【感想・ネタバレ】新しいヘーゲルのレビュー

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Posted by ブクログ

 ヘーゲル「精神現象学」にトライするための前段として購入。著者は言わずと知れたヘーゲル研究の泰斗。本書は著者が「精神現象学」を訳出する前年に出版されている(ただし僕が読もうと考えているのは熊野純一のちくま学芸文庫版。やはり時点が新しいのと、なんと言っても嵩張らないサイズであるが大きい)。内容は非常に平易で読みやすく、今となってはややストレートにすぎる議論もあるが、単純に面白くて思わず一気読み。精神現象学はもう別に読まなくてもいいかも、とすら思ったほど(いかんいかん)。 
 まず著者が主張するのは、ヘーゲルの難解さはヘーゲル自身の著作にあるのではなく、特に日本の研究者に救いがたく根差す教養主義、つまり難解さを過度に崇拝する性向にあるという。そしてこの難解さは、「調和した全体」を美徳とする日本人はヘーゲル弁証法の「正反合」の「合」にばかり着目するあまり、ヘーゲルの強調点が個と個が対立する「反」にあることを理解できないためであるとする。

 続く第1章では主著「精神現象学」の概略が語られる。先述の「反」、すなわち否定と対立そして矛盾の概念は、諸問題に真剣に向き合う若きヘーゲルの「意識」が「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」の主人公よろしく、否定のうちに積極的な意義を見出しつつ、生存の枠を超え出つつ生を拡充し「絶対知」の獲得を目指す姿勢に由来するものであることが語られる。この「絶対知」が曖昧でわかりにくいが、著者によればそれは人類の長い歴史の中での個々の精神の労苦の結晶であり、それはヘーゲル自身の経験により生じた意識そのものであったという。つまり自身の精神を完成形とみなす不遜さに満ちているわけだが、このことも韜晦趣味を持つ日本人がヘーゲルを受け入れにくい一つの理由であるとしている。それはともかく、絶対知とは近代の社会矛盾と対峙する個人の日常的な知であり、近代的な個の自由と自立の根本となる力を指しているらしい。この近代的な個とは、伝統的西洋の「神」の前に立たない裸の「わたし」だという。無論ここでデカルトに言及があるが、デカルトとの比較ではむしろヘーゲルはそのように「裸」でなければ向き合えない社会の方にフォーカスしているように思える。そしてそのような裸のわたしが外的な現実と確信を持って向き合ううち、外部のさまざまな非理性や反理性に対峙することになり、知と思考に厚みを持たせる強靭な理性を獲得するというのだ。

 第2章はヘーゲルの「理性」への信頼について。ヘーゲルの理性は、ここでも個の内側に止まらない拡張性を得て外部の現実へと浸み出していく。形而上学世界を理解しようとする理性の独断に歯止めをかけるべきと説くカントの「超越論的弁証法」とは対照的に、ヘーゲルは外部世界を理性への信頼のもとに経験し、かつそれを「否定」することでその枠から逸脱しようとする。ここから当時の自然科学の発達とも相俟って、外部世界すなわち「自然」を内なる「精神」やその創造物である「芸術」の下位に存置し、知に基づくヘーゲルの自然観が生じてくることになる。自然がそのままでは発揮できない理念性を、人間が介入することでリアライズさせようというのだ。

