【感想・ネタバレ】重い障害を生きるということのレビュー

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Posted by ブクログ

まずは、第一歩。あのような事件が起きた今、障がい者を本当に尊いと考える第一歩になりました。知らないということは恥ずかしい。逃げていてはダメ。命を考えさせられる本。

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2016年08月21日

Posted by ブクログ

とても優しい視点を感じる本。
ただ優しいだけではなくて息を飲むような重い障害に、毅然と対処しようとする優しさ。

重障害を抱え、自らの身体能力ではただ生存することさえ難しい人たち。神経や筋肉が発達しないために動くことはおろか姿勢を保持することもできず、呼吸をすることですら体力を消耗する。思考や感覚が朧ろで外界を捉えられず、すべての刺激に混乱と恐怖をきたす。
そういう人たちにとって、生きているとはどういうことなのか。彼らを生かしているとはどういうことなのかを静かに、真摯に考えている。

障害とは、人類が脈々と子孫を残し進化したりしなかったり無数の取捨選択の上での試作品なのだ、と著者は言っています。すでに彼らは闘って、何らかの痕を遺してきたのだと。
この考えがこの本の目玉だと思う。
これを読んで泣きそうになりました。

著者は世界を捉えられない人でも、太陽のしたで開く花のような原始的な気持ち良さを感じることはできる。その反応はとても細やかで、いつもは強ばっている筋肉が僅かに和らいでいるというような反応かもしれないけれど、それを与えてあげられるように思いやるのが重障害者への介護ということだと言います。

もしも私に障害があったらこの先生のもとで勇気をもらいたい。
もしも身近に障害を持つ人がいたらこの人のように接したいです。

ちょっと整理しきれていないけれど、これが感想。

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2013年12月12日

Posted by ブクログ

重い障害を生きるということ 高谷清 岩波新書

障害の問題に関係なく皆に読んでもらいたい
内容の濃い素晴らしい本だし咀嚼されていて分り易い

医者である前に人間として活きている人が
この殺伐とした競争原理至上主義の現代社会にもいたのだ
特に感銘するのは管理による強圧的な恐怖で
人間をつなげて社会を育てようとすることへの疑問視である
強度の不快を避け快の部分で自分を認識していくべきだとし
2次元3次元という空間的問題や
機械的時間と意識上の時間の問題にからんで
過去・現在・未来に付いての具体的な考察
過去が過去にあるのではなく現在にある過去
今にある今・今に存在する未来と時間を捉える
記憶も、今思いを巡らしている記憶として思う
更に意識についても外在意識と内在意識を相対させて見る
社会に媚びる気持ちと社会に参加して創ろうとする気持ち
そして関係を創る存在としての自分と表現を
重い植物的に見える障害者の一人ひとりに見いだしていく

通常の状態に向かう可能性もなく意思の疏通もなく
植物のように在るだけという状態で
しかも苦しそうであるのを見ると自分が辛く
アサハカにも
「生きていること自体がかわいそう」に見えてくる
しかし本当にそうなのだろうか?と深く追求する必要があると

一般に健常者と呼ばれている範疇の人々も
様々な理不尽な状態に追い込まれて苦しんでいないだろうか
金持ちで地位があって快適そうに見える人だって
それを何時なくしてしまうか不安におののきながら
益々欲張りになって相手に勝つことや搾取に没頭して
お金を溜め込んでいるのではないだろうかと思ってしまう

だとすれば摩擦と付き合うことでお互いに何らかを発見して学び
消極的にしる積極的にしろ生きる苦労を楽しんでいるのではないだろうか
食いつぶす依存と違う納得尽くの共生関係は喜びを生み出すはずだ
この世に答えなど無い無限の多様性が流れる大自然の真理としか言えないけれど
それを
視野の狭い人間が勝手に手を下せる問題でないように思える
植物人間と呼ばれるほどの重度の障害者との交流にも
簡単に言葉で通じ合えないが故に見えない脈を打っている何かがそこにある

