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“私は独裁者たちの人生についての喜劇映画を作る。それが、世界中にとても健康的な笑いを生み出すだろうことを望んでいる。”(p.125)チャールズ・チャップリン
わずか4日違いで生まれた、喜劇王チャップリンと独裁者ヒトラー。一見全く違う2人にはある共通点があった。特徴的なちょび髭と、メディアを自在に操る天才的な力である。
チャップリンは全体主義の危険性を、それが形成されつつある初期の段階から見抜いていた。全体主義化に警鐘を鳴らすべく製作に取り掛かった『独裁者』だが、
反ナチス、反ファシズムを題材にした映画の製作に対し、ドイツの同盟国をはじめ多くの国から反対の声が上がる。
そのような状況で自らの信念を曲げずに映画制作を進めたチャップリンの姿が勇ましい。
チャップリンがここまで映画というメディアでの表現に命を燃やしていた人物だったのかということに驚いた。
著者は日本チャップリン協会会長であり、チャップリンが歩んだ経歴や『独裁者』以前の作品でのエピソードなども書かれていてとても読み応えがあった。
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録画したまま放置していたNHK歴史秘話ヒストリア「五・一五事件 チャップリン暗殺計画」を視る。コメントを述べる大野裕之氏の背後に本書の背表紙が見える。俄然 読みたくなる。
長らくチャップリンはユダヤ人だと誤解していた。それは異父兄シドニーの方で、彼本人はロマ系だった。
もう一つ、ヒトラーは小柄だと思い込んでいた。少し前にフランコと並んだ写真を見て、意外に長身だと思っていた。175センチだから、欧米人なら普通の部類だろう。
上記二つの誤解は一にかかって「チャップリンの独裁者」に拠るものだ。
他の大野氏の著書などで、我らが黒澤明をしのぐチャップリンの完全主義に接していたが、改めて思い知る。ここまで妥協しない姿勢は空前にして絶後だろう。
わずか4日違いで生まれた喜劇王と独裁者は、ともに映像と音声の新興メディアを活用し、頂点へ駆け上がってゆく。そして前者は後者に致命傷を負わせる。
当初の構想では、独裁者に間違えられた床屋の演説に感動した兵士らのリアクションが描かれ、撮影もされている。そのままでは物語は閉じてしまう。演説は映画的構成の破綻を怖れず、第四の壁を超え、観客に向けて語られる。
「独裁者」の公開後、ヒトラーが人前で演説する回数が激減したのは数字の上で明らか。「笑い」の勝利だ。
兄シドニーが撮影したという撮影風景のカラー映像、いつか観てみたいものである。
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読み物として非常に面白かった。
チャップリンとヒトラーという二十世紀の同時期に存在した天才。片や光、片や影として歴史に名を残した。
歴史ロマンや必然としか言いようのない歴史の偶然を垣間見ることが出来た。
マイナスの力は所詮プラスの力には勝てないのだと思った。
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最近、軽めの本ばかり読んでいましたが、こちらはいろんな意味で、ずっしりと読み応えがありました。何度も確認しながら、ゆっくりと読みました。
***
ヒトラーとチャップリン。
恥ずかしながらわたくし、どちらもほとんど知りません(恥)。
ヒトラーは学生時代、授業で習ったっけ???というほど(テストに出る歴史的事実以外は)知らない。(恥。涙)。
手塚治虫の「アドルフに告ぐ」のヒトラーのイメージでしかありません。
チャップリンは、大学1年生、とある教授のゼミにお邪魔したとき、話しの流れで、映画を見せていただいたことがあります(多分「モダン・タイムズ。」)近代化の光と闇、みたいな話でした。
・・・ただそれだけです。観たのって。
なので、「独裁者」は観ていません。
(10代のころ、テレビでラストの演説だけチラリと見たことがありますが、ただ退屈なだけでした。
今、この本を読んだ後に観たら、また違った気持ちになれるかもしれません。)
必ず探して観なくては!と思いました。
一番驚きなのは、まさにヒトラーが権力に上り詰めているそのとき、チャップリンはこの映画を作成した。
