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『容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。
ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする』【作中20章より】
生前、直木賞をはじめとする様々な賞を受賞した名作家の遺稿から生まれたのが本著でした。
本著では、これまで日本経済を舞台とした社会経済小説等を中心に執筆してきた城山三郎氏が、今までの執筆スタイルとはまるで違う、『妻=容子さん』との出会いや、自身の心の奥底から湧き出てくる容子さんへの愛情、そして築いてきたその暖かな日々。そして二人三脚で歩んできた、いや、一心同体と言っても過言ではなかった容子さんを失い、『自身の半身が削ぎ落とされたかのように感じた』と綴られた晩年について、短い章で書かれた遺稿を紡いだように描かれていました。
エピローグとして、城山氏の次女にして作家の井上紀子氏からも、容子さんの死後の城山氏について寄稿されていました。
現代日本では、沢山の“モノ”に恵まれ、たくさんの選択肢を持てるようになりました。
しかし、それと同時に失った“モノ”も多くあると思います。本著ではその失った“モノ”の本質にも触れているように感じました。
巻末の解説にて、児玉清氏が引用していた一節にこうありました。
『仕事と伴侶。その二つだけ好きになれば人生は幸福だという…(「小説日本銀行」より)』
城山氏自身の作品で描かれていたこの一節は、まさに自身の内からでた言葉だったのだなと、そう感じさせてくれました。
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彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる──。
気骨ある男たちを主人公に、数多くの経済小説、歴史小説を生みだしてきた作家が、最後に書き綴っていたのは、亡き妻とのふかい絆の記録だった。終戦から間もない若き日の出会い、大学講師をしながら作家を志す夫とそれを見守る妻がともに家庭を築く日々、そして病いによる別れ……。
没後に発見された感動、感涙の手記。
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奥様への愛情の深さがストレートに表現されていた。
夫婦二人三脚で人生を築いていたことを感じさせられた。
愛情と敬意を持って奥様を大切にし、また、奥様との生活にこの上なく幸せを感じる姿に、私もそうありたいと強く思わされた。
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著者が妻と出会って亡くなるまでの話。
奥様のことを「天使」「天女」等々と表現されるところから、いかに奥様を愛されていたのかがうかがい知れます。
ちょっと赤裸々な話もあるけれど、作家として忙しい夫をしっかり支え、愚痴もこぼすことなく取材の手伝い、旅行の同行などされ、できた奥さまだなぁと感心する事しかり。
こんなに思い思われて、本当に互いに運命の相手だったのだな、と思いました。
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今年は仕事でもプライベートでも「死」と向き合う機会がとても多かったので。
遺族として、共感出来るところがたくさんあったし、読み進める中で母や祖父の事を思い出さずにはいられなかった。
ー死んだ人もたいへんだけど、残された人もたいへんなんじゃないか、という考えが浮かんだ。理不尽な死であればあるほど、遺族の悲しみは消えないし、後遺症も残る。ー
母の死後、残された父を見ているのが辛い。母の死を受け入れるのは辛いが、それ以上に残された父を見ているのが辛い。突然死という理不尽な死だっただけに、後遺症は大きい。
ー最愛の伴侶の死を目前にして、そんな悲しみの極みに、残される者は何ができるのか。
私は容子の手を握って、その時が少しでも遅れるようにと、ただただ祈るばかりであった。
もちろん、容子の死を受け入れるしかない、とは思うものの、彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分におそわれる。ーふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。ー
父は母の最期どんな気持ちだっただろう。
次女・井上紀子さんの父が遺してくれたものー最後の「黄金の日日」も娘の立場から父母の様子、死を書いていて、共感出来るところがたくさんある。
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以前読んだストーリー・セラーを少し思い出した。
夫婦の愛、というか、結ばれた心の形というか、読んでいて暖かい気持ちになりつつ、遺された者の視点、特に本人ではなく娘という第三者視点から描かれた筆者の姿が生々しかった。静かに行く者は健やかに行く。健やかに行く者は遠くに行く。この言葉は、惑わされずに己が道を行けということなのだろうか。
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田村正和さんの死をきっかけに知った本作。城山さんの作品を読むのも初めて。
