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待望の名著復刊!戦後黒人兵と結婚し、幼い子を連れNYに渡った笑子。人種差別と偏見にあいながらも、逞しく生き方を模索する。アメリカの人種問題と人権を描き切った渾身の感動傑作!
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Posted by ブクログ
メロドラマになりそうなところを流されることなく、綺麗事ではない、人の見たくない本質部分を冷静に描写している。 物語に引き込まれていきました。 ぜひご一読を!
時々考えることなのだけど「人が人を差別する意識はどこから生まれるのだろう」ということを、この本を読み終えてまた考えた。 歴史や時代に刷り込まれる場合もあるだろうし、生まれ育った環境(親や友人など)を通して意識に根付く場合もあると思う。 自分自身「差別なんてしたことありません」はんて到底言えないのだけ...続きを読むど、果たしてその意識はいつ根付いたのだろう。 初版は1964年。2021年に復刊を果たした本作。 第二次世界大戦後、日本で生まれ育った笑子は、仕事の関係で知り合ったアメリカ系黒人のトムと結婚することになる。 作中では今は差別用語として使われなくなった「ニグロ」という言葉が多用されているが、変更はされず復刊されている。 数年後笑子は娘のメアリィを出産する。 トムはアメリカに戻り、離れた生活をしている間に笑子は一度離婚を考えるが、日本にいてはメアリィを育てるのにも支障があると実感して渡米することを決意する。 ここまでが序盤。 序盤から差別の描写は山のように出てくる。 今は日本と黒人のハーフも珍しくないけれど、当時はそれだけで周りから忌避されることもあったということ。 笑子が渡米してからが物語の本筋なのだけど、さまざまな人種差別が渦巻きまくっていて、だけどその理由を語れる人はいない。 なぜ黒人が差別されるのか。白人の中でも、プエルトリコやイタリアの人間はなぜ差別されていたのか。 ハーレムにある半地下の穴倉のような住まいで、それでも笑子はたくましく生きる。 渡米してからも子どもが生まれ(当時のアメリカの多くの州では堕胎は罪になるという背景もあり)笑子と似たような境遇にある日本人の女たちの奮闘ぶりも描かれる。 読んでいて、思案する時間、理不尽さ、痛快さなど、色んな要素を味わえる。 そして笑子は、とある金持ちの家の家政婦として働いている期間に、ひとつの答えを出す。 「非色」とは「色に非ず」ということ。 それは分かっているのに、今も差別が完全に無くならないのはなぜなのか。 今でも時々話題になる事件を見ていて、1964年に有吉佐和子さんが表現したものは、今も変わっていないのだと痛感する。 日本人に限定しても、色での差別は無いにしても、差別自体はたくさんある。 意識に根付くもので無意識に行動する人の恐ろしさを描いている小説なので、復刊したことはきっと大正解なのだと思う。 社会派をエンタメに落とし込むという意味でもすごい小説だと思った。考えてしまうけど、とても面白かったので。
っかーーーー!身をつまされる思い… まさに、こんな傑作をわたしは知らなかったのかーーー!しかも重版未定になった歴史があるなんて信じられん!の嵐でした… この1967年に書かれた作品(なのに全くの色褪せがないのもすごい)が2020年に復刊されるのが、素晴らしいタイミングというか、すごい意味ありと言...続きを読むうか… この作品の肝である人種差別はもちろんのこと、女性の立場、堕胎のあり方、アメリカ社会(特に人種のるつぼ・ニューヨーク)のリアルがテーマ。逞しく反骨精神のある笑子が、日本と移住先のアメリカで自分を除く家族がたくさんの差別に遭う。そしてそんな家族も、差別をしている。自分より下を見つけて上機嫌になる、という人間の弱い部分がありありと描かれていて、読んでて痛い思いがした。 ザクザクと物語が進み、考えるポイントには主人公・笑子が立ち止まるのに、現代の小説にありがちな緻密すぎる描写がないのが気持ち良い。 p.175 「いちどに直そうだって無理ですよ。言葉遣いはその人の生活程度の反映なんだからね。とりあえず言葉の最後にサー(敬語)をつけるようにさせるんだね」言葉遣いは生活の繁栄だと言う女主人の意見に、しばらく私は拘泥していた。ニグロ訛りと言うのは、例えば大阪弁や九州弁などと言う具合に、ニグロと言う人種特有のなまりだろうかと思っていたのに、それが礼節のない暮らしの反映だったのだとしたら、私は私たち親子の穴蔵暮らしを思うと、ぎくりとするものがある。 