ということでした。
世相、チャップリン、ヒトラー。様々な資料を読みながら
歴史を「眺める」ことができます。このまま映画になり得そう。
全然関係ない映画ですが「戦場のピアニスト」をもう一度観たくなりました。生きることに、勇気を与えてくれますよね。
良書です。時間があるときに、じっくり読むことをおススメします。(通勤の合間に読むのはおススメしない本です。休日に、じっくり読むことをおススメします)
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『独裁者』をそのアイデアの始まりから、台本の成立過程、さらにはコールシート等で撮影の進行を辿りつつ、その都度メディアや当時の英米独政府の神経質な対応を挟み込んでいるので、まことに臨場感あふれたドキュメンタリーとなっている。チャップリンは大戦後、アメリカのレッドパージで国外追放されたが、その種はすでにこの『独裁者』制作の時点で撒かれていたのがよく分る。
それにしても日本公開が1960年だったという事実には驚かされた。当時、筆者は小学生で、3学年ぐらいがまとまって映画館にこの映画を見に行った記憶があるが、それは初公開のときだったようである。地球儀のダンスが飛びぬけて面白く、最後の演説がずいぶん長いなと思ったが、それが6分ほどのものでしかなかったという点にも、驚かされた。
いろいろな点で、発見の多い労作である。
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凄まじい本だった。
「独裁者」の発想から制作、公開に至るまで非常に丁寧に書かれている。あの映画は、ヒトラーも当然存命中(というか現役で演説で叫んでいた)に、大逆風の中撮影されていたのだ。
そして、チャップリンはむしろマッカーシズムの攻撃を受けていたことにも驚いた。ナチス以上の嫌がらせ、そして攻撃だったことにも。
著者大野氏のプロフィールを見て、さらに驚いた。自分と同年代だったのか!
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イソップの「北風と太陽」を
思った
今でも
ドイツ、フランス、ポーーランド、イタリア
の 国々から
第二次世界大戦をテーマとする映画が
産み出されている
つい先日も
「パリよ、永遠に」(独、仏 共同製作)を
観たばかりだ
反戦 とか
非戦 とか
むろん みんな いわずもがな
のことである
声高に叫ぶのではなく
淡々とその抵抗の事実を学ぶ
その 手法に 学びたい
ユーモアという戦争に対する
最大の武器を見事に
その人生の一部に織り込んだ
チャップリンに
あらためて敬意を表したい
こんなすてきな作品を
著した大野さんにも
むろん 敬意を表したい
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ラストの感動的な演説シーンで有名な、チャップリンの『独裁者』。
チャップリンとヒトラーという同じちょび髭を持ち、異なるベクトルで世界の頂点に君臨した両者が、メディアというフィールドの中で間接的に繰り広げた闘いを丹念に描いた作品。
ユーモアの普遍性と、それをまっすぐに信じて世に訴え続けたチャップリンの偉大さを思い知らされる名著である。
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チャップリンとヒトラー
メディアとイメージの世界大戦
著者 大野裕之
岩波書店
2015年6月25日 発行
9月ごろに読んだ本。
著者は1974年生まれで、10年以上前に仕事でお会いした時にはすでに、若くして世界屈指のチャップリン研究家と言われていた。京都でミュージカル劇団も主宰している。
最初に著者は「本書は二人の伝記ではない。本書は、チャップリンとヒトラーの〈闘い〉を描く。」と宣言している。1889年に4日違いで生まれた2人は、20世紀でもっとも愛された男ともっとも憎まれた男になった。この本を読むまで、チャップリンの「独裁者」は喜劇というビジネスと多少の正義感で作られたように思っていたが、実は違った。ヒトラーはチャップリンという存在を警戒し、妨害をはかっていったことが読んでわかった。相当やばい状況まで追い込まれたが、決して屈せず、独裁者を作り抜いたチャップリンの姿が描き出されている。それにしても、反ヒトラーのアメリカですら、チャップリンを邪魔し、「赤」扱いするというのは示唆するところが多い。