 第3章では、前章で触れられた芸術との関わりが中心に扱われる。個と社会が美しく調和した理想郷としてヘーゲルが抱いていたのは古代ギリシャ社会だが、そこでは芸術は常に共同体精神の影響下にあった。個人の内面と共同体精神の調和の表現こそが芸術の本質であり、制限なしの自由な芸術というものをヘーゲルは認めない。本家のギリシャ都市国家が崩壊したのちも、ロマン芸術として個人の内面精神において体現されなければならない理想であり続けた。それは結局は日常的現実に拡散していく芸術の枠内では捉えきれないものであったが、その代替となるのがキリスト教であり、そこで内面に還っていった精神は、真理(神)と調和し一体化しようとするという。
 ここで面白いと思ったのは、神との調和において、ヘーゲルは外部からの強制を認めずプロ・プロテスタント的なスタンスをとるのだ。芸術一般では自由を認めず宗教では認めるというのは二重基準のような気もするが、とにかくヘーゲルは宗教に基づく自由の希求を保障する概念として、いきなり法と正義などといった社会的・現実的なツールを要請するのである。この宗教的内面から世俗的リアルへの一足飛びの転換は、ある意味でプロ倫的な世俗的禁欲の発生を別の側面から記述したものと言えなくはないが、いずれにせよヘーゲルは宗教にも哲学的な理性を求め、かくして芸術・宗教・哲学は理性の名の下に統合されることになる。

 第4章はやや論調が変わって日欧の比較文化論から入る。お手本をありがたがる近代以降の日本に比し、西洋の近代化はそもそもそのようなお手本が存しない、いや存在してはならないような冒険や開拓の精神を要請するものだった。度重なる社会構造の変動に見舞われ、西欧社会は純粋な内面の運動=精神活動に依拠せざるを得なかった。しかも、社会の激変に対し外部の新たな権威を持ち出すのではなく、ルターの宗教改革よろしく、権威を脱ぎ捨てた裸の内面に向き合い、そこに神への信仰を見出しつつかつての権威そのものの解体を目指してきた。つまりキリスト教ですら内面精神性の発揮にとって軛であり、西欧近代にとっては乗り越えるべき対象だった。ここから思考が宗教を代替し、外部世界に開かれた精神性を要求する啓蒙思想が表出したというわけだ。
 
 最終章はヘーゲル以降の哲学史を概観する。ここではやはり、主にヘーゲルは克服すべき対象である。ヘーゲルが精神性に劣るとして切り捨てた感情に真実性を見たキルケゴール。現実世界の矛盾を超克すべく、ヘーゲルの方法論を発展させ実証分析へと向かったマルクス。理性から出発したヘーゲルとは逆に、無意識の領域に本質を見たフロイト。反近代の立場から西洋的近代化の原動力となった概念に異議を唱えたハイデガー、メルロ=ポンティ、レヴィ=ストロース。
 しかし、なんと言ってもヘーゲルが称揚した西洋近代に打撃を与えたのはナチズムだと著者は指摘する。これは重い。どうしてこのような異形の怪物が、理性と個人の内部精神を重んじてきたはずの西洋から生じてしまったのか。発刊後20年以上経ってもいまだ確たる答えの出ない難問だ。

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2021年08月25日

Posted by ブクログ

ヘーゲルセレクションを読んでも全く理解できなかったので購入。
弁証法とヘーゲルの思想に底流するものを理解するには非常に良い本。適当に正反合とかをしたり顔で使う前に、まずはこれを読むと良い。
ビジネスでアウフヘーベンとかそういう系の語を安易に使う前に、ぜひ読んでおきたい本。

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2021年06月04日

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名著である。難解な哲学の中でも難解と言われるヘーゲル哲学を理解できる形で提出されている。
『現実的なものが理性的であり、理性的なものが現実的である。』
ヘーゲルの哲学は、社会や現実、生活世界に開かれており、その現実との格闘において、精神は成長していく。

ますます、ヘーゲル哲学に興味を抱いた。

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2021年03月09日

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よくまとまってるし、面白いと思う!

