【感想・ネタバレ】おいしいごはんが食べられますようにのレビュー

とある職場で働く人達が何を食べ・何を考えて生きているのかを、各人物の視点から紐解いていく作品。
主な登場人物は、
・食や仕事に対して俯瞰した立場で生きる二谷。
・仕事のできはイマイチだが、手作りのお菓子を持参して周囲の好感を集める芦川。
・仕事をしっかりこなす分、芦川の仕事ぶりに不満がある押尾
の3人。

構図的に芦川と押尾の女の闘いかと思うかもしれませんが、ポイントは二谷の視点から物語が始まることです。二谷の視点から見ることで彼女たちのそれぞれの考え方を理解できますし、だからこそ人間関係の難しさを実感します。同時に、読み進めると二谷の葛藤や悩みが露見していき、胸が締め付けられます。

ちなみに書店員の私は押尾派の人間です。
彼女が、毎日定時で帰る“最強の働き方”をしている人に対し発した言葉。
「最強の働き方をしてるのが、むかつくんだと思ってたんですけど、もしかして、うらやましいんですかね。なんかうらやましいのとは違うんですけど。ああはなりたくないって、やっぱり思うから。むかつくんだけど、嫌いってのとはちょっと違うし」
むかつくけれど嫌いではないし、羨ましいけれどああはなりたくない。そんな彼女の心情に共感しました。

「誰でもみんな自分の働き方が正しいと思ってる」。その人にとっての正しさを見つめ直すきっかけになる作品です。

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Posted by ブクログ

おもしろかったが、何かすっきりしない澱のようなものが残る読後感だった。何というか、色々と考えさせられたのだ。

本書は、会社員の男性・二谷と、その同僚の女性・芦川と押尾の関係を、二谷視点・押尾視点の2つの視点で交互に語っていく。

二谷は、どこか他者との関係を突き放したように見る男で、お世辞にもフェミニストとは言えない。
芦川は、以前の職場でハラスメントに合っており、今の職場では彼女に無理をさせないことが暗黙のルール。芦川自身、けっして負担のかかることはしようとしない。
同じ女性社員の押尾は、そんな芦川の態度が気に食わず、彼女に対する会社の対応にも不満を抱えている。自分だってつらいことはあるけど、それを言っちゃおしまいでしょうよというわけだ。

押尾は二谷に好意を抱いていたが、二谷は芦川と付き合い始める。食事をエネルギー補給程度にしか考えていない二谷のために芦川は食事をつくり、二谷はそんな芦川にうんざりしつつも、何となく彼女と結婚してしまうのかと思い始める。芦川は職場にもスイーツを作って持っていくようになり、押尾はストレスを溜めていく。

芦川視点がない、というのは本書の肝だろう。計算だったのか、素だったのか、本当のところ、彼女がどう考えていたのかはわからない。あくまで、二谷、押尾から見た芦川でしかない。

よくも悪くも、二谷と芦川はステレオタイプの「男性」と「女性」だ。そうした中で一番つらいのは、押尾である。仕事ができる彼女は、つらいことをつらいと言えず、かといって社内で「男性」のようには遇されない。芦川のように、か弱い「女性」としても扱われない。いわば、異質なのだ。
身近を見ていても、こういう人間関係は結構あるかもなと思いつつ、複雑な思いでページを閉じた。

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2024年05月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

帯の「心のざわつきが止まらない」という文言通り、最初から最後までずっと登場人物に対してもやもやや淡い不快感を感じていました(笑)
芦川さんが机の上に捨てられたお菓子が置かれているのに気づいても特に気にする素振りを見せなかった、という押尾さん視点の描写以降、個人的になんとなく芦川さんは二谷さんがお菓子を捨てていることや、二谷さんが芦川さんのごはんを食べた後にカップラーメンを食べていることなどを知っているのかな〜と思っていたので、最後の終わり方にはめちゃくちゃびっくりしました^^
芦川さんの描写はあくまでも二谷さんと押尾さんを初めとした職場の人達からの視点だけで、結局芦川さんが本当に何を考えているのかは一切分からない感じがめちゃくちゃ面白くて、それが「心のざわつき」の一因にもなっているんじゃないかな〜と思いました!!面白かった〜!!

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2024年04月28日

Posted by ブクログ

いい子は天国に行ける。悪い子はどこへだって行ける。

泥まみれになって子猫に手を伸ばせる「悪い子」押尾へ。あんたは大丈夫、あんたが行きたいところどこだって行けるよ。

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2024年04月14日

購入済み

心が癒されるような可愛らしい作品を期待して読み始めましたが、まったくそんなことはなく読みながらモヤモヤと苦しくなりました。
狭い職場での人間関係が描かれていて共感できる部分もありました。
読了後はタイトルが祈りの言葉のようにも呪いの言葉のようにも感じます。

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2023年10月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ずっと自分の中で薄くあったモヤモヤを浮き彫りにしてくれた。
二谷の言うことが分かるとこは分かる。食事って食べる以外の労力がものすごく多い場合があって、補給だけで終わらせられない場合がある。それが面倒臭いっていうのはものすごく分かるけど、それを表面に出すとコミュニケーションの怠慢になってしまう気もするから希望通りにすることはない。
自分の中で気付きがあってよかった。
二谷ストレスカップラーメンで将来おデブちゃんになりそう。押尾の清潔感失ったらやばそうって言葉どういう意味なのかな。