「反応がなければ意識はないのか」と彼は問う
医学では意識を刺激に対する反応で段階分けしている
筋肉が緊張し萎縮して固まっているいるだけで意識がないとは言えない
そんな場合に植物人間として見放すことは理不尽以外の何モノでもない
外部刺激に対する反応に対して「外在意識」として反応がなくても
「内在意識」や「内面感覚」があるかも知れないと言う
同じような刺激に対して信頼関係があることで違う反応を起こし得る
不安による緊張で呼吸の乱れるのとトキメキによって活性するのとでは
見た目に同じような反応でも本質的に違うだろう
通じた者にだけ分かる反応がある
五感以外にも不安安心や苛立つとか癒されるというような印象や雰囲気がある

著者は例える
古事記に骨のない水蛭子(ひるこ)を葦舟で海に流すという話があり
それが後に「恵比寿」となって大漁をもたらす福の神となると
日本では古くから障害者を福の子として大事にしてきた事例を示している
つまり体験することでしか得られないその人だけの気付きがあるということである

反応ではなく人間関係だということ
不安を醸しだしてしまえば不安定になり緊張が起こって反作用が現れる
信頼関係や納得があれば反応がおこらず協力体制の中で楽しくことが運ぶ
人間的な意識は協力・分配・共感によって自己の存在を確認できる

器官的には能が、そして機能的には自意識や理性が働いて人間となるのでなく
能は各器官が総合的に有機的に働けるように「統合する」という役目を分担している
すべての部分が協力分配共感している実体が人間なのだとしている

人間は弱い生命体だったからこそお互いに一体感を持って
協力分配共感を大事にしてきた
そのことが逆に能の成長を促して
反射的に反応することから統合的な判断を手に入れた
それを過剰に意識した人間は結果として能を「中枢」として捉えてしまう
中枢には情緒・感情・知能・意識が発達し意識を意識するようになって
自意識・自我が生まれ損得感から欲望に走り共生と異なる依存心が生まれる
依存心を持った人間は虎の威を借りるように強くなり
邪魔になった協力と分配と共感を捨ててしまいう
依存による支配と従属によって搾取し合う競争がおこり
孤独な恐怖社会を作り出したのだろう

小林提樹と島田療育園=多摩市に医療と福祉の二重の性格を持つ施設を建設
1961年その当時すでに社会は変わりつつあったらしい
福祉も医療も社会復帰して見返りが得られる者が対象であると
公然と言われていた状態が揺れ動き出していたという

天野熊吉と秋津療育園=西武線秋津駅
自らも捻挫と骨折によって「不具」となり
その負い目を母に追わせることを避けるために宛もなく家を出る
その後の生活の悲惨さの中でキリスト教と出合い洗礼を受ける
障害者が差別社会の中で見世物にされたり貧しくひがみを強くしていることに気付き
施設をつくることに人生を注いだ
戦後は調停委員の嘱託のなり多くの障害児故の離婚に出合う
そうした中で身投げの子を引き取りスラム街に住み着き捨て子たちの面倒を見る
当時の施設は訓練によって社会に貢献できる者を対象としていた
訳書も相手にしてくれずどうにも生活できなくなり
寄付を募っている時にNHKの「日本の素顔」で取り上げられて評判となり
寄付金が集まり秋津駅のそばに空き家になっている養護ホームを借りることになる
水上勉が中央公論に書いた「拝啓池田総理大臣度」の記事によって世論が揺れ
あゆみの箱やオギャー献金運動で政府に影響を与えた

