あらすじ
ただ気分を吐き出すためだけの言葉をネット上に書き散らし、真偽の不確かな情報に右往左往し、目的もなく自分のフォロワーを増やそうとする。そんなものは、コミュニケーションではない。高度成長期以降、日本人は「現状維持」のために協調性ばかり重んじて、本質的な問題について真剣に「議論」することを避け続けてきた。そのツケが今、原発問題を筆頭とする社会のひずみとして表面化しているのだ。我々はなぜ人と繋がろうとするのか。真のコミュニケーションとは何か。世界が認める巨匠が初めて語る、目から鱗の日本人論。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
ツイッターとかコミュニケーションツールじゃねぇし!ツイッターなんかで会話すんなし!
たしかにツイッターはその名の通りつぶやきであって、その発言の責任は軽いよね。
ツイッターで発言するなら微小なりとも影響力があるわけだから、その責任は感じなくてはいけない。という考えを持っている人はいて、その考えは正しいとは思う。けど、やはり140字の主張をつなげても表面的な訴えにしかならないです。
受け手が問題を考えるための導入になるならいいけど、すっきり主張をまとめる技術だけ先行して向上しているから、受け手はツイートを見ただけで納得・理解したと思ってしまう。
人は低きに流れるものと言うけれど、情報もお手軽に分かりやすいものを要求する性質がある。
簡単に説明ができること=想定が浅いこと
という思考回路がないのは危ないよね。口車でだまされちゃうってことだし。
ところで、この間自民党の総裁選の時に、教え子は石破さんがイイと言っていた。理由は「言ってることが分かりやすいから」だそうな。
まだ公民も習っていないような中学生でもわかるような説明ってのは素晴しいんだろうけど、政治ってそんな簡単な物であったっけ?
テレビくらいでしか情報を集めていない庶民が政治に影響を与えてるってスゴイ怖いんですけど。
簡潔な論理で理解しやすい=信用できる。という安易なつなげ方はしてほしくないなぁ。もっと広い視野で判断・配慮ができる人が活躍してほしいよね。
こういう状況って、日本人がコミュニケーション能力低いってことを露呈しているんだろうなって思う。人の話の聞き方が稚拙だ。
__
コミュニケーション能力を「話す力」と日本人は理解している節があると思うんだけど、私は「聞く力」の方に重点があると思う。(理解力でもいい。)
コミュニケーションとは言語活動を通して相互理解を図ることですよね。自分の主張を相手に認めてもらいたいんですよ。
そのために必要なのは、相手の気持ちを理解した自己主張だと思うんですよ。相手の思いに沿って、自分の論理を展開して行く。相手も納得する形で最終的に話を終わらせるのがよいコミュニケーションのはずだから、相手の考えをよりよく理解する力って何より大事だと思う。
「自分の主張をはっきりすることが大事」ってイメージがあるけど、それって意見衝突を助長しているだけじゃないかな。
意見衝突しても負けない頑固さを身につけるのがコミュニケーション能力向上ではないでしょう。
もし相手と意見を違えたなら、相手の意見をよりよく理解して、その論理的矛盾点を指摘して、自分の主張の正当性を示す。それが高いコミュニケーション能力じゃないかな。
もし自分の論理に非があったなら、素直に訂正して、よりよいものを作ることに専心する。
こういった高い受容の力こそ、コミュニケーションには必要なんだと思う。
今の原発論争にしても、自己主張強い人多いけど、受容力が高い人が目立たないよね。たぶん前者のせいで後者が埋もれてしまって見えるからなんだろうけど。
__
コミュニケーションは聞く力(理解力)が大事と書いたけど、相手と共感できることが大事ということを言いたいのではない。
コミュニケーション能力は初対面の人に、いかにバリアフリーで話を盛り上げられるかという合コンの能力ではない。(でもそれはそれでスゴイ大事だと日々感じてはいる)
別に相手に共感しなくてもいい。ただ、相手の話を冷静に聞いて、客観的に判断できるようになるべきだということ。
だから、聞く態度の根底にあるのは共感ではなくむしろ、疑念。この人の言い分は正しいのかシビアに評価しながら聞くべきなのだ。
だから押井さんは信じないことが大事だと言ったのだろう。
Posted by ブクログ
押井守といえば、攻殻機動隊など古いアニメ好きとしては気になる。アニメ監督が社会評論を書くなどあまり感心しないのだが、つい読んでしまった。
標題の意味は
ネット上の馴れ合いや盛り上がりなど本当のコミュニケーションとは言えない。感情の垂れ流しでうねりとなる共感やそこから生まれる絆などは気分だけのものである。自分の頭でロジカルに考えろ。覚悟を持て。
そんなところだろうか。
いつもどおりの言説で、特に新しいことは何もないのだが、安心した。何が正しいとか何をすべきとか押井は語っていない。
団塊の末尾につく者らしく、反逆児的な論調でうるさいオヤジといった感じ。
それでいいのだ。
クリエイターが政治的な行動を煽るなどお門違いでうさんくさいと私は思っている。
これを読んだ人が刺激を受け、まわりに流されず何かを考えようとしたならば、本書の試みは大成功なのだろう。
個人的には、目新しさはなかったので星3つ。初めてこういうものに触れる人には、もっと値打ちが上がるかもしれない。
ただし、本来は伝えたいことは作品上でやってほしい、本なんか書いてる場合か。とも思うのである。