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2024年05月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

高瀬さんの本はエグい視点ですらすら進むので理解と受け入れがスムーズにできない けどとても面白いし文章が素直で好き

「わたしたちは助け合う能力をなくしていってると思うんですよね。昔、多分持っていたものを手放していってる。その方が生きやすいから。成長として。誰かと食べるごはんより、一人で食べるごはんがおいしいのも、そのひとつで。力強く生きていくために、みんなで食べるごはんがおいしいって感じる能力は、必要じゃない気がして」

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2024年05月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

押尾・二谷派であることは間違いない。
朝は食パンと牛乳とヨーグルトで、決まったルーチンとして好きな物を食べる。意図的に判断の数を減らしてる。昼食なんてとくに、血糖値が上がりすぎて眠たくならない程度に、胃に入ってエネルギーになればいいと。ただ、夜だけは、心許せる人と日常を楽しみたいと、「ご飯のおいしさ」を感じたいという気持ちはある。食での繋がりが持てる人は本当に素敵だなと思う。好きな人が自分の「存在」と日常の中心にある「食がおいしい」ということで幸せになってるところを見ているのが幸せなのかもしれない。
最後の二谷の気持ちはそういう解釈なら理解できる。
潜在的に惚れてる人(=芦川)が好きな「食」を、二谷は理解できないけど、それが容赦なくかわいい顔を作ってくれるなら、二谷はそれでもいいんじゃないかと。
タイトルの「おいしいごはんが食べられますように」はたしかに押尾の二谷に対する皮肉めいたものに聞こえる。
押尾は二谷が好きなだけじゃなくて、良き理解者なのかなと。
ただ、二谷の食に対する興味は行き過ぎ感がある。。

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2024年05月19日

Posted by ブクログ

面白かった。食の好みは人それぞれ。ただ空腹を満たすだけの食事、栄養を考える食事、二人は全く違う価値観で、この先うまくいくのかな。頭痛で早退して、そのお詫びにお菓子作って振る舞うって、ちょっとありえない。本人は良かれと思ってやっているんだろうけど、ありがた迷惑。働け〜!って言いたい。ラストはホラーかと思った。

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2024年05月18日

Posted by ブクログ

ネタバレ

芥川賞だし、タイトルと表紙から想像するようなほっこり作品じゃないんだろうなー、と思いながら読み始めた。
やはりほっこりではなかった。でも面白かった!
仕事に対するスタンスや、食べることについてのスタンスはまさに人それぞれなんだなと思った。職場で感じる不公平感(自分が常に被害者だと言いたいわけではなく、時には加害者だったりもするのだが)や、食生活への干渉など、これまで職場で感じた様々なモヤモヤが思い出されて、もちろん共感できないところもあるけど、「よく言ってくれた!」と思うところも多々あった。3人について、それぞれ共感できるところと、できないところがあったが、押尾の退職の挨拶には、私は拍手したい気分だった。

本作の視点は二谷と押尾だが、二谷目線の時は「二谷」と三人称(でも他の登場人物はさんづけ)、押尾目線の時は「わたし」。この違いはなんなんだろう。2人はいつから付き合っているのかなど(いじわるしよう、と提案された時には既に付き合っていたのか?)、時系列がよくわからないところもあった。
はじめにお菓子を捨てていたのは、誰なんだろう。

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2024年05月16日

Posted by ブクログ

さらっと読めましたが何かモヤモヤしました。たしかに職場でもクラスでも
あの子は何やっても許されるみたいな女子いました。とくに公務員時代は権利主張する奴いたし、学生時代はなんか気づいたら1番いいポジションにいる奴はいました。
羨ましいと言われるとそんなことはないけど、みんな悩みながら苦労しながらやってんだよ!とイラッとすることはありましたね…

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2024年05月15日

Posted by ブクログ

ほっこりした日常ストーリーかと思って読み始めて、まさかの展開だった一冊。「わかる。」がとても沁みる。わかる。わかる。
私はきっと、芦川さんタイプに近いように見られていると思う。そうなりたくてやってるわけじゃないけど、心身ともに強くもないから、一人で生きるのが怖いし、嫌われたくもない。だけどそんなの周りには見透かされていて、陰で何か言われているらしいのも風の噂で飛んでくる。
あぁ、生きにくい。
この、わかる。と、いたい。が、本作では終始続いていく。最後は、芦川さんなりのハッピーエンド。でも、エンドではなく、始まりを感じさせる。

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2024年05月13日

Posted by ブクログ

こういう何気ない、しかし多くの人の共感を得るところを掬い上げることに、小説を書く意味があると思う。

読みながらずーーっと、職場の大嫌いな先輩のこと考えていた。
その人も、押尾さんから見た芦原さんとおなじく、最初は頼れる大好きな先輩だった。

彼女はまさに芦原さんタイプで、
人の悪口も言わず、静かで、目立たず、しかし責任のある仕事からは徹底して逃れる。
自分が1番かわいく、人のために何かしようなんて考えは全くない。
いつでも静かに、人にバレずに人を切り捨てる準備のできているような人。
そんなつもりはなかった、といって溺れる人間をそのまま溺死させることができるような人。

