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「国家=野蛮なるもの」はいかに誕生したか? 熊をカミとする狩猟民たちの「対称性の思考」とは? 「哲学」と「権力」が共存する冬の祭りの秘密とは? 王を戴く国家が「無法の野蛮」と結びつく根源へと遡行する。
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Posted by ブクログ
宇多田ヒカルの「ぼくはくま」という歌が本当に謎だったけど、これは宇多田ヒカルがこの本読んで、熊に対して酷いことをしたという、謝罪、敬意の歌なのかもしれないと思ったりした。 なんか相当熊には酷いこと酷いことをしたんだと思う。まあ人間が生きていこうとすれば動物に酷いことをしてしまうのはもう摂理なのだけ...続きを読むれども。そこには感謝が必要だよねという話。 国家を持ち、権力をレベルアップすればするほど、自然は破壊され、世の中はどんどん非対称になる。そうなったら地球温暖化しても仕方ないよねって話。 マジで世界は残酷なんだって感じだな。 神話は神様が作った話だと思ってたけど昔の人たちが口語で伝えて、もしかしたら嘘かもしれないし本当かもわからないけどきっとわたしは本当なのかなって思う。もっと動物も意思疎通できる人たちが、昔はいたんだと思う。今でもたまに動物の気持ちを理解できる人いるし。 自然に近い存在でいたから。私たちは自然からかなり遠ざかり、自然とおさらばしているから、どうしようもなく矛盾したことをしてしまい、悲しみ怒る感情に支配されることになるんだろうなと思った。これはめちゃくちゃ面白い本だ。
カイエ・ソバージュの1冊目が面白かったので、早速、第2冊目にすすむ。 1冊目が、レヴィ=ストロースの「神話論理」をベースにした世界各地のシンデレラ物語分析というところで、面白いものの、どこか予定調和的な感じがしなくもなかった。 で、2冊目では、原始的な共同体から国家の誕生へと、静的な世界から...続きを読む、ダイナミックな世界に動き出す。つまり、定常社会の記述を徹底していくことを通じて、王が出現する瞬間を描き出そうとする。 王=国家の成立にとって、経済的な格差や身分の成立といった経済社会的な構造変化は必要条件としながら、十分条件として、定常社会のなかに存在する神話的思考に内在する論理を指摘する、ところがとてもスリリング。 9.11の直後になされた講義であり、なにが「野蛮」なのか、という問題提起が繰り返されなされる。特に、冒頭に引用される宮沢賢治の「氷河鼠の毛皮」のインパクトは強烈であり、この本全体のテーマを的確に示している。 最後のほうでは、「野生の思考」としての仏教思想という話がでてくる。 1冊目のレヴィ=ストロースの忠実な弟子という感じから、いよいよ中沢氏の本領発揮という展開で、面白かった。
どうやって人間は「自然」から離れ、権力を奪い「国家」をつくるようになったのか、と同時に、心の奥からポッと生れ出た自然を語る神話たちは、どこかへ消えたのではなく、今も形を変えてそばにいるということを教えてくれる本……というか、説明がすごく難しい。いろんなことが広範囲で語られている。「国」や「権力」って...続きを読むなんだろうと疑問に思うなら、楽しめる本だと思う。
神話の生きていた「対称性社会」の崩壊から、クニの始まり、 そして産業革命後の宗教がもたらした「第一次形而上学革命」による国家成立の過程。 現代とは、文明という名を持つ、歴史上最も野蛮な世界だ— 太古より、先住民たちに共通して神としてあがめられてきた熊と、 人との関係の変遷に沿って歴史を読み解き、 ...続きを読む現代が失って久しいもの、今意識しなければならないことが わかりやすく解説された、人類学の入門書。 人類学に限らずだが、学問や思想は現代の闇をするどく看破する力を持っている。 自分で新しい目線を育てる指南書として一読の価値あり。
中沢新一さんの<カイエ・ソバージュ>第2弾です。<熊>をキーワードにして、神話と人間の思考様式を考えていく。世界のどこか、じゃなくて、世界中普遍な物語。素敵です
クニ(国)ができる前は人々はどういう風に考えていたのか、という話。クニができる要素はあるのになかなかクニができなかった地域もあって、それは未開とか未熟とか野蛮とかではなく、別の価値観・知恵をもって暮らしていたのでは、というお話。おもしろい。 『チベットの・・・』で思考停止に陥った「トポロジー」とい...続きを読むう言葉の説明が出てきました。いわく、 ”トポロジーという学問は、具体的な空間や図形の性質を調べるのではなく、それをひっぱったり伸ばしたりしても、変わらない性質を調べようとするものです。” なんとなくですが、少しわかったような気がしました。 宮沢賢治の作品を、ちゃんと読みたくなりました。
すばらしい!読み終わった後、拍手です。すてきなショウのようなでした。 すべてのクリエイターに読んでもらいたい。 「人類の思考のすべての領域を踏破する」試みの全5シリーズの2冊目。(KOBA)