けど、そもそものヘーゲル自身の哲学にどうしても興味がもてなかった、、、

次にいこう!人生は限られてる

ドイツ観念論とは、なんかうまく馴染めなかった

かなりの部分が、下手くそな日本語訳の謎の言葉に辟易した、ということにもあり、そういう哲学研究の歴史に腹が立つが、そこのところがこの本の冒頭にあって嬉しかった

そうそう、もう少し日本の権威主義的なドイツ観念論が漂白されていくとよいのになーと思う

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2021年02月12日

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近代が持つ様々な政治的、文化的、社会的イメージと、ヘーゲルの生み出した思想とがいかに重なっているかが分かる。
現代においても学校や職場など建前上は近代主義の思想に満ち溢れている。近代的理性を持つ自由な意思の集合体が、素晴らしい社会や国家を形成するという。
この建前が存在しなくなると、選挙制度すら足元を揺さぶられそうだ。
いくらニーチェやキルケゴールやハイデガーたちが後世に現れて批判を繰り返そうとも、近代という思想はそれほど堅牢な思想だということだ。
現在の社会制度を見る限り、根本的に取って代わる思想は存在しない。


普段の身の回りの生活の影にヘーゲルがちらついて見えるようになった。

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2013年08月01日

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在野のヘーゲル研究第一人者の手によるヘーゲルの入門書。冒頭でのヘーゲルに限らないアカデミズムに対する批判は痛快ですが、それでもやっぱり難しいものは難しいですよね。特に、『精神現象学』、『哲学史講義』、『歴史哲学講義』、『美学講義』あたりに関心のある方にはお勧めです。

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2012年12月29日

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一応望みうる最もわかりやすいヘーゲルの入門書。わかりやすいといっても、これくらいには難しくはなってしまう。

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2009年11月19日

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ヘーゲルと言えば弁証法だが、その弁証法の意味が、ヘーゲルの生きた時代の解説を通して本書で体験できた。


近代的個人とはなにか、という問題意識に貫かれている。
日本の文明開化はヘーゲル哲学で多くが説明できる。
ドイツにおけるナチスの登場は近代とはなんなのか?という問いに明確な答えを出せなくなっているが、諦めてはいけないというヘーゲリアンの主張だ。

キルケゴール、マルクス、メルロ=ポンティ、フロイト、ニーチェ、ハイデガー、レヴィ=ストロースが最後に登場。

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2022年09月06日

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ヘーゲルの思想が現代にどう繋がっているか、歴史のダイナミズムに沿って詳述されており、近代哲学に至る流れを大局的視点から外観できる良書。

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2019年10月06日

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ヘーゲルの入門書。タイトルの「新しい」の意は、やたら韜晦な感じがするヘーゲル像の刷新を図る、ぐらいのものだろう。その方法論は、新たなヘーゲル解釈を打ち出す、とかではなくて、平易な言葉でヘーゲルの思想を辿る、というもの。実際、かなり気楽に読める。

著者は「あとがき」で、「この小著でヘーゲルを論じつくすことなどとうてい無理だが、その壮大な体系がどういう問題意識と構想のもとになりたっているかを大づかみにはできるよう工夫したつもりである」と書いているが、その狙いは十分達せられていると思う。良くも悪くも「浅く、広く」といった感じだ。入門書としては申し分ないが、やはり本書を足掛かりにヘーゲル自身の著作に挑んでいくことが大事なのだろう。

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2017年02月08日

Posted by ブクログ

やしいく読みやすい平易な言葉で書くのだと、はじめに書かれてたのに。西洋哲学を何か立派なものとして拝み奉る為に、分かりにくい言葉を使っていると、これまでのヘーゲルに対する日本での扱いを否定的にはじめにではかかれていたのに。本論に入ると、とっても哲学してました。その中でも、印象に残ったところ(理解できたところ?)を書いておく。
思考の旅は知への旅である。歴史の中に脈々と流れる知にたどり着く旅であると。その思考の旅が行き着く先に、歴史の大河がありそこに至って絶対知を会得するとともに、歴史の知である学問が現れる。
ルターの宗教革命は、神と聖書というよりどころを残しはしたが、そのルターが行ったことが、人を思考の、精神的な独立した個人として浮き立たせることになった。近代哲学は、そのルターが残した神と聖書すらも否定し、自己の精神にとことん向き合う方向に至ったがヘーゲルは、ルター派であり、言及し評価することにはやぶさかではなかったが、一線を画した。
そして、ヘーゲルを否定する形で、キルケゴールの不安を基底とした哲学が、マルクスの資本論が生まれていく。
僕は弁証法とは何かを知りたくてこの本を読んだが、違う知識を得たようだ。楽しかった。

