【感想・ネタバレ】桐島、部活やめるってよのレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

朝井リョウの別作品を読んで好きになり、やっとデビュー作品を読んだ。

小さい頃に映画を観てよくわからんなと思ったんだけど、「学校」という場で過ごした後に小説読んでみると共感の嵐だった。

高校時代、登場人物達みたいに色々考えていたわけではないから自分が共感していいのか申し訳ない気持ちになるけど、でもわかる。

特にクラス内の「カースト」の描き方がリアルだった。「カースト」なんて言い方したくないし、「陽キャ」「陰キャ」なんて分け方もしたくないんだけど、実際に色々な人がいるクラスにいれば嫌でもそんな風に人を分けてしまう。そんな中で、「カースト」が「ある」のに「ない」ようにふるまったり、「カースト」が違う人同士はギクシャクしたり、仲良くしたいのに周りを気にしてうまく関われなかったり...。

教室の居心地の悪さとか、何かに夢中になって失敗したときの怖さとか、自分とクラスメイトを比較して関係を位置付けたり、高校生というか学生時代の大変さが鮮明に描かれている。

自分的にはこの二文に共感した。

「ピンクが似合う女の子って、きっと、勝っている。すでに、何かに。」

「サッカーってなんでこうも、「上」と「下」をきれいに分けてしまうスポーツなんだろう。」

女子のカースト上位は「かわいさ」
男子のカースト上位は「球技」

ピンクが似合う女の子はただただかわいい。そんな女の子はやっぱり生きやすい。(嫉妬なんかで大変かもだけど)でも、ここで朝井りょうが面白いのはそういう女の子は「おもしろくない」ことをどの章でも強調してること。「おもしろくない」としても、「顔」がいい女子はそれだけで男女両方に好かれる。

男子はスポーツ、特に球技ができることが大切。自分は男子は淡白な感じでみんな仲良くするのかなとも思ってたけど、確かに運動苦手な子は体育とかも気まずそうだなと思う。日本の体育会気質はここに由来するんだろう。

「陰キャ」にとっての教室と「陽キャ」の裏の顔(みんなそれぞれ明るく見えて悩みがある)がかなり密に書かれていて読んでいて苦しくもあり、共感もあり、すぐに読んでしまった。

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2024年02月25日

ネタバレ

タイトルにある「桐島」という人物は、作中に実体として存在しない。「桐島」が喋ったり、他の生徒と関わったりすることはない。「『桐島』以外の誰か」が話す内容でしか、「桐島」自身を把握することは出来ない。
ここが“仕掛け”として上手い。
けれど、この作品はそんな小手先のテクニックが優れているのではない。人物を冷静に観察して、こころの動きを見事に描き出している。
タイトルの奇抜さ(?)は当時話題になったものだが、ライトノベルには、この比でない奇抜なタイトルがいくらでもある。とくにこの世代以降は文学とライトノベルの境が曖昧になっている。このタイトルは非常に計算されているし、作品の持つ空気を的確に表している。
中高生にとって「部活」とは「恋愛」と同じくらいの重要度を持つ。恋愛が往々にして砂糖菓子のように美化されて語られるのに対し、部活はもっと泥臭い。大多数の生徒は部活に所属しているわけで、それに「入る」のも「やめる」のも、とうの中学生、高校生にとっては学校生活を左右する一大事だ。
「やめるってよ」という伝聞形が示す通り、「桐島」本人がやめるという場面は出てこない。そういう意思表示はあったが、登場人物の誰も直接確認していない、間接的にそれを聞きながら、「ふーん、そうなんだ」程度の距離感で、物語は進んでいく。
「桐島」と関わりのある5人の生徒のモノローグは、それぞれが心に抱えているもの――それは決してひかり輝くものばかりではない、ときに醜かったり惨めであったりする――を、偽ること無く淡々と描いていく。
この作品が書かれた当時「スクールカースト」という言葉は、まだ今ほど一般的ではなかった。
誰もが学生時代に経験し、教室内で“普通に”起こっていたこと。学校生活を円滑に行う上でみんなが何となく“弁えて”いた『序列のようなもの』。それを生々しく描き出している。それが物語の主題ではないのだが、しかしこの事は無視できないくらい大きな“バックグラウンド”だ。
人は誰しも心のなかに醜い部分を持っている。それを表に出さないよう生きるのが「社会性」というものだ。学校という身近な場所で、それについて描写したこの作品は、いわゆる“青春モノ”の持つさわやかなイメージとはおよそかけ離れている。だが、当時に間違いなく存在していた、“正視したくないリアル”を描いている。