読みながら、彼女のどこがそんなに気に入らないのだろうと改めて考えた。
もちろん、嫌いになったエピソードはある。
しかしそれ以降は、彼女の嫌な部分を積極的に拾いに行っている自分もいる気がする。
なぜなら拾いに行かないといけないくらい、嫌な部分を巧妙に見せないから。

会社と学校が違うのは、クラス替えも無ければ転校もそうそうないということだろう。
だからこそ、みんな少々の(時には大きめの)マイナス面は目をつぶる。
それが社会的にも正解とされている。
そうできる人は『大人である証拠』という風潮すらある。
だから、そこを巧妙に利用する人が出てくる。
芦原さんや私の嫌いな彼女のような人間だ。
最初から『私は弱いからできません』と、恥ずかしげもなく言える人間。
『◯◯さんだから』と、なぜか同じレールには乗せられない人間。
その皺寄せが他の人間にいっていることを自覚しつつ、何事もないような顔をしている人間。
そんな人間が、実のところ1番強いのだが。

何せ押尾のような、自分のような、曲がったことが嫌いで、不器用な人間から潰れてゆく。
彼女らに静かに潰されてゆく。

彼女たちのような人間に一泡吹かせることはやはり不可能なのだろうか?
そんな小説が出ることを願う。

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2024年05月11日

Posted by ブクログ

最後までモヤっとするけど、それがリアル。登場人物もリアル。人生ってこんなものだよなと妙に腑に落ちた。

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2024年05月07日

Posted by ブクログ

食べるという行為は必要最低限でありながら娯楽にもなりうる。
人によって捉え方が全然違う。
私は主人公同様食べることにそこまで重きを置いていない。食べすぎると苦しいしちょうどいい量を食べたい時に食べられたらそれでいい。
特別好き嫌いも激しくないしなんでも食べられる。
でも1人でちゃんとしたご飯を食べるのは苦手。しっかりした食事をとるなら誰かと一緒がいい。
食事への価値観のすり合わせはどのようにしたらいいのか、作中に答えは示されていなかった。

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2024年05月06日

Posted by ブクログ

食べ物もただお腹を満たすためだけに取る人もいれば、わざわざ遠くまでおいしいものを食べに行く人もいる。
親切でお菓子を持ってくる芦川さんにも一定数ありがた迷惑に思う人はいる。
職場にもお菓子をくれるおじさんがいるがほしくないときは確かに鬱陶しい。
それでも人間関係の円滑化にはある程度の演技は必要。押尾さんの考えには同調。
二谷は裏がありすぎてこわい。

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2024年05月06日

Posted by ブクログ

どの登場人物にもどこかしら共感できる部分はあるが、それぞれが極端すぎて思わず「うわ…」と声が漏れそうになる。しかし芦川さんと二谷みたいな組み合わせの夫婦は世の中にどれくらいいるのだろう。食以外の相性がバッチリだったら上手くいくものなのだろうか。食に関する価値観はなかなか揺らがないものだと思うので、相手を変えるのは難しそう。向かう所が違うから、かえって上手くいく部分もあるのかもしれない。
最後、衝突事故みたいに終わってしまったのが少し物足りなかった。

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2024年05月02日

Posted by ブクログ

おもしろかった、、が、個人的に後味の悪い場所に落ち着いてしまった感。
自分が押尾さんタイプ、職場に芦川さんタイプがいる私としてはリアリティに押しつぶされそうになりながら読み切りました。笑
小説で読めば客観的に、芦川さんタイプの女性を見れるかもしれませんが、こういうタイプは外見がとびっきり可愛い子なのが常なので…実際はみなさん無意識に守ってません?笑
そして結局、自分が思うがままの人生を謳歌できるのは芦川さんタイプなんだよなあ〜と…。
そこをグイグイせめた書き方、とてもおもしろかったです!

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2024年04月30日

Posted by ブクログ

美味しいご飯を食べることが生きがいの一つになってる私にとって、二谷の食に対する感情は到底理解できないものだったな。
サプリで必要な栄養は全部摂取できて、食事は全て嗜好になればいいなんて考えたことが無かった。
美味しいご飯を純粋に楽しめて、たくさん食べられることってとっても幸せなことだなぁ。

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2024年04月29日

Posted by ブクログ

産休クッキーが話題になり、読んでみた。

面白かった、けど読みながらずっと
モヤモヤ、不快感が拭えない感じ。

手作りのものを食べた時の
すぐに美味しいという、語尾に っ をつける、美味しそうに反応しながら食べる、
食べ終わったら名残惜しそうにご馳走様を言う、
これらの暗黙のルールは本当にその通りで
自分もついこの前やってたから
気持ち悪かったな

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2024年04月26日

Posted by ブクログ

 「不公平感」が生み出す不満や「価値観の相違」からくる不快感。それらが人間関係にもたらす軋轢と捻じれを描くヒューマンドラマ。

 物語は若手男性社員の二谷と、同僚で若手女性社員の押尾の視点から交互に描かれる。第167回芥川賞受賞作。
         ◇
 若手社員が参加して開かれた社外研修会の帰り道。二谷は押尾を誘って居酒屋に寄った。入社7年目の二谷と5年目の押尾。ともに独身だ。
 ご飯のおかずのような料理を注文し、やたらビールのおかわりをする二谷をおもしろがっていた押尾だったが、酔いが回ってくるにつれ不満を口にしだした。

