【感想・ネタバレ】かつお節と日本人のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

 帯にあるように300年4000キロの旅の物語というのが、カツオではなく
かつお節であったことがすごい。
 以前荒俣宏著の「男に生まれて」の副題が江戸鰹節商い始末。この本では老舗の「にんべん」を扱っていて、文中で西伊豆の田子のかつお節を書いていた。私事で、親子二代に渡って西伊豆の小さな鰹節店から花がつおを取り寄せ続けていた舌が、今度はどんな出会いもたらすか、とこの本を手にした。
 戦場にもっていく携行食としてかつお節が登場したのが16世紀。明治の殖産工業の後押しと日清・日露戦争といった需要の増大で、漁場と加工場が次々と南方へと出ていく。
 4000キロというのが、戦後でなく、すでに明治末から大正にかけてインドンネシア、ミクロネシアへと広がっている。華僑の南下勢力の強さもすごいが、沖縄県人の一族を呼び寄せていく鰹節従事者のパワーもすごい。
 その生産地と第二次世界大戦との戦場が重なり、悲劇も言及につきない。 本書が多くの人からの聞き書きによる生の声が収められ、生活を支え、食を支え更新していく様子が伝わってくる。
 本枯節でなく花かつおが消費されることで、脂ののらない南方かつおが好まれ、さらに調味料としてのカツオ節の需要の高まりで、切ってもきれない食材として生産は増えつつある。
 人と知恵をつないできた食材は滋味深い。

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2013年11月10日

Posted by ブクログ

宮内さんは、Folkeなどを引用しつつ、沖縄やインドネシアのおっちゃん達に聞き書きをして、市民調査で、かつお節の調査をしている。恐るべし。

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2020年04月03日

Posted by ブクログ

たんに日本の伝統だ、という話ではない。産地が広がり、また収縮していく様が想像以上に大きく描かれている。以前、かつお節工場を見せてもらったこともあり、食品としてのかつお節や産地については知っているつもりだったが、歴史についてはまだまだ知らなかったと痛感した。かつお節は伝統食品的扱いな割に、消費が減っていないのだ、という。「にんべん」という一企業をよいしょしすぎかな、なんて気もするけれど、にんべんの器が大きかったことも、いまかつお節が受け入れられている土壌かもしれないなあ。タイトルから想像するよりも動きが激しく愉快な本。

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2013年12月10日

Posted by ブクログ

かつお節に漠然と抱いていたイメージを改めさせてくれた好著。伝統食品と言われつつも、庶民の食卓にはいってきたのは割と最近で(こういうのは他にもいろいろあるかも。昔の食はきわめて質素である)、パック入り削り節や風味調味料の登場もあって今日に至るまで消費量は右肩上がりに伸びている。また日本の南洋進出とかつお節の歴史も知らないものだった。

・三枚におろした半身から作ったのが亀節。大きめのカツオはそれをさらに背と腹の4枚に切り分けて、そこから作ったのを本節とよぶ。

・カビ付けも整形もしていないのが荒節。パック入り削り節た風調の原料に。

・現在と同じようなかつお節が作られだしたのは17世紀終わりごろの土佐と考えられている(原始的なスタイルのものはもっと昔から全国にあったよう)。そこから紀州など日本各地に製法が広まっていった。まずは上方、ついで江戸が大消費地として確立したので、いわば輸出産業であった。明治になるまで、教師を招いてかつお節製法を学ぶ産業振興が各地で盛んであった。

・焼津は江戸時代からかつお節産地ではあったがマイナーな存在だった。明治になって村松善八(のちに柳屋本店をおこす)が魚商組合を取りまとめて一大産地になった。

・中西部太平洋海域では一年中カツオの群れが回遊している。そこから一部が四月下旬ごろ黒潮に乗って日本近海へ北上してきて、秋になると逆コースで戻っていく(戻り鰹)。南洋のカツオの方が脂が乗っていないので、花カツオに向く(ホワホワして見栄えがよい)。

・明治の終わりごろに沖縄、台湾。WW?後に南洋がかつお節生産地に加わってくる。沖縄漁民は、安い人件費のほかに、餌漁もこなす器用さ(本土のカツオ漁民は分業制のためよくやらん)が重宝され、南洋でのカツオ漁、かつお節生産の主力となった。景気がよかったので南洋自体には戦争を除けば良い思い出がある人が多いよう。

・南洋のかつお節製造業者は、戦争中は糧食としてかつお節を作った。

・「皇道産業焼津践団」の悲劇。戦争で漁船を供出してしまったので、南洋まで進出してのかつお節製造を狙った。1942年から44年にかけて約620名に登る団員をフィリピン、ボルネオ等に送り出した。約半数が再び日本の土を踏むことはなかった。

・生産技術の革新、業界全体で取り組んだ焼津で起こる。
 1960年、整形に使う削り機械(グラインダー)。熟練の職工が不要になり効率4倍に。
 1966年、頭切り機。

・売り方の革新、にんべんによる「フレッシュパック」発売。1969年。

・高知、宮城などは衰えていき、枕崎・山川(鹿児島)、焼津が三大生産地となった。

・ブライン凍結による南洋カツオの原料使用。外国船がつけて入札にかけたり。タイが缶詰生産国なので競合関係。

・長い試行錯誤を経てインドネシアなどでの現地生産へ。

・にんべんは業界では別格みたい。品質にこだわる卸。

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2018年11月05日

Posted by ブクログ

かつお節と聞くと、訪れたことのある枕崎を思い浮かべてしまうのだが、東南アジアおよびミクロネシアにまで戦前からその生産ネットワークが広がっていたとは。
@アンマン

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2014年05月28日

Posted by ブクログ

なるほど・・・・。
一見マニア向けとは思うのですが、たった一行「尖閣諸島」と書かれてあったことで、なるほどね・・・・と思う。
尖閣諸島の「かつお節工場」
現在は工場跡の基礎石だけがあるものの、それも崩れてきている。
南洋節の歴史もある。
当然、尖閣諸島でも・・・・。
著者に政治的意図はほとんどないのでしょうが・・・・。

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2013年11月16日

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