【感想・ネタバレ】コミュニケーションは、要らないのレビュー

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Posted by ブクログ

「コミニケーションには
①関係を維持するためのもの[ウソお世辞を含む]と、
②本音で議論するためりものの2つがある。」
「日本には議論のための空間がない」
「本当の知識は重いものだ、獲得するには労力がいる、WEBで得られるものとは異なる」
 
   などなど重たい本質論が繰り広げられる。
職場でこんなことを言っていると嫌われるだろう。
押井監督も嫌われているそうだ、

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2015年08月01日

Posted by ブクログ

思考エネルギーがじわじわと湧いてくるようで興奮しながら読んだ。
少し大げさに言うと、脳みそをシャッフルされるような感覚、脳の血流が早くなっていく感じ。

著者の映画は、一作だけ観たことがあるのだが、「みんなが戦争を忘れたふりをしているのなら映画で戦争を作ってやろう」という言葉に、戦闘シーンに感じた嫌悪感は、まさに著者の意図するところだったのだと合点がいった。

日本人の言語能力の低下の原因の一つに、言文一致運動を挙げている。
言文一致で、文語体が口語体になることにより、ロジカルな思考から遠ざかったのである。
また、このことを遠因として教養もなくなりつつある。
そのくせ、お手軽な知識だけを得ようとする。
この部分には、耳が痛かった。
労せずして、知識を得たいという思いは私の中にもあり、読書をする際に枝葉の部分は意味のないものと見なしてしまうことがあるからだ。

クラウゼヴィッツの『戦争論』という本は、とても読みにくい本であるが、その理由はクラウゼヴィッツが軍人であり、言いたいことを自由に言えないため迂遠な言い方がされているからだという。
そのような時代背景を知ることで、はじめて理解が出来得る。

読書だけでなく、バックグラウンドを知ることなしに本質にはたどり着けない。

全体的に、安易に、表面的になっている現状は、コミュニケーションの仕方に一端があるようにも思う。
日本の国土がそうさせたのかは分からないが、気質で片づけていい話ではないし、こういう話を堂々と議論出来るようになったらなと思う。

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2015年06月03日

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押井守さんの本。

コミュニケーションにとって大切なのは、自分たちとことなる文化や背景を持つ人に、論理的な説明で理解してもらうことにある。確かに、仕事なんかでも、分かっているんだから、説明は必要ないよね。みたいな流れがあったりすると、後で、実は大きな問題になったりする。押井さんの言いたい事は、それを国際関係にまで、広げたところだろう。先進国たる由縁は嘘を付かないことだという。日本は原発にしろ、自衛隊の問題にしろ、政権が変わるたびにうやむやになり、信用を失うと言う。また、戦争が究極な意味のコミュニケーションであり、新たな文化を生み出すというのは凄いと思いました。

言葉やそこにあるものを最初から信じるのではなく、そこに至る過程にたどり着いた理由を積み重ねて、考える習慣が身に付いたら良いと感じました。ただ、本書でもありましたが、SNSなどが言葉を軽くしていると言いましたが、新たな言葉の文化が生まれていると考えても良いのではと思いました。それが、問題提起になると思うし、それを捉える人の感覚もあると思う。私も読む人がどう思うかを考えながら、FACEBOOKも続けようと思う。

有名なアニメ監督で、原発への発言など過激な一面もありますが、考える一冊でした。

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2013年09月16日

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著者は、コミュニケーションが不要だと訴えたいんじゃない。あなたがコミュニケーションだと思っているものはなんですか、あなたは自分の頭で、物を考えていますか、と問うている。

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2013年05月26日

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すごく面白かった。お酒飲みながらマッタリ読んでるとハッとすることが書いてある。
パトレイバーの話やイノセンスの話を引用して自分の考えを説明していく部分はゾワゾワとした。
この人の話は色んな話ができる場を作るね。飲みながら話がしたくなる。

