの主張も説得力があり分からなくなってしまった。

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2024年01月06日

Posted by ブクログ

とにかくいじめの表現が凄くて
苦しくなる部分も多々あった。

百瀬との話も、ここまでか…と思うほど
心が苦しくなりました。

でもこれって目を背けちゃいけないし
色々と考えさせられるお話でした。

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2023年12月26日

Posted by ブクログ

救いがあってくれと思いながら読み進めて止まらなくなった。
これは小説だから、と割り切れる話ではなく。現実で今も無数にある状況かもしれないと思うと、尚更辛かった。

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2023年12月05日

Posted by ブクログ

いじめ描写が壮絶で本当に苦しかった。

いじめる側、いじめられる側はもちろん
交わり合わない思考はどこにでもある。
そこにどう折り合いをつけるか
どう解消していくか
どう上手く付き合っていくか
大人はそれを教えていかないといけない。
まぁ大人でもいじめは起こりうるんやけれども。

人はどうやっても自分のことが可愛いから
自分を正当化する理由をいつでも探してる。
ダメだとわかってたらなおさら。
失敗を失敗だと認められる人でいたい。

最後の義母との会話からのラスト
希望が見えてよかった。

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2023年11月15日

Posted by ブクログ

文章がきれいで読みやすいだけに
内容の辛さが際立つ

読んでよかった
けど
今のところ読み返してみたくはない

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2023年10月15日

Posted by ブクログ

 悲しみや苦しみのただなかにあるとき、そしてそれが自分の力ではどうすることもできないとき、そこに意味づけを求めたくなる。後になって、こういう意味のことだったのかと思いたくなる。人を傷つけた人にも、程度の差はあっても、良心の呵責があると思いたい。なければ何らかの報いを受けるものと思いたい。

 学校でいじめを受けている、斜視である「僕」。不潔な容貌を理由に、同じくいじめを受けているコジマ。そして、いじめのグループの中で、いつも傍観者的な態度でいる百瀬。それぞれの考えには大きな隔たりがあることがわかる。
 コジマは言う。「なにもかもぜんぶ見てくれている神様がちゃんといて、最後にはちゃんと、そういう苦しかったこととか、乗り越えてきたものが、ちゃんと理解されるときがくるんじゃないかって…。」そしていじめに抵抗しないのは、目の前で起きていることを理解し、受け入れている、意味のある弱さだと言う。
 なぜこんなに自分を苦しめるのか、後ろめたい気持ちはないのかと問う「僕」に対して百瀬は言う。意味なんてなにもない。みんなただしたいことをやってるだけ。そして「『自分がされていやなことは、他人にしてはいけません』っていうのはあれ、インチキだよ。」そう言える理由を百瀬が言うのだが、そこには反論できないものがあった。自分に直接かかわりのない相手にどれだけ思いを巡らせることができるのか。「子どものころにさ、悪いことしたら地獄に落ちるとかそういうこと言われただろ」「そんなものないからわざわざ作ってるんじゃないか。なんだってそうさ。意味なんてどこにもないから、捏造する必要があるんじゃないか。」
 そして「地獄があるとしたらここだし、天国があるとしたらそれもここだよ。」

 当然のように考えていた道徳観のようなものに疑問を持たせられる言葉だった。いろいろな状況、立場の人がいるとは思うけれど、「いつか」どうにかなることを願う前に、まず「今」自分の力でできることをしてほしいというメッセージに思えた。逃げるのでもいいし、だれかを頼るでもいいし、自分で「今」「ここ」を大切にしてほしいということかなと思った。

 今までのいじめのことを話す「僕」へのお母さんの言葉がいいなと思った。「こういうのって、みんなすきなように違うこと言うからさ」「でもわたしはあなたの話しか聞かないから」「なんでも言って。でも言いたくないことは言わなくていい」。
 

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2023年10月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

いじめに対する価値観、強さとは、弱さとは。
眼を手術することで世界が変わるわけではないけれど、道が見えるとこれまで自分が闘ってきたものはなんだったのかと感じると思う。
描写はつらいものがあるので厳しいかもしれないがいじめに悩んでる人に手に取ってもらいたい。

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2024年05月22日

Posted by ブクログ

ネタバレ

読んでいてしんどいような作品でした。
ですが主人公は斜視ののせいで自分と世界がはっきりと見えていない事が理不尽ないじめと一人の友達としてうまく表現されている。

辛い事や楽しい事がありそのどちらもが世界である事から主人公は自分が何故何かしたいのかわからないというよりも世界の輪郭が上手く見えないため何もできないのではないかと考えた。そのため最後に斜視の手術の後、美しい世界を見て初めて世界の輪郭がはっきりと見えたため泣いてしまったのではないか?