 押尾の不満の原因となっているのが、隣席に座る芦川という女性の存在だ。
 芦川さんは入社6年目だが、仕事ができる人ではない。特に精神的に負荷のかかることはできない。無理をすれば伏せってしまう。だから自然、少し責任の重い仕事は後輩の押尾がカバーすることになる。

 芦川さんは前の職場での人間関係でメンタルを傷めたとかで同情はする。するけれど、自身へのハードルを低く設定したままの芦川さんに対しても、芦川さんへの「配慮」を暗黙の了解事項にしている直接の上司をはじめ部署内の空気に対しても、押尾は納得できないと言うのだった。

 やがて適度に酔いが回った押尾は、自分の不満を頷きながら聞いてくれる二谷にこんな企みを持ちかけた。
 「わたしと一緒に、芦川さんにいじわるしませんか」

     * * * * *

 作品の中心人物は3人の若手社員。二谷(7年目 )と押尾(5年目 )という主人公の男女2人。それに「芦川さん」という1人だけ「さん」付けで記される入社6年目の女性です。

二谷は30歳前の男性で、この春に東北支店から埼玉支店に転勤してきたばかり。人当たりがよく仕事もそつなくこなす有望株です。
押尾は20代半ばの女性で、仕事を的確にこなせる高い処理能力を有しています。
 2人とも一定以上の規模の会社なら必ずいる、優秀な若手社員と言えるでしょう。

 実はこの2人、どちらも「食」に関して問題を抱えてはいるのですが、普通はそんな問題など仕事には差し支えないもので、二谷も押尾も職場にとっては仕事のできる使い勝手のいい社員のはずでした。
 なのに「芦川さん」というキーパーソンの登場で、2人の会社勤めが大きく揺らぎ出すことになるのです。

 そのキーパーソンの「芦川さん」。清楚で可憐な雰囲気を持ち、柔和で控えめな性格。繊細そうでありながらも殊勝な言動は好意的に受け止められるという、いわゆる「守ってあげたくなる」女性です。特に目上や年上の人の保護本能をくすぐるタイプと言えるでしょう。
 そんな芦川さんの趣味プラス特技は「料理」です。この1点が二谷・押尾の嫌悪感を刺激することになり、芦川さんへの陰湿な「いじわる」へと発展していきます。

 高瀬隼子さんの作品を読むのは、『水たまりで息をする』に続いて2作目ですが、どちらの主要登場人物も人間的に少し歪みがあり、それが悪い目に出てしまう展開も同様でした。
 その人物像にモヤモヤするのは「なに、これ ⁉」と感じるような奇異な展開になるにも関わらず、「でも、こういう人は確かにいる」と思える人物設定になっているからです。

 『水たまりで〜』の主要人物の2人。

 主人公の衣津実は、幼い頃から見守るだけの人でした。
 水たまりに打ち上げられた魚を保護して家の水槽で飼ってやるけれど、水を替えてやるなどのケアはしません。やがてエサやりさえ親まかせになります。
 なのに、水が濁って中の見えない水槽で棲息する魚の存在を感じるということは続けているのです。このスタンスは、夫に対しても変わりませんでした。

 夫の研志は、誰かに負の感情をぶつけることができない心優しき人でした。
 性格的に向いていない営業職、うだつの上がらぬ成績で居心地も悪かったはず。なのに妻にさえ愚痴ったり八つ当たりしたりできない。自分を侮り頭から水をぶっかけた後輩にも怒りを見せず、水を嫌いになることでストレスに耐えようとするのです。

 読んでいるこちらが病みそうな設定ですが、こんな人たち、現実にいるはずがないとは思えない。


 本作の3人もそうです。

 芦川さんタイプはいます。闘争心がないところは研志と同じですが、弱者なりの身の処し方、いわゆる防御本能は身につけています。できないものはできないと割り切り、得意なフィールドでのみ勝負しようとします。

 二谷タイプもいそうです。仕事も人付き合いも如才なくこなす。
 ただ「食」に対する思い入れがなく、栄養面を考えることはおろか、味わうことすら面倒だと感じてしまう。そしてカップ麺のような濃い味のものを食べ、ビールを際限なく飲み、満腹感を味わえればそれでよしと思う。だから、恋人付き合いをしている芦川さんが心尽くしの手料理をごちそうしてくれるのが鬱陶しくて仕方ない。
 私には理解できませんが、食べられれば何でもいいという人は確かにいました。

 押尾タイプもいます。個人のスキルを上げることで仕事を次々と片付けていきますが、別の仕事が回されてきたりします。それでも淡々とこなしはしますが、フラストレーションを溜め込むのです。
 「食」については、雰囲気や感想等を大勢の人と共有することに嫌悪感を感じてしまう。食べることは好きなので、好きな人や気の合う人とならいいのですが、宴会などの場で食事を楽しむことはできないという閉鎖的な面があります。
 だから、芦川さんが ( 弁当を持ってきているのを言わずに ) 部署内でランチに出かけて楽しそうにしていたり、手作りスイーツをオフィス内で配っているのが気に食わない。さらにはスイーツをもらった人たちが美味しいと言って和気あいあいと食べているのも気に障るのです。

 どちらかと言うと自分も大勢が苦手な押尾タイプなので読んでドキッとしました。
( でも、人にイジワルしたりはしません。念のため…… )