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2013年02月06日

Posted by ブクログ

なんつー本だ。
ここ数年自分の中にあったもやもやがぱっと開けた感じでした。

ただ知識を入れるだけじゃダメだ。
たくさん知っていることは最適じゃない。
それを利用することが重要だ。
それを利用して考えることが重要なんだ。

考えて判断する。

自分にとって重要な人が言ったから判断するんじゃなくて。
どっかの偉い人が言ったから判断するんじゃなくて。
自分で考えて判断する。
そのための知識。

はあ。
もう押井先生。
なんでもっと早く僕にこの考えをくれなかったんですか。
てかなんで前々から気になってたのにこれ読まなかったんだ!

でも読んでよかった。
これはいい本。

この本とは直接関係ないけど、攻殻機動隊めっちゃ観たくなった。

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2013年01月25日

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ツイートして空気を読んで生きている「つもり」になっている、現代の大半の人達に対して警鐘を鳴らす本書。
空気なんか読むな。
自分の頭で考えろ。
自分の言葉で語れ。
賑やかしのコミュニケーションなんかに意味はない。
そう強く主張する本書は現代社会へのカンフル剤である。

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2013年01月03日

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コミュニケーションには二通りある。一つは人と話を合わせるための世間話みたいなもの。2つ目は自分たちがあることについて語ることや議論すること。議論する場というものが日本にはないからコミュニケーションというものはちゃんと機能することが出来ていない。

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2013年03月13日

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ネタバレ

ここに書かれていることが正しいとか正しくないとかの前に、久しぶりに衝撃をうけました。
時間をおいて再読して、もっと咀嚼したいです。

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2013年09月20日

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イノセンスや攻殻の押井守、こんなにも雄弁だったのね。

現状維持のお付き合いコミュニケーションしかない日本に必要なのは、異質なものと向き合えるコミュニケーション。つまりは、論理的に一から順番に物事を思考できる力だということ。
「当事者以外が当事者意識など持ちようがない」今後幅をきかせそうな当事者論など、とても明快。つぶやきSNSはコミュニケーションですらないと切り捨ててもいる。

今こそ本質論に立ち返れと、ハッキリした主張。ただ痛快で心地よいだけでなく、考えさせられるものがある。

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2013年01月23日

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コミュニケーションは本来自分と相手は分かり合えていないのを前提に行われる。日本語は「みなまで言うな」だから論理が弱く議論が成り立たない

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2016年06月22日

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タイトルに釣られて、しょうもない本かと思っていたら、結構いい本でした。
学生運動に参加していた過去があるたげに
左な思想なのかと勝手に思い込んでいたが、
本読み進めて行くうちに非常に真っ当な保守思想の持ち主である事が感じとれた。
著者がどう思っているかはわかりませんが。

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2015年07月20日

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アニメクリエイターとして有名な押井守によるコミュニケーション論。

アニメの話に偏ることなく、今の日本の問題を的確にえぐっている感が。

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2014年11月23日

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FBやTwitterを代表とするSNS及びネットは、果たしてコミュニケーションツール足り得るのか?震災以降展開されたネット上の言論空間を皮切りに、日本人のコミュニケーションに一石を投じる。辛辣な物言いではあるが、共感できる箇所が多い。特に原発問題に関しては、著者のような考えを持つ文化人がいることに安堵を覚えた。順序だてて思考することと、自分の立場と責任を再確認することがあまりに欠落した今日の言論空間を憂う。一流クリエイターである著者の思考に触れることができる一冊。

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2013年07月17日

Posted by ブクログ

憂国。

「日本が抱える病」は今に始まったことではないのだと解った。

戦争オタクならではの切り口で言語能力の低下や原発について語られていて、そこがとても面白かった。
そんな切り口もあるのか!と。

とにかく自分で考えなさいよ、ということなんだと思う。
そためにどうすべきかということがわかりやすく書かれている。

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2013年02月23日

Posted by ブクログ

何をするにも覚悟がいる。やったらどうなるのか、どうしたいのか。結果がどうであれ、責任を持つ。始めることに責任を持つのだ。
久しぶりに「うる星やつら ビューティフルドリーマー」を見たくなった。