非常にすぐれた本だった。
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同年に生まれた喜劇王チャップリンとヒトラーは、世界に対する表現行動から見ると対照的であった。本書は、主にチャップリンの『独裁者』が生まれるまでの創作過程を綿密に追うことで描いている。20世紀の2つの大戦をつなぐ時代にキャリアの成長期を経験した二人は、自分が世界に何をもたらしうるかについて、深く考え、実際に大きな影響を及ぼしたわけだが、そのベクトルは異なる向きであり、表現活動は対立せざるをえなかった。
本書は、最近「どこまで言って委員会」で露出の増えた大野氏の、芸術創造に関する学術の香りが漂う力作だと思う。クリエーターという人種が、一つの作品を作るためにどれだけ熟考を重ね推敲を繰り返し努力するものなのか、というのが手にとるようにわかる。
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右にヒトラー、左にチャップリンを配した表紙絵が印象的である。
映画『独裁者』(The Great Dictator)が公開された1940年のイギリスの雑誌("All Family News Magazine")の表紙絵である。
片や、20世紀最大の恐怖の独裁者、片や、数々の不朽の名作を生んだ喜劇王。
実はこの2人、1889年4月、わずか4日違いで誕生している。
長じて似たようなチョビ髭を生やした2人だが、その生涯が非常に異なることは周知のとおりである。
本作では、映画『独裁者』を軸に、チャーリー・チャップリンがアドルフ・ヒトラーに挑んだ「闘い」に迫る。
チャップリンが監督・主演した『独裁者』というのはなかなか独特の映画である。
喜劇でありながら独裁体制を鋭く批判する。どこか薄ら寒い狂気を孕みながら、全体は笑いに包まれる。
架空の国、トメイニアの政治家ヒンケルと、ユダヤ人の床屋(チャップリン2役)は、運命のいたずらで風貌がそっくりである。
床屋は戦争に駆り出され、負傷の末、記憶喪失となって故国に帰る。人々は彼を温かく迎え、彼はそのうちの1人、ハンナに恋心を抱く。
一方、ヒンケルは政変に乗じて独裁政権を打ち立て、国民の不満をそらそうとユダヤ人迫害を行う。
ヒンケルの側近シュルツは悪政をいさめるが逆に解任される。戦場で彼と知り合っていた床屋はシュルツをかくまう。ヒンケル暗殺を企てるもうまくいかず、床屋とシュルツは突撃隊に捕まって収容所に送られ、ハンナは隣人らと隣国オスタリッチに逃げる。
別の隣国バクテリアでも独裁者ナパローニが誕生しており、ヒンケルとは腹の探り合いである。互いにオスタリッチを侵略しようとしている。
床屋とシュルツは収容所を脱走、オスタリッチを目指すが、国境で警備隊に捕まる。だが、警備隊は床屋をヒンケルと間違える。「独裁者」に成り代わった床屋は、大群衆の前で演説をすることになる。
冒頭の戦場での塹壕シーン、飛行機が逆さになるシーン、逃げようとする床屋が屋上から突き出た角材から荷物をぼろぼろ落とすシーンと、チャップリンお得意のドタバタ喜劇シーンも満載なのだが、出色はヒンケルが風船状の地球儀と戯れるシーンだ。世界を手にしようとする独裁者、その夢は儚くも潰えることが、これほど美しく悲しく怖ろしく暗示されたシーンは二つとないだろう。
名指しこそしていないが、この映画が誰を批判しようとしているのかは明らかである。
ナチスがこれを手放しで許すはずもなかった。
今でこそナチズムの怖ろしさは知られているが、当時は躍進するドイツに好意的な目もあった。構想されたのは1939年。ユダヤ人への迫害もいわゆる最終解決の段階には至っておらず、絶滅収容所の惨状が知られるのははるかに後のことである。
映画の企画段階から、ナチス・ドイツや同盟国イタリアによる罵詈雑言のイメージ戦略だけでなく、チャップリンの母国であるイギリスからも圧力がかかった。制作を進めていたアメリカでも中止を促す動きがあった。脅迫の手紙も多数届いた。
しかし、チャップリンは制作を頑としてあきらめなかった。
本書では、チャップリン家に残された膨大な資料から、制作の裏側を追う。
