【感想・ネタバレ】迷える者の禅修行―ドイツ人住職が見た日本仏教―のレビュー

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Posted by ブクログ

雲水が自給自足をしているお寺、安泰寺の現住職の自伝的な本。ミーハーな話ですが、映画にしたら面白そう。
落ち着いていて中立的な視点で書かれているのに、とても身近に感じられました。

頭でっかちと言われていた著者が、理不尽に厳しい修行(要するにいじめ…)も含め、たくさんの経験を積み重ね変化していくのが素敵です。生きることって楽しい。

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2015年08月20日

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ドイツ出身の禅僧、ネルケ無方さんの出家のお話。ヨガの先生がブログで紹介されていて以前から気になっていた本。とっても興味深く読めた。

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2014年01月11日

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以前、養老氏が禅は狂気と紙一重であり、大成するのは百人に一人くらいだろうというようなことを述べていたと記憶しているが、その当時は何のことを言っているのか分からなかったが、この本を読んでやっと分かった。日本の仏教はサービス産業化しているかもしれないが、修行自体は古風な日本の徒弟制度に則った厳しいものだったということが分かりました。キリスト教の影響が強い国で育った著者らしく、禅に対してくっきり、はっきり言語化されており、(合理化の提言までも)禅の置かれている状況が分かったような気がしました。また、現代の日本社会への苦言、主体性、自主性のない「子供」が増えているということですが、一般の世界だけでなく、禅の世界でもそうなってきていること。気をつけねばと思うと同時に、そうならない社会にするにはどうするか考えていきたいと思います。

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2011年09月14日

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筆者は1968年生まれのドイツ人。ふとしたことから、仏教・禅の修行のために来日して、そのまま日本に住むこととなる。本書が書かれた時点では、兵庫県の安泰寺というお寺の住職をされている。本書は、筆者の日本での修行体験を語ったもの。
私の妻はタイ人。私はタイで約5年間勤務していた経験があり、その時に知り合って結婚した。タイ人には仏教徒が多く、国民の約95%以上が仏教徒だと聞いたことがある。タイでは、生活に仏教が根付いているな、と思ったことが結構あった。
私が勤務していたのはメーカーで、オフィスがバンコクにあると同時に、工場がバンコクから200km程度離れた海沿いの工業地帯にあった。タイには、宗教的な年間行事がいくつかあるが、工場の周囲のお寺で社員が大勢集まり、行事を就業時間内に行ったりする。また、出家のための休暇制度があったりして、仏教の習慣が比較的身近にあるように感じた。
本書の筆者は、日本では、仏教が生活に根付いており、お寺では修行が出来ると思って来日したわけであるが、日本では、そこまでお寺が人々の生活に入り込んでいるわけではないことに気づかされ、がっかりする経験を持っている。

タイで、妻のアパートに初めて泊まった時のこと。
エアコンもないアパートは非常に寝苦しく、朝方、まだ薄暗い中、眠れないまま、当時はまだ嗜んでいたタバコを吸いに外に出た。すると、黄色っぽい衣装を身につけたお坊さんが何人か托鉢に歩いていた。とある家の前で、その家の方たちが喜捨をされているのを見た時、あぁ、これがタイの習慣なのだなと思ったし、遠くに来たのだな、とあらためて感じたことを思い出した。

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2021年01月19日

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ひょんなことから体験した禅。
実際に修行する人はどんな生活をしているのかが分かる本。日本社会が求める”お坊さん”の役割とその修業の目的が結びついているから、本当の仏教修行と呼べるのかという問題提起が興味深かった。
日本人はこんな内部事情を赤裸々に書けなさそう。

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2015年12月23日

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ドイツ人の禅僧である「ネルケ無方」さんの著書です。
外国人での禅を支持する方は多いですが、出家得度し禅僧となり、しかも禅寺である安泰寺の住職も務めているという突出した経験をお持ちです。

本人が仏道を志し、日本に渡り現在に至るまでの紆余曲折の経緯を時系列に書かれています。

私自身、禅僧の方が書いた本を何冊も読んでいるのですが、禅僧の方は常人離れした達観の域に達していると思っていましたが、この本を読んでイメージが変わりました。

普通に人間関係で揉めたり、悩んで凹んだり、逃げ出したりと、俗人とあまり変わらないですね。
まぁ、考えてみれば同じ人間なので煩悩も同じようにあるのが当たり前ですが。
ただ、それらに正面から向き合うという姿勢と覚悟が違うということでしょうか。それこそ座禅(修行)ということのようです。

著書自信が悩みつつ会得した内容なので、リアリティがあり、読んでいて非常に面白かったです。

この本でも何度か出てきますが、「離してみてこそわかる」という内容が印象に残りました。
私も離すことで変わるものを沢山掴んだままにしています。

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2013年10月20日

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ドイツ人にもかかわらず、日本の禅寺で住職を務めている方の、手記になります。
意外にも、欧米では「禅」が文化の一つとして周知されているそうで。

一貫しているのは「人の生きる意味」についての深い思索、でしょうか。
かといって悟りきっているわけでもなく、折々で懊悩されています。

 「自分だけがまともな修行をしていると思い込んで壁を作り、皆を見下していた」

また、純粋に宗教として見た場合、その理念と現実の乖離には、、
日本の仏教界もかなりドロドロしているなぁ、とも。

といっても、ビジネスとて捉えればそれもある意味道理の一つでもあり、
これはローマ法王などから見るキリスト教も同質の病巣?はあるかな、と。

 「「生きる意味があるか」と問うのは、はじめから誤っている」

ちょうどこの書と入れ違いに読み始めた『知の逆転』で、
「人生は無意味」なんてフレーズが出ていたのとシンクロしました。

それぞれのスタンスも専門も、全く異なっていながらも、
本質として同じことを言わんとしているのは、非常に興味深く落ちてきました。

こういうことがあるから「読書は刺激的」なのだと、思います。

 「人生こそが問いを出し私たちに問いを提起している」

けだし真理であると、実感してしまいました、、
ん、人は常に問われている、その在り様を、なんて。

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2013年06月21日

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故郷ドイツで禅に出会い、日本に留学して日本の禅の姿に愕然とし、ついには僧侶となりホームレス雲水となり、安泰寺の住職に。
日本の仏教のあり方に疑問を持ちつつも、無我夢中に修行することで咀嚼して吸収していく姿に心を打たれました。
坐禅、いいですなぁ〜