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2016年05月28日

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カントより後代の哲学者でありながら、思索を突き詰めることで理性批判に達したカントに対して、理性にもっと大きな希望と期待を寄せた哲学者ヘーゲル。

ギリシャ芸術とプロテスタントに傾倒し、知と個に対する揺らぎ無き信念を持ち続けたその思想は、確かに当時代的で楽観的なインテリの雰囲気も感じられる。その後の近現代思想家達の批判の対象となったことも止むを得ないのかもしれない。

それでも「理性と知こそが現実である」という意見には、現代の人間も殆ど失いつつある、知性への自信を取り戻させてくれるような魅力を感じずにはいられない。時代が繰り返すのであれば、もしかしてもう一度、そんな理性と知の時代が来るのかもしれない、という期待を感じずにはいられない。

そんな風に思いました。

この本自体についても非常にわかりやすく無駄なく綺麗にまとめられていて読みやすくて好感が持てました。

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2012年06月23日

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長谷川宏著「新しいヘーゲル」講談社現代新書(1997)

*「理性とはおのれば全存在をつらぬいている、という意識の確信である!」
*普通は、種が芽を出す。というところをヘーゲルはあえて、「種が否定されて芽となる」と「種の否定が芽である」とか、持って回った言い方をする。否定の動きをぜひとも強調したいのだ。その対立や変化が運動の原動力となると考えるのが弁証法の基本だからだ。
*何もない無や空虚におわる懐疑主義には、そこから先への前進は望み得ず、なにか新しいものが外からやってくるのを待ち構えて、それを相も変わらず空虚な深淵へと放り投げるほかはない。が、本当の経験のうちにとらえる結果は、否定的なものとはいっても、その否定が限定的なものであり、その否定からただちに新しい形が発生する。つまり、否定のうちにつぎの段階への移行がおこなわれるのであって、こうして、さまざまな意識の形態を1つ1つ丁寧にたどっていく知の旅がおのずと進行するのである。
*ヘーゲルは、近代的な個の自由と自立を確立する上で、知の動きこそがもっとも基本的な要因をなすと考え、個の自由と自立をめざす「意識」の旅を自立した知への旅として描いてみせた。旅の終点をなす、「絶対知」が、高度な抽象性と対形成を備えた学問に直結するかに見えて、その実、近代社会に広く行き渡る知と思考を鈍化したものであるとすれば、「絶対知」への旅は、学問にたずさわる学者や知識人だけにとどまらず、近代社会に生きる一般市民が個として自由と自立を獲得していくために必要なものであるとした。
*「確信」という心のありさま、心の動きをそんなにも重視する。そして、確信の輪を広げ、その内容を深めていくことをもって、意識の旅の根本的な推進力とする。確信とは、個人が己にかえって、なにごとかを自分で自分に確かめるところに成り立つものであるし、一度得られた確信についても、これを維持するのか革変するのかを最終的に自分個人で判断することによって決めるしかない、精神の営みである。
*自己意識が理性になるとともに、これまでの他なる存在との否定的な関係が肯定的な関係へと転化する。これまでの自己意識は自分の自立と自由だけに関心をもち、自分の価値を否定するかに見える世界や地震の肉体を犠牲にして、自分だけを救い、維持しようとしていたが、自分の存在に自身をもつ理性は、世界に対してゆったりとして構え、世界の存在を容認することができる。というのも、理性的意識は、自分が物として存在することを確信し、現実の一切が自分と別のものではないということを確信しているのだから。世界がゆるぎなくあることが、意識自身の真実と現在をなすのであって、世界の中での経験がそのまま自己の経験であるのを意識は確信している。
*自他のうちにある非理性や反理性との戦いの中で、はじめて強靭な理性の光が輝く。挫折や敗北を通してこそ、知と思考に厚みと広がりが備わるのである。
*デカルトは、「われ思う、ゆえにわれあり」という自我宣伝を哲学の第一原理として上で世界全体の精神(思考するもの)が物体(延び広がるもの)によって構成されていると考えた。一方で、ベーコンは観察と経験に基づく帰納法を心理認識の原則として掲げ、学問の全体を記憶に基づく歴史、想像力に基づく芸術、理性に基づく哲学の3つに大きく分類した。このように世界の全体に向き合おうとする姿勢は、デカルトにもベーコンにも確実に認められるし、後続の哲学者たちにも受け継がれている。そして、その姿勢を徹底的につらぬき、比類を絶した壮大な体系を築き上げたのがヘーゲルである。「現実的なものは理性的である!」