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2013年02月20日

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個人的には好きな文脈で、内容はすんなりと頭に入ってきました。とはいえ、(余計な)コミュニケーションは要らないというお話なので、タイトルから入るとコケるやも。押井節という点も慣れない方にとっては注意が必要かもしれません。

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2013年01月06日

Posted by ブクログ

言語と思考、行動の密接なつながりを痛感させられる一冊。

個人的には押井守と言えばパトレイバーに始まり攻殻機動隊、スカイクロラという映像作品を連想するのだけど、今回は初めて著書、文章になっている押井守の作品を読んだことになるのかな。

読んでみて、まあ極端な意見をお持ちの方だなーって感じだけれども、現代の日本人が何がしかの「言葉を持っていない」と書いていたことには腹にすとんと落ちてくるものがあった。
私たちの思考が言葉で考える以上、使用している言葉との密接な関わりあいが、例えばその使用している言葉が曖昧であれば行動にも曖昧さが出てくるように、言葉が意思伝達で使われる記号以上の存在であることを気づかされた。

まあ、これは個人的に印象に残った箇所なので、全体的には映画を中心に色々な論点について書かれていますよ。
あー、にしてもこれ読むとスカイクロラまた観たくなってきたー!

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2012年10月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ツイッターとかコミュニケーションツールじゃねぇし!ツイッターなんかで会話すんなし!


たしかにツイッターはその名の通りつぶやきであって、その発言の責任は軽いよね。
ツイッターで発言するなら微小なりとも影響力があるわけだから、その責任は感じなくてはいけない。という考えを持っている人はいて、その考えは正しいとは思う。けど、やはり140字の主張をつなげても表面的な訴えにしかならないです。

受け手が問題を考えるための導入になるならいいけど、すっきり主張をまとめる技術だけ先行して向上しているから、受け手はツイートを見ただけで納得・理解したと思ってしまう。

人は低きに流れるものと言うけれど、情報もお手軽に分かりやすいものを要求する性質がある。
簡単に説明ができること=想定が浅いこと
という思考回路がないのは危ないよね。口車でだまされちゃうってことだし。

ところで、この間自民党の総裁選の時に、教え子は石破さんがイイと言っていた。理由は「言ってることが分かりやすいから」だそうな。
まだ公民も習っていないような中学生でもわかるような説明ってのは素晴しいんだろうけど、政治ってそんな簡単な物であったっけ?
テレビくらいでしか情報を集めていない庶民が政治に影響を与えてるってスゴイ怖いんですけど。
簡潔な論理で理解しやすい=信用できる。という安易なつなげ方はしてほしくないなぁ。もっと広い視野で判断・配慮ができる人が活躍してほしいよね。
こういう状況って、日本人がコミュニケーション能力低いってことを露呈しているんだろうなって思う。人の話の聞き方が稚拙だ。

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コミュニケーション能力を「話す力」と日本人は理解している節があると思うんだけど、私は「聞く力」の方に重点があると思う。(理解力でもいい。)

コミュニケーションとは言語活動を通して相互理解を図ることですよね。自分の主張を相手に認めてもらいたいんですよ。
そのために必要なのは、相手の気持ちを理解した自己主張だと思うんですよ。相手の思いに沿って、自分の論理を展開して行く。相手も納得する形で最終的に話を終わらせるのがよいコミュニケーションのはずだから、相手の考えをよりよく理解する力って何より大事だと思う。

「自分の主張をはっきりすることが大事」ってイメージがあるけど、それって意見衝突を助長しているだけじゃないかな。
意見衝突しても負けない頑固さを身につけるのがコミュニケーション能力向上ではないでしょう。