その過程で明らかになってくるのが、妥協を許さなかったチャップリンの姿である。何度も何度も構想を練り直し、既に撮影したシーンであっても作品にそぐわないと判断すればカットし、実に周到に丹念に作品を作り上げていったのである。ヒンケルの出鱈目ドイツ語演説の部分は、一般的には日本語字幕が付かないが、背景にはきちんと意味がある。このあたりの分析も非常におもしろい。
チャップリンは、最後の最後まで、作品の完成度を高めようとしていたのだ。イデオロギー映画でもプロパガンダ映画でもなく、1つの喜劇映画として。
チャップリンは資料映像として、ヒトラーの記録映画を何度も何度も見ては、独裁者としてふるまうヒトラーの「役者ぶり」に感嘆していたという。
チャップリン自身、ヒンケルの扮装をすると人格が変わるようだったという証言がある。息子によれば、チャップリンはヒトラーについて「半分は恐怖、半分はなんだかひきつけられる思い」を抱いていたという。
「ちょっと考えてみろよ。彼は気違いだよ。私は喜劇役者だ。しかしその反対になっていたかも知れないのだよ」
この言葉はなかなか含蓄深い。
映画は床屋の演説で締めくくられる。
本書もこれを引いて結ばれる。
数々の映画でその姿を知られた小さな「チャーリー」が、床屋であるのに独裁者と間違えられたその男が、実に愚直に理想を語る。額からは汗が噴き出る。
その姿が、徐々に喜劇王チャップリンの素の顔に見えてくる。
「全体主義」という狂気に立ち向かうために、1人の小男が選んだ武器は「笑い」だったのだ。
著者は、研究者でもあるが劇作家でもあり、日本チャップリン協会会長でもある。
チャップリン愛に満ちた1冊。
読めば『独裁者』を見直したくなること必定である。
Posted by ブクログ
・チャプリンはキャラクターイメージの概念を発見した人物。肖像権確立させた。
・トーキーに対抗するために「街の灯」全般にみずから作曲した音楽と効果音をつけて「サウンド版」として公開した。チャーリが声を出した瞬間にそれまでのイメージを壊してしまうから。
・世界旅行中にしたためた「経済解決論」と題した論文でヨーロッパ通貨統合を唱えてその通貨を「リーグ」と名付けていた。
私は独裁者たちに関する映画製作を断念したという間違った新聞報道のためにはっきりと述べておきたい。
・「私は、この映画を作るというもとの決心から揺らいだことはない。私がこのアイデアを諦めたという類の報道は、過去・現在、そして未来においても、どんなものであれ真実ではない。私は、脅迫、検閲、その他について心配していない。私は独裁者たちの人生についての喜劇映画を作る。それが、世界中にとても健康的な笑いを生み出すことを望んでいる。」
→当時アメリカの世論調査で反ユダヤ主義90%財界はナチスに投資し親ファシズムとも言える国だった
・ヒトラーがパリ入城を果たした翌日、チャプリンはあの演説のシーンに臨んだ。
Posted by ブクログ
4日違いで生まれた、チャップリンとヒトラー。髭のカタチが結びつけた、その因果をチャップリンの「独裁者」を軸に語り尽くしている。いちばんうなずかされたのは、「独裁者」のデタラメドイツ語に都合のいい通訳がついていることの指摘。ドキュメンタリー映画にはご都合は盛り込まれている、毒が含まれていることを、自らのテリトリーである「映像」をも笑い飛ばしながら、毒で毒を制している。マクルーハン尾「メディアはメッセージである」というコトバを引用しながら、ナチスの「ドキュメンタリー映画」が存在する、という時点でそこには洗脳の、愛国への盲進へのメッセージが含まれている。ラスト、ハンナが「HEAR」ではなく「LISTEN」を用い、能動的にその演説を聞くんだと観客に促しているのもすごい。ナチスへの抵抗だけでなく、人類の全体主義への傾倒に対する抵抗の武器を残したチャップリンは偉大だと思う。「独裁者」を初めて見るいい機会になった。コメディアンとしても超人的でふつうにコメディとしても秀逸だった。
Posted by ブクログ
独裁者が作られた歴史的、政治的背景とチャプリンが受けていたプレッシャーがよくわかる。とても読みやすくて楽しみながら読めた。
チャプリンがヒトラーを「役者」として評価する発言をしていたというのが印象的。
Posted by ブクログ
