【感想・ネタバレ】分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのかのレビュー

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Posted by ブクログ

分類思考と銘打って中をめくると妖怪の絵があったので、咄嗟にこれは京極夏彦派に違いないと思ったら案の定だった。
分類という行為の認知心理学的な側面、生得的に本質主義的である人間の性質など、興味深い話題が豊富。
決して読みにくい本ではないが、論理学をきちんとやってから改めて読み直せばより面白さに気づけそうだと思う。

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2010年03月16日

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話はいろいろなところへ。それが楽しい。いろいろな話の背景にある文献リストにコメントがついているのも見もの。

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2013年08月19日

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人間は世界を理解するために本能的に「分類」をしている。そもそも分類された「種」というものは存在するものなのか、もしくは人間がそう認識するだけなのか。
実はその手の種問題については現在も決着がついておらず、その様子を生物分類学の歴史を取り上げることで解説している。むしろ生物分野以外の人にお勧めの本だと思う。

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2011年04月23日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
この世の森羅万象を体系化して理解しようとするとき、私たちは名前をつけ、分類する。
しかしそこには長年、生物学者たちを苦しめ続ける難問が潜んでいた。
人間の「知」の根源に迫る! 

[ 目次 ]
生まれしものは滅びゆく(二〇〇六年オアハカ、メキシコ)
「種」に交わればキリがない
「種」よ、人の望みの喜びよ
老狐幽霊非怪物、清風明月是真怪
真なるものはつねに秘匿されている
いたるところにリヴァイアサンあり
プリンキピア・タクソノミカ
実在是表象、表象是実在(二〇〇七年ニューオーリンズ、アメリカ)
一度目は喜劇、二度目は茶番
つながるつながるつながるなかで
ナボコフの“ブルース”
目覚めよ、すべての花よ
時空ワームの断片として
「種」よ、安らかに眠りたまえ
滅びしものはよみがえる(二〇〇八年トゥクマン、アルゼンチン)

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2010年11月25日

Posted by ブクログ

僕のように分類/カテゴライズという行為自体について興味をもって読む人には、物語調がかったるく感じるのだろうけど、分類学自体に興味をもった人にとっては、その歴史がこと細かに記述されている本書は、かなりの良書だと思う。

時空⇔力 の関係と、視点を軸にとった多次元空間、メトノミー/アブダクション的思考法について、一応の解釈を得られたので、今後しばらくの思考に活用しつつ、発展させていこうと思う。

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2010年04月26日

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「生物分類学」の本かと思ったら、「哲学」「心理学」「形而上学」の本だった、と言う感じの内容。”ホモ・サピエンス”に限らず、動物やら植物には「種」があって、リンネに始まる近代分類学によって、階層的に・・目・・科・・属・・種というような学術名で科学的に当然分類されている、ものだと思っていた。それで、今まで見たことない昆虫だとかがたまに見つかって、それが学術的に「新種」だと分かったりするのだと思っていた。本書を読んでみると、そもそも「種」とは何なのか、そんなものが”実在”するのか、という議論自体が分類学の学術界でしばしば起きているらしい。驚きだ。そして実在とか存在という問題に入り込むと、そこは哲学、形而上学、そして分類をする主体たる人間の本質が問題となっていく。物を”分類(カテゴライズ)”するということ自体、何か物に共通して存在する”本質”があると感じたい人間の本性を反映しているわけだし、この多様な無数の物であふれる世界を人間が認識するためには分類が必要であるという事情もあるようだ。
本書は先にエピローグを読んでから本文に移った方がよさそうです。エピローグの一文を引用しておきます。

「切り分けられた「種」が自然の中に実在するのか、それとも単にわれわれヒトが心理的にカテゴライズしているだけなのか、本書で一貫して論じてきたこのテーマは、結局のところヒトが外界(自然)の事物をどのように理解してきたのかといいうもっと大きな疑問をふたたび浮かび上がらせることになる。 ー 288ページ」