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2011年04月17日

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[ 内容 ]
社会を矛盾と対立のるつぼととらえ、そのむこうに統一と秩序を見通した哲学者。
壮大で華麗な思考の躍動を平易な日本語で説きつくす。

[ 目次 ]
第1章 ヘーゲルはむずかしいか?―弁証法入門
第2章 『精神現象学』―魂の遍歴
第3章 世界の全体像―論理・自然・精神
第4章 人類の叡知―芸術と宗教と学問と
第5章 近代とはどういう時代か―日本と西洋
第6章 ヘーゲル以後

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
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☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2010年11月21日

Posted by ブクログ

『精神現象学』などのヘーゲルの著作を、わかりやすい日本語に訳したことで知られる著者による、ヘーゲル哲学の入門書です。

本書では、ヘーゲルを「近代」という時代の思想家として位置づけています。教会の権威を否定して、神の前に立つ個人としての信仰者のすがたを打ち出したルターの宗教改革に象徴されるように、個人の形成と自由な主体の確立が、「近代」という時代を特徴づけているということに著者は目を向けています。

ヘーゲルは近代的な個人を、みずからの内の理性に絶対の信頼を寄せる者として理解しました。そうした個人は、現実の中で出会うさまざまな困難と格闘しつつ、否定をくぐり抜けて「絶対知」へと進んでいくたくましさをもっています。本書ではヘーゲルの『哲学史講義』や『歴史哲学講義』、『美学講義』などを題材に、理性がたくましく前に進んでいくすがたがイメージ豊かにえがかれています。

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2019年05月01日

Posted by ブクログ

弁証法と「モメント」について知るために読んだ。最初に書かれている通り、難解そうな用語はほとんど出てこない。また、引用の後にはいつも著者自身のことばで補足がなされており、最後まで読みきることができた。

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2015年05月05日

Posted by ブクログ

初めて長谷川宏の本を読んだ。公開授業を聞きに行ったけど、ヘーゲル一筋でしかも在野ってのが凄い。オリジナルは多分読むことはないからまたお世話になるかも。

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2012年06月08日

Posted by ブクログ

 時々、文字が右から左に流れていくような所があって、ちゃんと理解できたかどうかはわからない。わからないけれど、とりあえずヘーゲルは“古い”と思いました。

 この本を読んで理解できることは、ヘーゲルにどういった“思考の癖”があったのか?ということ。

 時代や他の思想家などを筆者が断定的に切り捨てる箇所がところどころあって、私のように捻くれていると「本当にそうなのかなあ」と思えて来てモヤモヤしてしまう。
 そのモヤモヤ感から「この人ホントにヘーゲルのことわかって書いてるのかな?」という気にもさせられてしまうんですが、ヘーゲル原著をバリバリ読んでいろいろ考えてる人で無い限り、読む価値はあると思います。