 こういうモヤモヤが高瀬さんの作風なのかなあと、本作を読んで感じました。


 二谷や押尾が実行した「いじわる」はやりすぎだと思うし、芦川さん親衛隊に押尾が吊るし上げにあったのも自業自得だと思います。 ( 食べ物を見せしめのように捨てるという時点で人間失格です )

 ただ二谷は人間的に許せない。芦川さんと交際中であるのにあの卑劣さ。妹にまで看破されていたあの幼稚性と器の小ささ。 
 押尾が1人で罪を被ってくれたので1年での異動で済みましたが、芦川さんと結婚しそうなエンディング、おいしい ( と思って ) ごはんが食べられる ( ようになる ) かなあとぼんやり考えているところには、呆れるばかりでした。

 
 高瀬さん独特の、軽くサラッとしたタッチなのにモヤモヤ感満載のテイストで、いろいろ考えてしまう作品でした。

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2024年04月25日

購入済み

なんともいえない

こんな人と結婚したくない
ってお互いに対して思う。。

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2022年11月09日

Posted by ブクログ

お菓子作りが好きでお料理上手な芦川さん。
仕事はできなくて大丈夫。無理しなくて当然。
みたいな芦川さん、嫌だなーーー
開き直って、私弱いんです✋ってなってる感じが……
まー、でも同僚二谷さんも押尾さんも、極端。
二谷さん、芦川さんと付き合ってるんだよね?
こんな彼氏も嫌だなー。
とりあえずこんな職場嫌だな。

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2024年05月16日

Posted by ブクログ

なんだかモヤモヤしたまま終わった。
うーん。芦川さんみたいな人、実在する?極端すぎないかな?
ケーキ作る時間と体力があるならば少しでも残業しろとは言わないけど、せめて早退しなくて済むように体調管理して…という感じ。

一見いろんなことを我慢して文句一つ言わない良い子ちゃんな感じの芦川さん。でも自分の身を削って歯を食いしばることは一切しない芦川さん。その分の尻拭いは周りの人がするのだ。

仕事できるから、せりぐまんがした方が早いから、せりぐまんに見てもらうように上司に言われた…などと2年ほど前から2人の先輩から仕事を押し付け…助けを求められるようになった。
そのせいで自分の仕事が回らないモヤモヤ。押尾さんの気持ちは痛いほどわかる。

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2024年05月14日

Posted by ブクログ

 Audibleにて。
 同調圧力の話。わからん者にとっては本当に分からんであろう話。かくいう私自身、集団の織りなす正義にどっぷり浸れる人たちの気持ちはどちらかというと分からない。もっと分からんのは、乗っかっておいてわざわざ未必の故意を示すのはマジで意味が分からん。
 「仕方無い」「相手が悪い」と自分に言い訳しながら続けるその行いは恥ずかしくないのだろうか?
 社会から見た「正しいー正しくない」とは、そんなに大事なものだろうか?大半がどうでも良い人たちからの評価ではないのか?

 罪の文化と恥の文化の差か。恥を気にし続けた挙げ句、より一層恥ずかしい行為に手を染める。人に食い物を押し付けるのも、それを職場で捨てるのも、わざわざ机に置くのも「他者の考えを想像できていない」という点からすれば大差ない。

 そうまでして争いを避けることに本当に意味などあるのか?それで逆にストレス貯めてるなら本末転倒だろうに。
 結局、自分を押し通さないという選択肢もまた押し通そうとするのと同様に我儘なのだ。遠慮している=良いことしている=私は優しいとか思い込んでいる分、たちは前者のほうが悪い。
印象操作が自分の思ったとおりにできると思いこんでいる傲慢さの話と言い換えてもよいだろう。

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2024年05月05日

Posted by ブクログ

さらっと読める本

だけど、読んでて怖かった
本音を出さず、こっそりとする行動

結婚するのかな
本当のところでは一生わかりあえずな夫婦
何も知らないなら妻は幸せなのか

食のおしつけ
そう思う人もいるのかな

私にはない発想だった

お米残さないように
私も子どもたちに言ってるな

自分の時間を料理食事につかいたくない
料理に時間がとられる
それはわかる気もする

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2024年05月05日

Posted by ブクログ

本の表題をから想像して、料理歳時記の辰巳浜子さんのような生き生きとした食べ物の描写を期待していたけれど、読み終わって感じたのは、とりたてて美味しそうなものはこれといってなかった。それよりもなによりも、会社内に日常的に潜んでいる人間関係のどす黒いものが物語全体を覆っていて、それが食べ物全般を不味いものにしていたのかもしれない。いずれにしても読後感は決して良くない。

加えて私が男性だからだろうか、どうしても二谷さんの目線で語られる章に気持ちが乗ってこず、もしかしたら女性の作者である高瀬さんのミサンドリー的な視点も加わっていたのだろうか、本当の男臭さというか手触りのある男のリアリティがほとんど感じられず、最後の最後まで共感も納得もなくスッキリとしないままであった。
2022年の芥川賞ということは間違いなく今この瞬間の物語であり、現代を生きる人間の内側を鋭くえぐり出したなんて言われてもトンチンカンな気がするし、単純に読んでいて思わず生唾があふれるようなおいしいごはんの描写がほしかった。