p.370 ユダヤ人。日本人。吐き捨てるようにいて、ナンシーの言葉が耳朶(じだ)に張り付いたように残っている。しかし、私の論旨には論理の飛躍が、なければすりかえがあったようである。私の見るところでは、レイドン氏はナンシーに対して必要以上の好意を示したと思われないし、それで奥さんも嫉妬したなどとは考えられなかった。ただ私が驚いたのは、あの温厚ないかにも学者タイプのレイドン氏を、ナンシーが一言の元にユダヤ人と決めつけたことである。確かにナンシーは前から見ても、あの金髪から見てもユダヤ人では無いようだったが、彼女はどういう理由からユダヤ人であると言うことだけで、レイドン子を軽蔑したのだろう。無論私はユダヤ人がどういう人種であるかについて一応の知識が持っていたけれど、白人だけの世界にもこういう差別意識があることには驚かされていた。志満子の夫もイタリア人として、ニグロの妻たちの憫笑を買っていた。プエルトリコチンの中にもほとんどスペイン人と見分けのつかないものがある。やはりそうなのだ、皮膚の色では無いのだと、私は改めて会得していた。スパゲッティーと聞いただけで、竹子に襲いかかった志満子。自殺した麗子とスパニッシュハーレムのプエルトリコ人たち。私自身にしてからが志満子や井村からプエルトリコと同列に扱われて狂い立ったことがあったのではないかと、私は様々な出来事を1度に思い出して混乱していた。日本人。ナンシーは興奮の余りにか私が日本人であることも忘れて、日本人を罵倒して退けたけれども、日本人もやはりニューヨークではマイノリティーに属しているのだろうか。ニグロのように、プエルトリコ人のように。あるいはまたイタリア人や、アイルランド人や、ユダヤ人のように。 私が混乱したのは、つい先刻まで、この世の中には使う人間と使われる人間と言う2つの人種があるだけだと考えていたのが、またぐらぐらと揺れ動かされて出したからである。ナンシイは使われる側の人間だったが、彼女自身の意識では、ユダヤ人にも日本人にも優越していた。一体、これはなんだろう。 p.375 私は私が直接この家を飛び出す動機になったものも、やはりシモンであったことを思い出していた。シモンを追い出そうとし、シモンを家から出そうとしたのは、私ばかりで、トムがさっぱりそれに協力しなかった時、私は最後に、ニグルはやっぱりニグロだと結論した。無教養で魯鈍(ろどん)な黒ン坊ー彼らが白人の社会から阻害されるのは当たり前だと言う考えも固めたのではなかったか。家を出る時、私はシモンの喉首を押さえるようにして、若しシモンがサムのミルクに手をつけたら殺すと宣言したのを思い出さないわけにはいかなかった。メアリーがやっているのは、私と同じことをしているだけなのだ。家の中でともかく規律を建てるためには、支配するものがなければならない。無気力なトムにはそれができなかったし、家を空ける私にもそれができない。だから、私たちの家ではメアリーが支配者なのだった。しかも彼女は彼女の父よりも母よりも強く振る舞うことができた。なぜだろう?日本の国には昔「長幼序列」というものがあって、その考え方は日本を飛び出してきた。私にさえも強く残っている。私は指紋に露骨な顔を見せることができたのは、兄嫁と言う彼より上の立場にいたからである。メアリーが私と同じ態度を取るのは、姪して叔父に対しては非礼であった。そんな大げさなことを言うまでもなく、私はやはり親としてメアリーの居丈高(いたけだか)な振る舞いをたしなめるべきであった。だが、私にはそれができなかったのだ。なぜなら?私はメアリーに対して夢は持っていたから。仮にメアリーが私に対して親不孝な言動を弄(ろう)したとしても、私は彼女を怒ることができなかった。私は親としての資格には欠けるところがあると。メアリーに対しては反省を持っていたから。私は一家を養うと言う口実のもとに親としてバーバラ、ベティ、サムになすべき仕事を全部メアリーに押し付けていた。ニューヨークで産んだバーバラ以下の子供たちには、そうした負い目も反省も薄いものであったのに、メアリーには私は全く頭の上がらぬ思いがある。本当に、この子には苦労をさせてきた。何と言う健康な娘だろうかと、私はときには舌を巻いて踊ることすらあったのだ。それにしても、娘が統治している家は、必ずしも私にとって居具合の良い家ではなかった。メアリーがシモンを叱り飛ばすたびに、その必要は無いのに、私はビクビクしていた。