出会った瞬間から別れる瞬間まで、ただただ、温かくて深い愛情を、容子さん一点に注いだ城山さんに心を打たれた。
これを読んでから城山さんの本家の(気骨ある)作品を読むことと、本家の作品を読んでからこの作品を読むこととは、全く違う読書体験になるだろう。
城山さんファンとにわかファンの私とは、城山さんとの出会い方が全く違う。恐らく、この出会い方は城山さんの本意ではないだろうが、経済小説に疎い私に対して唯一開かれた、貴重な入り口だと思っている。
ちなみに、児玉清さんによる解説が、この本の価値を高めているように思う。なんと素晴らしい解説者、評価者、理解者だろうと思う。
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夫婦愛にほっこりしたあと、娘さんのあとがきが涙で霞んで読みづらい。
「五十億の中で ただ一人「おい」と呼べるおまえ
律儀に寝息を続けてくれなくては困る」
結婚当初から、一緒に長生きしよう、と言ってくれ るパートナーとできる限り長く一緒に幸せに暮らしたいなぁ、と改めて強く思った次第。一緒に長生きと言いつつ、必ず、自分より長生きしてくれ、と付け加えるパートナーの温かな言葉はいつもわたしを少し切なくさせるのだ。
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このタイトルは本屋でずっと気になっていて、少し勇気を出して読んでみた。自分で言うのもなんですが、奥さんとは仲がいい。だからもし先にいなくなったらという事を考えたら本当にどうなるだろうか。こんなにも自分の妻を愛していることを包み隠さず文章にしているところが、男性として尊敬できる。後半は涙無しでは読めませんでした。奥さんとごくたまに喧嘩した時は、この作品を思い出すことにします。
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大切な人と結婚するということは、大切な人を失う覚悟もいるということ。
大切な人を亡くしたらこんな想いになるのかな、と考えさせられたと同時にほっこりと心温まるような作品。
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もっと泣ける本かと思ってましたが、良い意味でほっこりしたあたたかい夫婦のエッセイでした。城山さんが容子さんを見つめる視点がやさしくとろけるようで、最期の別離よりも何気ない日常のシーンで胸を突かれました。
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この遺稿のタイトルをつけたのは誰だろう?文中の言葉を抜粋したこのタイトルが、本のすべてを要約している。こんなに悲しくて素敵で完璧なタイトル‥‥なかなか出会えないと思う。
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タイトルから、筆者の深い喪失感が伝わる。
何十年も前の出会いや、その後の新婚生活を瑞々しく書くこと自体、いかに筆者がその頃幸福感に満ち溢れていたかの表れ。病気が発覚するまでの40年余り、喧嘩をすることもなく居心地よく暮らした日々は、筆者にとってどれほど幸せに満ち溢れていたものだったか。
だからこそ、筆者が書く妻が亡くなった後の深い深い喪失感、次女の回想が重く胸にのしかかる。
大切な人を失う哀しみとは、これほどまでに深いものか。
哀しいけれど、夫婦の間に流れる穏やかな空気と幸福感に、心があたたかくなった。
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まずタイトルからして、グッと惹き付ける。
妻の亡き後がメインのお話かと思ったが、出会いからが丁寧に描かれていて、それがかえって後半になるにつれて、先がわかってしまうので切なくなる。でも、お互いの愛情表現方法は違えど、相手を思いやる気持ちが痛いほど伝わってきた。思えば思うほど、一人になったときの気持ちってどんなものだろうと想像してしまう。
娘さん筆のあとがきが、客観的に描かれているからこそ、一番胸にきました。
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何年か前にドラマ化されていて、
テレビCMで田村正和が「そうか、もう君はいないのか」と呟いていた姿が今も忘れられない。
ドラマは見なかったけど、ずっとそれが残っていたのが、本作を読むきっかけ。
こういうふうに、パートナーと寄り添って死んでいきたいなと思う。
ずっと仲良しで生きていきたいなと思う。
子どもが1番、というより、
実は夫が・妻が1番大事、
という夫婦の姿に惹かれる。
巻末に載せられた城山さんの娘の文書で
涙が止まらなかった。
仕事の残業やら飲み会やらで
家族と一緒に夕飯を食べなくても平気な人がいるけれど、
私には 家に帰ればずっともっと大事な存在がいるので、私は先に帰ります。
誰に何を言われても、これ間違いじゃないなって思う。
グッとくる文章はたくさんあったけれど、
戦後の話のところで
私は廃墟になって生きていた。
というフレーズがすごく刺さった。
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太陽の様に明るい妻。思いもかけず早くに妻を失い、その後7年は家にほぼ帰らず仕事場で過ごした。妻との出会いから別れまでを戦中を過ごした古武士の様な文体で綴られている。