かつて見た映画「独裁者」を思い出しながら読んだ。この映画がまさにヒットラー全盛期に創られたということは驚きである。ヒットラーが破れた後であれば、どんな反ナチスの映画も創られただろうが、同時代の政治家をあそこまで笑い者にするとは。チャップリンだからこそ出来たことだろうし、まさにこの映画のヒットにより、ヒットラーに勝ったのである。
Posted by ブクログ
知らなかったのですが
チャップリンとヒトラーは
4日違いに生まれたそうです。
同じ歳 同じ星座でも
こんなにも 性格が違うのですね~~(まぁ当たり前ですが)
見た事がありませんが
「独裁者」という映画を作ったのが 第二次大戦の頃とはとても驚きです。
戦時中にこのような映画を作るとは。
日本に来た時も 暗殺されそうになったチャップリンですが この「独裁者」という映画を作る事で 暗殺されそうになったそうです。
命をかけてまで 作った映画。
一度は見ないといけませんね。
ラストの 演説のシーンは you tubeなどでも見られます
Posted by ブクログ
チャップリンとヒトラーの人生と運命の交錯、偶然、様々な角度から2人を比較するのは興味深かったです。
キャラクターイメージを全世界に行き渡らせたメディアの王様チャップリンと、イメージを武器にメディアを駆使して権利を持ったヒトラー。
この比較は今後も様々な形で存在し続けることを心に留めておきたいと思います
★3.5 2019/5/19
Posted by ブクログ
フォトリーディング後、高速を交えて熟読。
良書。
ただ、私が考えていたチャップリン=ユダヤ人が冒頭で否定されたので、当初予定していた情報収集を軌道修正させられてしまい、そんな個人的な理由で気分が乗らない読書であった。他の人が読めば、チャップリンとヒトラーの奇妙な運命の偶然に目を見張ることと思う。
(チャップリンはイギリス人。母にはジプシーの血が混ざっている。異母兄弟の兄は、彼らが信じるところでは、ユダヤ人の血が混ざっている。チャップリンはナチスから激しくユダヤ人差別を受けるが、それを意図的に無視。相手の土壌で戦うことは、ユダヤ人差別に荷担すると考えたため。)
下記に付箋を貼った箇所の要約をのせる:
9-10:第一次大戦中のフランスの野戦病院では、寝たきりの患者が鑑賞できるようにと床に映写機をセットし、チャップリンの喜劇を見せていた。戦後多くの人がチャップリンに感謝を伝える。
16:ヒトラーのちょび髭はチャップリンのまねという説があるが、記録からそれは否定できる。どちらも同じ時期に自発的にちょび髭をつける。生まれも4日違い。(後にヒトラーのパリ凱旋と、「独裁者」撮影開始がほとんど同慈悲である事を、著者は運命的な者と指摘。)
39:515事件で犬養毅が暗殺されたがそれは実行犯による、チャップリン歓迎の食事会への参加者とチャップリン本人を狙った犯行であった。すんでの所でチャップリンは参加をキャンセル。
76:フランスの映画雑誌にチャップリンは「リズム」という短編小説を発表。1938年四月。ここの思想信条や政体よりも、リズムが時代の流れや人の行動を決めるという示唆的、暗示的小説。(著者は他にもチャップリンの予言的指摘として、「ユダヤ人の強制収容」などを記す。:86)
124-126:戦前のアメリカはヒットラーを好意的に捉え、ユダヤ人に対する感情は厳しかった。チャップリンに対する批難も高まる。
128:一方ヨーロッパではチャップリンに対して希望を抱いていた。
138:「独裁者」撮影時、衣装がチャップリンの言動を変えた。チャップリン自身も尊大な、イライラした言動を、独裁者の衣装のせいであると自覚。運転手を怒鳴りつけて反省する。
180-181:チャップリンとヒトラーの戦いのクライマックスは、独裁者の最後の演説のシーンにきわまる。
210-211:独裁者はアメリカ参戦前に公開。米国批評家は酷評するも民衆は大喝采。またヨーロッパでは官民が諸手を挙げて公開を大歓迎。(参戦したい米国首脳部による民衆操作が、米国批評家の酷評になったのかも?しかし民衆は正直)。
230:チャップリンの独裁者ラストシーンの演説が、世界中に行き渡った時期に、ヒトラーの演説が急速になりを潜める。かつて精力的に演説活動をした独裁者は、実権を握り敵をユダヤ人と定め、戦争を開始したが、全てをユダヤのせいにする彼の政策は、戦争の配色もユダヤの性にする苦しい状況になる。演説がもう出来なくなっていたヒトラー。