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2024年05月03日

cnm

購入済み

人に迷惑をかけないようにしようとする姿勢は、日本人の美徳ですよ、と思う。時間通りの交通機関、クレーム対応窓口、いつでも綺麗なトイレ、24時間営業のコンビニ、深夜営業の食堂、丁寧な接客、お客様は神様。「自分よければ全てよし」という海外スタンダードに触れると、愛国心がぶわわと沸き起こって、ああ、自分は日本人に生まれて本当に良かったと心の底から思う。その反面、やりすぎなのでは?と疑問に思うこともある。人間なんだからミスするよ。休憩時間くらい自由にさせてよ。なければないでなんとかなるよ。自分の人生を一番に考えることのなにが悪いの?
この作品を読んで、「過渡期」という言葉が思い浮かぶ。弱い人、強い人、どちらでもない人。自分がどんな立場になっても、納得したい。納得できるなにかを手に入れたい。そう思うことはおかしなことじゃなくて、普通のことだって認めあえたらいいな。

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2024年05月03日

Posted by ブクログ

食に対する価値観の違いが3人の関係を表しているよう__それぞれが別の方向を向いて相入れない。会社での不公平さについて共感できるが、自分ファーストな芦川さんを否定できない。それも一つの生き方だから...。

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2024年05月01日

Posted by ブクログ

リタイアです

よくある人間関係への解像度の高さがすごい
確かに、みんなやってる中で配慮が必要な人には配慮しないといけないのはそう、でもみんなそうやん、なんであなただけって気持ちも本当によくわかる

人間関係のモヤモヤの言語化がすごい

でも主人公の人間性が本当に無理で読み進められなかった、多分もう読まない

ほんとに作者さんや題材が悪い訳ではなくてただ主人公が無理だった

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2024年05月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

読む人によって感想が全く変わる本だと思った。
僕は平日の食事は生きるため、仕事のパフォーマンスを向上させるための営み、休日の食事は嗜好だと思って生きている。
なので、二谷の基本的な考え方には共感しつつも、カップラーメンを食べて腹を膨らませたりはしないので、そこが僕と違うところだと思った。
芦川のような人は基本的に理解できない。仕事ができなかったり、早く上がったりすることを仕事以外の何かで返そうとする人、たまにいる気がするが、お門違いすぎると思った。仕事の人間関係は基本的にそこだけの世界だと思ってるので、どうやったら仕事ができるようになるのか、周りの人の仕事をどう助けられるのかを考えてほしい。
あくまで一意見ですが。
押尾の基本的な考え方には共感するが、途中から二谷のことが気になって、芦川に嫉妬しているように見え、その結果がよからぬ方向に進んだから、やはり職場の人間関係にいらん感情を持ち込んでもろくなことにならんなと思った。

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2024年04月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

職場に手作りお菓子を持ってくる女性
いつそんな暇が?早退したじゃん
悪い人じゃないんだけどさぁ、、
っていうお話


Xで『コンビニ人間』『星の子』のように、主人公と社会(世界)とのズレを淡々と描いていく、でもそうしか生きられない、という小説知りませんか?
って探してる人がいてそのリプ欄から見つけた本。
主人公独特で共感できないんだけど、なんか分かるかも、、みたいな部分もあっておもしろい。
この部分なんかは、ストレス溜まってるな~とおもいつつ、でもなんかスカッとする(声には出してないんだけど、わりとはっきり主人公が自分の気持ちを表した)シーンだし、そういう気分のときあるかもって思ったりもする心に残ったところ。


ちゃんとしたごはんを食べるのは自分を大切にすることだって、カップ麺や出来合いの惣菜しか食べないのは自分を虐待するようなことだって言われても、働いて、残業して、二十二時の閉店間際にスーパーに寄って、それから飯を作って食べることが、ほんとうに自分を大切にするってことか。野菜を切って肉と一緒にだし汁で煮るだけでいいと言われても、おれはそんなものは食べたくないし、それだけじゃ満たされないし、そうすると米や麺も必要で、鍋と、井と、茶碗と、コップと、箸と、包丁とまな板を、最低でも洗わなきゃいけなくなる。作って食べて洗って、なんてしてたらあっという間に一時間が経つ。帰って寝るまで、残された時間は二時間もない、そのうちの一時間を飯に使って、残りの一時間で風呂に入って歯を磨いたら、おれの、おれが生きている時間は三十分ぽっちりしかないじゃないか。それでも飯を食うのか。体のために。健康のために。それは全然、生きるためじゃないじゃないか。ちゃんとした飯を食え、自分の体を大切にしろって、言う、それがおれにとっては攻撃だって、どうしたら伝わるんだろう。

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2024年04月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

生きていたらどんな時もお腹が空く、というのがめんどくさいと感じるタイプの自分。

二谷の考えに共感しながらも、押尾さんの気持ちやスタンスも分かるし、芦川さんのやり方も完全に分からないわけでもない…。自分に近いタイプの登場人物が、誰にでもいるのではないでしょうか。
最後に押尾さんが辞めていくシーン、実際には有り得ないと思いつつも気持ち良いなと思いました。

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2024年04月28日

Posted by ブクログ

『まあ、でも、そういう時代でしょう、今』

 上記の言葉が本書の全てを表しているような、何をしても、「そこには何かしらの、その人にしか分からないものもあるんだよ、きっと」、と言われている、納得できない感じがありながらも、無理矢理納得せざるを得ない感じというか。でも、本当にそうなのかといった不満が溜まりに溜まると、途端に露わになる、人間の本性のやるせなさには、仕事という、特殊ながらも、その一生の殆どを懸けてしなければならないものから何故か発生する、自然ならざる違和感があったのも確かである。