もし相手と意見を違えたなら、相手の意見をよりよく理解して、その論理的矛盾点を指摘して、自分の主張の正当性を示す。それが高いコミュニケーション能力じゃないかな。

もし自分の論理に非があったなら、素直に訂正して、よりよいものを作ることに専心する。
こういった高い受容の力こそ、コミュニケーションには必要なんだと思う。

今の原発論争にしても、自己主張強い人多いけど、受容力が高い人が目立たないよね。たぶん前者のせいで後者が埋もれてしまって見えるからなんだろうけど。

__
コミュニケーションは聞く力(理解力)が大事と書いたけど、相手と共感できることが大事ということを言いたいのではない。
コミュニケーション能力は初対面の人に、いかにバリアフリーで話を盛り上げられるかという合コンの能力ではない。(でもそれはそれでスゴイ大事だと日々感じてはいる)

別に相手に共感しなくてもいい。ただ、相手の話を冷静に聞いて、客観的に判断できるようになるべきだということ。
だから、聞く態度の根底にあるのは共感ではなくむしろ、疑念。この人の言い分は正しいのかシビアに評価しながら聞くべきなのだ。

だから押井さんは信じないことが大事だと言ったのだろう。

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2012年10月05日

Posted by ブクログ

タイトルがセンセーショナルだけれども、言葉通りの意味ではなくて、現状の、ソーシャルネット上や日本の言論は、とてもコミュニケーションが成り立っている状況ではない、ということを言っている本。
震災直後の混乱した時間帯に、各国の戦闘機が領空侵犯をして、日本の国防能力を測っていた、という話しなど、かなりマニアックな視点ではあるけれども、今まで考えたこともなかったことをいろいろと考えさせられた。
あえて自分は原発賛成派だ、と言ったり、インターネット上でのコミュニケーションを完全に否定していたり、この人の言っていることもだいぶ過激で偏った意見とは思うものの、自分の思うところをストレートに表現していて、誰にはばかることもなく堂々と語っているところは好感が持てた。

ツイッターやSNSは、問題を議論する「言論空間」たり得ているか?僕はそもそも「インターネット」という空間は、コミュニケーションには向いていない世界だと思っている。
何よりもまず、ネットでのコミュニケーションの主体は個人レベルから始まってしまうからだ。メールでもブログでもツイッターでもフェイスブックでも、それを始めた瞬間、それまでの共同体を置き去りにした個人となる。(p.35)

僕は携帯電話やPCによるインターネットとはコミュニケーションツールなどではなく、世界への窓口を限定することに成功したツールだと思っている。
ひきこもりというのは顕在化していないだけで昔からいたわけだが、これらのツールが、その環境を御膳立てしたのだ。(p.42)

近代国家としての絶対条件というのは、嘘をつかないことなのだ。だから、嘘をつきまくっている中国やロシアはまだ近代国家ではない。
欧米のまともな国なら「ここから先は絶対に嘘はない」という言論空間を常に確保している。そこで違反したら即厳罰が待っている。
たとえば米合衆国議会の上院の査問に呼ばれたら、軍人だろうが誰だろうが嘘は言えない。もし嘘だとバレたら社会的に抹殺され、犯罪者として刑務所行きとなる。日本の国会の証人喚問とはレベルが違うのだ。
なぜこんな仕組みが必要かといえば、言論空間には「ここから先は嘘はなしだ」という領域を確保しないとまともな議論にならないからだ。(p.51)

今この時代に子供を持とうとするなら自分の責任で放射能の危険の度合いを調べて判断していくしかない。国が定めた放射線の基準値が適正なのかなんて、誰かに下駄をあずけている場合ではない。専門家が当てにならないのは今回の件でよくわかったはずなのだから、自分たちで判断するほかないのだ。(p.61)

普通、どの国にだって、国の存亡の危機という過去があるものだ。だが、この国は異民族に占領されたこともアメリカとの戦争での一度しかない。それもイレギュラー扱いの優しい体制だった。食料もたっぷりもらって、民主主義というオマケまでもらった。そんな歴史を持つ日本という国は、つくづく特殊なのだ。(p.63)

