買ってからしばらく放置していたけど、札幌で半分くらい読んで、そこから一気に読み終える。
基本的に春樹について書かれているところ(芥川賞での実際の選評も、大江健三郎の春樹への評価の推移とかも)は面白かった。芥川賞の選考風景とか、賞をとりまく時代変化とかも。文中の加藤典洋の『アメリカの影』からの引用文
...続きを読むとかも、久しぶりにこういった「批評」めいたことに触れたら、新鮮だった。
坊ちゃんとメロスについては、ふ〜ん程度。
P67 …日本文学の枠組みにアメリカを充填することにおいて村上春樹は、「アメリカに依存し模倣する日本と日本人」を、自分自身の姿と作品とで再現したことになる……という、何重にも模倣を重ねてしかしそのことで同時代の(ポップな)アメリカ的であるような、きわめて複雑で倒錯めいた試みが完成することになります。それはほとんど、〝アメリカン・ポップアートとしての日本〟を発見することであり、それを引き受けた日本人として、アメリカを「擬態」することでした。それは結局、無意識のうちにアメリカ的な日本、に対する批評的な作業をすることでもありました。
P97 だから、とりあえずはこう言っておきましょう。芥川賞が村上春樹に与えられなかったのは、一義的には、村上春樹の携えるアメリカとの距離感が彼らにとって受け入れがたかったからであるけれど、つまるところそれは、彼らとアメリカ=父との関係の問題であり、村上春樹と「父」との距離の問題なのだ、と。
もしも村上春樹が「父」を描くことができていたら、「父」になる姿を描けていたら、とっくにその賞は彼のものになっていたはずです。逆に言えば、それができなかった/しなかったところに、村上春樹の倫理があった、と言ってもいいでしょう。