 高瀬隼子さんの作品は初めて読んだが、とても器用な方だなと感じたのが、まずは印象深い。

 それは、芦川さんだけを得体の知れないものとして書いているわけではなく、二谷や藤に押尾さん、パートの原田さんも含めた、主要な登場人物全てを、そうした闇の部分も含めて書いている点に、改めて、人間なんてというよりは、やはり人間って、みんなそうなんだねといった安心感を抱いたのは、私だけだろうか。

 実際にその職場にいたら、こうは思えないのかもしれないが、私も似たような職場にいた事があるので、その『空気を読んで感動してみせるしかない』といった、本来あるはずが無いのに、手作りのお菓子を食べる時のマナーのような、時には自分の意思とは反した言動をしなければならない状況の発生する職場というのは、いくら生活させてもらっているとはいえ、何かおかしいと感じさせるのも、確かな気がしてならない。

 しかし、そう感じさせる要因の一つとして、本書の言葉を借りると、『誰でもみんな自分の働き方が正しいと思っている』ことがあるように、そこには人それぞれによって、解釈の仕方の異なる部分もあるのではないかと思い、上記の手作りのお菓子にしても、芦川さんの普段の仕事へのそれがあることがプラスされるから、そのような印象を抱くのであって、そうでなければ、好き嫌いはあるにしても、作ってくれた事への感謝は言った方がいいのではといった、そうした人に対する思いやりが、仕事の上では欠けやすいのかもなんて思ったりもしたが、反対に時にはそうした気持ちを無くさせるものがあるのも確かだと思い、そこには、中々自分の本性を表に出せない、職場という閉塞感の漂う本音と建て前が同居した共同体として、辛いのは自分だけではなく皆そうだからと、自分を押し殺さざるを得ない状況も、きっとあるのだと思う。

 そして、そんな状況だから、仕方ないよねというわけでは決して無いのだろうけれども、そうした状況の中で展開される、それぞれの闇の部分に共感めいたやるせなさを感じたのも確かであった。

 それは、二谷の、現在の職場で本音を隠しながら上手いことやっているその裏には、『本当は文学部に行きたかった』という思いとは裏腹に『男で文学部なんて就職できない』という言葉を真に受けて、経済学部に入ったが、実際には彼の職場に文学部出身の男もいたことから、『おれは好きなことより、うまくやれそうな人生を選んだんだな』と自己嫌悪とも思える、その言葉には、まるで若いときのたった一度の選択が、現在の彼に反映され続けているかのような、変わりたくても変われない、いくら抜け出したくても囚われたままの姿があり、そこに感じられた、彼の持って生まれた部分の普遍性に、世の不条理さを垣間見たような気がした。

 また、押尾さんに至っては、『ほほ笑んで言ったというよりは、その言葉を言うために唇を動かしたら目じりや頬も一緒に動いた、という感じのほほ笑み方だった』という、本書のタイトルに最も合致しそうな気持ちになりながらも、その末路は複雑なものであったりと、食事が先にあるというよりは、その仕事に於ける鬱屈した不満ややるせない思いを、食事というフィルターを通すことで、どのように反映され変化していくのかを物語っているようにも思われた。

 けれども、その結果には、心の奥底で残り火のように燻りながら、今日まで何とかやってきたのに、時に現実は容赦なく冷たい仕打ちを与えてくる、そんな点に、それぞれの感じ方は異なっていても、その場にはいない読み手が、客観的に眺めることで感じられる平等性はあるのかなと思い、あの芦川さんにしても、その人生に於いて、誰からも下に見られているような立場にあったりする上に、しかもそれが人間だけで無いのは、ある意味、最も切なく、更に終盤のあの言葉には内心グサリと突き刺さるものも、きっとあったのだろうと思われた、そんな非情な平等性が。

 だからなのだろう、本書には矛盾したものを求める描写もあり、『あの偽物の真剣さがほしかった』や、『かわいそうなものは、かわいければかわいいほど虐げられる』は、まだしも、『お腹が減らなければ何も食べなくていいのに、お腹が空くから何か食べなければいけない』に至っては、もはや禅問答に近い、哲学的な領域にまで達してしまったのには、いったい何がそうさせたのかと、そこにあるのは一種の狂気性にも近く、これは仕事がそうさせたのか、食事がそうさせたのかというと、おそらく両方であり、彼自身の行動自体が既に矛盾に充ち満ちている、その陰には、そうした非情な平等性が無意識に彼自身を支配しているようにも思われた、ゆっくりと確実に人が壊れていく怖さがあったが、決して他人事とは思えない。何故ならば、正当な答えを求めても、まともに返ってきやしない、そんな状況は確かに世の中に存在するのだから。

 そう考えると、本書は、日本に於ける仕事の問題点や闇の部分、それとも、そうした環境で生まれるであろう人間の怖さを訴えたかったのか、おそらく、それに関しては、本書のどの部分に共感するのかで変わってくるとは思ったが、あくまでも仕事を起因としているのは確かではないかと思い、仕事があるから、人はこうなってしまうというのは、何か言い訳めいて聞こえそうな気もするが、そこには、日本人特有の文化や伝統に根ざした固定観念や価値観、多様性とが混在した、現在ならではの複雑な問題もあり、だからこそ、やっかいなんだと思う。

