【感想・ネタバレ】神曲 煉獄篇のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

煉獄というのは、天国へ行く前に現世の罪を浄める場所。
これはカトリックだけの教えのようです。
プロテスタントには天国と地獄しかありません。

ここも天国ではありませんから、地獄ほどではありませんが苦しみに悶えながら罪を償っています。
本来罪を犯した人は地獄に行くのではないの?
一度の罪で地獄に落とされ永遠に地獄で苦しみ続けなければならない人と、煉獄でゆっくりゆっくりと罪を浄めて天国へ入れる人のちがいがわかりません。

だたし、どんな理由があろうとも罪を犯すのは結局本人の意思。
“天球は君らの行為に始動は与えるが、
万事がそれで動くのではない。仮にそうだとしても
善悪を知る光や自由意志が君らには与えられている。”

今話題の『沈黙』のテーマにも重なりますが、こんなことも。
“ 至高の神よ、口にするのも畏れ多いが、
神の正義の目はよそを向いておられるのか?
それとも神の深謀遠慮は
われわれの理解の及ばぬところで
こうした禍を福に転じる用意を整えておられるのか?”

“普通、正義を心に秘めている人は多いが、射るのは遅い、
議を経ずには矢を弓につがえぬからだ。”
議を経ないでやりたい放題の人、最近多いですね。

一昨年読んだゼイディー・スミスの『ホワイト・ティース』の中に出てきた疑問
“もし自分が神に許され楽園に行けたとしても、自分の足元に数え切れないほどの救われなかった人たちの屍があるとするのなら、それは本当に楽園と言えるのだろうか。”
これに対する答えはまだ私の中にない。
天国篇を読んで答えは出るだろうか。

ダンテ以前とダンテ以後で大きく変わったと言われるヨーロッパの文学と美術。
それほどの芸術のきらめきが天国篇では薄れて、宗教色が強くなるらしい。

“詩行が独立して読むだけでは意味が通ぜず、興趣も湧かず、註釈が必要とされるような部分は、詩的作品としては欠陥作品というべきであろう。残念なことにこの種の傾向は煉獄篇末尾から天国篇全体を通じて強まる傾向にある。”
と訳者が書いているのを読んで、日本では『神曲』を芸術作品として読んでいたのだと気がつく。
てっきり宗教作品だとばかり…。
だから明治の文豪たちがこぞって絶賛していたのか。今気がつきました。

0
2017年01月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ダンテはウェルギリウスに導かれ、最上部の地上の楽園(エデンの園)を目指して七つの圏(わ)を登っていく。そのそれぞれの圏(わ)では、キリスト教の七つの大罪(高慢、嫉妬、怒り、怠惰、貪欲、大食らい、色欲)を犯した魂たちがその罪を浄められている。
その浄められ方がなるほどそうなのだろうという感じ。
地獄編もそうだったが、ダンテさんの想像力、描写力はやはり凄い!

Mahalo

0
2014年06月26日

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