#アツい #切ない #怖い

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2022年07月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

17歳だなんて。思い出すのも億劫だけれど、人生をやり直すなら17歳がいい。でも、17歳に戻ってやり直したい人生だなんて結局、何度戻ったところでキリがないかもしれない。

17歳だった僕が持ち合わせていたのは真っ白なキャンバスなんかじゃなくて、小さな紙袋だった。将来は?だなんて、あれもこれもと小さな紙袋に詰め込んで、あっという間に膨らんでしまい、そのくせ拍子抜けしてしまうほど軽くて、つまり、その膨らみなど見せかけばかりで。僕の将来の?夢?目標?やりたいこと?やれること?そんな物事を、いくら詰め込んだところで紙袋の中身は空っぽで。紙袋のクチを握りつぶして捻って、叩き割って。破裂した紙袋など丸めて捨ててしまった。17歳の苛立ちは17歳で処分した。そんなだから17歳だった僕の将来は、つまり現在の僕は、成るべくして成っています。『おとぎ話はワナ。期待したってカボチャはカボチャ』ってことです。

高校の卒業アルバムを思い浮かべながら読みました。彼ら彼女らの“クラス分け”まざまざと思い出した。男子のサッカー。女子の創作ダンス。ああもう嫌になる。
僕もサッカーしましたね。体育の授業の。僕は適当にボールの反対側に走って逃げてたクチ。あるとき“おさるのナンチャラ”のキャラクターによく似てた野球部員に突然背後から押されて、さっきのお返し、みたいなことを言われた。でも僕は何をしたのかよく覚えてなくて、曖昧に誤魔化してしまったけれど、あれは一体なんだったのか。“クラス分け”的には彼は目立つほう、僕はその逆だったから、はじめから互いの接点などなかったのに。いまなら言えるかな。
なあ、“おさる”よ。おまえの勘違いじゃねえの?
って。
僕の高校生時代も、この物語にも登場している人物たちの関係性と、まったく同じだった。互いの“クラス”で見て見ぬふり、卒業までやり過ごせたら、それでいい。当時のそれは、それなりに切実だったなあ、とか思い出しました。
「思ったことをそのまま言うことと、ぐっと我慢すること、どっちが大人なんだろう。こうやって、狭い世界の中で生きているとわからなくなる」
17歳でわからなかったことは、17歳からだいぶ経った今の僕でも、まだよくわからない。このままどんどん年齢ばかり重ねて、相変わらず狭い世界の中で、わからない、わからないを、僕は繰り返してゆくのだろう。
なんだったのかなあ。僕の17歳。
ほんとに戻りたいのか?戻りたくても戻ることができないからこそ僕は、戻りたいと思う。
 
この本も言うまでもなく松岡茉優案件。
映画は、まだ観ていません。

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2024年01月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

他の作品との兼ね合いや基準づくりのために
評価を星3にしたけどしっかり面白かった
主人公であろう桐島が作中に出てこないという新しい切り口だった
桐島の周りで起きる桐島以外の登場人物の心情の動きが見てとれた
他人をダサいダサくないで決めつけてバカにする描写は、実際に存在する人を考えながら読んでいた
井リョウさんの作品を読むと、私が今まで出会ってきた人や過去の経験を思い出すことができ、懐かしい思い半分、切ない気持ち半分になる
また、過去の自分の気持ちを代弁してくれ、言語化してくれるので新たな自分に出会えて嬉しい

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2024年03月24日

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