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2019年04月02日

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生物分類学者である筆者が、分類するという行為がいかなるものかについて説明しています。分類学は生物を分類するに留まっていましたが、実はそこに根深い形而上学的な問題が潜んでおり中世から続く普遍戦争の代理戦争のような様相を呈しているとしています。確かにモノを分けるというのは連続的な有り様を離散的な群に分けるという行為なので難しそうです。知的好奇心をくすぐる本でした。

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2018年09月18日

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なぜ人は分類したがるのか?それはもちろん、分類されてないものがあると気持ち悪いからである(それは私のこと)。考えてみればマインドマップも分類思考の一つではなかろうか?思考の整理がつくと心の整理もつく。それだ!

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2015年04月22日

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僕は水中そして陸上で、いわゆる「自然写真」を撮っています。
カメラのレンズを生物に向けることが多いので、「この生物は何という種類なのだろう」「あの種類を撮りたい」と思うことが、ままあります。
また、特に海の生物などは、よく見かける魚でも和名がついていなかったり、ある生物がとつぜん、2種類に分かれたりすることもあります。
そういう経験を通じて、「”種”とは何なのだろう?」と疑問に思っていました。
その疑問に答えてくれそうな題名の本を見つけたので、読んでみることにしました。
がしかし、この本は僕には難しかったようです。
理解できたのは、体系化するということには、「タテ思考」と「ヨコ思考」があるということ。
そして、「種」というものをつきつめていくと、哲学的な領域に入っていってしまう・・・ということ。
このテーマについては関連する本が出版されていると思うので、簡易なものを選んで読んでみたいと思います。

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2012年04月10日

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要するに、生物学哲学論争史で、それなりに知識もつくが、そもそも分類行為の最初である民族分類について、きちんと書いていない点が不満である。著者の論点は「種」(spieces)は存在せず、生命の流れがあるだけだが(これを「スーパーワーム」というけど、実質はベルクソンの『創造的進化』と同じ)、人間は分類したがる生き物だから、分類がなくなることはないという点につきる。これを中世の普遍論争や、マイヤーの生殖隔離論、論理実証主義の影響やら、ルイセンコ論争やらいろいろ引いてくるものの、ほとんどが脱線である。『ピーター・ラビット』の著者が菌類学者だったとか、『ロリータ』を書いたナポコフが昆虫学者でもあったとか、雑談は魅力的だが、とにかく明快さに欠ける。民族分類の思考法については、別の著作を読まねばならない。『系統樹思考の世界』の方がいいし、著者もこっちの方が好きなのであろう。

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2011年09月13日

Posted by ブクログ

豊富な図版に惹かれて手にした一冊。
生物を分類する行為はかくも過剰に理系的かつ文系的な作業とは思わなかった。
多様な分類思考を横断的に語っていくスタイルなので、芋づる式に他の書籍にあたってみると理解を深めることが可能だろうが、さすがにそこまでは…。

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2011年06月23日

Posted by ブクログ

何が言いたいのかよくわからんかったが、読ませるし読んでいて楽しい。著者の「芸の肥やし」の広さが味わえる作品だな。系統志向の方も読んでみようと思ふ。

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2011年06月16日

Posted by ブクログ

「思考」とはあるが、自己啓発的な考え方の本ではなかった。科学がいかにして「分ける」ことに心血を注いできたか。そういう学問の本。読み終わってもあまり内容は頭に入ってこなかったけど、メタ学問的なスケールの話だったと思う。

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2011年04月10日

Posted by ブクログ

悩ましき分類学の本。
日頃余り馴染みのない学問ではあるが、誰でも日常生活を送る中で、常に何かを分類しながら生きている。
その以外に身近な場所から出発している学問の過去を辿り現在についてまで、分類学者たちの悩みと論争を丁寧に追っていく。

文章そのものは難しくはないが、専門的な用語や知識が散見し、全く馴染みのない者には少々理解しにくいところもある。
読みやすい本とは言えないが、「分類する」という考え方のプロセスそのものにハッとするような面白さもあるので、時間のある時などにじっくり読んでみるのもお勧め。

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2009年11月06日

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