日本は小さな島国で逃げ場がないから、中国やロシアのようなあからさまな嘘をつく文化にはならなかった。しかし、まわりに同調するという嘘をついた。
他人に嘘をつくのではなく、自分に嘘をつく天才になったのだ。
そして、その中で言葉を便宜的に使っても良いということにしてしまったのである。(p.72)

ロジックとしての言語というのは、平たく言えば「書き言葉」のことだ。
人間は書き言葉で文章を書くことでしか論理的にものを考えるという思考回路を身につけることはできない。
そして、今、そのロジックを身につけるための「書き言葉」も急速に失われつつある。メールにブログにツイッターにと、毎日何らかの文字をモニターへ打ち続けている日本人だが、そこには「書き言葉」は存在しない。(p.75)

僕は、基本的にネットにある言葉を信用していない。
本当に大切なことはメールにも書かない。
そもそも口語が獲得する言語空間と、文語が獲得する言語空間は違う。
口語を操っていても口が達者になるだけで文章は巧くならない。時と場所が違う人間が読んだら、わけのわからない得体の知れない文字列となるだけだ。
人を説得する言葉を並べたいのなら、一冊の本を書くべきだ。ネットに膨大な言葉を書く時間と情熱があるなら、一冊の本を書いたほうがはるかに有用だ。
僕は多弁なほうだが、どんなに語ろうと一冊の本を書くことに勝るものはない。少なくとも、一冊の本の量がなければ他者に何かを説明することなどできないはずだ。(p.82)

今の時代に「創る」ということは「選ぶ」ということと同義だと僕は思っている。それ以外にクリエイティビティなんてないとすら思う。
「創る」という言葉の意味が曖昧で、あたかもゼロから何かを生み出すような誤解を招くが、それはすでにある膨大な知的資産の中から、自分の価値観に照らしあわせて必要なものを選んでいるというだけだ。(p.91)

日本人にとって日本はなぜ必要なのか。
僕自身の答えは明快にある。日本語で仕事をして、日本語でしか思考できないからだ。それが、僕が日本を必要とする理由のすべてといってもいい。
ようするに言葉だ。日本語という言論空間がなければ日本人たりうるわけがない。
僕にとって映画を作る過程において、日本語というツールは必須だ。
日本語空間でなければ自分が成立しないからだ。(p.113)

文学や音楽や絵画が文化であるように軍事だって文化だ。英語なら、「Art」という言葉を当ててもいい。日本人もかつてはそう考えていた。文化人にとって軍事的教養は必須だった。少なくとも戦国時代から明治時代まではそうだった。
戦後から突然、それがタブーになってしまったのである。
軍事と語らなくても文化人面ができるようになり、むしろ語らないことが条件とも言えるくらいになってしまった。(p.121)

いつも言うのだけれど、主人公が優柔不断であるとか、根拠を持たないがゆえに起こるドラマはドラマではない。そして、日本のアニメや漫画や小説の多くはこれに当てはまる。すべての主人公が碇シンジくんであり、アムロ・レイくんであり、彼らには一様に根拠がなく動機もない。
ようするに未熟なのだ。
未熟であるがゆえに生起するドラマはドラマとは呼ばない。ドラマとは「価値観の相克」のことだ。俺はあんたが好きだ。あんたも俺が好きだ。でも、なぜか二人は一緒になれない。これならドラマたりえる。だから、好きだということを言わないで永遠に続くドラマはドラマとはいえないのだ。(p.131)

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2020年07月15日

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押井守流のコミュニケーション、言語空間・言論空間を語っている一冊。

東日本大震災の1年後に出版され、
第一声に震災での原発について語るところから始まる。
と言っても、これが重要でもメインでもないので、
この話に感化している人は読解力が無いと言わざるを得ないでしょう。
原発事故は一例として、コミュニケーションに対する意義を説いている。