 そんな思いに達すると、改めて、そのタイトルには切実な願いが込められているようにも感じられ、それが、小林千秋さんのシンプルな装画と合わさると、却って、その鍋に映る人影のやるせなさが、殊更に強調されるようで、なんだか切なくなるが、そこに宿るのが、おそらくあの人なのだろうと思うと、今度はそのシンプルさが、得体の知れない闇の部分を浮かび上がらせているようにも見えた、その両極端に捉えられる構図には、誰しもが持つ人間の複雑さと怖さを垣間見たようで、つい見入ってしまう素晴らしさ。

 それとは対照的に、どうしても分からなかったのが、名久井直子さんの装幀であり、その、まるで有名な洋菓子店の包装を模したような、凹凸感のあるザラザラしたオシャレな見返しから透けて見える、別丁扉と、それぞれが異なる紙質の拘りには、まるで彼女のような、下心なのか素なのか判明し難いものが見え隠れして怖いものを感じつつも、心を真っ新にして捉えれば、その豪華さは、そのままタイトルの願いに優しく寄り添ってくれているようにも思えてきて、ならば、きっと後者なのだろうと、たとえ根拠が薄くとも、強引であろうとも、そこは信じたい気持ちを抱きたくなる私がいたのであった。

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2024年05月10日

購入済み

わかるようでわからない

出会い頭、文学賞を受賞してるというのにも惹かれて手に取りました。
著者の作品を読むのは初めてです。
二谷を主人公として読みましたが、その心情は理解できるようで理解できませんでした。最後まで。
好きな人と食べるご飯は美味しいものであって欲しいし、好きな人と一緒にいる時の自分を好きでいたいと思うですけどね。
みんな、どうなんだろ?
と考えさせられました。

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2023年02月18日

後味は悪いが、もっと読みたい

今の自分は芦川に近いと思う。
いつも笑顔で、誰にでも優しくありたいと思う。その反面ら自己主張が少なく自分に甘い。
決して立派な大人の姿では無いと思う。

芦川の言動は恐らく計算では無いのだろうが、二谷や押尾も体調が多少優れなくとも何とかしようと働いている。しんどさのレベルは人それぞれだが、弱い人ばかりでは社会は成り立たない。

休日出勤、日々の残業、そんな毎日では美味しいご飯を食べる気も起こらない。好きな事をする時間も気力も無い。今、残業が多いと感じながら働いている自分と照らし合わせて考えると共感できるし、そんな中でも何とかして仕事に励む2人は素直に凄いと思う。

そんな環境で働き続ける自分に満足はしていないし、その状況を作っている理由の一つである芦川をよく思わないのは分かる。(意地悪は良く無いけど。)全員仕事ができる会社なら不満は無いはずなのだ。

芦川をよく思わない、周りに同調しないといけない、目には見えない空気を読まないといけない環境で、抱く暗い感情は人間らしいなと思う。
お手製スイーツを食べながら書かれる二谷の心情はこちらまで胃もたれしそうなほどベッタリしたものだった。

誰かを悪く思ったら、何かに腹が立つことはいけないことだと決めつけていた。
ただ思ってしまうのはどうしようもないと思う。根本の考え方が変わらない限りは。
そこでどう行動するかなのかな、と思った。

そんな環境下で、でも他人と自分を比べないで、自分をより良くさようと思ったら、自ずと行動も変わっていたのだろうと思う。

二谷•押尾も自分も1人ではなく、結局人に頼って生きているのだと思った。

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2022年12月31日

論理の軸が撚れている

小説の舞台は支店長や藤さんの意識からして、営利企業ではなく、〇〇園みたいなどこぞ楽ちんな組織の話のように思われた。そして芦川さんはやることも、考え方も昭和の一般職そのものだった。その顔は、私には割烹着を着たリケ女で日本のトップの科学者を次々手玉にとった小保方さんが浮かんだ。そういう意味では成功か。

ところで昨今の人事制度だけど、機会均等法以降、かつて会社が百人単位で採用していた一般職というのがなくなった。なくなってどうなったかと言うと派遣かパートである。あるいは派遣会社を設立して女性を正社員で採用し、そこから派遣として送り込んでいる。要するに会社は均等法に便乗した。一方総合職だけど、私の会社の場合、最近のやつらは、ほぼ全員がビズリーチに登録しているらしい。常に自分の市場価値に敏感で、自分磨きしている。なるほど若い人たち、大変立派!会社から言えば、お料理したって、休暇とって旅行行ってもかまわないけど割り当てた予算や目標を達成してからにしてよ、となる。
と言うことで、この小説の芦川さんという設定。あるわけないじゃん!有り得ぬ前提の上に物語を載せる。そう言えばこの作者、前作の「犬のかたち」でも同じことをやらかしている。好きなのかねえこういうの。いや、再々やるということは……。世の中はビズリーチ!なんだよ。三角関係については男は仕事上同格みたいな女と家庭においてまで理屈の議論をしたくないから、穏やかで、料理の上手なかわいらしい子。結婚相手に家庭的な人を選ぶのはひとつクラシックな考え方だ。だから彼は読者の納得の選択をした。それだけだという気がした。

こんなのを芥川賞に選んだ人たち大丈夫か。相当に世間知らずなのではないか。

#笑える #ダーク

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2022年09月15日

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