この作品を通じてヘブンとは自分の中にしか存在せず他者には決して辿り着けない考えの事を指しているのではないかと読み終えて思いました。

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2024年05月18日

Posted by ブクログ

いじめの描写は辛くなるくらいだが、読んだあとに何かが残るような作品。伏線の回収をもう少しして欲しかったという想いは残るが、それも含めて、考えさせられるような作品なのだと思う。

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2024年05月13日

Posted by ブクログ

主人公が言う通りたしかにもっと酷いイジメもあるのだろうけど、大半の人が壮絶と思うレベルのイジメ描写がきつい
コジマの考え、行動全てが不器用すぎて狂気すら感じた
怖いから排除しようとするからイジメが生まれるとしたら、私はこの小説を読んでコジマを異端のものと判断したし、実際学生だったらきもいとか言ってるだろうし
自分って嫌な人間だな

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2024年03月25日

Posted by ブクログ

いじめの描写が非常にリアルで怖かった。コジマはなんて強い子なんだろうと感じた。もし自分が同じように虐められていたとして、他にもいじめられている人がいたとしても仲間なんだよなんて言えないだろうから。

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2024年03月24日

Posted by ブクログ

芥川賞作家、川上未映子氏の小説を初めて読んだ(エッセイは読んだことがある)。
本書は、いじめを受けている同じ中学校の男子生徒と女子生徒の話である。二人とも凄惨ないじめにあっても、抵抗しない。
男子生徒の目線で語られる。彼がいじめられる原因は斜視のためだと本人は思っている。ある日、いじめっ子の一人にどうしていじめるのかを聞いてみたところ、彼が選ばれる理由は「たまたま」ということだった。女子生徒はいじめを抵抗せずに受け入れることで、いじめる側より強い心を持つと考えている。二人はひそやかに文通を始める。彼女は彼の斜視をアイデンティティだと褒める。彼は複雑な気持ちで治療に臨む。
どういじめに向き合うか、何を受け入れるかの答えをそれぞれが出す。これが本書のテーマだと理解したが、合っているだろうか。
いじめの場面は残酷で不快極まりない。その部分がもう少し短いことを願いながら読んだ。

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2024年02月16日

Posted by ブクログ

心情が細かくて、どうにもならない状況に辛い気持ちになった。この作者さんの本は好きだが、コジマにも主人公にも共感ができなかったのでお気に入りにはなりませんでした。

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2024年02月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

いじめられている主人公とクラスメイトのコジマ。
どちらも弱者のようで強者。
いじめている側は大切なことに気づけない可哀想な人。

最後までいじめっ子と立場が逆になることはなかったが、心の強さは最初から主人公とコジマのほうが上だったのかもしれないと思った。

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2024年02月02日

Posted by ブクログ

苛めの描写が多くて胸を締め付けられるような感覚になった。苛める側には何一つ「罪悪感」がない事、善悪は関係なくただ欲を満たしているだけである事が伺えた。逆に苛められる側は他人を苛めることが出来ない、ましてや受け入れることができてしまう優しい人間であると思った。
この世界は実に不平等で残酷。他人と自分の都合と解釈は全くもって違うものなのに同じ環境で生きていかないといけない。それを思い知らされる小説だった。みんなにあるのは「欲望」。みんなが望むと誰かが苦しむ。悲しい世界だなとつくづく感じた。
それでも優しい誰かに救われるのも確かな美しい世界であるとも最後の最後で感じられた。
暗い物語ではあるけど、読む価値はあったと思う。

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2023年12月29日

Posted by ブクログ

教室の中でのヒエラルキーって、あれ誰がどうやって決めてるんでしょうね。知らんとこで勝手に決まってるよね。不思議。

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2023年12月18日

Posted by ブクログ

百瀬派だけどいらっとする
自分が死ぬほど辛い思いをしている時にも理不尽な思いをしている時にもそう言えるのか??

自分がこだわっているものは手放してみれば案外どうってことないものだったりする
そういうふうに何かに意味を見出さないと生きていけないくらいなんにも意味がないんだけど

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2023年09月05日

購入済み

醜さの扱いが難しいところ

醜い子を、醜く書く、というアプローチが、個人的には嫌いだし、違和感を持ったし、疑問を感じた。
主人公のお友達がみんなの前で裸になる時とかね。
容姿が劣っている女の子が、ある瞬間にだけたまらなく美しく主人公には見える、という方が、僕は心を動かされます。
ありません? 容姿の作りが悪くても美しい女性のある瞬間。
そういう瞬間は世間的常識を超えてくると思うんだけどなあ。
女性作家が同性を描く時、そうなってしまうのかな。
性差がすごく嫌いな作家さんだし。

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2020年02月14日

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