内容が、2012年のことなので、2020年以降のコロナ禍を経てのネット社会や生活保護に対しての考えが変わっていることを期待したい。

気になったのは、2008年のリーマンショックのことは、
記憶にないのだろうか・・・って、そんなことを言っても仕方ないのかな。

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2024年03月05日

Posted by ブクログ

日本には必要のないコミュニケーションが溢れている。逆にSNSにより必要なコミュニケーションが失われていくのか。

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2021年12月14日

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原発問題を中心に、コミュニケーションとは何かを問う一冊。著者と似た意見を持っていたとしても、通常は周囲の反感を買わないよう、あえて口にしないことをズバッと書いています。自分なりにタイトルの意味をまとめると、「立場を明確にして物事の本質を問わなければいけない場で、現状維持の空気を読んだコミュニケーションばかりだと、本質から外れてなんの解決にもならない。そんなコミュニケーションは要らない」です。

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2020年09月18日

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口を開けば出てくる宮さん(宮崎駿氏)の暴言。どれだけ好きなんだよと突っ込みながら読んでいた。本文は微妙な内容も多いが、日本人は論理的思考で物を考えるのが苦手なのは、日本語の文法構造がロジカルでないため、お互いにニュアンスを汲み取って語らないので言論にならないという論法は面白かった。日本語がロジカルでないから論理的思考が苦手なのか、論理的思考が苦手だから曖昧な言語になっていったのか興味深い。

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2019年08月07日

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なんともまあうるさいオヤジの繰り言。
現場で説得する屁理屈が仕事だとか。
この人の現場では働きたくないなあ。

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2018年12月28日

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【ノート】
・3.11の震災を切り口に広げられていく、押井さんの、この国におけるコミュニケーションのいびつさについてのロジック。

・「ひとまず信じない」=判断を留保して自分の頭で考える、知識の問題ではなくて覚悟の問題。

・原発についての宮崎駿批判は歯に衣着せず痛烈。こう言われてしまうと「え、宮崎駿って、そうなの?」と思ってしまいがちだが、そこで「ひとまず信じない」ことこそが大事なんだ。太平洋戦争時の海軍批判もそう。

・「軍事オタク」でもある押井さんが、国を考える時に軍事のことが必須にならない今の状況はおかしいと言っているが、これは佐藤優さんとも共通。

・彼の他の著作でも述べられている、映画を作るときのプロセスが実は面白かった。

第1章 コミュニケーションのできない日本人
 ツィッターはコミュニケーションの役に立ったのか?
 コミュニケーションとは何か?
 言語空間と言論空間
 感情移入に意味はない
 福島という地のもつ歴史
 インターネットは言論には向いていない
 なぜ、他人とつきあうのか?

第2章 僕は原発推進派である
 原発問題のすべての根源
 原爆と原発はセットである(これは佐藤優さんにしろ手嶋さんにしろ同じことを言ってる)
 嘘をつくということ(これは加藤典洋さんなんかに通じるのでは?)
 スタジオジブリが出した横断幕(痛烈な宮崎駿批判。これだけ読めばなるほどと思うが、宮崎さん側にも主張はあるのだろう)
 ディズニーと読売新聞と原子力政策
 あえて原発推進派になるということ(「国防」ということを、でも大っぴらには言えないでしょ?)
 国防なき国の悲劇

第3章 曖昧な言葉が生む無責任な世界
 順番にものを考えるということ
 「みなまで言うな」という日本人の美学
 書き言葉の衰退と言語能力の低下
 言文一致運動と言語の特殊化
 本になっていないものは信用しない
 知識と教養は違う
 文章を引用するということ
 アニメの現場と福島原発問題

第4章 日本はまだ近代国家ではない
 戦争を止める言葉を持たなかった日本
 属国であるということ
 「こうなったらいいなあ」だけで生きてきた日本人
 日本は核武装するなと言われていたわけではない(これはホント?だとしたら、日本はアメリカにとって狡猾な印象を与えても仕方がないけど)
 日本人という根拠はどこにある?(「言葉」と断言)
 日本にオリジナルはない(オリジナルの定義にもよるけど。正剛さんの「日本という方法」読まなきゃ)

第5章 終わりなき日常は終わらない
 危機感なき人々
 かりそめのナショナリズムと見えないブレーカー(メタルギアのらりるれろ?)
 オヤジギャグが象徴するもの
 未熟なドラマの先にあるもの
 人を説得するということ
 終わらない日常は終わったのか?
 山田正紀と大江健三郎(具体的に何を指している?)
 震災後の世界にファンタジーは無効なのか?