糸賀一雄とびわこ学園=
池田太郎と田村一二の二人に求められ
三人で敗戦の中、近江学園を1946年に創設する
恐怖心と憎悪に満ちた引揚者に戦災孤児など激増する入園児を抱えて
職員のモットーとなる「近江学園三条件」をつくる
それは四六時中勤務・耐乏の生活・不断の研究である
行こ場のない知的障害児が増える一方で
児童養護施設から精神薄弱施設となった
大見学園の研究部では
一、発達について当時の学説と異なる考え方を打ち出した
発達は社会性の量的拡大でなく認識の仕方が質的変化することであり
社会に適応する過程より獲得と自己変革の過程である
二、発達には認識の高次化という「たて」の筋道がある
これは早い遅いにかかわらず人間にとって普遍である
また、「よこ」へ広がる個別性がある
三、教育は人格を保証し発達状態に沿った個別の対応が必用である
これらをまとめて「発達権」と位置づける

障害も個性の一つと認識できればそれだけ豊かな環境で
学びながら暮らすことができる
分かっていながら今持っている不当でわずかな権利を
潔く捨てられずに
後出しジャンケンをしようともたついているのが
私達アサハカな人間である

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2012年10月08日

Posted by ブクログ

重い身体障害と重い精神発達遅滞を併せ持った重症心身障害児(者)の施設で働く医師が、障害者と接しながら人間や社会、生きるということの意味について思索する。脳も感覚器官も機能していなくても、筋肉の硬直や分泌など動きうる体のあらゆる反応で、重症心身障害者たちがよりよく生きようとする姿を通し、障害者も健常者と同じく自ら輝きたいと願う人格をもっており、互いにその人格を認め合うことが、あるべき人間や社会のあり方であるという。こういう世界があることを知らなければ、想像のしようもない人間についての思念であった。そういった著者の思索、また、重症心身障害者への社会の対応の歴史、障害者の症状や療育の実態などもわかりやすく説明されている。

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2012年02月29日

Posted by ブクログ

重要な本だと思う。偉い。





うーん、現場の医者であるということはたいへんなのだな、とか。とにかく貴重な現場の声。特におそらく「超重症児」とかのデータは重要なのだろうと思う。最後の5章の4の部分、もっと書きたかったけど書けなかったか、書くことがなかったのかどうなんだろう。夏に出した「パーソン論」批判の論文なんか見た印象ではもっと書くべきことをもっている方のような気がするけどな。



80年代のNICUの普及とその影響に対する評価とかもう少しお聞きしたかったところ。ていうかもっと高谷先生本人の視点に近づけた方がよい。タイトルは『重い障害を診るということ』の方が適切だったのではないか。ここらへんは編集者の課題だった気がする。大山美佐子さん。

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2020年06月15日

Posted by ブクログ

 重症心身障害児施設に勤務している医師によって執筆された、タイトル通り重い障害をもった子が生きるとはどういうことなのかを論じた本。
 ネットでこの本のレビューを見ると、某知事が物議を醸す発言をしたこととこの本の内容を結びつけ、知事を批判している方が多いが、私も正直なところ、本書に記されている子達の症状を読み始めたところ「知事がそう思ってしまうのも無理も無いのではないか」と感じていた。読み終えた今も、「命は大切な物」という倫理を分かってはいるのだが、これが正しいあり方なのか、自分がこのような子を授かったときにはどうするだろうかと、心のそこから納得できないでいる。
 とはいえ、患者とその家族と密接な繋がりである医師であるからこそ伝えられる言葉は、健常者が受ける医療にもつながるものがあり、大変ためになる。

 「障害のある人にとっては、医療というのは病気を治したり障害を軽くするために存在するのではなく、本人から生活を奪う存在になっているのではないか、ときには人権を侵害しているとの実感をもった(医師の心無い発言に傷ついた親、入院している病院の保母・患者の声を聞いた時の感情)」
 「人間の精神は、理由の分からない耐え難い不安と恐怖にさらされたとき、自らの身体を殺してしまうことによって、終息させることがああるという恐ろしくも尊い事実であった(入院してきた子が親から離されてから数時間で亡くなってしまったときを振り返り)」
 「移動のままならない重い身体障害のある人達は、過去の実際の経験。つまり「記憶の現在」が貧しく、現在を生きることの貧しさ、寂しさに繋がっているのではないかと考えるのである(臥床状態にある人は平面の二次元世界に存在しており、三次元で物事を捉えるということが難しい。また、同時に時間の経過を感じにくく、思い出も少ないのではと推測した際に)」