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2012年10月11日

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釈迦の教えに一番近い実践をしてるのが禅宗だという。禅は部屋の中でも出来るのに、わざわざ寺でしたがる観光客も多い。所詮はまねごとの内省をしたいだけなのだろう。個人的には禅よりもウォーキングの方が内省に向いている。身体の動きにより、心はただ一つに集中できる。アイデアはよく何かをしているときにひらめくことが多い。
 日本には真の意味での仏教はない。葬式サービスがあるだけである。

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2012年04月29日

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自己と向き合う禅寺で修行する著者が思い悩む様が描かれています。
何の為に日本に着たのか、何のために修行するのか、と思い悩む様は仏教の本質とは何か?という事を考えさせられる。

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2012年04月24日

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ドイツ人で禅僧ということで、理屈っぽいのかと思ったが、非常に興味深く読めた。実名入りでここまで書いていいのかな?と思うところもあったりして...禅の精神を伝えながら、エッセイとしても読めて、期待以上の内容だった。

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2011年07月16日

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仏教の教えが非常に新鮮であった。死んだときに仏になるのではなく 日々の生活の中で自分自身が仏になれるように修行するのが仏教の教えである という点はぜひ自分も実践したいとおもった。安泰寺を訪れたいとおもった。

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2011年06月05日

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ネタバレ

前々から気になっていた一冊。新書コーナーで話題作として取り上げられており、その時にも買おうかどうか迷っていたのをついに購入。海外の人が日本で日本の文化を継承しているというのを見ると、非常に心温かくなる。そんな軽い気持ちで読み始めたが、意外に厳しい仏門の世界という現実を知り、また宗教や文化差という大きい壁を見た気がする。本書は「日本の仏教文化」に対して幾度となく「理想」を裏切られ、自らの禅を生きるために日々「今を生きる」ドイツ人住職のこれまでの人生を書いたものである。
著者であるネルケ無方氏は様々なバラエティ番組やニュースなどにも取り上げられているようで、ご自身が住職をなさっている寺のHPにもその様子が載せられている。どの番組でも、この著書でも語っているのは「日本人が自分の文化である仏教を忘れている。仏教について考えを深めるべきだ。」ということなのだが、ここには少し首をひねらなければならない。なぜか。それは仏教が日本固有の文化かというと、そうではないからだ。仏教は伝来してきたものであり、日本固有の信仰といえば「八百万の神々」である。日本と聞いて仏教をイメージする海外の方は多いようであるが、実際のところそれは固有のものではない。日本人にとって一神教がしっくりこないのは、私たちの根底にある「物全てに神が宿っている」という考え方が由来しているからではないだろうか。神は一人、一つではなく、それぞれに存在し、全てに感謝するというのが私たちの考え方の大本なのではないかと思う。「日本が無宗教国家」であることに嘆かれているようであるが、それは一神教の国家から見た日本の姿であり、日本のよさというのは、寛容なのではないかと私は思う。傍から(特に海外)見れば色々な宗教がごちゃまぜになっている日本であるが、それを寛容し、受け入れることが出来るのが日本の素晴らしさなのではないか。個人的に、宗教というとどうも凝り固まった考え方を想像してしまうのだが、全てに対して神が存在しているという考え方があるからこそ、日本人の和や柔らかさというのが存在しているのではないかと私は捉えている。
確かに現代の日本には欠けているものがあるだろう。それは思想であり、大局観が全体的にかけている。そこは一神教の国であれば倫理が存在するが、それが日本には無い。確かにここでは宗教の関係性は強いと言えるだろう。しかしながら、だからと言って「仏教」という繋がりにはならないはずだ。それぞれの良い部分を受けながら、一人一人が自分の生活を大事にすることで全体としても高まっていくのではないかと思う。
「憧れ」というものは強い。その気持ちが大きすぎて現実とのギャップで潰れてしまうこともあるだろう。本書で、こういった海外の方がおり、毎日を自給自足しながら暮らしていることを知り、色々と考えさせられた。彼に学ぶことはあるだろう。しかしながら彼が素晴らしいのではなく、私たちが一人一人今の生活を見直して改善するなり、歩いていくなりしていくことが先を見通すことに繫がるのだと思っている。

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2011年05月28日

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著者はドイツから本当の禅を求めてやってきたお坊さん。理想と現実の間で仏教に突き進む姿がすごいなと思った。仏教は葬式の儀礼だけじゃなく、迷える人に寄り添い生きるヒントを教えてくれるものでいてほしい。

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2023年06月10日

Posted by ブクログ

祖父が牧師のドイツに生まれ、幼い頃から「神」の存在を疑問に思っていた少年は、寄宿舎で「禅」に出会う。
大学在学中に京大に留学、本格的な修業に入る日本の葬式仏教に疑問を抱き、真の禅に近づくための修業の恐ろしいばかりの過酷さ。

彼は「命は私を生きている、私が私を生きている」ことを悟る。

自給自足の修業禅寺の堂頭として今や国際色豊な[安泰寺」を続ける無方師に感謝と尊敬。

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2011年07月21日

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