 ここからは、私が読んで思ったことを自由に書きます。

 “ヘーゲル以後”の哲学、とか言われることがたまーにあるのですが、何故かがこの本を読んでわかった気がします。おそらく、彼の哲学がそれまでの世界観を否定して、新たな価値を提案したからでしょう。彼の哲学は近代という時代の転換点そのものだったように思えてきます。

 また、ヘーゲルの思想と言うのは、プロレタリア革命のように、一度経験して超越しなければならない思想なのかもしれないと思うようになりました。彼の思想というのはとても理性的で、時代や文化的な相違から今の私達がそのまま受け入れるということは不可能であるし、そうすべき思想でもありません。
 ですが、一度ヘーゲルの思想を完全に受け入れた上で、それを否定し、超越しようとする姿勢は求められているような気がします(本書とはあまり関係がありません)。

 どうでもいいですが、ヘーゲルがこれほどまでに古代ギリシャに傾倒していたとは知りませんでした。私は彼とは見解を若干異にしていますが、古代ギリシャの芸術と宗教の合致性を指摘している人がこの時代に存在するとは思わなかった!それだけでもヘーゲル先生は仰ぎ見るに十分かもしれない。

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2012年03月31日

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ネタバレ

社会を矛盾と対立のるつぼととらえ、そのむこうに統一と秩序を見通した哲学者。壮大で華麗な思想の躍動を平易な日本語で説きつくす。』
上記の触れ込みを見て思わず購入してしまったが…やっぱり分からない(笑)!!
弁証法に魅了されてヘーゲルに接近してみたのですが、ドイツ哲学の集大成を成し遂げた彼の功績は複雑過ぎて咀嚼できない。。というよりも僕の頭がついていかない(笑)
哲学関係は程々に読んでいる僕ですらこの本の理解度は十分に達していないので初めて哲学に触れる人には「絶対」入門書とは言えません←きっぱり!
まぁでも、所々『へぇ~』と思える箇所はありました。

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2011年09月07日

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理性的なものは現実的であり、
現実的なものは理性である。
・・・・・・『新しいヘーゲル』79頁

この本は、ヘーゲルを中心に、当時の宗教観や、西洋哲学に対する日本、ヘーゲル以後の哲学などについても語られており、俯瞰からの解説という印象を受けた。
ヘーゲル自身の著作を読んだことがないのもあって、
朧気な人物像しか掴めていない。
最初に、生の言葉を聞いてから、解説書として読むべきだったかもしれない。まずは、『精神現象学』がいいだろうか。。。

断片的な印象をメモしておこうと思う。

理性への信頼。その姿勢には大いに好感が持てた。
この感情は、カントやスピノザの思想に触れた際の、感覚に似ている。
私は、ブルース・リーの教えにはついて行けない質なのだ。

ルター率いる、プロテスタントに賛同するキリスト教信者であったこと。
形式に拘るカトリックへの反発は、「自由なる理性」、「自身との対話」を重んじていたからこそ。つまりは、理性への信頼によって。

青年期にフランス革命を体験したことが、その思想に大きな影響を与え、
哲学、宗教、芸術という枠組みを用いて、頑然たる体系的哲学を創り上げた。

なにより、近代哲学を語る上で欠かせない存在であること。
それは、ほぼ全ての哲学解説書に「ヘーゲル」が登場しないことがないという事実が裏付けている。
近代以降の哲学の多くが、ヘーゲルへの反発、もしくはヘーゲルを踏み台としているようだ。
中でも、真正面から反発したというキルケゴールに興味が湧いた。

哲学は広大だ。

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2010年12月07日

Posted by ブクログ

知への道は、意識の思い込む真理の失われてくる過程なのだから、知への道は疑いの道であり、もっと言えば絶望の道である。

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2010年10月14日

Posted by ブクログ

ヘーゲルの解説書。後半は美術とかの話になってたが、それも含めヘーゲルを語るには必要なんだろう。哲学の部分は良く分からない。。。
ヘーゲルを読みーの、これをよみーのしないといけないな。

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2009年10月07日

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