第6章 自分の頭で考える−本質論の時代
 あらかじめ失われた暴動
 今こそ、本質論を言ってる場合なのである
 真善美の起源(これを出してきたのは、ちょっと我田引水と感じた)
 ネットワークデモクラシーなどない
 不謹慎という罠を超えて
 被災地へ行くということ
 結果を見届けるということ
 「ひとまず信じない」という選択

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2018年10月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

個人SNSに抵抗があることから興味を持った本。

なかなかシビアな切り口で言語とコミュニケーションについての関係性を簡潔に述べており、たまにはテレビや新聞ではなく新書を読むのもいいなと思わせてもらった。

日本人のコミュニケーション=協調性というのには納得。学生だって日々空気読みながら生きてます。他にも、人任せ主義を望んでいるなど、読んでいてギクッとする部分が多々あり。

何をするにも覚悟と責任を持つ事、分かっているつもりだができているかというと自信がない。少しでも成長できるよう努力していくしかないのだろう。

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2013年03月02日

Posted by ブクログ

 つぶやけばつぶやくほど、人はバカになる。この一文に興味をそそられた。現代におけるSNSやツイッターなどの普及は人と人とのコミュニケーションの手段を大幅に簡単なものにした。だが、それは本来人間が持つ他人との関わり方と言えるのだろうか?と再認識させられる事になる内容が、この書の中にはある。押井氏の生み出してきた映像作品で語られてきたネットと人との境界線が、崩れ、人がネット無しでは生きられない世界になるようでは、それは隷属と変わらない。そのようなサイバーな世界を感じて来た押井氏の現代感がこの本にはある。

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2013年02月12日

Posted by ブクログ

映画同様、読者に考えさせる構成で問題提起を繰り返します。
人を思考停止に陥れるという観点で、情緒が、空気を読むという美徳が危ういものであることは今一度認識すべきと感じます。
漢語教育の縮小、言文一致による論理的思考力の低下に関する考察のくだりには、水村美苗氏の「日本語が滅びるとき」の言論にもつながっており大変興味深いです。読まれてこそ、伝わってこそコミュニケーションであることもまた意識しなければなりません。
大多数にとっての社会性をマスメディアと個人の中間地点にあるものと確認したうえで、氏はインターネットをあくまで世界に向けた窓口を限定することに成功したツールと切り捨てます。こうやって投稿しているレビューもまたコミュニケーションとは呼べません。
ひとまず信じないことによって自分で考える。最後まで読んだあとにタイトルを見直してはっとさせられました。

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2020年07月22日

Posted by ブクログ

正直、読み始めたときは上から目線な書きっぷりに「んっ!?」と思ったが、物事の本質を見極めよ、という姿勢についてはその通りだと思う。

また、論理的な文章を書く言語能力が失われつつあるという点について、過去との比較はわからないが、私自身も難しさを感じることがある。そして、言語能力の低下=論理的思考能力の低下であろうとも感じている。ツイッターなどネット上の文章がすべての諸悪の根元とは言わないが、論理的な文章を書く訓練は、必要なんだろうなぁ(自分含め)。

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2012年10月14日

購入済み

吐き捨てる感じ

内容としては共感できる部分も多くあったが、論調としては愚痴の域を出ていないような感じである。もう少し自分の思いだけではなく、広い視点から捉えてほしいと思った。

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2012年10月12日

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