 意識がない、とされた子が医師や看護師との触れ合いを通して「表情」を見せるようになったり、頻繁にお見舞いに来れない父親が来たときは少し身体を強ばらせるなど、「快適な環境をつくることと人とのふれあい」が施される側と施す側のお互いに生きやすい社会を作っていける、という趣旨の文章を最終章に載せている。三人の偉大な人物の創った施設で、今日も慌ただしくも穏やかな時間が流れているのだろうか。


自分用キーワード
びわこ学園 抱きしめてBIWAKO(重症心身障害児施設の新築移転費用を調達するために行われた運動) 障害焼け跡論(医療は火事の最中のような「病気」に対しては出動して病気を治そうとするが、燃え尽きて「障害」になったら出動しないのではないか、という考え) 点頭てんかん コーヒー残渣様嘔吐 後弓反張(筋肉が緊張し弓なりの姿勢になること) シーシュポス 水頭無脳症 カクテルパーティー効果 グラスゴー・コーマ・スケール 閉じ込め症候群 滑脳症 誤嚥性肺炎 小林提樹(島田療育園の創設者の一人) 草野熊吉(秋津療育園の創設者) 糸賀一雄(びわこ学園の創設者) 大島の分類(大島一良という人物が作成した重症心身障害の分類表) 不随意運動(アテトーゼ、ヒョレア、ジストニアなど) ノーマライゼーション(デンマークのバンク・ミッケルセンが提唱) 水蛭子 

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2013年10月13日

購入済み

昔から

この本が発売されて、間もない頃に紙面で買いました。折り目がつくほどに…。この本を見て自分の障害と重ね合わせ、色々参考になることばかりでした。
そして、電子でも読めることを知り、本でなく、電子に切り替えたくなり、再購入。これで綺麗な状態で、読みやすくなりました。今後も愛読書です

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2021年01月24日

Posted by ブクログ

重度障害者への医療福祉に長年従事し、施設設立にも携わった医師による手記。
以下、本書の「はじめに」より。

びわこ学園では、心身ともに重い障害のある子や成人が生活し、必要な医療と介護を受けている。
障害の程度は、身体的には「ねたきり」の人が多く、知能的には「ほとんどなにもわからない」と言ってもよい状態の人も多い。

見学に来られる方は、あまりの障害の重さに息を詰め、言葉なく立ち尽くされていることがある。
それは、その人たちの人生で、出会ったことも想像したこともない姿ではないかと思うのである。
こころに立ち現れてくる気持ちを自分でもつかめず、その気持ちをどう表現したらよいかわからず、感想や意見を述べることができない様子であるが、それでよいのではないかと思う。
この経験が、その人の人生になんらかのかたちで影響があるかもしれないということでよいのだと思う。

過日、外国のグループでの見学があった。
その人たちは「かわいそうに」と表現していた。
日本人のグループでも、重い心身の障害で生きている姿を「かわいそう」と思い、そのように言葉にする人もあり、別に違和感はなかった。
だが、よく聞いてみると、「これだけ重い障害があるのに生かされているのはかわいそうだ」という意味であった。

では、この人たちに医療をおこなわず、生活の介助をせず、死に委ねるのがよいのかということになる。
それは違うであろう。
だが、このように根本的には改善の余地がないように思える重い心身の障害のある人が、人生を生きていることがほんとうに幸せなのか、という問いが残る。

本書を執筆しようと思ったのは、多くの方に「重症心身障害」の状態で人生を生き、生活している人たちのことについて知っていただきたいのと、「ほんとうに、生きているのが幸せなのだろうか」という自分自身の問いでもあることに答えたいと思ったことからである。