祖父の文体にも似て、不思議と懐かしさを感じた。
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城山さんの小説は読んだことがないのですが、きっと骨太の作品を描かれる方だろうな、という想像。
私生活では、愛妻家だったんだなあということが伝わりました。特に、娘さんが書かれた文章から。
舞い降りた妖精、苦しい別離、運命の再会。素敵。
「そうか、もう君はいないのか」
なんて切ないタイトルでしょうか。隣にいるのが当たり前だった人がいなくなっていることをなかなか受け止められない。受け止めたくない。辛いことだけれど、そこまで愛する人に出会えたことは素晴らしいことだと思います。
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ラジオで小川洋子さんが紹介しておられた
著者の重くて固いイメージでご本人には特に関心が向いていなかったのだけれど
淡々とのろけておられる
まあ出版を目的としたものではなかったから
奥様 お幸せでいたね
そして城山三郎さんも
≪ ふと気づく もう君はいない ぼくのそば ≫
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それこそ運命のような夫婦の出会いと再会。作家の妻という以外にも苦労はあったろうに、明るく健気に夫を支え、本当に天使のような存在。死後の作者の寂しさが辛くて泣きそうになった。愛されて愛して、天国での再会を心から喜んでいるのだろう。娘さんから見た城山さんの人間的な様子も今は亡き、児玉さんの解説も胸にささる。そうか、もう君はいないのか… 、最近 亡くなった若き俳優や偉大なコメディアンをそんな気持ちで思い出してしまう…。別れは辛い、遺された方も遺した方も。
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身近に奥様を亡くした方がいて、なんとなく手に取った一冊。まさかこんなにも心動かされるとは。
城山三郎氏の奥様への思いの描写が終始慈愛に満ちたもので、読んでいると涙が。
悠々と綴られる思い出の中で、突然の癌宣告。
城山にそれを伝える場面の、奥様の振る舞いがすごく粋で、これまた涙が。
そしてこの本のなにが素晴らしいって、次女によるあとがき。
文章の美しさに加えて城山の最期に触れていることで、より城山自身が書いた文章に深みが出ている。
良書の一言。こんな夫婦になりたい。
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城山三郎が妻をを亡くした後に、二人の日々を回想したもの。遺稿として出版されることを前提としたかのような素直な表現が多く胸を打つ。巻末の次女の寄稿も清々しい。
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僕自身、父の病床では、父を亡くしそうな悲しみにつぶされそうで、夫を亡くしそうな母を息子として心配できていなかったことに今更ながら気付かされた。また、私の父の死後に恩師の一人が送ってくれた手紙に、配偶者を亡くすということが人間の最大のストレスである、だから残されたお前が母を大切にしろ、と書いてくれたことを思い出した。
ёと暗号を記しながら、亡き愛妻との思い出を綴った夫は、辛く、しかし幸せであっただろう。挙手の礼で別れたという息子さんも、あとがきを書かれた娘さんも。家族の黄金の日日は永遠なのだ。
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■五十億人の中でただ一人「おい」と呼べる妻へ―
彼女はもういないのかと、ときおり不思議な気分に襲われる──。気骨ある男たちを主人公に、数多くの経済小説、歴史小説を生みだしてきた作家が、最後に書き綴っていたのは、亡き妻とのふかい絆の記録だった。終戦から間もない若き日の出会い、大学講師をしながら作家を志す夫とそれを見守る妻がともに家庭を築く日々、そして病いによる別れ……。没後に発見された感動、感涙の手記。
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老夫婦の素敵な一生の話し。
なんか見ちゃいけないような感じ、死別は辛いけど、お互い満足な死に際を迎えられたのかなって、ほっとした感じ。
色々な夫婦の形を見てきたけど、羨ましいなと思える、お互いを思いやることの大切さが分かった。
わしも嫁さん大事にしよう。
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字が大きくて一瞬で読めた
長年連れ添っててもこんなにお互いへの気持ちが瑞々しいままでいられるものなんか、っていう深い驚き
二人がいつまでも仲睦まじくいられたのは、ひとえにお互いにおおらかで細かいことは気にしない性質やったことと、茶目っ気と感謝の気持ちを忘れないでいられたからかなと感じる
付け足された娘の手記を見ても感じるけど、子供の目から見てもずっとお互いに愛情をもってて、子供はもちろん大切やけどやっぱり一番はお互いやっていうスタンスがなかなかあるものじゃないしすてきやと思った
でもだからこそ、喪ったときの悲しみは深いなあ…
最愛の妻に先立たれてから自分が亡くなるまでの7年間。寂しさと半身を喪ったような気持ちを持ち続けたんやろうなあ
やっぱり将来自分の方が先に死にたい(;o;)