中沢新一 「 カイエソバージュ 2 」神話研究から 近代文明の構造を明らかにした本。人類学ならではの構造の抽出だと思う。テクノロジーと 王権による国家概念を 近代文明の非対称性の特徴として 共通分類した点は面白い。未開社会から学ぶことは多い 終章「野生の思考としての仏教」は、仏教の空概念に 神話...続きを読む的思考を見出している点、ブッダが首長を理想としている点が 興味深い タイトル 熊から王へ の意味 *対称性の社会から非対称性の社会へ *動物と人間の共生社会から 動物と人間の分離社会へ *自然か所有していた権利を 王が所有する王権へ *王、国家の成立 対称性の社会=神話的思考 *人間と動物が対称的関係 *熊と人間の共生→人間と熊はお互い変容できる *首長はいても、王はいない、国家はない *首長は 弁舌、歌、踊り、気前の良さで 社会を調和し、権力(政治権力、軍事力、神秘的権力)はもたない 対称性のない世界(非対称性な世界) *人間と動物を分離する思考 *富の配分が非対称性 *野蛮を内部に組み込んだ社会→野蛮を排除できない *王=人間の社会の権力をもつ者+首長
国家「クニ」が野蛮であることは不可避であり、自然・動物に敬意を払う精神構造を捨てた「文明」は野蛮を土台にして発生している。 何故、現代文明を我々はこれほど歪に感じるのか。文化的に遅れていると言われる原始宗教に惹かれるのか。それは遠い昔、縄文まで遡る頃に、そのような、真に文明的な社会が存在していたから...続きを読むである。 首長・将軍・秘密結社・シャーマン。 首長は「集団の緊張を和らげるもの」「自分の財物を惜しみなく与えるもの」「弁舌さわやかなもの」。さらに歌・踊りの能力も重要であり、現代のミュージシャン(の語り)が若者の心をつかむことの共通性。
このカイエ・ソバージュの5冊セットは買ってしましました。 (抜き書き) ――神話と哲学 ハイデッガーは近代の技術の本質を明らかにするために、技術というものが、古代ギリシャ人たちのもとでどう考えられていたのか、と問うことからはじめました。テクノロジーの語源は、ギリシャ語の「テクネー」という言葉...続きを読むでしたが、この言葉は「ポイエーシス」という言葉と対比される意味を持っていました。「ポイエーシス」は自然に花が咲き出すように、自然が自分の中に隠している豊かなものを、外に持ち出してくることを言います。そういう「豊かなもの」に出会った人間は、それをまるで自然からの贈り物のように、少しも無理をすることなく手に入れることができます。 「テクネー」の方は、それとは違って、自然の中に隠れている豊かなものを、「挑発」によって立ち上がらせた上で、外に引っ張り出してこようとする行為のことを言います。 岩山を砕いて、その中から鉄鉱石を取り出したり、その鉄鉱石に熱を加えて、純度の高い鉄を作ろうとする行為などが、その典型です。どちらの場合も、自然の内部に隠されている豊かなものが、外に出てくるようにする、という意味では同じなのですが、やり方が根本的に異なっています。「ポイエーシス」は自発的で贈与的ですが「テクネー」は挑発的で、相手に義務を課すという意味では交換的です。 ハイデッガーは、近代に入ると技術が一気に「テクネー」としての性格を強めて、自然をコミュニケーションの相手ではなく、「開発」のための対象物としてみるようになってしまったことに、強い危機感を表明したのでした。科学的理解や産業開発のための対象物である限り、自然は口を閉ざしたまま、人間に向かって自分を開いてくれません。 ――王にならなかった首長と、環太平洋神話学から 新石器的な社会では四つの種類のリーダーを二つに分けて機能させようとしている。つまり、首長(実質的な権力は長老会議にあるため権力は持たず、全員一致を目標として調停を行う。自分の持ち物を気前よく人に与え、時にはその上で二人以上の妻の面倒を見、歌や踊りをよくし、弁舌が立たねばならない。)と、秘密結社(家族から離れたクランであり、年功序列でイニシエーション、入団儀礼が行なわれる。特に最上位の結社はカニバリズムの儀式を持つこともあり、狩における力関係において人間を超えた、または同等の存在と一体化しようとする。狩のない冬の間の社会形態であることが多い)+戦士+シャーマンのリーダーである。夏の季節には人間の社会と動物の社会は、「文化」と「自然」として対立しあい、人間の社会は首長が指導する。理性的な首長には権力がなく、権力=力の源泉はもっぱら動物の世界に潜んでいる。だが、冬の季節になると(または戦争時)この区別が無化されてしまう。 この「人食い」たちが、世俗的な時間のリーダーである首長と合体したときに、首長はまぎれもない王となります。ところが、北西海岸インディアンの場合にも、日本列島の縄文社会の場合にも、また多くの「少数民族」の社会でも、首長と「人食い」の合体は起こりませんでした。王が生まれれば、クニ=国家が発生します。これらの社会は、豊富な備蓄経済を実現し、階層性を発達させ、国家がいつ生まれてもおかしくないような条件を十分に備えていながら、自分の内部からは決してそれを作り出さなかったわけです。「国家を持たない社会の臨界形態」が、まさにここにあると言えます。 「ふゆ」はなんと偉大で、そして危険な季節なのでしょう。
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