それは、人が「生きるということ」について、また人の「生きる喜び」、人の「生きがい」などについて考えていくことになる。
それは、人間というのはどのような存在なのか、どのような生きものなのかということ、さらに社会の在りようにも広がっていくと思うのである。

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2019年06月02日

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いのちそのものの価値、共感・協力・分かち合いの素晴らしさを教えてもらいました。
素晴らしい本。涙が出ました。

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2012年03月26日

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この子らを世の光に。
また、ある方は、「この子たちに私たちは癒やされる」と言った。

そうしてまで生きていて幸せなのか?
年を重ねていくなかで、今、誰もが問われる可能性がある時代になった。
それでも生きていくことは、大切なのだと、改めて心に刻もうと思う。

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2012年02月21日

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この人たちにあるのは「いのち」だけであると言える。この人たちが大事にされるということは、「いのち」が大事にされるということであり、この人たちが粗末にされるということは「いのち」が粗末にされることである。
印象的な言葉でした。
びわこ学園を訪れたのが、40年ほど前になることを思い出していました。

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2011年11月15日

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重い障害があるということはどういうことなのか
体も動かせず、会話もままならないことは
生きていても仕方がないということなのか

そうした質問を提起しておきながら
そのヒントに「人間関係」を提起している

人と人との関係が、どれだけ重要か
体の反応、機能にどう影響するかを教えてくれた

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2011年10月30日

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人間は元々弱い存在で、だからこそ同じ人間同士で共感したり、分かち合ったりしてここまで歩んできました。

にも関わらず、時にそういったことを忘れ、社会的弱者に対して排除につながるような考え方を持ってしまっている自分がいることに気づかされました。

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2022年12月21日

Posted by ブクログ

重い障害を生きることはどういうことなのか。
また彼らをとりまく環境の変化など、福祉の歴史についても書かれている。

近江学園の創設者である糸賀一雄の「どのように重い障害があろうと、人間は同じである」という言葉は一見当たり前のことのようだが、本当にこの言葉の意味を理解できているのか私自身、自信が持てない。
頭で分かっていても体験的にはゼロであるがゆえ、実際に障害者と接した時に本当の意味で理解できるのではないかと思う。
糸賀氏は障害者であれ人間は同じということを、体験的に嫌というほど感じさせられたのではないかと思う。
それゆえ、この言葉には言葉以上の重みを感じた。

障害者にたいする理解がもっともっと進めばいいなと思う。

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2012年06月02日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 私も小児科医として、マイノリティの中のマイノリティが、いろいろな事情で(医学的ハイケアの必要性、家族の問題、高齢化など)自宅で過ごすことが出来ない人たちと、その子達のために奮闘する療育センターのスタッフをを知っているので、この領域の医師が、「岩波新書」に書を著したことに敬意を表する。(多いのは、マイナー出版社からの自費出版が多いので)

 重心と呼ばれる子達にも宿る感情や感覚を医師として鋭く観察し、さらに全国の療育施設の成り立ちの歴史をわかりやすく説明している。

 障害のある子を守るとする、わりとありきたりのお涙頂戴的文体とは一線を画した良著である。

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2012年04月26日

Posted by ブクログ

重度心身障害の小児科の歴史についての内容。
文章量的にも比較的読みやすい。

この分野にスポットライトはあまり当たらないので大変興味深い。

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2012年04月19日

Posted by ブクログ

重症心身障害児について、どういう状態なのか、制度などがどのように変わってきたのかが述べられている。
広く概観されているが、著者自身のかかわりも丁寧に組み込まれている。

「快」という状態には言葉もなくてもいいし、それを目指せたら、それを感じ取れたら、本人もこちらも幸せな気持ちになれるのだろうと思った
時間はかかりそうだけど、こうやって世の中に出していくことは必要な内容だと思う。

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2011年10月26日

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