面白くて一気読み。 日々の生活に活力すら与えられて、読書の意義をひしひし感じることができた。 でもそれはこの中に書かれた生活を「これよりは自分はマシだ。頑張ろう」と思えたからであって、この小説の主題をまさに体現しながらの読書体験でもあった。 人間は業が深い。それは許容しつつ、なるべく自らのその部...続きを読む分は見せないように生きていくしかないのだろうけれど、そう心がけるほど、身勝手な他人の行動が目につくのだろうなあ。 折に触れて読み返したい1冊だった。
有吉佐和子さんの本は初めて読んだけど、テンポ感が良くて、リアルで面白かった。 50年以上前の話で時代も感じるけど、人が人を差別してしまう意識は今でも変わっていない事は分かる。 差別されているもの同士でもお互いを差別し、罵り合う。 人種同士の差別もだけど、この時代は今よりももっと女性の地位も低い。女性...続きを読む蔑視も描かれている。 誰と結婚したかで女性の立場が変わってくる。 この時代の女性が置かれている状況を読むのは辛かったけど、主人公の逞しさで最後まで読めた。
差別とは何か。差別は表に出さないだけで、私の心にも巣くっている。人は、心の中で優劣をつけたいからだ。自分が誰かより優っているところを見つけたい。誇りを持ちたい気持ちが増大したときに差別は生まれるのではないか。ごく単純なところから始まって大きくなったのが差別なのではないか。
マティス展に行ったら飾られていたので何気なく手に取ったが、本当に読んで良かったと思える一作になった。1967年に刊行された作品なのに、まるで色褪せていない。今でこそ皆に読んで欲しい。他の有吉佐和子作品も読んでみたい。
敗戦直後の日本、米兵トムと結婚し娘メアリー を産んだ笑子は、黒い我が子に向けられる冷ややかな視線に苦しみ、幸せな暮らしを夢見て夫の元へ渡米する。ところが、待っていたのは、もっと激しい人種差別と貧しいハーレムでの半地下生活だった。 逆境の中、気丈で逞しく生きる笑子の姿が潔い。時々、逆上し、突飛ない行...続きを読む動に出るのも気持ちいい。 船で乗り合わせ渡米した笑子と同じ境遇の竹子、志摩子、麗子。笑子を軸に4人の対比が描かれる。夫の人種によって住む場所が決められ、ハーレムよりもさらに下の過酷な暮らしがある。 同じ黒人でも、アフリカの国から派遣された黒人は優秀で母国に戻れば要職が約束されており、ハーレムに住む黒人を蔑む。 白人は白人でもプエルトリコ人やアイルランド人、ユダヤ人は、蔑視される。 同じ肌の色でも、金持ちは貧乏人を蔑み、頭のいい者は悪い人間を馬鹿にし、家系の良い者は成り上がりを罵倒する。自分より何らかの形で下の者を設定し、自分は優れていると思いたい。 人種差別は、色ではない。色に非らず。階級闘争である。 本作は有吉佐和子氏が留学経験から1964年に33歳で書いた作品との事。差別を通して人間の嫌な部分を見事に暴き出している。 その若さでここまでアメリカの暗部に迫るとは凄い。 でも過去のアメリカの話ではなく、現代の日本でも通じ、そして、自分の心の中にもあるなぁ、と気づかされ、戒められた。 娘メアリーの賢明さに希望を抱く。彼女を強くしているのは、学びである。色や階級で決まるのではなく、意志と努力で人生を切り開く事ができるそんな社会でありますようにと、願わずにはいられない。
人種差別の話と一言で言ってしまうにはもったいない本だと思う。 発表から半世紀を過ぎているが有吉佐和子さんの文章には本当に心をつかまれる。 本文中にこんな一節がある。「人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分をより優れていると思いたいのではないか。それでなければ落着かな...続きを読むい、それでなければ生きて行けないのではないか。」 真理だなぁと思う。
戦後間もない頃の話ながら、今に通じるものが多々あり、差別について改めて考えさせられました。 『人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分を優れていると思いたいのではないか。それでなければ落ち着かない、それでなければ生きて行けないのではないか。』 主人公の笑子が問いかける言...続きを読む葉が、胸に刺さります。 それにしても、笑子はよく働く! 厳しい環境に置かれているにも関わらず、前向きで正直で、読みながら沢山の勇気をもらいました。
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